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小山内に別れを告げたことを、豊海は翌日のアルバイトの時に志田に話した。
志田は、溜め息をつきながら頷いただけで何も言わなかった。
そんな志田の気遣いが豊海には嬉しかった。
別れた時の桜音の様子が気になっていたが、豊海は連絡を取ろうとはしなかった。
“何時でも望む時に傍に居る”と約束したが、桜音の方から自分に会いたいと言ってくれることはないだろうとも思っていた。
だが、1週間ほどした頃、美穂が友達と一緒に店に現れて、豊海は桜音の様子を聞くことになった。
「え…?おかしいって、どんな風に?」
美穂から、桜音の様子が変だと言われ、豊海は驚いて聞き返した。
注文を取り終えた豊海を追って席から離れてきた美穂だったが、人目を憚るように、豊海の腕を掴むと通路の端まで連れて行った。
「会社にはちゃんと来てるんだけどね、前みたいに元気が無いし、それに時々上の空で…。食事も、昼は食べてるみたいだけど、朝や夜はちゃんとした食事を取ってるみたいに見えないし、顔色も良くないのよ」
思い掛けない美穂の言葉に豊海は驚き、心配になって表情を曇らせた。
「そんな…」
「桜音君の友達って、私は豊海さんしか知らないから…。貴方なら、何か知ってるかと思ってね。私が訊いても、別になんでもないって言って、ちゃんと話してくれないし…。でも、なんでもない訳ないわ」
もしかして、自分の所為なのだろうかと豊海は思った。
あの時、美紅のことを持ち出して、余計なことを思い出させてしまったのかも知れない。折角忘れかけていた悲しみを、桜音に思い出させてしまったのかも知れないと思った。
「あの…、変に取らないで欲しいんだけど…。あの時、豊海さんと桜音君、何かあったみたいだったし…。あの後から、桜音君の様子がおかしいの」
その言葉に、豊海は罪悪感を覚えた。それが表情に表れたのか、美穂は慌てて言った。
「別に、豊海さんの所為だなんて思ってる訳じゃないのよ。…ただ、桜音君はやっと立ち直ったとは言え、美紅が死んでからかなりの間不安定な状態だったから、また、あんな風になってしまうんじゃないかって、気が気じゃなくて…」
美穂の言葉に豊海は頷いた。
「俺…、休みの日に桜音の部屋へ行ってみます」
豊海が言うと、美穂は少しホッとしたような顔になった。
「ほんと?そうしてくれると嬉しいわ。…私じゃ、どうしようもないし。でも、放って置くのは心配だから…」
美穂に必ず行くと約束して、豊海は仕事に戻った。
だが、気になって堪らず、何をしていても桜音のことばかり考えてしまった。
桜音の様子がおかしくなったのだとしたら、それはやはり自分の所為に違いないと思った。
自分から桜音に会いに行くことに躊躇いはあったが、もうそんなことは言っていられない。豊海は責任を感じていた。
翌々日、アルバイトが休みだったので、豊海は美穂との約束通りに、夕食の材料を買って桜音のマンションへ行ってみた。
桜音のアドレスは消してしまったので連絡はしなかったが、もし留守だったら待っているつもりだった。
だが、チャイムを押すとすぐに桜音の声がインターフォンから聞こえた。
「あの…、こんばんは…」
豊海がマイクに向かって言うと、今度は返事がなかった。
だが、その代わりに、中でバタバタと走って来る足音が聞こえた。
「豊海……ッ」
声で分かったらしく、桜音はすぐにドアを開けた。
「こ、今晩は。連絡もしないで来ちゃってごめんね?」
そう言うと、豊海は笑みを浮かべながら買い物の袋を持ち上げて見せた。
「ご飯作ってあげるって約束しただろ?」
「うん……」
頷いて、桜音も笑みを浮かべたが、その笑みが何処か寂しそうに見えて豊海は胸が詰まるような思いがした。
美穂も心配していたが、確かに桜音は元気がないように見えたし、顔色も冴えない。それが全部自分の所為なのだとしたら、豊海は後悔してもし切れない思いだった。
「桜音の好きな雑魚のチャーハン作るね?あと、約束してた肉団子も…」
追い返されたらどうしようと思いながら、豊海は桜音に言った。
だが、桜音は笑みを浮かべたままで頷いた。
「ありがとう。本当に来てくれるなんて思ってなかった。嬉しいよ」
身体を避けて桜音は豊海を中へ入れた。
追い返されはしなかったが、口で言うほど桜音は自分を歓迎してくれてはいない、と豊海は感じた。
「最近、碌なもの食べてなかったから助かるよ」
先に立ってキッチンへ入って行きながら桜音は言った。
「あんまり、食欲無いの?顔色悪いけど…」
豊海が心配を口に出して言うと、桜音は笑いながら首を振った。
「そんなことないよ。ただ、この所ちょっと仕事が忙しくてね」
「そう…」
「ご飯、炊いてないんだ。今、用意するから」
炊飯ジャーの蓋を開けて中の釜を出しながら桜音が言った。豊海は首を振ると、持っていた袋を調理台の上に置いて桜音から釜を受け取った。
「俺がやるから、いいよ。桜音は座ってて?お米が何処にあるかだけ教えてくれれば大丈夫だから…」
「でも…、何か手伝うよ」
遠慮する桜音に豊海は笑いながら首を振った。
「いいよ。ほんとに大丈夫。でも、炊き立てのご飯だったらチャーハンには向かないよね。普通のご飯で食べようか?」
「なんでも…。豊海に任せるよ」
「うん。じゃあ、桜音は向こうで休んでて?」
「分かった。じゃあ…」
やっと頷いて、桜音はキッチンから出て行った。
さっき桜音が教えてくれた場所から米を出し、それを計って釜に入れると豊海は先ず米を研いで炊飯器にセットした。
料理を作りながらも豊海は時々、気になって桜音の様子を見た。
ソファに座ってテレビを見ているようだったが、確かに桜音は元気が無かった。
自分が来たことが迷惑だったのかも知れないと思う。だが、豊海は桜音の為に何かせずにはいられなかったのだ。
桜音が好きだと言った肉団子の他に、マカロニサラダと豚汁も作った。ご飯が炊き上がる頃に丁度全部出来上がり、豊海は桜音に声を掛けた。
「うわ、旨そうだな…」
嬉しそうにそう言い、桜音は豊海を手伝って料理をテーブルに運んだ。
「味、どうかな?店のと違っちゃってる?」
肉団子をひとつ口に入れた桜音に豊海は心配そうに訊いた。
「いや、旨いよ。店のより旨いかも…」
「ほんと?お世辞とか要らないからね?」
「ほんとだよ。ほんとに店のよりも旨い」
そう言って嬉しそうに口元を綻ばせた桜音を見て、豊海はやっとホッとして自分も料理を味わった。
(良かった……)
おいしそうに料理を食べている桜音を見て、豊海は心からそう思った。
少しでも、自分が桜音を元気に出来たらそれでいい。
愛されなくても、どんなに辛くても、小山内にそう言ったように自分は桜音の傍に居たいのだと思った。
「ご飯、お替りしてね?豚汁ももっとあるから…」
「うん、ありがとう」
「明日用に、後で残ったご飯でチャーハンを作っていくね。チンして食べられるようにしておくから。来週も何か作りに来るよ。…あ、勿論、桜音が迷惑じゃなかったらだけど……」
豊海が言うと、桜音は箸を止めてじっと彼を見た。
「そんなに気を遣ってくれなくていいよ。豊海があんまり俺に関わると、ヒロくんだって面白くないだろ?…俺には、本当にたまに顔を見せてくれるだけでいいんだ。大丈夫だから……」
寂しそうな笑みを、桜音はまた口元に浮かべた。
「桜音…」
迷ったが、豊海は本当のことを言おうと思った。箸を置くと、手を膝の上でぎゅっと握った。
「俺…、ヒロさんとは別れたんだ」
「え……?」
思い掛けない言葉だったのだろう。桜音の目がパッと見開かれた。
「このまま付き合ってても、俺は、ヒロさんを傷つけることしか出来ない。優しくしてもらうばっかりで、何も返せない。…だから…」
「どうして?……ヒロ君は、俺とは違うんだろ?豊海のことだけを考えて、愛してくれる。ちゃんと恋人として見てくれるって言ってたじゃないか。……豊海は、ヒロ君と居れば幸せになれるんだって、そう思ってたよ」
皮肉で言っている訳ではなかっただろう。桜音はきっと、正直にそう思っていたのだ。
だが、その言葉は豊海の胸に突き刺さった。
「うん……。俺が馬鹿なんだ……」
言いながら無理に笑うと、豊海はまた箸を取った。
「食べよう。冷めない内に、ね?」
「そうだな……」
まだ、何か言いたそうだったが桜音は豊海の言葉に頷くと、また料理に手をつけた。
食べ終わって、豊海が汚れた食器を片付けようとすると、桜音も一緒に台所へ入って来た。
豊海が、いいからと断ったのだが、桜音は首を振って一緒に食器を洗い始めた。
「疲れてたけど、豊海が来てくれて少し元気が出てきたよ。料理もみんな美味しかった。ありがとな?」
「ほんと…?それなら良かったけど…」
桜音が洗剤で洗った食器をお湯で洗い流しながら豊海は言った。
桜音が本心からそう思ってくれているなら嬉しいと思った。だが、もしかすると今の言葉は、自分に気を遣っただけなのかも知れない、と思わないでもなかったのだ。
「時間…、まだあるよな?」
訊かれて、豊海は頷いた。
「うん。これ片付いたら、チャーハン作るよ」
豊海が答えると、桜音は首を振った。
「いや、それはいいよ。…それより、少しゆっくりして…、そうだ、録画してある映画でも見ない?」
「え……?」
「遅くなったら送って行くし、いいだろ?」
「いいけど…」
豊海が躊躇うと、桜音はホッとしたように笑みを浮かべた。
「良かった。…じゃあ、コーヒーでも淹れよう。あ、なんか甘いのとか買って置けば良かったな。豊海、プリンとか好きだったよな?」
「うん…」
「今度、買って置くよ。あのマーケットの近くのケーキ屋、結構旨いらしいし」
嬉しそうにそう言う桜音に頷いて見せながら、豊海はまた寂しさを味わっていた。
やはり、桜音は自分を可愛がりたいのだ。ペットは言い過ぎだったが、自分を幼い弟のように甘やかしたいのだと思った。
思えばいつも、桜音は豊海に甘いものを買ってくれた。それは勿論、豊海が好きだからだったが、会う度毎に買ってくれるのは小さい子に菓子を与えるのと同じ気持ちなのではないかと思えたのだ。
「あそこ、高そうだよね?いつも気にはなってたんだけど、入ったことないんだ」
「そうでもないらしいよ。美穂ちゃんがこの前、ここに来た帰りに買ったらしいけど、店構えの割にはリーズナブルだって言ってた」
「そうなの?」
「うん。今度買ってくるよ。プリンとあと、何がいい?」
「うーん…、何でもいいよ。お店のお勧めとか…」
「そうか。うん、分かった。じゃあ、お勧め聞いて買うよ」
「うん、楽しみ……」
食器を片付け終えると、桜音はコーヒーメーカーをセットして豊海をソファへ座らせた。
「何見る?録画してあるのは…」
言いながら、桜音はリモコンを操作するとHDDのプログラムを画面に出した。
「あ、それ、見たかったやつだ」
上から3番目の番組を豊海が示すと、桜音は頷いてそれを選んだ。
「いっぱい録画してあるんだね」
「ああ…。録ることは録るんだけど、ひとりだと見る気になれなくて…。今は一緒に見てくれる人も居ないし…」
寂しそうに桜音はいい、豊海はすぐには言葉が出なかった。
「また、そういう人が現れるよ。桜音はモテるんだし、きっと、すぐだよ」
豊海の言葉に、桜音は何も言わなかった。その代わりに立ち上がると、キッチンへ行ってコーヒーの入ったカップを2つ持って戻った。
「はい」
「ありがと…。いい匂い…」
渡されたカップから立ち上るコーヒーの香りを嗅ぎながら豊海は言った。
そんな豊海を見つめながら桜音は何か言い出しかねている様子だった。顔を上げて問い掛けるように豊海が見ると、桜音はスッと唇の両端を持ち上げた。