手紙


「お早う、お早う、お早うっ。壮士ぃー」
門の所から上を見上げ、(あゆみ)が下から大声で叫ぶと、すぐに2階の窓が乱暴に開いた。
「うるっせい、毎朝、毎朝。表で、でっかい声で叫ぶんじゃねえっ」
険しい顔で壮士が上から怒鳴ったが、歩は彼の剣幕になど頓着する様子は無かった。
「あっ、壮士ぃ。早く学校、行こう」
怒鳴られたのにも関らず無邪気に手を振る歩の姿を見て、壮士は気が抜けたように肩を落とした。
「……ったく……」
忌々しげに舌打ちをすると、壮士は乱暴に窓を閉めた。
歩がいつものように門柱に背中を預けるようにして立っていると、壮士が玄関から現れた。
「歩、明日っから迎えに来んなよ」
スニーカーを履きながら片足でケンケンをするようにして壮士が言うと、歩は大きな目を余計に見開いて振り返った。
「なんで?」
表から大声で呼ぶなと言われたのを忘れて、今朝もやってしまったことを怒ったのだろうかと歩は思った。
「ごめん、もう呼ばないからさ、ちゃんと玄関で黙って待ってるからさぁ」
急いで言うと、壮士は呆れたように歩を見た。
「ばっか。そうじゃねえ。明日から補習が始まって、朝は1時間早く行くんだ。だから、おまえは後から来い。補習、受けねえんだろ?」
「あ……」
そう言われて歩は急に肩を落とした。
成績のいい壮士と違って進学校を受けない歩は、明日から始まる朝と放課後の補習の、どちらにも申し込んでいない。
という事は、朝も帰りも壮士とは別々になってしまうのだ。
「あのさ、帰りは待っててもいいだろ?一緒に帰ろうよ」
「駄目だ。帰りは補習の後、直行で塾だから。待ってないでさっさと帰れよ」
下を向いて黙り込んだ歩を見て壮士は溜息をついた。
「おまえなぁ、いい加減成長しろ。学校から1人で帰るくらい出来るだろ?ガキじゃねえんだから」
「うん……、分かった」
幼稚園の時にこの町内に引っ越して来てからずっと、3軒隣の壮士とは幼馴染で親友だった。
だが、中学3年になって、そろそろ受験の心配をし始めた頃から、2人で一緒に過ごせる時間は急激に減ってきてしまった。
成績が違うのだから仕方が無いが、受ける高校も全くレベルが違う。
そうなると、同じ3年生といっても生活のサイクルが違ってくるのだ。
それが、歩には寂しくて堪らなかった。
小さい頃は何をするのも一緒で、まるで兄弟のようだと言われた。
末っ子で子供っぽいところのある自分を、何かと面倒を見てくれる壮士が大好きだった。 だから、いつも彼の後を付いて歩いた。
それが、最近では学校の登下校ぐらいしか一緒に居る時間が無い。
それなのに、明日からはそれさえ出来なくなってしまうのだ。
「歩、そう言えばおまえ、宿題やってきたか?数学のプリント…」
「あっ…、忘れた……。壮士ぃ……」
甘えるように腕を掴んだ歩から、壮士はプイッと顔を背けた。
「知らねえ」
「うんと…、だって、だって、俺、昨日ボス戦に突入しちゃって、その前のとこでセーブしてなかったから、止めるとずっと前のとこからやり直さなくちゃなんなくて…、だからさ……」
ハァッと大きな溜息をついて壮士は歩を見た。
「おまえ、余裕だよな。そんなんで受験、大丈夫なのか?」
「や……、やる時はやってるもん、俺だって……」
「なら、宿題もやれよ。じ、ぶ、ん、で」
冷たく言い渡されて歩はまた項垂れてしまった。
先を歩く壮士は、頭の中だけでなくその容姿も、自分を置いて随分と成長してしまった。
もう話をする時、歩は彼を見上げなければ視線を合わせられない。
自分だけ置き去りで、壮士はどんどん大人になっていく。彼と居ると、この頃そんな寂しさを感じるようになった。
それに、2年生の終わり頃、壮士には彼女が出来た。
そのことも、歩にはショックな出来事だった。
壮士が女の子から呼び出しを受けたのは知っていた。
教室に荷物が置いてあったので、戻って来る事も分かっていた。
だから、歩は壮士の帰りを教室で待っていた。
誰も居ない教室にぽつんと座り、歩は壮士が置いていった彼の荷物をずっと見ていた。
その間中、胸がモヤモヤとして凄く嫌な気分だった。
子供っぽいと言われる事は分かっていたが、壮士を取られるようで嫌だったのだ。
戻って来た壮士が、自分の顔を見るなり、実に迷惑そうな表情を浮かべたのを歩ははっきりと覚えている。
「なんだ。先に帰ってても良かったのに」
素っ気無くそう言われ、歩は待っていたことを後悔した。
だが、どうしても気になって、先に帰る事が出来なかったのだ。
「園田さん…、なんだって?」
おずおずと訊いた歩を、壮士は振り向きざまに睨んだ。
「分かんだろ?」
勿論、分かっていた。 だけど、そうじゃなければいいのにと思っていたのだ。
「付き合うの……?」
そう訊いた歩に、壮士は、
「ああ」
と、答えただけだった。
その時、もう自分たちは、以前のように何でも話し合うことが出来る間柄ではなくなってしまったのだと、歩ははっきりと悟った。
いや、少なくとも壮士にとって、自分はそういう存在では無くなってしまったのだ。
いつまでも変わらないのは、自分だけなのだと気が付いた。そして、それが、無性に悲かった。
あれ以来、週末に壮士が歩と遊んでくれる事は殆ど無くなってしまった。
それまでは、少なくとも土曜日か日曜日のどちらかは必ず会って遊んでいたのに、今では月に1度でも多いくらいだった。
それなのに、明日からは一緒に登校することも出来なくなる。
「ほらっ、教室に行ったら即行で写せよ」
バサリと目の前にプリントが現れ、歩はハッとして顔を上げた。
「あ、ありがとっ」
そう言って笑いかけても壮士の仏頂面は変わらなかったが、それでも歩は嬉しかった。
結局、いつも最後にはこうして、壮士は自分の面倒を見てくれる。
プリントを鞄の中に仕舞って、小走りに後を追いかけて並ぶと、歩はまた壮士の腕を掴んで引いた。
「あのさ、土曜日、壮士ンちに行ってもいい?数学の分かんないとこあるの、教えてよ」
多分、答えは決まっていたが、それでも駄目もとで訊いてみた。もしかして勉強だったらいい返事をくれるかも知れない。
「悪りぃ。土曜は駄目」
しかし、やっぱり答えは同じだった。
だが、歩はそれでも粘った。
「え…、だって、塾休みだろ?」
「出掛けるんだ。だから、悪いけど」
誰と出掛けるのかは訊かなくても分かった。
分かっていたのに、結局、歩は自分で自分の首を絞めたようなものだった。
「そっか……。うん…、分かった」
こんな風にして、壮士と居られる時間はどんどん無くなっていく。
それを、寂しいと思っているのが自分だけだということが、歩には何よりも辛かったのだ。
「学校で休み時間に教えてやるよ」
壮士の言葉に歩は頷いた。
「うん、じゃあ、昼休みに……」
「昼休みは駄目だよ」
「え……、なんで?」
「みんなとバスケやるって約束してる。部活終わりになっちまって寂しいし、3年のやりたい奴だけ昼休みにやろうってことになったんだ」
壮士はバスケットボール部で今年はキャプテンを務めていた。
だが、受験の為に3年生はもう活動を止めていたのだ。
「少しは身体動かさないとストレス溜まるしなぁ……」
「うん……」
「大体さ、おまえ兄貴達に教えてもらったらいいじゃん、孝実さんも佳実さんもおまえと違って頭いいし……」
「でも、孝兄はあんまり家に居ないし、佳兄も受験で忙しいもん……」
そんなのは口実だった。何とかして歩は、少しでも壮士と一緒に過ごせる時間を持ちたかったのだ。
「ああ、そうか。佳実さんも大学受験だっけ……。じゃあ、やっぱ俺が時限休みに教えてやるよ」
「…うん……」
時限休み。
たった15分の時間。
もう、そんな僅かな時間しか自分には与えてもらえないのだ。
自分の為に残された壮士の時間はほんの僅かしか残っていないのだ。
そう思うと、歩の気分は益々暗く落ち込んでいった。



「どうした?歩」
昼休みにぼんやり窓の外を見ていた歩に、前の席で漫画を読んでいた沖田が訊いた。
「無邪気と元気だけが取り得の癖に、そーんな時化た顔しちゃって…」
「べっつにぃ……」
そう言いながら歩は、ズルズルと顎を支えていた腕を滑らせて机の上に頬を付けた。
「沖田、補習受けんの?」
「受けない。俺、もう推薦で決まってるもん」
「あ……、そっか。いいよなぁ……」
エースピッチャーだった沖田は野球で推薦入学が決まっていたのだ。
「そうでもねえぜ。春休みからもう、合宿参加だってさ。全然、遊ばせてもらえないんだから」
「ふーん……」
「おまえ、補修なんか受けるんだっけ?」
「ううん……。でも、受ければ良かった……」
「なんで?……ああ、そうか……」
何を納得したのか、沖田は頷くとニヤニヤと笑った。
「連れの壮士が、この頃相手にしてくれないんで拗ねてんだ?」
「ち、違うよっ」
歩がガバッと起き上がると、沖田はウンウンと頷いて漫画に目を戻した。
「しょうがねえだろ?あっちはおまえが行く三流高校と違って、超進学校を狙ってんだから。おまえなんかと遊んでらんないってさ」
だって、と歩は思った。
それなら彼女と会う時間はどうして有るのだろう。
みんなとバスケットをやる時間はどうして有るのだろう。
自分と居る時間だけが、どうして壮士には無いのだろうか。
「俺も、もっとちゃんと勉強すれば良かったなぁ……」
そうすれば、壮士と同じ高校にも行けたかも知れない。
このまま違う高校に通う事になれば、きっと今よりも一緒に居る時間が減っていくに違いないのだ。
それを思うと今から憂鬱になってしまい、歩はまた、深い溜め息をついた。