にんじんのお星さま
第1話 失恋とうさぎのパン
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翌日の晩、椎名は約束通り6時半に彪芽達の家を訪れた。
「うわ、凄いなぁ。彪芽君、料理上手なんだ」
食卓の上に並んだ料理を見て、椎名は嬉しそうに言った。
彼の好みが分からないので、魚料理と肉料理の両方を作った。だから、確かに今日はいつもより少し、ご馳走だった。
大げさに誉められ、土産に貰ったアイスクリームのカップを冷凍庫に仕舞いながら彪芽は恥ずかしそうに笑った。
「そうでもないですよ。味は保証出来ませんし…」
「そんな事無いよな?岳斗。あーたん、凄いよな?」
「うんっ」
抱き上げた椎名に幼児用の椅子に座らせてもらいながら岳斗は勢い良く頷いた。
「ほんとに分かってんのかー?」
疑わしげに言いながら、彪芽は湯気の立つシチューを彼の前に置いた。
「おお、人参が星だぁ」
その皿を覗いて椎名が感動した様に言った。
「こうすると、岳斗が人参食べるんです」
「へえ…、ちゃんと考えてるんだなぁ。偉いなぁ」
感心した様に言った椎名の袖を岳斗が引いた。
「ちなうでしょ?ヒトデでしょ?ほら、こういうの。ヒ・ト・デ」
そう言って小さな手をぺたりとテーブルの上に広げた。
「済みません。今、幼児用の海底探検のビデオに凝ってるもんだから…。星型のは全部ヒトデだと思ってるんです」
意味が分からない様子の椎名に彪芽が説明した。
すると、椎名は“成る程”と頷いた。
「そうか、そうだな。ヒトデだな…」
「お星しゃま、きれいでしょ?ほら、これ…、お星しゃまでしょ」
今度は椎名の方を指差して嬉しそうに言う。
また首を傾げた椎名に、彪芽は笑った。
「瞳の中に光が反射して白く見えるでしょ?それがお星様だって言うんです」
説明を受け、椎名は感心して大きく頷いた。
「ほんとだ。確かに夜空の星は目の中の光とそっくりだな…。ふーん…、凄いなあ子供って…、星型の人参は確かに、ほんとの星よりヒトデにそっくりだ。大人の作った既成概念なんか関係無いんだなぁ、子供には」
椎名はそう言うと、嬉しそうに岳斗に顔を近づけた。
「岳斗のお星様は1番綺麗だなぁ」
岳斗の澄んだ瞳に輝く星を見て椎名はそう言って笑った。
何を食べても、椎名は“旨い、旨い”と言って、本当に美味しそうに料理を平らげていく。
彪芽は作った甲斐があったと嬉しくなった。
「時々…、こんなもんで良かったら、時々、食いに来てくれませんか?」
すると、椎名は驚きながらも嬉しそうな表情になった。
「ほんと?そんなこと言うと、本気にするよ?」
「ほんとですよ。いつも、岳斗と2人っきりだし…。賑やかな方が、何を食べても旨いですから…。ほら、岳斗もいつもより沢山食べてるし。なぁ、椎名さんが居た方がいいよな?岳斗」
最後に岳斗を持ち出して、彪芽は言い訳した。
本当は、自分が椎名に来て欲しいのだが、あからさまに態度に表すのも恥ずかしかったのだ。
「じゃあ、甘えさせてもらおうかな…。いいのかな?岳斗」
「うん。いいでーしゅ」
訳も分からず、スプーンを振って岳斗が嬉しそうに答えると、椎名も笑いながら頷いた。
食事が済んで、彪芽は椎名にコーヒーを淹れて出した。
岳斗は居間で積み木を出して遊んでいる。食卓のテーブルからそれを眺めている椎名の横顔を見ながら彪芽は口を開いた。
「昨夜、岳斗が居なくなった時、やっと本当の事に気がついた…」
言葉を切った彪芽を椎名は黙って待った。
「俺、岳斗が居たから、今まで何とかやってこられたんですよね。岳斗には俺しか居ないんだって思ったから、挫けている暇も無かった。もし…、この世にたった1人で残されたら、こんな風に普通で居られたかどうか分からない」
彪芽は立ち上がってコーヒーメーカーのサーバーを取ると、2人のカップに注ぎ足した。
「岳斗は俺を頼ってるんだって、そう思ってたけど…、俺もあいつを頼って生きてるんだなって、漸く気がついた……」
彪芽は顔を上げて椎名を見た。
「岳斗が居てくれて良かった。本当に…、良かったです」
その言葉に椎名は黙って頷いた。
椎名が帰ってすぐ、彪芽は眠ってしまった岳斗を2階まで運んで布団の中に寝かせた。
自室に入り、何と無く窓を開けると、アパートのドアの前に椎名が立っていた。
廊下の手摺に寄りかかって空を見ている。
何を見ているのかと彼の視線の先を追うと、そこにはまん丸な月が出ていた。
「ああ…」
彪芽は頷いて窓の桟に腰を下ろした。
そして自分も彼と同じ月を見上げる。
昨夜も今夜も、椎名と過ごして、彪芽は自分が彼に特別の感情を持っているのではないかと思うようになった。
以前は自分にも孝彰がいたし、椎名は自分とは違うと思っていたから自制していた部分があった。好きにならないように、自分を抑えていたのだ。
だが、本当は彼が引っ越して来たあの時から、心惹かれていたのだろう。
(好きになったって、どうしようもないけど……)
隣人として以上の何かを、求めても無理だろうと分かっているつもりだった。
それを求めたことで、折角近付けた椎名が遠くに行ってしまうのは嫌だった。
だが、本心は勿論違う。
「傍に行きたいな…」
傍に行って、あの肩に手を回して一緒に月を眺めるだけで、きっと、とても温かいに違いなかった。
だが、それは無理だと分かっている。
椎名から視線を外し、彼の眺めている月を彪芽ももう1度見上げた。
そして、彼の肩を抱いて、彼に肩を抱かれて彪芽は丸い月を見つめた。
翌朝、岳斗と外に出ると、椎名も丁度アパートの階段を下りて来た。
「昨夜はご馳走さん」
「いえ、本当にお粗末で…」
「とんでもない。家庭料理なんて久し振りだからなぁ、本当に旨かったよ」
「とか言って、椎名さん、作ってくれる人いるんでしょ?」
それとなく、彪芽は椎名の恋人の存在を探ってみた。
彼のところに女が出入りしているのを見かけたことは無いが、彪芽だってそう年中、隣を気にしている訳では無いし、気付かなかっただけかも知れない。
「あはは…、居れば嬉しいんだけどね。残念ながら、そういう人は居ないんだなぁ…」
「そうなんですか?」
疑わしげに彪芽が言うと、何故か椎名の瞳がふっと曇った。
「まあ、俺も色々とあってさ…」
意味深なその言葉に彪芽は少し眉を寄せた。
だが、やはり椎名には恋人が居ない訳では無さそうだ。
そう思うと、気持ちが沈んでいくのが分かった。
明日は土曜で、朝、こうして椎名に会うことも出来ない。本当はもう少し長く、一緒に歩いていたかったが、別れ道は無常にもすぐ目の前まで来ていた。
「じゃあな、気をつけて」
「はい。いってらっしゃい…」
そう言うと、彪芽は立ち止まって椎名の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
「あーたん…?」
手を繋いだ岳斗が歩き出さない彪芽を不思議そうに見上げた。
「あ、うん。行こうか…」
名残惜しげにもう一度振り返り、彪芽は岳斗の手を引いて歩き出した。
日曜日、昼食は何にしようかと、何気なく口にした彪芽に、岳斗が激しくリクエストを出した。
「おひるごあん、“うしゃぎしゃん”がいーい。うしゃぎしゃーん」
「ええー?うさぎさん?」
一瞬、面倒臭そうに顔を顰めたが、すぐに彪芽は思い直した。
沢山作れば椎名に”お裾分け”出来る。これが、訪ねて行くいい口実になるかも知れない。
「よし。じゃあ、昼は“うさぎさん”と“くまさん”だな?」
「うん~、くましゃんも、いいでしゅー」
嬉しそうに食卓の椅子の上でピョンピョン飛び跳ねている岳斗に笑いかけ、彪芽は仕度を始めた。
やがて、もうすぐ昼食と言う頃、縁側で遊んでいた岳斗が台所へやって来た。
「ボール、行っちゃったよー。あーたん、ボール、お外、ポイだって」
「ポイだってって、自分でポイしたんだろ?調子いいのぉ、おまえは」
苦笑しながら手を拭くと、彪芽は縁側から庭に出てゴムのボールを拾いに行った。
外の路地に面したブロック塀のすぐ傍に緑色のボールが転がっていた。
彪芽が腰を屈めた時、丁度その頭の上から声がした。
「待てよ、剛っ」
それは、椎名の声だった。
それに気づくと、何を思ったのか、彪芽は思わず塀の陰に身を隠してしまった。
「ごめん…。でも、俺の夢だし、どうしても行きたいんだ。分かって欲しい」
今度は、椎名とは別の男の声が辛そうにそう言った。
椎名が剛と呼んだ相手らしい。
「…分かってるさ…、でも、あんまり急だから…」
椎名の声は、いつもの穏やかな調子とはまるで違っていた。
彪芽は、何だかざわざわと心が騒いでボールを抱えた腕をギュッと胸の方へ押し付けた。
「ほんとは…、もっと前から決まってたんだけど、どうしても言い出せなくって…。ごめん」
剛の方も、本当に辛そうな声で答える。
一体、この2人はどんな関係なのだろうか。
一体、何があったというのだろうか。
塀の陰で身体を縮め、彪芽は2人の会話に耳を澄ませた。
「そうか…、そうだったのか…。なんかおまえの様子がおかしいとは思ってたんだ。なんだ、そうだったのか…」
椎名の声が尻窄みに小さくなった。
「俺だって、出来る事ならこのままって思ったけど…。でも、本当にチャンスなんだ」
「…うん。去年、あの賞を取った時から、様子が変だとは思ってたんだ…。もう、あの時には声が掛かってたんだな?」
「うん…」
「ごめんな?剛…。随分、悩んだんだんだな?もっと早く、気付いてやれば…」
「止めてよ、椎名…」
遮った剛の声は今にも泣き出しそうに彪芽には聞こえた。
「俺の我侭だって分かってるんだ…。椎名はずっと、支えてくれたのに…」
「いや、俺なんか何もして無いさ。全部、おまえの努力だよ。おめでとう…、剛…」
「椎名…」
その後、何が起こったのか彪芽には分からなかった。
だが、ほんの少しの間だったが、その沈黙が胸を詰まらせた。
「…元気でね、椎名。今まで…、ありがとう」
その声には、少しだが涙が混じっているように彪芽には聞こえた。
「うん、おまえも……。頑張れよ。成功を祈ってるよ」
そう言った椎名の声も随分無理している様に感じられた。
本当は、引き止めたいのでは無いかと彪芽は思った。
「うん…、さよなら」
「さよなら」
椎名の低い声の後に、男が走って行く気配がした。
(誰だろう…?友達?でも何だか、ただの友達って感じじゃない…)
また、彪芽の心がざわざわと騒いだ。
もう、答えは分かっているような気がする。
でも、その答えを、彪芽はわざと無視して仕舞い込もうとした。
その時、彪芽とボールを待ち草臥れた岳斗が縁側に現れた。
「あーたん、ボールくだしゃーい」
大声で呼ばれ、彪芽は焦った。
顔を上げると塀の上から覗く椎名と目が合った。
ばつが悪そうな顔をして笑い、彪芽は仕方なく立ち上がった。
椎名はそんな彪芽に笑い掛けた。
だが、それはいつもの温かい笑みではなく、何処か寂しげだった。
「あっ…、あのっ…、お昼まだだったら、食べて行きませんか?」
立ち去ろうとした椎名の背中に彪芽は急いで言った。
「もうすぐ、“うさぎ”が焼けるし」
「うさぎ…?」