手紙
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引っ越す日、歩は眠れぬままに朝を迎えた。
壮士に、メールを打とうとして、何度も文章を打ち込んでは消し、結局送信出来ぬまま朝になってしまったのだ。
携帯電話を握り締めたまま、歩はベッドの上でぼんやりと考えていた。
もう嫌われてしまった事は分かっている。
あれから、壮士は一度も連絡をくれることも無く、教室へ訪ねて来てもくれることも無かった。
仲直りして、元のような関係に戻りたいと思っているなら、歩に対して何らかのアプローチをしてくれる筈だ。
それが、何も無いという事は、もう壮士は歩と友達でいることさえ嫌になったのだと考える他は無かった。
それでも歩は、今まで彼と過ごした何年もの時間を捨て去る事など出来なかった。
せめて、今までの感謝の気持ちだけは伝えたい。
考えあぐねた末に、歩は壮士に手紙を残していく事にした。
壮士へ
突然ですが、父さんの転勤に付いて行くことになりました。
今日、転校します。
初めて幼稚園で会ってからの10年間、今まで本当にありがとう。
いつも、いつも、壮士に甘えて、迷惑ばっかり掛けてごめんな?
小さい頃、苛められて泣かされた時も、工作や夏休みの自由研究も、いつも壮士が助けてくれた。
本当に、すごく感謝してるんだ。
この頃は、忙しくなってあんまり話も出来なかったけど、壮士はいつも俺の大事な友達でした。
それから、この前のこと、悪いことしたと反省してます。
多分、許してはもらえないって分かってるけど……。
もっと早く、謝らなくちゃならなかったんだけど、壮士の顔を見るのが怖くて出来ませんでした。 ごめんなさい。
園田さんにも、謝っておいてください。
自分から言えなくてごめんなさい。
いっぱい、いっぱい、謝らなきゃいけないことばかりで、何から書いていいか分からない。
俺は、壮士に何にもしてやれなくて、迷惑かけることしか出来なくて、壮士にとってはあんまりいい友達じゃなかったと思うけど、許して下さい。
もう、多分、会うことも無くて、迷惑かけることもないと思うから、許して下さい。
壮士が忙しいのも、俺なんかに構ってるヒマなんか無いのも分かってるのに、しつこくしてごめんな?
俺、本当は今からでも一生懸命勉強して、もう少しいい高校に入ろうと思った。
そうすれば、少しは壮士に認めてもらえるかと思ったんだ。
でも、間に合わなかったね……。
壮士は俺にとって、誰よりも大事な友達です。
俺も、壮士にそう思ってもらえるようになりたかったけど、努力するのが遅過ぎたみたいです。
最後に、こんな手紙を書いてごめん。
うっとおしいと思ったら捨ててください。
でも、本当は捨てる前に読んでくれることを願っています。
今まで、本当にありがとう。
さようなら。
歩
歩が担任と一緒に前に並び、クラスの友達の前で初めて転校することを告げると、教室全体がどよめきに包まれた。
特に親しかった友達から、知らせなかった事を詰るような言葉も聞こえた。
だが、歩は口元に浮かべた笑みを消すことなく、ただ黙ってみんなを見つめていた。
挨拶が済んで、歩は席を回り、クラスの友達1人1人に礼を言った。
「なんで言わなかったんだよ?」
そう言う友達に、“寂しかったからだ”と言い訳をした。
余り親しくなかったクラスメートまでメールアドレスを渡してくれた。
歩は礼を言い、必ずメールすると約束した。
女子の中には泣いてしまう子もいたが、歩は泣かなかった。
今までの歩なら、きっと1番先に泣いていただろう。だが、歩はもう、決して人前では泣かないと誓ったのだ。
「ばかやろ」
近付いて行くと、恨めしそうな目をして沖田が言った。
「ごめん」
「俺、絶対に甲子園へ行くからさ。テレビ見ろよな」
「うん。絶対に見るよ。頑張ってな。今まで、ありがと」
「また、会えるよな?」
差し出した手を握りながら沖田が言った。
「うん。多分、長期休みには帰って来れると思うし」
「メールする。おまえもしろよ」
「うん。絶対」
全員に挨拶を終え、歩は教室を後にした。
壮士のクラスの前を通る時、扉のガラス部分からチラリとその姿が見えた。
だが、歩は立ち止まらなかった。
ただ、その横顔を、歩はしっかりと脳裏に刻み付けた。
荷物はもう引越し先に運んであって、前の休みの日に父と母が大体は片付けておいたので、歩は自分の荷物を整理すればいいだけだった。
それでも、細々としたものが意外と多く、何とか格好がついたのは夜になってからだった。
夕食に引越し蕎麦を食べ、人心地ついた所に佳実から電話があった。
「あ、佳ちゃん、どう?そっちは大丈夫?……あ、そう、なら良かったわ。……ええ、こっちも大体片付いたから。…え?歩?……はいはい。…アユちゃん、佳ちゃんよ」
「もしもし?」
歩が電話に出ると、佳実は少し呆れたような声で言った。
「アユ、おまえ、壮士に何にも言わなかったんだってな?今日あいつ、学校が終わってからウチに駆け込んで来たぞ」
「えっ、壮士が?」
歩は少し驚いてそう聞き返した。
「ああ。学校で友達に聞いて吃驚して、帰ったら郵便受けにおまえの手紙が入ってたって。おまえ、自分からちゃんと言うからって、そう言ってただろ?」
「うん。でも、何だか言い辛くなっちゃって。……佳兄、壮士、なんて言ってた?」
「別に、なんも言わなかったぜ。ただ、俺に事情を聞いて、それで帰って行ったけど」
「そう…」
「あとでちゃんと電話でもして、フォローしとけよ?」
「うん、分かった。そうする」
だが、歩は壮士に電話するつもりは無かった。
多分、壮士の方でも、もう歩からの連絡など待ってはいないだろう。
自分の部屋に入り、歩は机の上に置いた古いファイルを手に取った。
それは、小学校2年生の時、壮士がお菓子のオマケについていたシールをベタベタ貼って使っていたものだった。
歩はそれが羨ましくて、欲しくて仕方なかった。
だが、壮士の方でも集めたシールには思い入れがあったらしく大切にしていた。
欲しいと何度も言ったが、壮士はうんとは言ってくれなかった。
「じゃあ、アユのこれと交換しよう?」
ヒーロー物の新しい鉛筆を2本出したが、壮士は首を振った。
「じゃあ、じゃあ…」
他の物を物色していると、壮士が歩の肩を掴んだ。
「じゃあさあ、アユ、伊藤さんちのバディに触ってきたら、あげてもいいよ」
「えっ?」
それを聞いて、歩は些か蒼ざめた。
伊藤さん宅のバディは大きなシェパードで、歩はその犬が怖くて、わざわざ遠回りをしてその家の前を通らないようにしていた程なのだ。
バディは良く躾けられた利口な犬だったから、滅多なことでは咆えないし、子供に噛み付いたりする筈もなかったのだが、兎に角その大きさと迫力に歩はすっかり怯えていた。
そのバディに、壮士は触って来いと言うのだ。
「や、やだよっ、そんなのッ」
そう答えると、壮士は意地悪く歩の前で、ファイルを振った。
「なら、これはやらなーい」
語尾を延ばし、クイッと顎を上げた壮士は馬鹿にするような目付きで歩を見た。
「無理だよなぁ、弱虫の歩じゃさ」
「よ、弱虫じゃ無いもんッ」
「嘘つけ。伊藤さんちの前を通る時、いっつも俺の後ろに隠れる癖に」
確かに、歩がバディの前を通れるのは壮士が一緒の時だけだった。それを知っていて、壮士は歩をからかったのだ。
「い、いいよっ。なら、バディに触ってくる。触れるもんッ」
剥きになってそう言うと、歩は泣きそうな目で壮士を見た。
「そのかわり、触ったらホントに頂戴よッ。嘘ついたら許さないんだからなッ」
そう叫ぶと、歩は壮士の家を飛び出して行った。
だが、勢いも伊藤家の前までだった。バディの姿を見ると、歩はそこに立ち竦んでしまった。
いつものように、自分の前足に大きな顔を載せてバディはそこに寝そべっていた。
門扉は閉まっていたが、そう高い訳では無く、チビの歩でも背伸びをすれば掛け金に手が届いた。
恐る恐る近付き、その前まで行ったが歩の足はまた止まってしまった。
すると、追いかけて来た壮士が後ろから声を掛けた。
「無理しなくていいぞ、アユ」
「へ、平気だよっ」
歩は意地になってそう言うと、壮士の声に奮い立ったのか門扉に近付いて掛け金を外した。
自分の身体が入るだけの隙間を開け、恐る恐るその中へ身体を滑らせる。
脚がガクガクと震えているのが自分でも分かった。
バディは近付いてくる歩を眠たそうな目で見ているだけで動こうとはしなかった。
ホッとして、歩は恐々と手を伸ばした。
が、その時だった。
動く気配さえ見せなかったバディが、いきなり立ち上がって歩の身体に前脚を掛けたのだ。
「キャッ」
「アユッ…」
バディの大きな体を歩が支え切れる訳がない。
小さく悲鳴を上げて、歩はそこへ倒れ込んだ。
「バディ、駄目だッ。バディッ」
慌てた壮士が駆け寄り、バディの鎖を必死で引っ張った。
バディはのっそりと動くと、元居た場所にまた横たわった。
「アユッ」
仰向けに倒れたまま、歩は恐怖に目を見開いていた。
両手がしっかりと握られ胸の上でブルブルと震えている。
「アユッ、大丈夫か?」
壮士に肩を掴まれると、漸く歩は思い出したように息を吐いた。
そして、同時に“ウワーッ”と声を上げて泣き出した。
「アユ…」
抱き起こされると、歩はそのまま壮士にしがみ付いてわんわん泣いた。
それは多分、怖かっただけではなかったのだと歩は今頃になって気が付いていた。
壮士が自分の為に、あんなに大きな犬と戦ってくれた。そう思って、嬉しかったのだろう。
歩はファイルに貼ってある、もうかなり擦り切れてしまったシールを一つ一つ撫でてみた。
あの時、壮士は家に帰ると、勇気を出したご褒美だと言って、これを自分にくれたのだ。
嬉しくて、歩はそれを抱えて飛び上がったのを覚えている。
でも、歩にはもうひとつ気がついた事があった。
これが欲しかったのは、貼ってあるシールが魅力的だったから、だけでは無い。壮士が大事にしている物だったから、だから、欲しかったのだ。
フッと溜め息をつくと、歩はそれを机の本棚に差し込んだ。
佳実に壮士へ連絡するように言われたが、どうしても直接声を聞くのが怖かった。
歩は机に座ると、便箋を取り出して手紙を書き始めた。
壮士へ
何にも言わないで、コッチへ来ちゃってごめん。
驚くだろうとは思ったけど、でも、どうしても壮士に会うのが怖くて言えませんでした。
俺の事、怒ってると思ったから、もう気にもしてくれないんじゃないかって…。
でも、壮士が家に来てくれたって、佳兄から聞いて嬉しかった。
まだ、ちょっとは俺の事、気に掛けてくれてるのかな。
ありがとう。
歩