便利屋銀次
第2話 娘と便利屋
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雪奈は駅の入り口で誰かにメールを打っていた。
ダメージ加工されたジーンズにサンダル。 タンクトップを重ね着して、長い髪を団子状に頭の天辺で結っていた。
手には携帯の他に、少し大きめの鞄を提げている。
遠くからその姿を眺め、銀次は大きくなったもんだと改めて思った。
生まれた時は早産で未熟児だった。
だが、心音はしっかりしているし問題ないだろうと医者に言われ、ホッと胸を撫で下ろしたものだった。
元来、丈夫な子だったのだろう。大きな病気もせずにすくすく育ち、今では標準よりもかなり小さく生まれた事など忘れてしまうほどの健康優良児だった。
元々身体を動かす事が好きで、幼稚園入園前からスイミングに通ったりしていたが、高校に入ってから入部したチアリーディングに今は夢中だった。
顔は幸運な事に銀次には全く似ず、母親の雪絵にそっくりで、案外美人だった。
本人の前では決してそんな素振りは見せないが、雪奈は銀次の自慢の娘だった。
「雪…」
声を掛けると、フッと顔を上げてすぐに笑顔を見せた。
「早かったじゃん。もう、布団に入ってたんじゃなかったの?」
「ああ。急いでシャワー浴びて、出て来た。おめえに何かあっちゃ、雪絵に顔向け出来ねえからな」
そう答えると、雪奈は大袈裟に眉を上げて見せた。
「お母さんのことなんて、気にしてないくせに」
「そんなこたぁ、ねえよ。…おまえ、腹は?減ってねえのか?」
「うん…、晩御飯は食べたんだけど、途中、コンビニで何か買うかな…」
「太るぞ」
にやりと笑って言うと、バスッと拳が鳩尾を襲った。
「てっ…」
銀次が思わず腹を擦ると、雪奈は笑いながら歩き出した。
「おい、雪。雪絵と喧嘩したって、何が原因だよ?」
「あ…、うん…」
なにやら口篭り、雪奈は答えなかった。
銀次は眉を寄せると、口を尖らして俯いた娘の顔を覗き込んだ。
「俺には言えねえのか?」
すると、仏頂面のままで雪奈は首を振った。
「そうじゃない。…多分、お父さんにもお母さんからその内話があると思うし…」
「なんのことだ?」
銀次が訊くと、雪名は渋々といった感じで口を開いた。
「お母さん、再婚するんだって」
「え…?」
一瞬、銀次も驚いた。 だが、離婚して6年も経っているのだ、有り得ないことではないだろう。
雪絵は自分よりも2つ年下だから、まだ41だし、一線で仕事をしているだけあって若々しく、見た目は34、5にしか見えない。それに、中々の美人だった。
相手がいてもおかしくはないだろう。
「おめえ、反対なのか?」
訊くと、雪奈はまた口を尖らせた。
「だって…、相手は会社のスタッフでさ、お母さんより6つも年下なんだよ?そんな人、お父さんだなんて思えない」
その言葉に、銀次の胸がツキンと音を立てた。
雪絵が再婚するという事は、雪奈に自分の他に“父”と呼ぶ人間が出来るということだ。
それに思い至った瞬間、嫌なものが込み上げてきた。
だが、そんな自分の感情を、今、表に出す訳にはいかないと銀次は思った。
「年は関係ねえだろ?信頼出来る相手なら、それでいい筈だぜ。それとも、年の他にもなんか問題があんのか?」
「…ううん。別にないよ。いい人だし、優しいし…、お母さんの事も大事にしてくれそうだし…」
「だったらいいじゃねえか。…大体、無理に父親だと思う必要もねえだろ?雪絵の旦那だと思って、付き合ってきゃいいさ」
銀次の言葉に、雪奈は些か呆れたような顔をした。
「そう簡単にはいかないよ。…まったく、相変わらずだよねえ、お父さんって…」
そう言われて苦笑したが、さっきの言葉は雪奈が思っているほど単純なものではなかったのだ。
雪奈に、自分以外の男を父親として認識して欲しくない。 実は、そんな思いが込められていた。
言うなれば娘を棄てた自分が、そんな事を言う権利はないのかも知れない。
雪絵が再婚するのは構わない。
幾らか寂しいような気もしないではなかったが、だが、祝ってやりたいという気持ちが大きかった。
しかし、雪奈の事は別だ。
おかしな話、雪奈に自分以外の父親が出来る事など、実際、考えてみたこともなかったのだ。
(親父らしいことなんか、してやったこともねえくせにな…)
一緒に暮らしていた頃は、仕事仕事で、参観日も録に出席した事はなかった。
顔を見るのは寝顔だけで、休日に遊んでやったことも数えるほどしかなかった。
皮肉なもので、離婚して仕事を辞めてからの方が、雪奈とじっくり話す機会も増えたのだ。離れて暮らすようになってからの方が、銀次と雪奈の親子関係は安定するようになっていた。
年中、メールのやり取りもするし、電話も掛かってくる。何かあると、相談してくれるようにもなったし、雪絵に言えないことを打ち明けてくれたりもした。
だが、そんなことも“新しい父親”が出来たら、なくなってしまうのではないだろうか。
そんな風に思えて、銀次は酷く寂しくなった。
(一緒に…暮らせるかな…?)
ふとそんな事を思って、すぐに首を振った。
雪絵が許す筈がないし、雪奈に今以上の生活をさせてやれる訳でもない。
「いざとなったら、お父さんトコに来るかなぁ…」
銀次の心中を覗いたかのように、雪奈が呟いた。
ハッとして顔を上げ、銀次は雪奈を見た。
だが、言い掛けた言葉を飲み込み、すぐに目を逸らしてしまった。
「馬鹿言うな。…俺ぁ、今更、コブ付きなんかご免だね…」
そうしろよと、言えなかった。
言い掛けた瞬間、山鹿の顔が浮かんだからだ。
「うわっ、ひどっ…」
大袈裟に嘆いて見せると、雪奈はまた銀次の鳩尾にパンッと拳を打ち込んだ。
アパートに戻ると、山鹿の部屋にはまだ灯りが点いていた。
(まだ起きてるのか…)
その灯りを見て、銀次は何故か複雑な気分になった。
もし、本当に娘と一緒に暮らす事になったら、やはり山鹿との関係は清算しなければならなくなるだろう。
娘の目を盗んで関係を続けていけるほど銀次は器用な男ではなかった。
(けど、まあ…、そんなことは有り得ねえけどな…)
さっきも考えたが、自分と暮らすメリットが雪奈にあるとは思えなかった。
部屋に入ると、雪奈はすぐにコンビニで買って来た袋の中から、棒付きのアイスクリームを取り出すと、袋を破いて口に咥えた。
銀次は冷蔵庫を開けると、缶ビールを1本取り出して隣に座った。
アイスを食べながら、雪奈はTVのリモコンを取ってスイッチを入れた。
「…やっぱり、高校卒業するまでこっちに住もうかなぁ…」
呟くように、雪奈が言った。
プルトップを起こし、口に運び掛けた缶を銀次はそこで止めた。
「なんかさぁ…、色々面倒臭い。お母さんだって、結婚すれば新婚なんだしさ、私が居ない方がいいんじゃないかな、とか思っちゃうんだよねぇ…」
銀次の方を振り向かず、雪奈はTV画面に目をやったままで言った。
「そんなこた、ねえだろ…?おまえがそういうこと言ったら、雪絵だって再婚しづらいんじゃねえのか?」
「…そうかなぁ…」
言いながら、雪奈はリモコンをTVに向けて、次々とチャンネルを変えた。
だが、やがて、それをピタッと止めると、リモコンを下に下ろして言った。
「お父さんさぁ、…どうなの?お母さんと復縁する気持ちって、全然無いの?」
「え…?」
突然の、思っても見なかった質問に銀次は戸惑った。
1度も口にした事はなかったが、雪奈の中には、父と母がもう1度縁りを戻す事を願う気持ちがあったのだろうか。
「前に聞いたけど、お母さんはさ、嫌いで別れた訳じゃ無いって…。お父さんはどうなの?」
やっと振り向いて、雪奈は銀次を見て言った。
「そりゃ…、俺だって嫌いじゃねえよ」
「なら、また3人で一緒に暮らしたいって思わないの?」
真剣な目で見つめられ、銀次は答えに詰まった。
迷っている訳ではなく、答えようによっては雪奈を傷つけるのかも知れないと思ったからだった。
だが、答えない訳にはいかない。
「俺は…、また一緒に住んで、お互いが窮屈に感じるなら今のままがいいと思ってる。それに、雪絵はもう他の男を選んだんだろ?俺の出る幕じゃねえさ」
「お父さんは…」
言い出した雪奈の声が少しだけ震えた。
「いつだって諦めるのが早過ぎるよ。…潔くて、そういうトコ嫌いじゃないけどさ…。もっと粘って欲しい時だってあるよ」
やはり、家族が元に戻れるならばそうなって欲しいと雪奈は願っていたのだろう。それを思うと、銀次の胸は酷く痛んだ。
「ごめん…、雪。…けど、俺にとって雪絵はもう、そういう相手じゃなくなってんだ。それは、雪絵だって同じだと思う」
銀次の答えを聞いて、雪奈は立てた膝の上に目頭を押し付けるようにして蹲った。
そもそも、雪絵と銀次が別れる事になった、はっきりとした原因は無かった。
その頃の銀次はサラリーマンで、一応、エリートと呼ばれる部類だった。
それだけに仕事も忙しく、やり甲斐も持っていたし、家に居る時間は極端に少なかった。
雪絵はしっかりした妻だったし、家事にしても育児にしても銀次を頼る事もなかった。
そして、雪奈が幼稚園に入園する頃になると、空いた時間を利用して好きだったインテリアの勉強をするようになった。
やがて、趣味が職業になり、もともと才能もあったのだろう、小さいながらも自分の事務所を持つまでになった。
そうなった時、銀次は雪絵にとって、自分が不必要になったことに気付いた。
自分が稼いでくる金さえも、最早雪絵には必要ないものになっていたのだ。
「別れるか?」
訊くと、雪絵は少し首を傾げるようにしたが、やがてゆっくりと頷いた。
「そうね…」
それだけだった。
悪いのは、多分自分の方だったろうと思う。
何も不満を言わないのをいい事に、全てを雪絵に押し付けていたのだ。家族の為に働いているのだと、そんな理由を付けて。
離婚後、銀次は会社を辞めた。
もう、遮二無二働く必要は何処にも無かったからだ。
見ると、雪奈が持っていたアイスクリームが流れ出していた。
「溶けちまうぞ…」
そう言って、銀次はそれを取り上げたが、雪奈は顔を上げようとはしなかった。