リーマンの1日10題
01.朝一番のキスを
目覚めて、隣を見る。
空っぽのその場所が目に入る。
そして、ベッド中に居るのが自分ひとりなのだと改めて感じる。
そんな生活が始まって、もう2ヵ月になろうとしていた。
居ないのは分かっているのに、それでも豊田は、毎朝、尚樹の姿をベッドの中に求めてしまう。そして毎朝、そんな自分を嘲笑った。
ひとりなのだから、堂々と真ん中に寝ればいい。
それなのに、必ず右側を空けて横になる。2ヵ月も経つというのに、尚樹の居たその場所を、豊田はまだ埋められずにいたのだ。
付いて来てくれるとばかり思っていた。
今までだって、尚樹は豊田の生活を優先してそれに合わせてくれていたし、仕事と言ってもアルバイト程度のもので、そう長く続いていた訳でもなかったし未練も無いと思っていた。
だから、豊田は当然、自分の赴任先に尚樹も来てくれるものだと思っていたのだ。
ところが、転勤のことを告げた途端、尚樹の眉間に皺が刻まれた。
「海外…?冗談だろ?」
「いや…。今度の赴任は断れそうも無いんだ。ただ、2年位で日本へ戻れる筈だから、海外旅行気分でいてくれればいいよ。大丈夫だろ?」
尚樹は同性愛者だということを知られた所為で親兄弟とも絶縁状態だったし、問題は無いと思った。だから、話をする時も豊田は軽い気持ちで言ったのだ。
だが、尚樹は眉間に皺を寄せたまま、疲れたように首を振ると片手で首筋を揉んだ。
「雄大、俺が一緒に行くって思ってんの?」
目を逸らしたままでそう言った尚樹の言葉を、豊田は信じられない思いで聞いた。
「どういう意味だ…?」
聞き返すと、尚樹はまだ床を見つめたままで答えた。
「俺たちさ、そこまでの関係なのかな……・?」
「え…?」
再び聞き返すと、尚樹はやっと目を上げて豊田を見た。
「自分の海外赴任に、俺が当然付いて来るって思ってるみたいだけどさ、俺たち、夫婦じゃないんだぜ?一緒には住んでるけど、俺には俺の都合もあるし、日本を離れるなんて大事なんだ。何の迷いも無く付いて行ける訳無いだろ?」
尚樹の言葉に、豊田は水を浴びせられたような気持ちがした。
自分が思っているほど、尚樹は自分たちの関係を深いものと思っていないのだ。それを知って、豊田はショックだった。
それこそ豊田は、すでに尚樹との関係を夫婦と同じように考えていた。一緒に暮らし始めて3年足らずだが、別れるつもりなど毛頭無かったし、そんな日が来るなんて考えてみたことも無かったのだ。
今までに付き合ったどんな男にも、尚樹に感じているような想いを持ったことは無かった。尚樹とは、永遠に一緒に居られるような気持ちがしていたのだ。
だが、尚樹の方はそうではなかったらしい。
それを知って、豊田は足元が崩れていくような感覚になっていた。
「じゃあ…」
妙に緊張して、豊田は1度、ゴクッと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「一緒に来て…、くれないのか……?」
豊田の問いに、尚樹は答えなかった。
ただ、厳しい顔つきをしたままで目を閉じると首を振った。
翌日、豊田が会社から帰るとマンションに尚樹は居なかった。
部屋にあった筈の彼の荷物も全て消えていて、すでに彼の気配さえ存在しなかった。
今まで、別れ話なんて微塵もしたことはなかった。
それなのに、尚樹は消えてしまった。
豊田はただ、立ち竦んだまま、溜め息をつくしかなかった。
尚樹はまだ、25歳だった。 40を過ぎた自分とは価値観も違うだろう。
だが、お互いを想う気持ちに温度差は無いと思っていたのだ。
それは間違いだったのだと、豊田は今、まざまざと思い知らされていた。
尚樹を好きだった。 今でも、毎晩思い出すほど好きだった。
だが、豊田は今、国外の狭い部屋の狭いベッドの中で、毎朝、たった1人で目を覚ます。
誰からも甘いキスを貰うことも無く、たった1人の朝を迎えるようになって2ヶ月が過ぎようとしていた。