手紙


-2-

何とかしてもっと一緒の時間を持ちたくて、壮士の塾が終わる時間を見計らって歩は家を出た。
帰り道は同じなのだから、一緒に帰ろうと言えば壮士だって嫌だとは言わないだろう。
もう9時を回って、外は人通りも少ない。 家から歩いて10分の距離が、随分長いように感じた。
塾の入り口に通り掛ると、丁度数人の生徒に混じって壮士が出て来た所だった。
「壮士ぃーっ」
呼びかけて勢い良く手を降ると、壮士は驚いた様子だった。
「歩……、何やってんだ?おまえ」
「うんと…、母さんに頼まれて、お使い。コンビニに牛乳買いに来た」
「ふぅーん…」
「もう、帰れんだろ?一緒に……」
言い掛けた時、後ろから声がして壮士は振り返った。
「ごめーん、壮士くん…」
言いながら出口から走って出て来たのは、壮士の彼女の園田理沙だった。
「あれ、沢口くん、どうしたの?」
「あ、うんと…、ちょっとコンビニに……」
「へえ?」
背の高い彼女と並ぶのが、歩は苦手だった。
自分より彼女の方が大きいことが何と無く屈辱だったのだ。
だが、その彼女と並んでも壮士は頭一つ大きい。
「じゃあ歩、俺、園田を送ってから帰るから……。おまえ、1人で大丈夫ろ?」
「う、うん、当たり前じゃん。そいじゃ……」
手を上げると、壮士ではなく理沙が手を振ってくれた。
「気をつけてね、沢口くん」
「うん、バイバイ」
だが、数歩歩き出して立ち止まると、歩は後ろを振り返った。
壮士の腕に手を掛けて、理沙が何か話し掛けている。
壮士もそれに頷いて、楽しそうに笑っているのが見えた。
1度も後ろを振り返りもせず、2人はどんどん遠ざかって行く。
その距離が自分と壮士の間を表しているようで、歩は息詰まるような思いがした。
途中にあるコンビニエンスストアに寄って、頼まれてもいない牛乳と棒の付いた丸いキャンディを買い、包みを剥がして口に入れた。
子供の頃、良く壮士と2人で1個ずつこれを買い、違う味のを交互に舐めあった。
途中でいつも、歩が噛んで砕いてしまうので、壮士に怒られたのを覚えている。 思えばいつも、最後までちゃんと舐めた事が無い。
くるくると口の中で回していた飴を、歩はスポンッと口から出した。
「グレープ味……。こんなに甘かったっけ……?」
いつも壮士のコーラ味と混じっていた所為か、何だか味が違うような気がした。
「子供がこんな時間に何やってんのー?」
突然声を掛けられ、見ると、余り柄の良くない高校生らしき2人組みが、ニヤニヤと笑って歩を見ていた。
さっと顔を伏せて通り過ぎようとすると、長髪の方が素早く歩の腕を掴んだ。
「おっとぉ、まあ、そう急がなくても……」
「離してよっ」
ガシガシと掴まれた腕を揺すると、短髪の方が口笛を吹いた。
「へえっ?かっわいいのに、威勢がいいんだ。気に入っちゃったなぁ」
「なあ、お兄ちゃんたちと遊びに行かない?」
「いやだっ、離せってっ」
腕を引き抜こうとすると、反対側からもう1人に抑えられた。
「まあ、まあ、まあ……」
「いいじゃん。ほら、行こう、行こう」
両側から腕を取られて、歩は引き摺られるようにして歩き出した。
「嫌だっ。嫌だったら、離してよぉっ」
サッと人気の無い路地に連れ込まれて、助けを呼ぼうにも誰も居ない。
さすがに焦って、歩は腕を振り解こうと必死にもがいた。
このまま何処かへ連れ込まれてしまうのだろうか。一体、彼らは自分になにをするつもりなのだろうか。
激しい恐怖に襲われ、歩は通りの方を振り返った。
(助けて、壮士……、助けてよぉ…)
子供の頃は苛められても、必ず壮士が助けに来てくれた。でも今は、壮士の手はいつも、歩の届かないところに有る。
路地を抜けて公園に差し掛かると、2人はそこへ歩を連れて行った。
「離して、離してってば……」
泣き出した歩を見て2人は楽しげにニヤニヤ笑った。
「あれぇ?さっきの威勢は何処に行ったのかなぁ?」
言いながら、歩の顎を掴んで1人が顔を覗き込んだ。
ゴクッと唾を飲み込む音が歩の耳に不気味に響いた。
「なあ、こいつ、可愛いと思わねえ?」
長髪の方が意味ありげなことを言った。
「あん?冗談だろ?」
長髪の意図をすぐに察したらしく、短髪の方が呆れたように言った。
「マジ。…なあ、フェラさしてみようぜ」
「止せよ。齧られるぞ」
「平気……」
言いながらポケットに手を入れ、長髪の男はナイフを取り出した。
パチーン、と弾ける音を聞き、歩は息を飲んだ。
すると、その鋭い切っ先が、すっと目の前に突きつけられた。
「なあ、してくれるよな?」
「い……や…、やだぁ……」
ナイフを凝視し、歩は震えながら首を振った。
「いいじゃん。お口開けて、さっき、飴しゃぶってたみたいにすればいいんだよ……」
短髪の方に後ろで両腕を押さえられ、歩はブランコの前に膝を付かされた。
その前に座った長髪の方がグイッと顎を掴む。
「ほら、口開けろよ」
街灯の明かりにナイフがギラリと光り、歩はギュッと目を瞑った。
その時、公園の入り口で鋭い声が上がった。
「なにしてんだっ、おまえらっ」
ハッとして顔を上げると、壮士が必死で誰かを手招きしているのが見えた。
「お巡りさーんっ、こっちです、こっちっ。はやくっ」
「ちっ、やべえ……」
高校生達はそう言うなり、壮士が居るのとは反対の方角へ素早く逃げて行った。
「歩っ……」
駆け寄って来た壮士に助け起こされ、歩はその身体にしがみ付いた。
「なにやってんだよ、馬鹿っ…」
「壮士……」
助けに来てくれたのが壮士だということが、何よりも歩に安堵感を齎した。
ギュッと彼の胸に顔を押し付け、歩は身体の震えを止めようとした。だが、ガタガタと揺れる身体は中々鎮まろうとしない。
「あっちの路地の入り口に、コンビニの袋に入った牛乳のパックが落ちてたから、おかしいと思って入って来たんだ。間に合って良かったよ……」
どうやら、警官が居るように見せたのは壮士の咄嗟の機転だったらしい。
幾ら壮士の体格が良くても、刃物を持った高校生2人を相手に敵う訳が無い。そう思って芝居を打ったのだろう。
「壮士…、壮士……」
助けに来てくれたのが嬉しいのと、恐怖が冷めやらないのと、その両方で歩は益々壮士にしがみ付いた。
だが、震えながらしがみ付く歩の身体を、壮士は乱暴に自分から引き離した。
「まったくっ、男の癖に男に襲われてんじゃねえよっ」
「ご…、ごめ……」
その怒りの篭った目を見た時、歩はヒクッと喉を鳴らした。
その途端に、見開いた瞳から涙が次々と零れ落ちた。
その涙を見て、壮士は舌打ちをすると、歩から目を逸らした。
「もう…、手間掛けさせないでくれよな。……ほらっ、帰るぞっ」
サッと立ち上がった壮士に続いて、歩ものろのろと立ち上がった。
「ああ、もう…。泣くんじゃねえよ、いい歳して……」
仕方無さそうに歩の手を取り、壮士はグイッと引っ張った。
(そんなに怒んないで…、怒んないでよ……)
また、壮士を怒らせた。
襲われたことよりも、そのことが辛くて、辛くて、歩の涙は中々止まろうとはしなかった。



次の日から歩は、1人で登校して、1人で帰って来た。
隣のクラスの壮士とは、顔を合わせることも無かった。
家に帰って部屋に篭った歩の所へ、すぐ上の兄、佳実が顔を出した。
「うわっ、どうした、アユ。もしかしておまえ、勉強してんの?」
「煩い。俺だって受験生だもん」
顔を上げずに答えると、佳実は近寄って来て上から覗き込んだ。
「そうだけどさ、受験する高校が高校だからな…。おまえでも楽勝だって言って、気楽にしてたじゃねえ」
「俺、今からでも頑張ってランク上げる。今日から真剣に勉強するから」
「はぁぁ?どうしちゃったの?おまえ」
「いいだろ?煩いな。もう、出てってよ」
そう言われて、佳実は首を捻りながら部屋を出て行った。
壮士の受験する高校は無理でも、少しでも程度のいい学校に入って彼に追いつきたいと歩は思ったのだ。
このままではきっと、全く相手にしてもらえなくなるに違いない。
(もっと勉強して、もっとしっかりして、もっと大人になるんだ。壮士に友達として認めてもらえるように……)
壮士に手間の掛かる奴だなんて思われたままでいるのは嫌だった。
何とかして、肩を並べられるような男になりたかった。
そしたらきっと、もっと自分の為に壮士の時間を貰えるかも知れない。
一緒に居たいと思ってくれるかも知れない。



翌日から、短い昼休みの間も、歩は参考書を広げて懸命に勉強した。
「どうしちゃったの?歩。やけに、必死じゃん、この頃」
時限休みにも教科書を離さない歩に、沖田が驚いて訊いた。
「だって、やること無いんだもん。勉強くらいしか……」
「うわ、悲しいこと言うなよ。幾ら壮士に見捨てられたからってさぁ」
それを聞いて歩はキッと顔を上げた。
「見捨てられてなんかないもん。壮士だって勉強で忙しいの。それに、昼休みはバスケなんだよ」
「へえ?昨日は園田と一緒だったけど?」
「え……?」
「裏庭の花壇のとこで仲良く並んで喋ってたぜ。昼休みが終わるまでずっと」
「そ、そう…。……そりゃ、彼女なんだし…、いいんじゃない?」
教科書に目を戻し、歩は必死で動揺を隠そうとした。
「そうだよな、やっぱ、彼女には敵わねえよな。幾ら親友とか、幼馴染とか言ったってさぁ」
何気ない沖田の言葉が歩の胸を抉った。
朝も、放課後の補習も一緒。そのまま一緒に塾まで行って、帰りも一緒に送って行く。
土曜日も日曜日も一緒に過ごして、その上、昼休みまで一緒に居るのだ。
自分にはほんの少しの時間さえくれないのに、理沙にはそんなに沢山の時間が有る。
どうしてこんなに差がついてしまったのだろう。
昼休みに裏庭に行くと、本当に壮士は理沙と一緒だった。
遠くからそれを見て、歩は声を掛けることもせずに教室に戻った。