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翌朝、志田からメールが入っていたことに気付き、豊海は彼に電話した。
「おう、豊海。おまえ昨夜、ヒロと喧嘩でもしたのか?」
「え?どうして?」
いきなり訊かれて、豊海は戸惑った。すると、何かをしながら電話をしているのか、ガチャガチャという音に混じって、志田は答えた。
「いや…、昨夜さ、10時過ぎ頃かなぁ、突然ヒロが来てさ。何だか様子が変だから、どうかしたのかって訊いたんだ。けど、何にも答えねえしさ。黙って缶ビール3本呑んで、黙って帰っちまったんだけど…。昨夜、ヒロが部屋に来るって言ってたろ?だから、おまえとなんかあったのかと思ってさ」
「そう…」
「どうかしたか?昨夜も何度か電話したんだけど、おまえも出ないしさ。ちょっと心配してたんだ」
「うん、ごめん。昨夜はヒロさんが帰った後でちょっと出掛けてたんだ。携帯持つの忘れてたから…」
「そっか…」
「ごめんね、心配掛けて。喧嘩した訳じゃないんだ。でも、もうヒロさんは俺を許してくれないと思う」
言うべきじゃないと分かっていたが、豊海は思わず言ってしまった。
「なに?どういうことだ?やっぱりなんかあったのか?」
志田の声の調子が変わり、心配そうにそう訊いてきた。
「ごめん…。ヒロさんには俺から連絡してもう一度謝るよ。だから、志田は心配しないで?…ありがとう、志田…」
「おい、何があったんだよ?あんまり大丈夫って声じゃねえぞ。俺、今から行くから」
「い、いいよっ…」
慌てて止めようとした豊海だったが、全部言い終わる前に志田は電話を切っていた。
切れた携帯を見つめ大きく溜め息をつくと、豊海は身体の力を抜いた。
志田が来たら何もかも話さなければならないだろう。そう考えると気が重かった。
折角仲良くしてくれていたのに、軽蔑されるかも知れないと思った。だが、真剣に心配してくれている志田に隠しておける自信もなかったのだ。
もしかすると、志田はまだ朝食を食べていないかも知れない。
そう気付くと、豊海は朝食の仕度を始めた。
自分も食べていなかったが、食欲は無かった。でも、志田と一緒なら食べる気になれるかも知れないと思った。
スープを作り、サラダと卵の準備をしていると志田がやってきた。
やはり朝食がまだだと言うので、豊海は2人分のトーストを焼いてコーヒーを淹れた。
「悪いな。飯食いに来たみたいで…」
目の前に並んだ食事を見ながら志田が言うのに豊海は首を振った。
「ううん。俺もまだだったから…」
「旨そう。いただきます」
嬉しそうにそう言って、志田は食べ始めた。豊海もコーヒーのカップを持つと、それを一口飲んだ。
「なあ…、ホントに何があったんだ?しつこくして悪いけどさ、気になるから…」
「うん…」
頷いて、豊海は持ち上げかけたオムレツのひとかけを口に入れると、それを飲み込んでから口を開いた。
「俺が悪いんだ…。ヒロさんは、凄く優しくしてくれて大事にしてくれるのに、いつまでもふられた相手のこと引き摺ってるから…」
その言葉に、志田は驚いたらしく眉をキュッと寄せた。
「ふられた相手?…それって、いつのこと?そんな相手居たんだ?」
「もう、何ヶ月か前だよ。…それも、俺の片想いだったんだ」
豊海の言葉を聞いて、志田は探るように彼を見た。
「それ……、もしかして、桜音のこと…?」
サラダの野菜の中に突き刺した豊海のフォークの動きがそのまま止まった。だが、フッと息を吐くと頷きながらまたフォークを動かした。
「俺ね…、ふられたのに、どうしようもないくらい桜音のことが好きなんだ。でも、それじゃ駄目だと思って変わろうって決めた。その時にヒロさんと知り合って、好きだって言ってもらえて、凄く嬉しかった。…俺のことを好きになってくれる人も居るんだって、必要としてくれる人も居るんだって思えたから…」
フーッと長い溜め息をつくと、志田はコーヒーカップを持ったまま豊海の顔を暫く眺めた。
「なんかおかしいとは思ったんだ…。ヒロはいいヤツだけど、なんで豊海があんなに積極的にあいつと付き合おうとするのかって。そうか…、そういうことだったんだ…」
「でも俺、ヒロさんのことは好きだよ?それは嘘じゃない。ちゃんと桜音のことを忘れられると思ったんだ」
豊海が身を乗り出すようにして必死に言うと、志田は何度も頷いた。
「分かってるよ。どんな理由にしろ、豊海は誰かを利用したり出来るヤツじゃない」
そうだろうか、と豊海は思った。
自分は結局、桜音を忘れられない辛さを紛らわす為に小山内を利用したのではないだろうか。
小山内の優しさに甘えたのではないのだろうか。
「俺…、やっぱりヒロさんを利用してたのかも知れない。ううん、きっとそうなんだ…」
フォークを置くと、豊海は両手で顔を覆った。
改めて、酷く情けなくなった。
忘れようと決めたのに、揺れ動く気持ちをどうにも出来ない。桜音に会う度に、ぐらぐらと揺れてしまう。
その所為で、小山内を傷つけてしまった。
昨夜、自分を惑わす桜音に腹を立てたが、それよりも酷いことを自分は小山内にしていたのだと思った。
「そんなことないよ…」
志田の手が伸びて、豊海の手首を握った。
豊海は顔から手を離すと、志田の顔を見つめた。
「ううん…。そうなんだよ。俺はヒロさんを利用したんだ……」
「豊海…」
「凄く優しくしてくれたのに…。本当に俺って駄目だ。馬鹿なんだ、ほんと……」
豊海の言葉に、志田は慰めるように彼の肩を撫でた。
「そんなことないよ。豊海だって苦しんでたんだろ?……桜音のことも、忘れようとしてたのだって信じるよ。もしかして、俺が余計なことしたのが悪かったんじゃないか?…あの時、桜音を呼んだりして…」
済まなそうに志田が言い、豊海は首を振った。
「ううん…。志田の所為じゃないよ。桜音に会ったからどうこうって訳じゃない。元々、俺が諦められずにいるのが悪いんだ。だから揺れ動く……。ほんの少しのことで、気持ちがぐらぐらするんだ…」
絶望的な声で豊海が言うと、志田はまた彼の肩を撫でた。
「桜音は…?桜音は何て言ったんだ?俺から見たら、桜音だって豊海のことが好きなように見える。何時だって凄く気に掛けてたし…。本当に、桜音はおまえのことふったのか?」
豊海はフッと笑うと、静かに首を振った。
「桜音は俺のこと好きだって言ってくれたよ。けど…、それは違う。俺が桜音を好きなのと、桜音が俺を好きなのとは意味が違うんだ」
「そうか……」
気の毒そうに言って、志田は重そうにフォークを持ち上げた。
「なんで、好きになんかなったのかな…。誰一人、いいことなんて無いのに…。俺が桜音を好きになった所為で、ヒロさんも、そして、桜音のことも苦しめてる。あんなに辛そうな桜音を、見たくなんかなかったのに…」
「豊海…。そんな考え方するなよ。そんなのおかしい。豊海が悪い訳じゃない。誰かを好きになることが、悪いことの筈なんか無いよ」
慰められても豊海は頷くことが出来なかった。
そして、自分がこれからどうすればいいのか、豊海には少しも分からなかったのだ。



何度か電話しようと思ったのだが、中々踏ん切りがつかず、豊海はとうとう電話ではなく直接小山内に会いに行くことにした。
電話だと思いを伝えられないような気がしたし、きちんと会って、もう一度謝るべきだと思ったのだ。
学校の帰り、今日はアルバイトも遅番だったので豊海は直接小山内のマンションへ行った。
電話もメールもしなかったので、もしかすると留守かも知れないと思ったが、それならそれで時間の許す限り待っていようと思った。
だが、チャイムを押すとインターフォンから小山内の返事が聞こえた。
「あの…、ごめんなさい。突然来て…」
インターフォンに向かって豊海が言うと、すぐにドアが開いて少し息を切らせた小山内が顔を覗かせた。
「豊海君…。来てくれたんだ…」
その顔を見た途端、豊海の目には涙が浮かんだ。
「合わせる顔なんか無いって分かってるんだ…。でも、ちゃんと謝りたくて…」
豊海の言葉に小山内はもどかしげに首を振った。
「謝るのは俺の方だよ。酷いことしてごめん。身体、大丈夫だった?」
「平気…。あの…」
豊海が言いかけると、小山内はその腕を掴んで軽く引いた。
「兎に角、上がって?お茶でも淹れるから…」
「あ…、ありがと…」
促されるままに部屋の中に入ると、豊海はいつも座るソファに腰を下ろした。
「紅茶がいい?それともコーヒーにする?」
「どっちでも…」
豊海が答えると、小山内は頷いてキッチンへ入って行った。そして、間も無く湯気の立ったマグカップを2つ持って戻って来た。
「ありがとう」
ひとつを受け取って豊海が言うと、小山内は頷いて隣へ腰を下ろした。
そして、自分のカップをテーブルの上に置くと、カップを口に運んだ豊海をじっと見つめて、その髪を撫でた。
「この前は、本当にごめん…。辛かったろ?痛がってるのに無理にしたりして…、本当にどうかしてたよ」
後悔しているのが分かる声で小山内は言った。
豊海は首を振るとカップを置いて彼の方を見た。
「ううん。俺が悪いんだよ…」
言葉を続けようとした豊海の頬を、小山内は両手で包むようにした。
「最初から分かってたのに、嫉妬したりして…。マジでカッコ悪いよね?もう、絶対にあんなことしないから…。約束するよ」
「ヒロさん…」
豊海が言い掛けると、小山内はまたそれに被せるようにして話を続けた。
「ゆっくりでいいんだ。ゆっくり…忘れてくれればいい。俺はずっと待ってるから、今までと同じように…」
許してくれないものと思っていた。
小山内はきっともう呆れて、自分を見限っただろうと豊海は思っていた。
だが、小山内の言葉は豊海が予想していたものとは違っていた。
「ヒロさん…、そんな…。俺……」
戸惑って豊海が言葉を失うと、小山内は笑みを浮かべて頷いた。
「ね?今まで通り付き合おう?…これからはずっと大事にするから…。ね?」
「ヒロさん……」
願いを込めたような小山内の言葉に、豊海は胸が痛くなった。
こんなにも想ってくれる彼の気持ちが、切なくて堪らなかった。
「ごめんなさい…、俺…、俺もう…」
豊海が言い掛けると、小山内は彼の頬から手を外してギュッと抱きしめた。
「駄目だよ。言ったろ?俺は別れないって…」
(ヒロさん…ッ)
目を閉じて、豊海も小山内の背中に腕を回すと力を込めた。
辛くても、言わなければならない。このまま、彼の気持ちに甘えている訳にはいかないのだと思った。
「ごめんなさい、ヒロさん…。俺、…俺、駄目なんだ。…忘れられない…。幾ら待っててもらっても、忘れられないから…ッ」
「そんなことない。きっと忘れられる…ッ。俺が忘れさせてみせるから」
首を振り、小山内はそう言って更に豊海を抱きしめる手に力を込めた。
「ごめんなさい…。ごめんなさい…。駄目なんだ…、駄目なんだよ……」
「豊海ッ……」
「分かってるんだ。桜音とはもう無理だって分かってる…。それでも俺は諦められない。…だから、もう愛されなくてもいいんだ。愛されなくても、桜音の傍に居たいんだ…」
豊海の言葉に、小山内は腕から力を抜いた。
「傷ついてもいい。どんなに辛くても、そう決めたんだ…」
じっと豊海の目を見つめていた小山内が、ふっと瞼を落とした。
そして、諦めたように豊海の身体から手を離した。
「やっぱり、俺じゃ駄目だったんだね…」
悲しそうにそう言われ、豊海は涙を零しながら首を振った。
「違う……。ただ、俺が馬鹿なんだよ。どうしようもなく馬鹿なんだ…」
「豊海…」
手を伸ばして、小山内は豊海の頬から涙を拭った。
「ごめんね?ヒロさん…。ヒロさんに愛されてれば幸せなのに…。分かってるのに…。ほんとにごめんね?」
豊海の言葉を聞き、小山内はフッと寂しげに笑った。
「許さないって言ったら、どうするの?」
「え…?」
豊海が不安げな顔になると、小山内はまた笑った。
「嘘だよ。…もういい。もう、何を言っても無駄なんだろ?何を言っても、俺は棄てられるしかないんだ」
「ヒロさん……」
「綺麗ごとを言うのは止めよう。別れる時は、その方がいい。豊海君は俺を棄てるんだよ。……そう思って欲しい」
小山内の言う通りだと思った。
どんな言い方をしたって事実は変わらない。自分は、セックスまでした相手を棄てようとしているのだ。
ポロポロと涙を零しながら、豊海は小山内の言葉に頷いた。
その事実を、自分はきちんと背負うのだと思いながら。

いつか……。

いつかもう一度、今度は友達として小山内と付き合える日が来るだろうか。
恋人としては別れることになっても、自分にとって小山内はとても大切な人だと豊海は思っていた。
だから、出来るならばもう1度、小山内と同じ時間を過ごせるようになりたい。
そうなる為には、やはり自分が成長しなければならないのだと豊海は思っていた。