にんじんのお星さま
第3話 嫉妬と苺のジャム
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「パパー、コロッケ食べたいー?」
綺麗になった口で岳斗は椎名に言った。
「うん?コロッケ?」
何の話か分からず、椎名は不思議そうに聞き返すと、答えを求めて彪芽を振り返った。
「昨日、岳斗が食べたいって言うんで、コロッケを作ったんですよ。そしたら、椎名さんにも食べさせたかったらしくて…」
「ああ、そうなのか。…うん、岳斗、俺も食べたかったよ。あーたんのコロッケ、旨いもんなぁ」
笑いながら椎名が答えると、岳斗は彪芽を見て言った。
「パパ、食べたいってー。あーたん、作るねー?」
「き、今日は駄目だよ。昨日作ったばっかなんだから…」
彪芽が慌てて答えると、岳斗は少し膨れた。
「だってー、だってー……」
「岳斗、今日じゃなくていいよ。また、今度、な?」
椎名が言うと、岳斗はその腕にぶら下がるようにして言った。
「じゃ、何がいいー?何食べたいー?」
「え…?」
どうやら、岳斗は久し振りに会えた所為か、椎名を家に帰したくないらしい。
夕飯に椎名が食べたいものを作れば、夜まで居てくれると考えたのだろう。
それに気付いて、彪芽は内心で苦笑した。
もしかしたら、岳斗は自分の気持ちを敏感に察したのではないだろうかと思ったからだった。
「岳斗、今日は椎名さんも帰って来たばっかりで疲れてるから…。また、後でゆっくり来てもらおう?な?」
「えー?パパ、ご飯食べるねー?ねー?」
不服そうに口を尖らした後、今度は真剣な顔になり、岳斗は椎名の腕を揺すって言った。
「うーん…、俺は嬉しいけどなぁ…」
苦笑しながらそう言い、椎名は困ったように彪芽を見た。
「椎名さんが迷惑じゃないなら、食べてって下さい。あ、そんな、大したもんは出来ないけど…」
彪芽が言うと、椎名は岳斗の頭を撫でながら言った。
「なんか悪いなぁ…。じゃ、ご馳走になるよ。ありがとな?岳斗」
「うーんッ。食べようねー?」
岳斗は大喜びでそう言うと椎名の腕にしがみ付いた。
現金なもので、椎名が食べていくならと、彪芽も俄然やる気が出た。
岳斗は余り喜ばないだろうが、2人では中々出来ない鍋にしようかと思った。だが、やはり岳斗は鍋と聞くと膨れてしまった。
「いやー、岳斗、カレーがいいのー。カレー食べたいでしゅー」
「だって今日は、椎名さんの食べたい物作るんだろ?だったら、岳斗の食べたいのは明日にしないと…」
「んーーー…」
岳斗が渋々頷くと、脇から椎名が笑いながら言った。
「いいよ。俺もカレー食べたいな。なー?岳斗、あーたんのカレー、旨いもんなぁ?」
「うんっ。あーたんのカレー、旨いでしゅー」
「調子いいなぁ、もう…」
カレーとなると、今から仕込まなければ間に合わない。彪芽は、材料を買いにいく為に、留守を椎名に頼む事にした。
「なら、一緒に買いに行こうか?岳斗も連れて、3人で行こう」
椎名の言葉に、彪芽は慌てて手を振った。
「い、いいですよ。岳斗を連れてくと面倒だし、俺独りで行ってきます。すぐ帰って来ますから」
「いいよ、一緒に行こう。岳斗もお外行きたいよな?」
「うんっ、行くッ」
勢い良く立ち上がった岳斗を見て苦笑すると、彪芽は自分のと岳斗のコートを取りに行った。
行くのはすぐ近くのマーケットだったが、3人で連れ立って買い物をするなんて、ちょっと気恥ずかしい気がした。
彪芽は岳斗の手を引いて歩く椎名と、どうしても肩を並べられずに、少し遅れて歩いた。
椎名も背が低い方ではないが、彪芽に比べれば小さい。丁度、彪芽の目線ぐらいの高さに椎名の頭の天辺があった。
マーケットに着くと、カートに籠を載せてそれを押して歩く彪芽の隣を、岳斗を抱き上げた椎名が付いて来た。
なんだか、それだけでドキドキしてしまい、そんな自分を彪芽は心の中で笑った。
野菜コーナーで大蒜と玉葱、それから人参とセロリを買った。
「えっ、セロリ…?」
驚く椎名に、彪芽は笑いながら言った。
「セロリ入れると旨いんですよ。薄くスライスして入ってるからみんな気付かないけど、ウチのカレーはセロリを5、6本入れるんです」
「へえ…。俺も何度かご馳走になったけど、気付かなかったなぁ…」
感心するように椎名が言った。
「その代わり、ジャガイモを入れない。これは、死んだ親父が煮たジャガイモが嫌いだったんで、母が入れずにカレーを作ってたんです。だから俺も、自然にそうなっちゃって…。自分は嫌いじゃないんですけどね、カレーのジャガイモ」
「うん、俺も好きだよ」
「じゃあ、今日は入れましょうか」
彪芽が言うと、椎名は首を振った。
「いや、いつも通りの作り方でいいよ。彪芽君のカレーは、きっとジャガイモ無しの方が旨いと思う。なんか違うもんなぁ、彪芽君のカレー」
その言葉に、彪芽は照れたように笑った。
肉を買い、岳斗用に甘いルーと大人用の辛口を買って帰ろうとすると、レジの近くで椎名を呼び止める人があった。
「おう、棚田。買い物か?」
「ええ、ちょっと…。あ…。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
棚田と呼ばれた若い男は、買い物籠を脇に置いて丁寧に頭を下げた。
「あ、おめでとう。今年もよろしく…」
椎名の方は、岳斗を抱いたままで軽く頭を下げた。
すると、岳斗もそれに習って頭を下げた。
「おめでとうごじゃいましゅ…」
「あ…、おめでとう。お利口だね…」
戸惑ったようだったが、棚田は慌てて岳斗にも挨拶すると、愛想笑いを顔に浮かべた。
彪芽はすぐに傍に寄り、岳斗の方へ手を差し出した。
「すみません…。岳斗、こっちおいで」
「いやー。パパがいいのっ…」
そう言われて、彪芽は青くなった。
3人の中でなら構わないかも知れないが、他人の前で岳斗が椎名を“パパ”と呼ぶのは拙いだろう。知らない相手なら兎も角、目の前にいるのは椎名の知人なのだ。
「が、岳斗っ、なに言って…」
彪芽が慌てると、椎名が笑いながらそれを遮った。
「いいよ、いいよ、大丈夫だって…。棚田、明後日の初打ち、来られるんだろ?」
椎名が独身なのは勿論知っているのだろう。怪訝そうに、岳斗と彪芽を見ていた棚田だったが、椎名に声を掛けられて慌てて頷いた。
「あ、はい。吉野さんから連絡あって、試合は無理みたいっすね。けど、メンバーは、ほぼ全員集まれるみたいっすよ」
「そうか。集合とか後で連絡来るかな?」
「あ…、多分。今夜にでもメール回すと思います」
「分かった。じゃ、また明後日な?」
「あ、はい。それじゃ…」
自分にも会釈した棚田に、彪芽も頭を下げた。
どうやら彼も、椎名と同じ野球チームのメンバーらしい。ちゃんと、挨拶しなかった事を、彪芽は別れてから悔やんだ。
もしかして、いや多分、椎名にひどく恥を掻かせてしまったのではないだろうか。それを思うと、申し訳なくて堪らなかった。
「し、椎名さん、あの…ッ」
だが、謝ろうとした彪芽の背中を椎名はポンと叩いた。
「気にしなくていいって。俺は全然平気だし、だから彪芽君も気にするなよ」
だが、そう言われても気にしない訳にはいかなかった。
「済みません…」
やはり自分は、椎名に甘え過ぎていると思う。
彪芽が頭を下げると、椎名はもう一度、彼の背中を優しく叩いた。
帰ってから、早速彪芽は台所でカレーを作り始め、その間、椎名はずっと岳斗と遊んでくれた。
その内に、いつもの昼寝の時間になり、習慣なので岳斗はいつの間にか眠ってしまった。
呼ばれて、子供用の布団を居間に運ぶと、彪芽は岳斗をそこへ寝かせた。
「俺、ちょっと部屋に帰ってくるわ。後でまた来るから」
椎名に言われて、彪芽は頷いた。
「はい、どうも済みません。帰ったばっかりで疲れてるのに、ずっとお守りさせちゃって…」
「いや、お蔭で彪芽君のカレーにありつけるし、俺は却って得したみたいだよ。じゃ、また後で」
「はい…」
カレーはもう、煮込んでルーを入れるだけになっているし、本当は今から椎名とゆっくりお茶でもと思っていた。
だが勿論、彪芽はがっかりした態度を見せるような事はしなかった。
椎名だって、帰ったばかりで色々と用もあるのだろうに、こうして長々と自分と岳斗に付き合ってくれたのだ。それだけでも、感謝しなければいけないだろう。
「じゃ、待ってますから」
躊躇ったが、やはり彪芽はそう言ってしまった。
ただ、“また”とか“後で”とか、椎名の言ったように言えば良かったのかも知れない。
だが、どうしても本心が顔を見せてしまったのだ。
「うん。ありがとう」
そして、そう答えてくれた椎名の笑顔に、また馬鹿みたいに胸が熱くなる。彪芽は赤くなった頬を隠す為に、鍋が気になるふりをして台所へ逃げ込んだ。
玄関が開いて、閉まる音がして、椎名が表へ出て行ったのが分かった。
台所の窓から見ていると、隣のアパートの階段に椎名の姿が見えた。
上って行くのをずっと目で追い、その姿が消えるまで眺めると、彪芽は台所の椅子に崩れるように腰を落とした。
「もう、いい加減に、諦めればいいのに…」
そう呟いて、彪芽は自分自身を哂った。
多分、椎名は自分のものになどなってはくれないだろう。
元の恋人、剛の存在を忘れられないから、だけではない。
椎名の気持ちの中に、自分に対する同情以上のものが生まれるとは思えなかったのだ。
自分は、何も無いただの大学生で、剛のような才能も持ってはいない。輝いて、椎名を惹きつけられるような、そんな何かを持っている訳ではないのだ。
あの時、確かに椎名は考えてくれると言った。
だが、考えたからといって答えが変わる訳ではない事ぐらい、彪芽にだって分かっていた。
好きになるというのは、考えてなるものではない。
自然に、内から湧き出てくる感情だろう。
だから、椎名に自分を好きになって欲しいと願ったところで、どうなるものでもないのだ。
こんなもどかしい、そして切ない感情に囚われたのは、彪芽にとっても初めてのことだった。
以前付き合っていた孝彰とは、お互いにゲイだと知って、間も無く付き合おうと持ち掛けられた。好きなタイプで気も合ったし、彪芽もそれほど深く考えずに付き合う事にしたのだ。
ふられた時は勿論辛かったが、ふられた事実よりもその理由の方にショックを受けた。
だが、椎名とはそういう付き合いはしたく無いと思う。
気軽に身体の関係を持って、駄目になったらそれで終わり、のような、そんな付き合いは嫌だった。
それに、椎名はきっと相手が誰だろうと、そういう付き合い方はしないだろう。
もし、彪芽の気持ちを受け入れられないと、はっきりと椎名が決めた時が来たら、彼はきっとあの部屋を出て行くだろう。
もう2度と会わないように、自分を傷つけないように、椎名はきっと何処かへ行ってしまうだろう。
椎名なら、きっとそうする。
そんな予感のようなものが、彪芽の中にはあった。
出来ることなら、ずっとずっと、傍に居て欲しいと思う。
だが、彪芽はそれが自分の我が儘だと、ちゃんと分かっているつもりだった。
溜め息をついて立ち上がると、彪芽は鍋の蓋を開けて上澄みから灰汁を掬い取り、更に火を弱めた。