ワルイアソビ
-11-
俺が風呂から出ると、武我は椅子に浅く座って足を投げ出し、ぼんやりとテレビを見ていた。
帰ってなかった。
その姿を見てホッとすると、俺は脱いだ服をベッドに投げ出して、そのまま自分も腰を下ろした。
すると、武我が顔を上げて俺の方を振り返った。
「暖まったか?」
「うん…。サンキュ」
俺が言うと武我は頷いて、またテレビの方に目を向けた。
「なんか飲めば?お1人様1本、ドリンクサービスだってよ」
テレビを見たままで武我が言い、俺は頷くと立ち上がって冷蔵庫のドアを開けた。
武我の前には飲みかけのコーラの瓶が置いてあった。
俺も冷蔵庫からコーラの瓶を引き抜くと、冷蔵庫の上にあった栓抜きで栓を抜いた。
「帰ったかと思った…」
コーラを一口飲んで俺が言うと、武我は俺を振り返った。
「なんで?」
「いや…」
その理由を説明するのは難しかった。“ただ、なんとなく“と、答えるしかねえ。
だから俺は、何も言わなかった。
その代わり、別の事を口にした。
「武我…、ホントにありがとな?声掛けてくれて、マジ嬉しかった」
武我は何も言わなかった。
ただ黙って、俺の言葉の続きを待っていた。
「もう、2度と口利いてくれねえかと思ってたし、シカトされても仕方ねえと思ってたし……。俺、単純だからさ、こんなんだけで…、ほんのちょっと傍に居られただけで、すげえ幸せな気分になれた。ホント、ありがと……」
言いながら段々に声が震え出した。
俺は、持っていたコーラをグイッと煽って気を取り直そうとした。
「だからさ、もう俺…、武我に無理なこと言わねえし…。だから、前みたく、普通に話してくれるだけでいいから……。頼むよッ…」
最後はやっぱり、込み上げてきたもので声が震えた。
けど、さっき風呂の中で考えてた通り、俺は今の自分の気持ちをちゃんと伝える事が出来たと思った。
だからもう、これでいいんだ。
あとは、武我の気持ち次第で、俺にはもうどうする事も出来ないんだ。
ズルッと腰を滑らせたようなだらしない形で座っていた武我が、身体を支えて姿勢を直すと、顎で俺を前の席へ呼んだ。
俺は立ち上がると、テーブルを挟んで武我の前へ座った。
「晶……。俺もな、おまえに謝らなきゃと思ってずっと考えてた」
「え…?」
「この前、何もかもおまえの所為にして俺は逃げたけど、でも…、本当はおまえが悪いんじゃ無いって事ぐらい分かってたんだよ」
「武我…」
椅子の腕に肘を突き、武我はその手でこめかみを揉むと目を瞑った。
「最初……」
ゆっくりと目を開き、武我は言った。
「あんまりおまえが切羽詰った顔してて、それに、ただ溜まってるだけじゃねえって気がして、同情半分で手を貸した。……他人のチンコなんか勿論握ったコトねえし、握りたくも無かったけど、おまえのだったら嫌だとは思わなかったんだ…」
一瞬、口元に笑みを浮かべ武我は先を続けた。
「したら…、あんまりおまえが可愛い反応するしよ、吃驚するほどエロくて…。最初は手伝ってやるだけで、マジでフェラしてもらうつもりなんか無かったんだ。でも、おまえのあの顔見たら、なんかゾクゾクっときちまってさ…」
言葉を切って、武我はコーラを飲んだ。
その、ごくごくと飲み込む度に動く喉仏がセクシーだなんて、また要らねえコトを考えちまう俺は、やっぱ全然反省出来てねえんだろうな。
ふーっと、飲み干した瓶を口から離し、武我は息を吐いた。
俺も、釣られるようにして瓶を口へ運んだ。
俺が瓶を離すのを待って、武我はまた口を開いた。
「初めはきっと、ただの興味本位だと思ってたんだ。別段…、そこに他の感情なんかねえってさ。おまえにしゃぶられて、気持ち良さと興奮してるのとで、あの時は夢中で気付かなかった。……けど、終わって、おまえの顔見た途端、怖くなった。何でこんなことさせちまったんだろうって…」
武我はまた、唇を歪めるようにして苦笑した。
「おまえが部屋から出て行った後、逃げるみたいにして帰ってきちまった。なのによ…、帰る道々でも、帰ってからも、おまえの顔とか声とか、無性に思い出して…。布団に入ってからも眠れなくて、ひでえ興奮状態だった」
じっと、武我は俺の目を見つめて言った。
「考える内に、段々おまえに対して腹が立ってきた。なんで、あんなこと持ち掛けてきたんだろうってさ。大体、ホモでもねえのに、何の抵抗も無くチンコしゃぶれるなんておかしいと思った。……したら次の日、おまえはなんも無かったみてえな顔して美野里とイチャついてるしよ。マジ、腹が立って、なんだか知らねえけど、やたらと凶暴な気分になっちまったんだ」
あの日、俺が琴音と一緒に居る武我を見て、胸を痛めていた日、美野里と居る俺を武我はそんな風に思っていたのか。
昼休みにトイレに連れ込まれて半ば強制的にフェラさせられたけど、武我が何を考えていたのか、あの時の俺には少しも分かってなかった。
今はその気持ちが、少しだけだけど分かる。
武我の、あの怖いような目も、乱暴な態度も、すべてがその苛立ちから出た事なんだろう。
俺はただ単純に武我が好きだった。
好きだから、触れたかった。
そして、それが危険なことだとか、アブノーマルなことだなんて考えなかった。
何故なら、最初から諦めてたからだ。
段々に、俺が自分の罪を理解し始めると、武我の言葉は更に続いた。
「苛ついて、腹が立って仕方ねえのに、それでもおまえが気になって止められねえ。それどころか、どんどん深みにハマっていってよ。……もう、最後は自分で自分が分からなかった。どうしたらいいのか、もう分からなくなっちまったんだ……」
そう言って、武我はまた疲れたようにこめかみを揉んだ。
武我は俺の所為じゃ無いって言ったけど、それはやっぱり違うと思う。
武我の話を聞いて、俺はそう思った。
やっぱり、悪いのは俺だ。
だって、変だったのは俺だけだった。
それなのに、武我のことまでおかしくしたんだ。
最初から諦めてたから、その場凌ぎの事でしかなかったから、武我の方はタダの遊びのつもりだと思い込んで、追い詰めていってる事に気付かなかった。
だからやっぱり、俺が悪いんだよ。
そう言おうと口を開いた時、それより先に武我が言った。
「なあ、変だと思わねえ?」
武我の唇に、なんとも言えない笑みが浮かんだ。
それは、諦めているような、そして受け入れているような、どちらとも言えない微妙な感じがした。
その不思議な表情を、俺はただ黙って見つめて言葉を待った。
「つい昨日まで、普通にダチだったのによ。なんで、セックスしたぐらいで変わっちまうんだ?まるっきり、別のモンになっちまうんだ?」
俺には答えが見つからなかった。
だから、黙って首を振るしかなかった。
”別のモン”ってなんなのか訊きたかったけど、訊かなかった。
その答えが、自分の期待してるものと違ってたら、俺はまた自分の首を締めることになる。臆病と言われようと、俺はもうこれ以上傷つくのが怖かったんだ。
俺が黙っていると、武我はまたゆっくりと口を開いた。
「なあ、晶…、明日、デートしねえ?」
「えっ?」
余りに思い掛けない言葉に、俺は驚いて目を見張った。
「デ、デートって?」
「どうせサボりついでだろ?明日までサボれや。そんで、どっか行こうぜ。……遠出してよ」
「い、いいけど…。何処に行くんだ?」
「何処でもいいよ。2人っきりになれるとこ。…な?」
また、さっきと同じ笑みが武我の唇に浮かんだ。
俺はそれを見ながら、こっくりと頷いた。
翌朝、両親が出掛けた後で携帯に武我から電話があった。
表で待ってると言うので、窓から覗くと玄関先に武我の姿があった。
俺は慌ててコートを引っ掛けると、昨日借りた武我のマフラーを持って表へ出た。
「おはよ」
「おう。風邪引かなかったか?」
「うん。あ…、これサンキュ」
渡そうとしてマフラーを出すと、武我はそれを受け取って俺の首に巻いた。
「別のしてきちまったし、おまえがしてな」
「あ、うん…」
何時に何処で、とか昨日は何も言わなかったし、もしかしたら冗談だったのかも、と思わないでもなかった。
けど、どうやら武我は本気だったらしい。
「何処行く?どっか、行きてえとこねえの?」
訊かれて俺は首を振った。
だってよ、ホントは武我とだったら何処でもいいんだ。けど、またそんな乙女みてえな台詞、言ったら拙いじゃねえ?
「じゃ、取り敢えず、電車に乗るか…」
「うん…」
“デート”って言ったって、ただ“一緒に出掛けよう”って意味だって事は分かってるつもりだった。けど、やっぱりその言葉が何だか胸をキュンとさせる。
武我にとっては、冗談半分の台詞でも、俺にとってはやっぱり違うんだよ。
駅まで歩いて、俺たちは1番早く来る電車に乗る事にした。
適当な場所まで切符を買って、ホームへ出る。
電車は5分ぐらいで着く筈だった。
まだ、通勤や通学の利用者がごった返していて、電車も混みそうだった。
俺は、一瞬、あの痴漢にあった時の事を思い出したが、苦笑すると何も言わずに武我から目を逸らした。
電車がホームに着き、俺たちは人に押されるようにして乗り込んだ。
武我と逸れそうだと思ったが、その前に素早く武我が俺の手を掴んで引き寄せた。
そんな仕草に、俺は一々ドキドキする。
もしかして、これを最後に、俺と決別する気なのかも知れない。最後の情けで、思い出をくれる気なのかも。
そんな想いが胸を過ぎると、途轍もなく切なくなった。
けど、もしそうなっても、俺には何も言えないんだ。
「こっち…」
武我が俺の身体を庇うようにしてドアの前に引っ張った。
「また、変な目にあったらヤバイしよ」
笑いながらそう言った武我を見て、俺は少し頬が熱くなるのを覚えた。
こんな風に、優しいことされる方がヤバイよ。
武我はもう心ん中で決着つけてるのかも知れねえ。けど、俺は全然諦められずにいるんだ。俺の気持ちは、前と全然変わっちゃいねえのに。
混み合った車内でぎゅうぎゅう押され、俺は武我の胸にピッタリとくっ付いた。
コート越しにも、いつもつけてるコロンの香りを微かに感じた。
こうやって並ぶと、武我の方が幾らか背が高い事が分かる。ちょっと上目使いにしないと、武我の目と視線が合わなかった。
けど、俺は目を伏せたままで、視線を上げなかった。
こんな間近で、武我の目なんか見たら多分馬鹿みたいに赤くなっちまう。
俺がまだ好きだって事を、今日は武我にあんまり感じて欲しくなかった。
元のダチだった頃みたく、2人でいられたら良いと思う。
多分その方が、武我だって気持ちいいんだろう。
距離を伸ばす毎に段々に電車が空いて、俺たちは席に座った。
「このまま行くと、海に行けるんだよな?」
武我に訊かれて俺は頷いた。
あと1時間も乗ると、多分、海が見えてくる。
「寒いけど、行くか」
「…うん」
他に当ても無いし、本当に武我とだったら何処だっていい。
俺は頷いて、また窓の外に視線を戻した。
「デートっつったら海だしよ」
そう言って武我が笑い、俺は吃驚してその顔を見た。
「これ、マジ、デートなん?」
俺が訊くと、武我は苦笑した。
「そう言ったじゃん?」
「うん…。そっか」
武我がそう言ってくれるなら、そう思っておけばいい。
俺は笑って、窓枠に肘を突くとその上に頬を乗せた。