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ゆっくりと、その感触を確かめさせるように、桜音は豊海の額や瞼、そして頬に唇を押し付けた。
「夢みたいだって思ってるのは俺の方だよ…」
そう言って、桜音は何度も豊海の顔にキスを落とした。
「もう絶対に、許してなんてもらえないと思った。こんな風に、また豊海を腕の中に抱きしめられるなんて、本当に夢みたいだ…」
言葉が途切れ、また豊海は桜音の唇を唇に感じて目を閉じた。すると、さっきと同じように、すぐに舌が入り込んで口中を愛撫された。
以前は決してこんなキスはしなかった。
豊海が覚えている桜音のキスは、決してこんなに熱いものではなかった。
また喘いで、益々口を開けると、舌を絡め取られて強く吸われる。頭の芯が痺れるようになって、豊海は何時の間にか自分がソファの上に横たわっているのにも気付かなかった。
桜音の唇が去っても、豊海はうっとりと目を閉じたまま横たわっていた。
すると、桜音の手がゆっくりと服の下から忍び込んできた。
「あ……」
頬を紅潮させて豊海が見上げると、怖がらせまいと思っているのか桜音は確かめるようにその目を見ながら胸の上まで服を捲り上げた。
「久し振りだな…。豊海の裸見るの」
唇に笑みを浮かべてそう言われ、豊海は益々赤くなると目を逸らした。
「やっぱり、前よりも痩せたね…」
「…ごめん。ガリガリで…気持ち悪いだろ?」
恐々と訊くと、桜音の顔が横に振られるのが豊海の目の端に映った。
「そんなことないよ。可愛い身体だ…」
そう言った後で、今度は胸に桜音の唇が降りた。
ビクッと震え、豊海は胸を隠すように両手を上げた。
「お、桜音…。無理にそういうことしなくていいんだよ?俺…、キスしてもらえただけで凄く幸せだから…」
だが、そう言った豊海の手を桜音は胸の上から退かせた。
「俺とするのは嫌…?」
急いで豊海がブルブルと首を振ると、桜音はじっとその目を見下ろした。
「じゃあ、触らせて?全部……」
その言葉に少し迷った後で、でも豊海は頷いた。
すると、桜音は豊海の服に手を掛けてそれを脱がせた。
一緒に暮らしていた時は、毎晩のように一緒に風呂に入っていたから何度も身体を見られた。だが、あの時の桜音は豊海の髪以外何処にも触れなかった。
だが今は、桜音の指が初めて髪以外の部分に触れようとしていた。
そう思うだけで、豊海の心臓は跳ね上がりそうだった。
「嫌だったら言って?豊海の嫌がることは絶対にしないから…」
また、豊海がこくりと頷くと、桜音の手が裸の肌に触れた。
カーッと頬に血が上り、豊海は恥ずかしさに目を逸らすと思わず片手を上げて唇の上に置いた。
小山内には何度も抱かれたが、とうとうその恥ずかしさに慣れることはなかったし、今は相手が桜音だと思うと余計に緊張してしまった。
「ッ………」
乳首にキスをされ、豊海は息を飲んだ。
「いや?」
桜音に訊かれて豊海は首を振った。
「ううん…。へ…き…」
消え入りそうな声で豊海が答えると、桜音はまた唇を押し付けた。
緊張と興奮で勃起した乳首を何度も舌で擦られ、豊海の感覚はむず痒いようなものからはっきりとした快感に変わっていた。
「可愛い…」
桜音が呟くのが聞こえて、また顔が火照る。チュッと音を立てて吸われ、思わず声を漏らしそうになった。
丁寧に愛撫されて段々に恥ずかしさは消え、豊海は声を我慢することに必死になった。
桜音の手がジーンズのファスナーに掛かり、それを外して豊海の身体から剥ぎ取っていった。
「いい?」
下着に手を掛けながら桜音が訊くのに、豊海はただ頷いた。
すっかり裸にされて、豊海にまた羞恥心が戻って来た。
前を隠そうとする手をそっと退けられて、ソファの端を所在無く掴んだ。
「ひぁっ…?」
ちゅ、と音がして、あらぬところに唇を感じ、豊海は驚きの余り背けていた顔を持ち上げて思わず確認した。
桜音が自分の股間に顔を向けているのを見て、カーッと忽ち全身が燃えるように熱くなった。
「そ、そんな…ッ。しなくていいよ、桜音…」
「いや?」
訊かれて首を振ったが、豊海はまだドキドキが治まらない胸を押さえたままだった。
「そうじゃないけど、でも…。無理にそんなことしてくれなくてもいいから…」
「無理じゃないよ。…全部、可愛いと思えるから…」
言いながら、桜音は笑みを見せると、また豊海の身体にキスを落とし始めた。
(うそ………ッ)
桜音の余りに思い掛けない行為に、豊海はもうパニックを起こしそうになっていた。
驚きと、嬉しさと、恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうだった。
だが、丹念に舌や唇で愛撫されている内に、また快感に溺れ、何時の間にか夢中になって声を漏らし始めていた。
小山内にも何度も抱かれたが、頭の隅の方にいつも冷静な部分が残っていた。だが、今はもう、豊海の頭の中は真っ白だった。
空気が薄い気がするほど、呼吸が苦しい。
桜音が後ろを解し始めるのが分かっても、ただ泣くような声を上げていることしか出来なかった。
「ごめん…、ゴム、無いんだ…」
桜音がそう言うのが聞こえたが、豊海は激しく首を振って手を差し伸べた。
「平気?」
訊かれて、豊海がコクコクと頷くと桜音はズッと下半身を前へ進めた。
「んっ…、んくぅ……ッ」
挿入に、苦しげな豊海の声が上がる。だが、手は桜音の腕を掴んで離さなかった。
「痛くない?」
優しく訊かれて、豊海はまた首を振った。
本当は痛みが無い訳ではなかったが、そんなことはどうでも良かった。今は、桜音が抱いてくれたことに感動し、胸が震えるようだった。
「痛くない。もっときて…」
そう言いながら、豊海はまた、喜びに泣き出しそうになっていた。
異常な興奮と、性行為の疲れで、終わった時にはもう豊海はぐったりとしていた。
その身体を腕に抱き上げてバスルームに運ぶと、桜音は丁寧に豊海の身体を洗い、そして久し振りに髪を洗った。
「いい気持ち…」
マッサージするような指の動きが心地良くて、豊海は言った。
それは、懐かしくて愛しい、桜音の指だった。
これが最後になるのではないだろうか。豊海はまだ心のどこかでそう思っている部分があった。
幾ら桜音が抱いてくれたからと言って、手放しで安心できるものではなかったのだ。
だからこそ、今この瞬間を、豊海は大切にしたかった。
「信じられない……」
豊海の地肌を擦る指を止めて、桜音はぽつりと言った。
その様子に、豊海はまた不安を感じ、鏡越しに恐る恐る彼を見た。
「豊海が他の男に抱かれたなんて……。考えるだけで、また嫉妬してるんだ。過去の事だって分かってても、胸の中がじりじりする。抱かれている時の豊海がどんなに可愛いか知った後だから、余計に……」
「お…、桜音……」
それこそ体中を真っ赤に染めて、豊海は恥かしさに俯いてしまった。
「また、一緒に暮らそうよ…」
鏡越しにそう言って桜音が笑った。
「え…?」
聞き間違えたのかと思い驚いて豊海が振り返ると、今度は直接その目を見て桜音が笑みを見せた。
「毎日、シャンプーしてあげるから、一緒に暮らそう?ずっと、傍に居て欲しいんだ」
「えっ?…」
もう1度、豊海が聞き返すと、桜音は豊海の項に流れてきた泡を掬い上げながら言った。
「一緒に住んで、また、こうして豊海の髪を洗いたいんだ。…どうかな?」
「で、でも…」
豊海が躊躇うと、桜音は言った。
「ここに来ればいい。そしたら家賃も要らないし、豊海も少し余裕が出るだろ?もっと楽な仕事に変えて、朝も夜も一緒にご飯が食べられるような生活をしよう。…駄目かな?」
「で、でも、そんなに桜音に甘えられないよ。ここに越してくるなんて、そんな…」
豊海が言うと、桜音はまた豊海の髪の中に指を入れた。
「甘えて欲しいんだよ。いっぱい、甘えて欲しいんだ…」
「桜音…」
「今まで俺が豊海に甘えさせてもらった分を少しでも返したい。今度は俺が、豊海を支えられるようになるよ。…もう絶対に、悲しませたりしないから…」
鏡の中の桜音を豊海は涙の溜まった目で見つめた。
今度こそ、本物の奇跡が起きたのかも知れない。
そう思って目を閉じると、豊海は髪の間を動く桜音の指の感触を零れるほどの幸せと共に味わった。
豊海が桜音の部屋に引っ越して1ヶ月が経った。
最初はまだ夢を見ているようだったが、豊海も徐々に慣れ、約束したように朝は毎日一緒に朝食を取り、桜音は会社へ、豊海は学校へと出かける生活になった。
もっと楽な仕事に替えるようにと桜音は言ったが、ずっと世話になった店をすぐに辞める訳にもいかず、豊海は年内は今まで通りに働くことにした。
だから、夜は一緒に食事出来る事は少なかったが、桜音は豊海が帰るまで待っていてくれて、約束通り髪を洗ってくれた。
生活もなんとか落ち着いたので、引越しの手伝いをしてもらった志田を呼んで、豊海はまた手料理をご馳走した。
志田は豊海が小山内と別れたことに付いても、それから、また桜音と暮らすことに付いても何も言わなかった。
「いいよ。豊海がそんな風に笑えるようになっただけでさ」
そう言ってポンと、豊海の頭を叩いただけだった。
そんな志田の優しさが、豊海には泣きたいほどに嬉しかった。
志田を通して、豊海は時折、小山内の様子を聞いた。
以前と変わった様子は無く、学校にも普通に来ているとのことだったが、それでも豊海は心配だった。
小山内のことは今でも気に掛かるし、忘れることなど出来なかったが、豊海は今ではもう、自分に出来ることは彼の幸せを願うことだけだと思っていた。
「そう言えばさ、この前、ヒロが言ってたよ」
桜音がキッチンへビールの追加を取りに行った隙に、志田は小声で豊海に言った。
「ヒロさんが?なんて?」
忽ち心配そうな顔になった豊海に、志田は安心させるように笑みを見せた。
「豊海が幸せになってなくれなくちゃ、俺が諦めた意味が無いって…」
自分の言葉に豊海の目が潤むのを見ると、志田は彼の肩に手を載せた。
「桜音と暮らし始めたんだって教えたら、ホッとしたみたいだった。…あいつは大丈夫だよ。そんなに軟じゃねえしさ。だから豊海は、自分のことだけ考えな。それが、ヒロの為でもあるんだと思う」
志田の言葉に、豊海は頷いた。
豊海は自分を棄てるのだと、あの時、小山内は言った。
だが、その言葉も自分を思って言ってくれたことだったのだと豊海は思った。
余計な情けは掛けずに、自分の幸せを考えろと小山内は言ってくれようとしたのだと思った。
いつか、本当にいつか、蟠り無く小山内と会えるようになれればいいと思った。
そしてみんなで、またこんな風に食べて呑んで、テーブルを囲めたらいい。
そうなれる為に、自分はもっと成長しよう。桜音に甘えるだけではなく、1人の人間として豊海はもっと強くなりたかった。
「ほら、ビール持って来たぞ。呑もう、呑もう。志田も今日はもう泊まっていけよ」
酒を持って戻って来た桜音が席に座りながらそう言った。
「えー、そんな新婚家庭を邪魔するような真似、俺には出来ませぇん」
おどけてそう言い、ニヤニヤ笑った志田の頭を、桜音がペタッと叩いた。
「ばぁか。恥ずかしい事言うな。豊海が真っ赤になってるだろ」
呆れたように桜音が言うと、志田はクスクスと楽しそうに笑った。
「ああ、じゃあ俺、ビール止めるー。焼酎にするぜい」
「あ、じゃあ俺も。水割りでいいか?」
桜音が言うと、志田は頷いて今度は自分が酒を取りに立ち上がった。
「豊海も焼酎呑む?」
桜音に聞かれて、豊海は首を振った。
「いいよ、俺はビールで。そんなの呑んだら、明日死んでる」
そう言って尖らせた豊海の唇に、桜音は笑いながらチュッとキスをした。
「や、やめてよ。また志田にからかわれる…」
慌てた豊海を見て、桜音はまた楽しげに笑った。
「いいよ。だって、俺たち新婚なんだから」
桜音の言葉に豊海の頬がまた真っ赤に染まった。
そのピンク色の耳朶が可愛かったのか、桜音は豊海の耳に顔を寄せるとチュッと軽くそこを吸った。
「やっ…」
吃驚して豊海が思わず両耳を手で覆うと、そこに酒と水と氷を持って志田が戻って来た。
「あっ、俺が居ないと思って何やってんだよ?」
そう言って睨み付けた志田に、桜音はわざとらしい惚けた表情を作って首を振った。
「何にもしてないけど?」
「嘘つけぇ。ああ、やだやだ。嫌らしいなぁ…」
顔を顰めながらグラスに氷を入れていた志田だったが、フッと顔を緩めると豊海の顔を見た。
その表情は自分の幸せを心から喜んでくれているようで、豊海は自然とまた胸が熱くなるのだった。