イヌ


-2-

「リキ、寄ってけよ」
家の前まで送ってくれた隆哉を、夏樹はそう言って誘った。
「え、いいよ…」
何故か躊躇う隆哉に眉を寄せ、夏樹はその腕を掴んだ。
「なんで?どうせ誰もいねえし、リキ、普段は部活だから平日って来たことないじゃん。な?少し遊んでいきなよ」
「ん…、じゃあ、ちょっとだけ…」
半ば無理やりに、夏樹は隆哉の腕を引いて門を潜ると、ポケットから家の鍵を取り出して玄関のドアを開けた。
共稼ぎの両親は夜にならなければ帰って来ない。一人っ子の夏樹は小学生の時から鍵っ子だった。
「部屋行ってろよ。なんか飲みもんとか持って行くし」
「うん、分かった」
隆哉は頷くと、夏樹の荷物も一緒に持って階段を上っていった。
夏樹は、台所へ行って清涼飲料水のペットボトルとコップを持つと、棚の中を物色して菓子の袋を2つばかり取り出した。
部屋に入ると、隆哉は所在無げな様子でベッドの上に浅く腰を下ろしていた。
「お待たせ」
机の上にコップとお菓子の袋を置くと、夏樹はペットボトルの蓋を開けて中身を注いだ。
「ほれ」
コップを一つ差し出すと、隆哉は頷いてそれを受取った。
「夏樹?」
「うん?」
コップに口をつけたままで夏樹が返事をすると、隆哉はまた不安げな目で彼を見た。
「ほんとに、ごめんな?俺の所為で、嫌な目に合わせて」
「何言ってんだよ?リキの所為じゃ無いじゃん。大体、もし、あの時の女子が手紙の主だったとしても、俺が煽る様なことしたのが悪いんだしさ。リキが気にする事なんかねえって」
「でも、もっと早く俺が気付いてれば・・・」
「ああーっ、もうやめ、やめっ」
じれったそうにそう言うと、夏樹は隆哉の言葉を遮った。
「おまえは悪くないって言ってんだろ?それに、何にも無かったんだし、おまえはちゃんと助けてくれたんだし、それでいいじゃん?もういい加減にしろよ。な?」
それで話は終わりとばかりに、夏樹は菓子の袋に手を伸ばすと両端を持ってそれを開けた。
「夏樹……」
呼ばれて目を上げると、そこに隆哉の泣きそうな瞳を見つけ、夏樹は驚いて袋を離した。
何故これ程までに、隆哉がさっきの事を気に病むのか理解出来なかった。
「もう、俺の傍にいるのが嫌だとか、思わないでくれるか?」
意外な言葉に、夏樹は益々驚いてしまった。
「え……?」
「今まで通り、一緒にいてくれる?」
「リキ…」
余りの真剣な眼差しに、夏樹は少々怯んだ。そして、なんだか隆哉の様子がおかしいと、今頃になって漸く気が付いた。
「な、何言ってんだよ?当たり前だろ?……何か変だぞ、リキ…」
座ったまま後ろに下がろうとすると、それを追うようにして隆哉が迫って来た。
そして、その両手が夏樹の肩をグッと掴んだ。
「夏樹、俺……」
「リキ…?」
何だか少々怖くなって、夏樹は問い掛けるように隆哉を見た。
肩を掴む手に力が篭り指先が食い込む。夏樹はその痛みに少し顔を歪めた。
離せ、と言おうとした時、隆哉の身体がグッと近付いた。
そして、次の瞬間、夏樹は隆哉に唇を奪われていた。
「んっ?」
一瞬、驚きの余り、夏樹は抵抗する事も忘れていた。
だが、すぐに我に返ると両手を突っ張って隆哉を突き離した。
「やっ…」
突き離された途端、隆哉の方も我に返ったような顔をした。
そして、見る見る内にその顔は蒼ざめていった。
「ごっ、ごめんっ…」
くしゃっと、隆哉の端整な顔が歪んだ。
「俺、こんなつもりじゃ…っ。ごめんっ、夏樹…、ごめんッ」
今にも泣き出しそうな隆哉を、夏樹は不思議な面持ちで眺めた。
そして、今のキスで、夏樹には全てが分かったような気がした。
「リキ……、おまえ、ホモなの?」
その言葉に、隆哉は一瞬、酷く悲しそうな顔をした。
だが、すぐに諦めたような表情をみせると、コクンと頷いた。
「ああ、多分。……女の子、駄目だし」
「そうなのか……」
頷きながら夏樹が思い浮かべたのは、
”あんなにモテるのに、勿体ねえ” という、不謹慎な言葉だった。
だがすぐに、隆哉の打ちひしがれたような姿を見て同情を覚え、そして、自分がキスされたのだという事を改めて思い出した。
それがどんな意味を持つのか、漸くそれに思い当たったのだ。
「まさか…おまえ…、俺のこと、好きなの?」
口に出してそう訊くと、夏樹は隆哉の答えを聞く前に胸がドキドキと高鳴ってくるのに気付いた。
こんなにモテモテの隆哉が、自分を選ぶなんて有り得るのだろうか…。 すると、下を向いたままだった隆哉が、やっと意を決したように顔を上げた。
真っ赤な顔で、やはりまだ泣きそうな表情を浮かべている。
「うん…。俺、夏樹のことが好きなんだ」
「リキ……」
さっき隆哉は、自分が同性愛者だということを認めた。
ならば彼は、女の子を好きになるように自分の事を好きなのだろうか。
どくん、どくん、と益々夏樹の心音が高くなった。自分で訊いておきながら、夏樹は急に焦り始めた。
“好き”の意味が突然に重たくなる。
「好きって、どういうこと?俺と、さっきみたいにチューしたりしたいってこと?エ、エッチとかも……したいってこと?」
すると、隆哉は黙って頷いた。
(うそッ…)
キュッと夏樹の呼吸が止まった。
慌てて息を吐いて、そして夢中で吸って酸素を肺の中へ入れた。
さっきは、突然の事で驚いて突き飛ばしてしまったが、隆哉にキスされたこと自体は嫌ではなかった。だが、その先となると話が違ってくる。
(リ、リキと俺が……?)
考えただけで、カーッと顔が熱くなるのが分かった。
すると、隆哉が顔を上げて酷く辛そうな顔で夏樹を見た。
「もう…嫌だよね?俺と一緒にいるの……、嫌だよね?」
言いながら、隆哉の手は自分の膝の上で硬く握られていた。
その、力の入れ過ぎで白くなった拳が震えている事に夏樹は気がついた。
「俺…、夏樹が嫌がる事なんか絶対にしない。約束するよ、ホントにもう、さっきみたいな事しないから、だから夏樹……」
言葉が続けられなくなって、隆哉はまた下を向いてしまった。
「お、俺…、嫌だなんて言ってねえじゃん」
夏樹の言葉に、隆哉は驚いて顔を上げた。
「別に俺、嫌じゃねえもん。その……、エッチとかはさ…別だけど…」
「気持ち悪くないの?俺のこと…」
そう訊いた隆哉に、夏樹ははっきりと首を振った。
「別に、そんなことない。リキはリキだし…。変わんねえよ」
「夏樹…」
「ん…と、その…、チューくらいなら、たまにしてもいい。そ、それ以上は、無理だけど…」
夏樹の言葉に、隆哉は明らかに驚いていた。
そして、言った本人もまた、自分の言葉に驚いていたのだ。
(な、何言ってんだ?俺…)
だが、余りにも打ちひしがれたような隆哉が、夏樹は可哀想でならなかったのだ。
自分の性癖のことでも、きっと随分悩んでいたに違いないのに、その上、思い掛けなく夏樹に本心を知られてしまった事で、また更に辛い思いをする事になるのかと思うと、同情せずにはいられなかった。
そして、あれ程モテる隆哉が、沢山の可愛い女の子に目もくれず自分だけを見ているのかと思うと、なんだか自慢したいような気持ちにもなっていた。
だったら、キスくらいさせてやってもいい。
夏樹は、そう思ったのだ。
「ホント?ホントに、いいの?」
「う…、うん」
頷くと、隆哉が四つん這いになって近づいて来た。
「じゃあ、今、してもいい?」
「えっ?……あ、うん。い、いいけど…」
言った途端に恥ずかしくなって、夏樹は真っ赤になった。
そんな夏樹の身体を隆哉の腕が捕まえて自分の方に引き寄せた。
緊張して忽ち強張った夏樹に隆哉は性急に唇を押し付けた。
(うわッ)

柔らかい……。

そう思った途端、夏樹は急にまたドキドキとし始めた。
他人の息が、自分の顔に掛かるなんて初めてのことだった。緊張と興奮のあまり、夏樹の方は息も出来なかった。
「ふぁっ…」
苦しくて思わず口を開けると、その中に何かが入り込んできた。
(なに…?)
目を開けると驚くほど目の前に隆哉の睫が見えた。
そして、今口の中にあるのが彼の舌だと気が付いた。
カーッと全身が熱くなる。
自分の舌や口蓋を撫でていく隆哉の舌の感触が酷く生々しかった。
どうしていいのか分からなくて、ただ、されるままに口の中じゅうを舐められ、夏樹は呆然としたまま、唇を離した隆哉を見上げた。
唇が濡れているのが分かる。そして、自分の唇も隆哉の唾液で濡れているのかひんやりと感じた。
それに気付くと、忽ち恥ずかしくなって、夏樹は急いで手の甲で唇を拭った。
(キ、キスしたんだ、俺……)
何だか目の縁がぼうっとして、瞬きをするのも重い気がした。
さっきの隆哉の舌の感触が、まだ忘れられずに口の中に残っている。
「あッ…」
今更ながらに気付き、夏樹は小さく声を上げた。
「え?」
「お、俺、ファーストキスだった…」
少々愕然として、夏樹は呟くように言った。
「夏樹ッ…」
それに感動したのか、隆哉が夏樹の身体をギュッと抱きしめた。
「俺、夏樹の言うことなら何でもきく。大事にするから、だから、傍に居て?俺のこと、嫌わないで欲しい」
「お、大袈裟だな。だから、嫌ったりしねえって。だったら、チューなんかさせるかよ?しかも……、ファーストキスだったんだぞ」
すると、隆哉は顔を上げて夏樹を見た。
「うん。嬉しいよ、夏樹…」
本当に嬉しそうな顔で見つめられ、夏樹は照れくさくて堪らずに目を逸らした。