便利屋銀次

第1話 先生と便利屋


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1時間の散歩を終え、また犬たちを飼い主の家へ帰すと、銀次は再び“寺”のドアを潜った。
1人暮らしなので、夕飯は大抵ここで食べるのだ。
榎田の方でも、殆ど毎日の事なので、店のメニューではなく自分用に作るおかずを1人前余計に作っておいてくれたりする。
「おかえり、銀ちゃん。雪ちゃんから、電話があったよ」
「あー?なんだって?」
雪ちゃんというのは雪奈といって、銀次の娘だった。
6年前に離婚した時、妻が引き取ったのだが、時折銀次とも会っている。別れた時は小学生だったが、早いもので、今年で高校1年になる。
「来週、チア…なんだっけ?」
「チア・リーディングだろ?」
「そうそう。それの大会に出るから見に来てくれって」
「へえ?」
「雪ちゃん、健気に頑張ってるねえ。母子家庭だっていうのに…」
しみじみと言った榎田に銀次は苦々しい顔を向けた。
「煩せえ。母子家庭ったって雪絵のヤツは社長様だぜ。俺よか、よっぽどいい暮らししてら」
別れた女房の雪絵は、インテリアデザイナーで自分の工房を持っている。スタッフも2人ほど使っている、立派な経営者だった。
「ははは、そりゃそうだ。でも、大体が、その雪絵ちゃんと銀ちゃんが夫婦だったってのが不思議だよ。接点がまるで見えないね」
「うっせえな。余計な事はいいんだよ。飯にしてくれ」
銀次がまだ離婚する前からの付き合いだけに、榎田は色々と知っている。銀次は煙たそうな顔をしていつもの席に腰を下ろした。
(あれ…?)
何気なく窓の外を見て、銀次は眉を顰めた。
山鹿が2階へ上る階段の下で女と何か話している。その女と言うのが、さっき公園で見かけた女子高生らしいのだ。
女は山鹿の腕を掴んで揺すると、なにやら激しく訴えているようだった。
山鹿は、ただ黙って頷いている。だが、その表情は随分と暗く、そして困惑しているように見えた。
(不始末…か…?)
銀次は益々眉を顰めて、女が帰るまでその様子を見ていた。
女が行ってしまうと、その後姿を見送った後、山鹿は大きな溜息をついて、力なく階段を上って行った。
(ヤバそうだな…)
そう思って、銀次もまた溜息をついた。


榎田の手料理を食べ終え、金を払って“寺”を出ると、銀次は酒屋に足を向けた。
冷えた缶ビールを半ダース買い、乾きものを2.3仕入れると、それを持って山鹿の部屋のドアを叩いた。
「あ…、銀次さん…」
出て来た山鹿に、銀次はビールの入った袋を振って見せた。
「飲まねえ?先生」
「あ…」
少し驚いたようだったが、山鹿はすぐに笑みを見せると頷いた。
「はい。どうぞ…」
銀次は軽く頭を下げると、山鹿の部屋に上がった。
自分の部屋と作りは同じだが、位置が逆向きになっている。だが、銀次が居間に使っている六畳はやはり山鹿の部屋でも居間として使っているようだった。
ただ、違うのは、畳を剥き出しのまま使っている銀次に対して、山鹿の部屋にはカーペットが敷いてあり洋風な感じになっていた。
「へえ?綺麗にしてんだな、先生」
「そうでもないですよ。今日はたまたま…、休みで掃除したんで…」
促されてテーブルの前に座ると、銀次は袋からビールとつまみを取り出した。
「何か作りましょうか?」
「いや、晩飯は食ったんだ。なんもいらねえよ」
そう答えたが、銀次はチラッと台所の方を向いて言葉を続けた。
「先生、料理も出来んのか?」
「はぁ、まあ…。1人ですし、少しは…」
「ふう…ん。俺なんざ、もう寡になって6年だが、殆ど何も出来ねえな…」
「銀次さんは榎田さんに作ってもらえるからいいじゃないですか」
笑いながらそう言われ、銀次は肩を竦めながら缶ビールのプルトップを起こした。
「飯食わしてくれんのはいいんだが、あのオッサンも煩せえからよ。自分のことを棚に上げやがって、再婚しろだの、いい縁談があるだのって、飯の度になんやかや言いやがる」
「銀次さんは再婚する気はないんですか?」
訊かれて銀次は顔を顰めた。
「もう、結婚なんぞ懲り懲りだ。第一、面倒臭せえよ」
「はは…」
笑った山鹿を見て、銀次は訊いた。
「あんたは?先生。そういや、彼女が出入りしてんの、見たことねえなぁ?」
話の流れもあったが、銀次は少々鎌をかけるつもりもあった。さっき見た女のことが気になっていたからだ。
すると、山鹿の顔が忽ち曇った。
それを、銀次は見逃さなかった。
「い…、いえ、僕は…、モテなくて、駄目ですよ」
そう答えて力無く笑うと、山鹿は持っていたビールの缶をグッと煽った。
「…なあ先生、昼間、不始末とか言ってたが、そいつは女のことが絡んでるんじゃねえのか?」
銀次が訊くと、山鹿は答えず、またビールを煽った。
だが、銀次が答えを待って黙って顔を見ていると、目を逸らしたままで頷いた。
「ええ…、まあ…」
銀次は頷いて、ビールを一口飲んだ。
「さっき、階段のトコで若い女と話してたろ?何を話してたのかは知らねえけど、あの子は先生の教え子じゃねえのか?」
銀次の言葉を聞くと、山鹿は疲れたように目を閉じて、眉間を揉むようにしながら頷いた。
「…ええ、そうです。僕のクラスの子で…」
言葉を切ると、山鹿は大きく溜息をついて目を開けた。
「妊娠したそうで…。僕に、責任を取って欲しいと言って来ました」
「なに…?」
銀次は驚いて、ビールの缶を口から離した。
「あんた、教え子に手を出しちまったのか…?」
確かにこれは教師としてばかりではなく、大人として最大級の不始末だろう。
「そうらしいですね…」
がっくりと肩を落とした山鹿の答えを聞いて、銀次は眉を顰めた。
「らしいって、何だよ?自覚がねえのか?」
すると、山鹿は溜息と共に頷いた。
「親と喧嘩したと言って、夜遅くに訊ねて来たんです。…説得して、家へ帰そうと思いましたが言うことを利かなくて…。親の方へ連絡しても留守らしくて電話に出ないし…。仕方なく、彼女をここへ泊めて、僕は友人の家へ泊まりに行こうと思ってました。…でも、話してる内にどんどん眠くなって、……気付いたら夜が明けていました」
山鹿の話に銀次は益々眉を顰めた。
幾らなんでも、生徒が自分の部屋に居るのに眠りこけてしまうなんて有り得ないだろう。
「それで…?」
促すと、山鹿は頷いて話し始めた。
「傍には、下着姿の彼女が居て…、昨夜、僕とセックスしたと…。そんな筈は無いって僕が答えると、しらばくれる気かとわぁわぁ泣き出して…」
「それらしい様子とかあったのか?」
「僕自身には何も覚えはありませんでした。でも、僕はズボンを脱いで下着だけだったし、彼女の身体にキスの後が残っていたのも確かでした…」
「だが、それだけじゃ証拠にはならねえだろう?」
「ええ…。でも、僕じゃないとも言い切れません。それに…、前から僕のことが好きだったと、このまま付き合ってくれないなら学校にも親にも話すからと言われて…」
「付き合ったのか?」
銀次が訊くと山鹿は首を振った。
「いいえ。まさか、生徒と付き合うことなんか出来ませんよ。何とか説得して、分かってくれたようだったんですが…」
「今度は、妊娠したって言って来たんだな?」
「はい…」
再び、大きな溜息をつき、山鹿は答えた。
「先週でした。またここへ来て、1カ月も生理が来ないと…。検査薬を使ってみたら陽性だったそうです。認知してくれないなら、一緒に病院へ行って堕胎の手続きをしてくれと言われました。…でもまさか、“はい”とは言えませんよ」
苦しげそう言うと、山鹿はビールの缶を口元へ運んで、グッと飲み干した。
「それで?その赤ん坊はどうするつもりなんだ?」
銀次の問いに、山鹿は缶を口から離すと苦々しげに笑った。
「仕方ないです。…堕ろさせる訳にはいかない。僕が教師を辞めて、彼女と結婚して育てます」
そう答えた山鹿に、銀次は何も言わなかった。
だが、どうにもこうにも納得がいかない。
山鹿がその女生徒に気があったなら兎も角、未成年の、ましてや自分の生徒に手を出すような男ではないと銀次は思った。
それに、急に眠くなって意識の無いまま女を抱いたというのもおかしな話だった。
多分、山鹿も彼女の話の辻褄が合わない事に気付いているのだろう。だが、その上で、自分には覚えの無い事態の責任を取ろうとしているように銀次には思えた。
「そんなんで結婚して、本当に責任が取れると思うのか?」
銀次の言葉に、山鹿は顔を上げた。
「子供なんてなぁ、そんなに簡単に育つもんじゃねえぜ?夫婦の、ほんの僅かなすれ違いだって、子供は敏感に読み取るよ。…おめえさんも、その子も、一緒になって生まれて来る子供を育てていこうって覚悟が、本当に出来てるのか?」
銀次の言葉に、山鹿はまた項垂れてしまった。
多分、色々と考え抜いた末に出した結論だったのだろうが、銀次に言われると返す言葉が見つからなかったのだろう。 だが、やがて苦しげに首を振り、口を開いた。
「でも…、お腹の子が誰の子だろうと、この事が公になれば僕は教師を続けて行くことは出来ません。…どっちにしろ、僕は辞めなければならないでしょう」
「そんなことはねえさ」
だが、銀次の言葉に山鹿はまた首を振った。
「隠しても噂が立ちますよ。そうなったら、教壇に立つのは無理です。第一、生徒が僕に付いて来てはくれないでしょう。……生徒に見離された教師が、何かを教えることなど出来る筈がない…」
その言葉に銀次も黙った。
気休めを言っても仕方ないと分かったからだった。
山鹿は、もう覚悟を決めているらしい。
だが、銀次の正義感が、どうしてもこのままにしてはおけないと思わせた。
間違いなく山鹿は、その女生徒に嵌められたのだと思う。しかし、その証拠がない限り、今の時点ではどうすることも出来ないのも確かだった。
妊娠が本当なのかどうかも分からないし、また本当に妊娠していたとして、その父親が山鹿でなければ誰なのかも分からない。
そして、何故彼女は山鹿を選んだのか。
山鹿は全てのことを不問にしたままで全てを背負おうとしているらしいが、それがいい方へ向くとは限らないと銀次は思っていたのだ。
「まあ、待ちなよ、先生。もうちっと、考えて見た方がいいぜ」
銀次の言葉に山鹿は顔を上げた。
「銀次さん…?」
「その女生徒には、先生の気持ちを言ったのか?」
「いや…、まだはっきりとは…。でも、子供の事も彼女の事も責任を持つとは言いました。それから…、堕胎することは賛成出来ないとも…」
「そしたら、なんて?」
さっき見た様子からして、多分、彼女はその答えを気に入らなかったのではないかと銀次は思った。
すると、また溜息をつき、山鹿は答えた。
「学校をやめるのは嫌だと…。でも、…それは無理です」
また項垂れた山鹿を見て、銀次は苦い顔をするとビールの缶を口元へ運んだ。