イヌ


力丸隆哉の事を、夏樹は犬だと思っている。
自分の後を、何処までも付いてくる忠犬。
何を言っても、何をしても怒らない。
どんな我侭でも聞いてくれる。
足元に座って従順な眼で自分を見上げている犬のような男。


出会ったのは高校入学の時だった。
入学式の後、教室に入って席に着いてみると、夏樹の前には隆哉が座っていた。
自分よりも30センチは背の高い隆哉の後ろでは、前に壁があるのと同じで、黒板がまったく見えなかった。
夏樹は、その大きな背中を後ろから突付いた。
「うん?」
「おまえ、デカ過ぎ。なんも見えねえよ。席、代わってくんねえ?」
自分がチビなのを棚に上げ、迷惑そうにそう言うと、隆哉は爽やかな笑顔を見せて頷いた。
「ああ、悪い。いいよ、代わろう」
席順は学校側が決めたことで自分には何も非がある訳では無い。
それなのに、嫌な顔一つ見せずそう言った隆哉に夏樹は勿論好感を持った。
隆哉は大勢の新入生の中でも飛び抜けて目立つ存在だった。
身体が大きいということもあったが、大人っぽいし、何より男から見てもちょっと感心するくらい格好が良かったのだ。
それに、夏樹は知らなかったが、隆哉は剣道の方でもかなり有名な選手だった。
そんな彼を、女の子が放っておく訳が無い。
上級生の女子までが教室を覗きに来て、友達同士でキャァキャァ騒いだりしていた。
勿論、手紙をもらったり、差し入れをもらったりする事もしょっちゅうで、告白の為に呼び出されることも度々のようだった。
カッコ良くて、オマケに優しい。
なるほど、これでモテない訳は無いだろうな、と夏樹は思った。
見た目が良く、スポーツも出来て、それで勉強まで出来たら、もう無敵だ。
そして、すぐに分かったことだったが、隆哉は頭脳の方も優秀だった。


席が前と後ろだということもあり、夏樹は隆哉と話す機会も多かった。
だから、自然と仲良くなって一緒にいる事も多くなった。
大きな隆哉と小さな夏樹のコンビは人の目を引いたが、当の二人はそんな事を気にする様子はまったく無かった。
いや、本当はそうではなかった。隆哉は気にしている様子は無かったが、夏樹の方ではちょっと気になっていることがあったのだ。
傍にいると、隆哉のモテっぷりが本当に良く分かる。そして、いつも隆哉の隣にいる夏樹を邪魔そうに見る女子も少なくないのだ。
女の子たちにして見れば、カッコいい隆哉の隣にいるチンチクリンの夏樹が余りに不釣り合いに見えるのだろう。
無視されるならまだしも、時にはわざと夏樹の前に立って自分達や隆哉の視界から夏樹を隠そうとする子さえいた。
そんな態度を取られると、気の強い夏樹は余計に意地になって隆哉の傍を離れまいとした。
「なあ、リキ、俺のこと邪魔?」
今日も隆哉に差し入れを持って来た女子に睨まれ、夏樹は膨れると、わざとその子の前で隆哉に訊いた。
「え?そんな訳無いだろ?なに言ってんだよ」
いつものように爽やかな笑みを見せた隆哉に満足げに頷き、夏樹は勝ち誇ったような顔でその女子を見た。
下級生に生意気な態度を取られて、3年の女子はちょっとムッとした顔を見せたが、隆哉の前なのであからさまな態度を取る訳にもいかなかったのだろう。仕方なく、早々に帰って行った。
だが、彼女が行ってしまうと、夏樹は少々バツが悪くなった。
「リキ、ホントに邪魔なら言えよな?おまえがホントに気に入った子だったら、俺、遠慮するし」
すると、隆哉はそれを聞いて笑った。
「そんな子、いないよ。夏樹が心配する事なんて無いから」
「そ?なら、いいけど…」
言いながら、夏樹は改めて不思議に思っていた。
こんなにモテるし、中には夏樹が見ても惜しいと思うような可愛い子だってアプローチしてくるのだ。
それなのに、隆哉はその誰にも興味を示す事は無かった。
どんな女の子が来ても、隆哉はその度に困った顔をして余り嬉しそうには見えなかった。
「リキ、おまえ、彼女欲しくねえの?」
「別に、今の所…。他に色々と忙しいしさ」
「ふう…ん」
自分でもそうだから分かるが、この年頃は頭の中の半分は女の子の事ばかり考えているようなものだ。
だから夏樹は、隆哉の煮え切らない返事に首を傾げた。
「おまえはどうなんだ?」
反対に聞き返されて夏樹は隆哉を見上げた。
「え?俺?俺は、勿論欲しいよ、彼女」
「そうなんだ。じゃ…、いるんだ?好きな子とか…」
「んー…。今はいない」
「そうか…」
何故かホッとしたような隆哉を見て、夏樹は眉を顰めた。
「あ、どうせ、俺みたいなチビに彼女が出来る訳ないと思ってんだろ?」
「そ、そんなこと思って無いよ」
慌てて首を振った隆哉から、夏樹はプイッとそっぽを向いた。
「俺だって、今にでっかくなるもんね。まだ成長期なんだから」
「小さくたっていいだろ?夏樹はそのままでいいよ。そのままで十分だよ」
取り繕うように言って顔を覗きこんできた隆哉を、夏樹は腹立たしげに睨んだ。
「なんだよ、それ?馬鹿にすんなッ」
「馬鹿になんかして無いよ。ホントに、夏樹はそのままでいいと思って。俺は、……そのままの夏樹が好きだし」
何だかおかしな物言いだと思った。
だが、その時は深く問い詰めるほどの何かを感じた訳でもなく、夏樹は顔を顰めて言い返した。
「おまえに好かれてどうすんだよ。全然嬉しくねえッ」
「ははは…。やっぱり?」
そう言って笑った隆哉は、もういつもの調子に戻っていた。
だから夏樹も、それきりで気にも留めていなかったのだ。



それから3日後、夏樹に女子からの呼び出しがあった。
鞄の中に、いつの間にか手紙が入っていて、放課後、体育館の裏で待っていると書いてあった。
相手の名前に心あたりは無かったが、初めてのことで、夏樹は少々浮かれていた。
「え?手紙?」
隆哉に話すと、彼も少し驚いたようだった。
「うんっ。まあ、どんな子か分かんないけどさー。ブスかも知れないし…」
「そっか……」
低い声でそう言って頷くと、隆哉はすぐに笑顔を見せた。
「大丈夫だよ、きっと、可愛い子だよ」
「そっかなぁ」
「うん。…上手くいくといいな?」
「うん、サンキュ」
隆哉の励ましに気を良くして、夏樹は放課後、いそいそと呼び出された場所へ向かった。
人気のないその場所は幾らかじめじめとした空気が漂っていた。
自分で呼び出しておいて遅れて来るつもりなのかと、夏樹はちょっと呆れた。
だが、それぐらいで帰ってしまう程短気でも無いし、それに、まだ期待で胸が膨らんでいた事も有り、夏樹は薄汚れた体育館の壁に背を預けて、ポケットからもう一度手紙を取り出した。
その時、数人の人間が近付いてくる気配を感じて夏樹は顔を上げた。
体育館の影から3年生と思しき男子が4人、ゆっくりと此方に向かって歩いて来た。
そのグループは夏樹も知っている。校内でも有名な不良達だった。
夏樹の身体が忽ち強張り、慌てて預けていた背中を起こして身構えた。
「お、先客…」
中の1人が夏樹を見てニヤニヤ笑いながらそう言った。
「1年か~?ここが俺らの休憩所だって知らないで来ちゃったのかなぁ?」
もう1人がそう言ったのを聞いて、夏樹は蒼ざめた。
呼び出した相手は、まさかそれを知っていてここを指定して来たのだろうか。
「いいじゃん。折角来てくれたんだからさ、一緒に遊ぼうぜ?」
一番体の大きい奴が、夏樹の前に立った。
それを見上げながら後に下がろうとすると、素早くもう1人が夏樹の背後を塞いだ。
「す、済みません。俺、知らなくて…」
「いいって、いいって、気にすんなよ」
4人にすっかり囲まれた形になり、夏樹はどうしていいか分からなくなった。
幾ら気が強くても、体の大きな男達4人に囲まれたらさすがに怖気付く。頭の中では、何とか逃げる口実を作ろうと必死になっていた。
「俺ら、これから遊びに行くんだけどさ、ボクも行かない?お金持ってる?」
わざとらしい猫なで声でそう言われ、夏樹は首を振った。
「も、持ってません」
本当に、今日は持ち合わせが無かったのだが、脅されて金を差し出すような真似は夏樹のプライドが許さなかった。
「なぁーんだ、残念だなぁ…」
言いながら、目の前の男が手を伸ばして夏樹の頬を撫でた。
それを見て、他の3人が忍び笑いを漏らす。
「じゃあ、金の掛からない遊びしようか?」
「いえっ…、俺は、ほんとに失礼するんで」
上級生達の間を掻き分けようとした夏樹だったが、勿論、彼らがそれを許す筈は無かった。
「おおっとぉ…」
「だーめ、駄目」
「や、止めてくださいッ」
腕を掴まれて、夏樹は必死で引っ張った。
「いいから、こっちに来なよ」
「ほらほら、おいで」
「止めてくださいッ。離せよッ」
夏樹は悔しくて堪らなかった。
きっと、自分の身体が標準並みだったら、こんなにも馬鹿にされることなど無かっただろう。
「離せッ、離せぇっ」
必死でもがく夏樹を、上級生達はせせら笑いながら体育館の影の方へ連れて行った。
腕の自由を拘束されてしまった為、夏樹は引き摺られながらも脚をけり上げて相手に攻撃しようと試みた。
だが、その脚も、手を掴んでいたのとは別の2人に捕まえられてしまった。
「嫌だッ、離せってッ、離せッ」
「元気だなぁ。凄い、凄い…」
馬鹿にしたように1人が言うと、他の3人が笑い出した。
「おい、逃げらんねえように、剥いちまおうぜ」
「ヤッ…」
制服を剥ぎとられそうになり、夏樹は必死で抵抗した。
だが、両側から抑え付けられて、すぐにボタンが外されてしまった。
「やめろぉぉッ」
夏樹が叫んだ時、体育館の影から誰かが走って来た。
「おいッ、何やってるんだッ」
4人が怪訝そうに顔を上げた向こうに、竹刀を構えた隆哉が立っていた。
「リキ…」
走って来た所為で少々息を弾ませてはいたが、紺の胴着と袴で、ビシッと正眼に竹刀を構えた隆哉はその鋭い眼光で4人を睨み付けていた。
その姿には貫禄さえ感じ、さすがの不良達も怯んだ様子だった。
「そいつを離してください」
低い落ち着いた声で、隆哉は言った。
その迫力に押されたらしく、抑え付けられていた手から力が無くなっていくのを夏樹は感じた。
「止せよー…、ちょっとふざけてただけじゃん」
「そうそ。そんな、むきになるなって…」
口々に言いながら、上級生達は夏樹の身体から手を離した。
彼らが離れて、その影から制服を半分脱がされかかった夏樹が現れると、カッ、と一瞬、隆哉の目が燃えた様に感じた。
ブツブツと何かを言いながら上級生達が消えていくと、隆哉はサッと竹刀を投げ捨てて夏樹の傍へ走り寄った。
「夏樹ッ」
「リキ…、何で?」
何故、隆哉がここへ現れたのか夏樹は不思議に思った。まだ、部活が終わる時間では無かったからだ。
「ここが、あいつらの溜まり場だってことを思い出して…。まさかとは思ったけど、あの手紙、この前、夏樹が睨み付けた子が出したんじゃないかって…」
「え…ッ?」
驚いた夏樹の前で、隆哉は済まなそうな顔で項垂れた。
「部活が始まる前に、部室の前にあの子が居て、今日は夏樹が居ないみたいだから一緒に帰らないかって言われたんだ。部活が終わるまで、待ってるからって…」
「それじゃあ…」
この前の腹いせに、あのグループの溜まり場だと知っていて夏樹をここへ呼び出したらしい。
「ごめんな?夏樹…」
「な、何でリキが謝んの?」
「だって…」
外された夏樹のボタンに手をかけて、隆哉はそれを留めようとした。
その手が、震えている事に夏樹は気がついた。さっきのあの、凛々しく竹刀を構えた姿とは、まるで違っている。
「夏樹…」
手が震えて上手くいかず、ボタンを留めるのを諦めると、隆哉はいきなり夏樹を胸に抱き寄せた。
「良かった。何も無くて……」
「リキ…」
驚いたが、それだけ自分を心配してくれたのだと知り、夏樹は嬉しかった。
だが、照れくさくて素直にそれを表す事は出来なかった。
「大袈裟だよ。ただ、ちょっとからかわれただけだし」
「でも、もう少し遅かったら、何されてたか分からないよ。服なんか脱がそうとして…ッ」
「なあ、もういいよ。平気だって。それよりおまえ、部活の途中なんだろ?」
夏樹がそう言うと、隆哉はやっと顔を上げた。
「早退するって言ってきたから、夏樹のこと送って行くよ」
「えっ?い、いいよ、そんな……。俺ならもう大丈夫だって」
「駄目だよっ」
その剣幕に、夏樹は驚いて目を見張った。
「頼むから、送らせてくれよ。じゃないと…、心配で……」
「リキ…」
夏樹は、この一件でショックを受けているのは、自分よりも隆哉の方なのだと気付いた。
自分が襲われたことが、普段は冷静な隆哉をこれ程までに動揺させているのかと思うと、何だかくすぐったかった。
「分かった、分かった。じゃあ、送ってもらうよ」
夏樹が照れくさそうに笑いながら言うと、隆哉はやっとホッとしたように身体から力を抜いた。