にんじんのお星さま

第3話 嫉妬と苺のジャム


年末に会社が休みに入ると、椎名は実家へ帰ってしまい、彪芽たちはひっそりとした正月を向かえた。
椎名がいれば一緒に初詣に行きたいとか、家に呼んで雑煮を祝いたいとか考えていた彪芽だったが、岳斗と2人なら仕方ないと、ろくに正月用の料理も作らなかった。
ただ、さすがに三が日の雑煮の用意だけはしてあったので、元日の朝は岳斗と一緒に雑煮を祝った。
彪芽の真似をして神妙な顔付きで
「おめでとうごじゃいましゅ」
と頭を下げた岳斗に、彪芽は彼の好きな漫画のキャラクターが描いてあるお年玉の袋を差し出した。
「はい、お年玉」
「おとし…?」
「お正月に子供が貰うお小遣いだよ。ほら…お金が入ってるんだ」
袋を開けて中に入っていた千円札を出して見せると、岳斗は吃驚して目を丸くした。
「しゅごぉーい…、お金―、岳斗のー?あーたん、岳斗のお金―?」
「うん、そうだよ。岳斗のお金。何買おうか?」
「うんとねー、うんとー、うんとー…」
初めて自分のお金を持った岳斗は、どうしていいか分からなくなってしまったらしく、唸ったまま考え込んでしまった。
「じゃあ、欲しい物が決まるまで、俺が預かって置くよ。いい?」
「うん、うんうん…。あーたん持ってるね?持っててね?」
「うん、分かった。じゃあ、大事に仕舞って置くからね」
彪芽がそう言うと、岳斗は真剣な顔でまたウンウンと頷いた。
「お片づけが終わったら神社へ行こうね」
「神社ぁ?お祭りのトコ?」
「そうそう。夏祭りに行ったとこ。初詣って言って、神様にお参りするんだよ」
「ふうんー」
良く分からないようだったが、出掛けられるのは嬉しかったらしく、岳斗は起きる時に寝床から運んで来た猫型の抱き枕を居間の炬燵布団の中へ“お片付け”した。
「お片付け、終わったー」
報告に来た岳斗に苦笑し、彪芽は汚れた食器を洗い終えると、手を拭いて岳斗のコートを取りに行った。
フードの付いたダウンの暖かいコートを着せると、更に首にマフラーを巻き、そして頭には先に房がついた毛糸の帽子を被せた。
「よし、カッコいいぞ」
帽子を嫌がるので、被せた時にはいつもそうやって煽てる。すると、岳斗はその気になって帽子を脱ごうとしなくなった。
彪芽は自分もコートを着ると、やはりニットの帽子を被った。
「あーたんも、カッコいー」
「ははは、ありがと」
神社までは歩いて10分ぐらいだった。
それは彪芽の足での話で岳斗の足には少々遠かったが、途中、疲れて飽きた岳斗を抱いてやりブラブラと神社まで歩いた。
さすがに元日だけあって、小さな神社だったが境内は人で賑わっていた。
「お祭りー?」
岳斗に訊かれ、彪芽は笑いながら首を振った。
「違うよ。みんな神様にお参りに来たんだ」
「ふうん…。岳斗、ガランガランやりたいでしゅ」
「うん、じゃあ、こっちに並ぼうね」
参拝の列の最後尾に並び、彪芽と岳斗は順番を待った。
すると、知った顔が近付いてきて、彪芽の肩を叩いた。
「あれ?名倉…、おまえも初詣?」
「いや、俺、正月だけここでバイトしてんの。ここ、俺の叔父さんちなんだよ」
「へえ?そうだったのか…」
名倉は彪芽と同じ大学の友達だった。笑みを見せながらそこへしゃがむと、岳斗と視線を合わせて手袋をした岳斗の小さな手を取った。
「岳斗―、おめでとう」
「おめでとうごじゃいましゅ」
「おおー、良く出来たなぁ。えらいえらい…」
ぺこりと下げた岳斗の頭を嬉しそうに撫で、名倉は言った。
彪芽が死んだ両親の代わりに1人で幼い弟を育てていることは友達なら誰でも知っている。そして、みんなが岳斗を可愛がってくれるのだった。
「お年玉代わりにお守り買ってやるから、後で社務所においで?」
「はぁーい」
岳斗が返事をすると、もう一度頭を撫でて名倉は立ち上がった。
「なあ彪芽、おまえ最近、孝彰と会ってねえのか?」
「え?…学校で会って以来だけど…?」
孝彰は少し前まで彪芽が付き合っていた相手だった。
だが、それは勿論内緒のことだったので、他の友達は2人がそういう関係だったことは知らなかった。
ただ、学校でも2人は一緒に行動する事が多かったし、みんなにも仲がいいと思われていたのだ。
「孝彰がどうかした…?」
「うん…、なんだか最近、様子が変なんだよなぁ…」
「変?どういう風に?」
訊くと、名倉は周りを見回した。
「まあ、ここじゃなんなんで…。後でおまえの家に行くわ。大丈夫か?」
「ああ、うん、いいよ」
「なら、また後で。俺、社務所に居るから」
「うん、分かった」
「じゃな?岳斗」
「ばいばーい…」
一体、孝彰がどうしたというのだろうか。
別れたとは言え嫌いになった訳でもないし、やはりこんな話を聞くと彪芽は気になってしまった。
順番が回ってきたので、岳斗に手袋を外させると彪芽はその手に百円玉を握らせた。
「ほら、岳斗、そこにポイってするんだよ」
「ここ?ここ?」
賽銭箱を指さす岳斗に頷くと、彪芽はその身体を抱き上げて賽銭を投げやすくしてやった。
岳斗は神妙な面持ちで彪芽の腕から乗り出すようにしながら賽銭を投げた。
「ガランガランして?」
彪芽の言葉に頷くと、鈴から下がった太い縄を両手で持ち懸命に振った。
岳斗を下に下ろすと、彪芽は自分も賽銭を投げ入れ岳斗と一緒に柏手を打つと手を合わせた。
名倉に言われたので、彪芽は岳斗を連れて社務所へ顔を出した。
社務所の前は、お守りやお札、破魔弓などを買う人で賑わっていたが、中から目敏く彪芽の姿を見つけると、名倉は端の方から手招きをした。
近寄ると、小さな白い袋に入ったお守りを手渡した。
「ほらこれ、岳斗に」
「ありがとう。悪いな」
「いや…」
「ほら岳斗、お守り。保育園の鞄につけような」
「うんー」
中身を出すと、干支のマスコットの付いた交通安全のお守りだった。
「じゃあ、彪芽、後で行くわ」
「うん。…あ、飯は?」
「あ、…いいか?」
勿論それは食べるという意味だろう。彪芽は笑みを見せて頷いた。
「おう。じゃ、待ってるから」
岳斗を抱き上げて、お守りの礼を言わせると彪芽はそのまま神社を後にした。
「ナッキー、ご飯食べに来るって。晩ご飯何にしようか?」
“名倉”という名前を上手く言えなかった為、名倉は岳斗に自分を“ナッキー”と呼ばせていた。
それに習って、彪芽の親しくしている友達は舌足らずの岳斗に、それぞれ呼び易いように自分の名前をアレンジして教え込んでいる者が多かった。
「うんとー、うんとー、コロッケッ」
岳斗が叫ぶようにして言い、彪芽は笑いながら頷いた。
「コロッケかー。じゃ、コロッケにしよう。お買い物行こうな」
「うんー。お菓子も買いましゅー」
「ええー?お菓子はまだあるから買いません」
「買いましゅッ。グミ買うのー、ブドウのグミー」
言いながら岳斗は彪芽の頬っぺたをグニーッと摘んだ。
「いててッ、こら…」
彪芽がちょっと睨むと、岳斗はさっき自分で摘んだ彪芽の頬に今度は唇を押し付けて、
「グミー…ッ」
と精一杯の不気味な声を出して見せた。
それが余りに可笑しくて、彪芽はついつい笑ってしまった。
「分かった、分かった。じゃあ、ひとつだけな?」
「はぁーい」
元気良く返事をしてニコニコ笑った岳斗を見て、彪芽は苦笑した。
最近は、色々な業を身につけて使ってくるので中々手強い。甘やかさないように気をつけているつもりだったが、負けてしまうことも多かった。
マーケットで買い物をしていると、岳斗が果物売り場の苺の前でぴたりと止まった。
「苺かぁ…、まだ高いなぁ」
食べたいのだろうが、まだこの時期ではハウス物の苺は結構いい値段だった。
「今日は、グミ買うから止めような?また今度」
彪芽が言うと、余程グミが欲しいらしく岳斗は素直に頷いて歩き出した。
夕飯の材料を買い家に帰ると、彪芽は早速コロッケの準備を始めた。
早めに作って冷蔵庫に入れておかないと丸める時に纏まらない。まだ昼前だったが、今の内に種だけ作っておこうと思ったのだ。
岳斗の保育園は4日から始まるのだが、彪芽は自分が休みの間は岳斗も休ませる事にした。 やはり、一緒に居られる時には、なるべく一緒にいてやりたかったからだ。
「あーたん、グミ食べましゅー」
台所に居た彪芽の所へ来て、岳斗がそう言った。
「ああ、あっちの袋に入ってるよ」
「はーい…」
ダイニングの椅子の上によじ登ると、岳斗はマーケットの袋の中からグミの袋を取り出した。
「開けてくだしゃーい」
「うん…」
ジャガイモを潰す手を止めて、彪芽は袋を開けてやった。
「パパ、まだ帰って来ないー?」
受け取りながら、突然岳斗が言った。
「え…?」
“パパ”とは椎名のことだ。
保育園へスーツ姿で送り迎えする父親が居て、それを見て、いつも朝の出勤時にスーツを着ている椎名を、岳斗はすっかりパパと呼ぶようになってしまった。
「まだだよ。パパは、明後日ぐらいにならないと帰って来ないよ」
「ふうん…。パパもコロッケ食べたいのに…」
どうやら、以前椎名を夕食に呼んだ時、彪芽の作ったコロッケを大喜びで食べたのを覚えていたらしい。それで、椎名にもコロッケを食べさせたいと思ったのだろう。
「そっか…。じゃ、パパが帰って来たらまた作ろうね?」
「うんッ。また作るねー」
嬉しそうにそう言うと、岳斗はグミの袋を開けて中身をひとつ取り出した。
自分だけではなく、椎名は岳斗にとっても大きな存在になりつつあるのだろうか。
彪芽はそう感じると、なんだか複雑な思いに囚われた。