イヌ・4


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土曜日の朝、夏樹は家を出ると美雪と待ち合わせた場所へ向かった。
待ち合わせ場所から一緒にバスに乗って、映画館まで行く予定だった。
女の子と2人で出掛けるのは初めてだったが、夏樹はそれほど緊張してもいなかった。何故か美雪とは男の友達と出掛けるのと、然程変わり無い気がしたのだ。
夏樹が行くともう美雪は来ていて、塀に寄り掛かって誰かにメールを打っていた。
見ると、向こうもこれがデートだなどと少しも思っていない事が分かった。
美雪は普通の穿き古したジーンズに、余り飾り気の無いTシャツで、肩からはスポーツブランドの布製のバッグを提げていた。
余りお洒落に興味が無いと言っていたが、普通、気になる男子と出掛けるならば、もう少し女の子らしい恰好をしてきそうなものだろう。
一気に気が楽になり、夏樹は近付きながら美雪に声を掛けた。
「あ、おはよー」
メールを打つ手を止めて顔を上げると、美雪はにっこりと笑った。
「沖名さん…、デカい…」
少々不満そうにそう言って、夏樹は彼女を見上げた。
何時もの通学靴とは違い、今日の彼女は少し踵の高いサンダルを履いていたのだ。
それで無くても、夏樹より10センチも背が高い彼女と夏樹の差はかなり広がってしまった。
「あ…、ごめん。気付かなかった」
ばつの悪そうな顔で美雪は言ったが、夏樹は笑って見せた。
「いいよ。ホントはそんなに気にしてないからさ」
「そ?良かった…」
すぐ近くのバス停まで行き、5分ほど待ってバスに乗ると、2人は映画館の近くで降りた。
初回上映の時間まで少し間があったせいか、映画館はまだ扉を開けていなかった。
2人は、扉が開くのを待って映画館の前に並んでいる人達の後ろに並ぼうとした。
「あ、夏樹ッ…」
声を掛けられてそちらを見ると、並んでいる列の中から小高が手を振っていた。
「基…」
その隣に強張った顔の隆哉を見つけ、夏樹も顔を強張らせた。
「おはよう。2人も、これ観るのか?」
貼ってあったポスターを指さして小高に訊かれ、夏樹は頷いた。
「う…、うん…」
「なら、一緒に観ようよ」
小高は美雪に向かって愛想良く笑って言った。
だが、その申し出に夏樹は首を振った。
「いいよ。俺たち予約してあるから、傍には座れないと思うし」
「えー…。俺たち、別に邪魔しないのにー」
「だから、そんなんじゃないって」
隆哉と別れたショックで、土曜日に2人が出掛ける約束をしていた事を、夏樹はすっかり忘れていた。
確かに買い物をして映画を見に行こうと言っていたが、まさか、こんな風にして出会ってしまうとは思ってもみなかった。
だが、今更後悔しても始まらない。きっとこの先、自分はこういう思いを何度もしなければならないのだと夏樹は思った。
「あの2人…、何だか急に接近したね…」
ボソッと低い声で美雪が言った。
「…うん」
夏樹が答えると、美雪は前の人の影から窺うように隆哉たちの方を見た。
「夏樹君…、この映画、観るのよそうか?」
その気遣う言葉に、夏樹はドキリとした。
もしかして、美雪は自分と隆哉の関係を何か気付いていたのだろうか。それとも、ただ、何かの(わだかま)りだけを感じてそう言ったのだろうか。
「いいよ。折角来たんだから観ようよ」
夏樹が答えると、美雪は頷いた。
「そう?」
見ると、何だか少し考え込むような表情で、美雪はまた前を向いた。
映画館が扉を開けてチケット売り場も販売を開始した。
列が段々に進んで、夏樹たちも中に入った。
先に中に入っていた隆哉達は、もう、飲み物などを買って開演時間を待っていた。
そちらを見ないようにして、夏樹は美雪の方を見た。
「沖名さん、ポップコーン食べる?俺、奢るよ」
夏樹が言うと、美雪は首を振った。
「いいよ。この前奢ってもらったから、今日は私が奢る。あ、それから、私の事“美雪”でいいからね」
「あ、うん…」
夏樹が頷くと、美雪は飲み物の注文を聞き売店の方へ歩いて行った。
手持ち無沙汰で夏樹が美雪の帰りを待っていると、小高が近付いて来た。
「夏樹―…」
ニヤニヤ笑っている所を見ると、また美雪の事を誤解しているらしい。夏樹は少し苦笑しながら彼を見た。
「先に言っておくけど、デートじゃないよ」
「えー、なんでー?いい雰囲気じゃん」
「兎に角、違うから。美雪も俺も恋愛感情ないし…」
言いながら、夏樹は此方を見ている隆哉をチラリと見た。
その途端、少しだけだが泣きそうになった。
本当は、隆哉と2人でこの映画を見に来る筈だったのだ。それなのに何故、彼との間に、こんなにも距離があるのだろう。
「けどさぁ、俺たちが誘った時、夏樹、親と一緒に出掛けるって言ったじゃん?あれって、口実だったんじゃないの?」
小高に言われて、夏樹は慌てて首を振った。
「ち、違うよ。あの時はホントに親に言われてたんだ。けど、急に2人で行く事になって…、だから予定が無くなったし、美雪と映画でも行こうかって話になって…」
「ふぅん…。ま、いいや。予定が無くなったなら、俺らの方に声掛けてくれても良かったのになぁ…とか、言わない事にするよ」
あくまでも、デートじゃないという自分の言葉を疑っている小高に夏樹は苦笑した。
だが、彼だってきっと、夏樹が自分達と一緒に来る事を喜ばなかったに違いなかった。
誰だって、好きな人と2人っきりの時間を他の人間に邪魔されたくなどない筈だ。
「リキが…誘ったの?この映画、観ようって…?」
どうしても気になって、夏樹は訊いてしまった。
すると、予想に反して小高は首を振った。
「ううん。俺が、買い物ついでに観に行かないかって言ったんだ。前から気になってた作品だったし…」
「そう…」
夏樹が答えて少し俯くと、小高が心配そうな表情をして言った。
「なあ…、もしかして夏樹がリキと約束してたんじゃ?この映画、本当は一緒に観ようって言ってたんじゃないのか?」
夏樹は顔を上げると、笑みを見せて首を振った。
「ううん、違うよ。何にも約束なんかしてなかったよ」
「ホント…?なんか、俺の所為で2人の間がおかしくなってるみたいで、俺、ちょっと気になってたんだ…」
辛そうな表情で小高は言った。
自分と隆哉の間が、まさか恋人関係だったなんて彼は知らない。ただ、友情に皹が入ったのではないかと気にしているのだろう。
夏樹はもう1度笑って、首を振って見せた。
「そんなことないよ。此処に来たのも、美雪がこの映画を選んだからだし、偶然だよ。基は何にも気にすることないから…。な?」
「夏樹…」
彼の存在が、自分から隆哉の気持ちを奪って行ったのかも知れない。だが、だからと言って彼を恨むのは嫌だと夏樹は思っていた。
隆哉の関心が自分から無くなってしまったのは、それだけ自分に魅力が無かったからだ。小高の方が、沢山の魅力を持っていたからだ。
だから、恨んだり憎んだりはしたくない。
それは、夏樹の最後のプライドだったのだ。
「夏樹…、俺…、俺な…」
小高が言い掛けた時、買い物を終えた美雪が戻って来た。
「もうそろそろ、入れるみたいだよ」
言われて、小高は頷くと夏樹に軽く手を上げて隆哉の方へ戻って行った。
小高が何を言い掛けたのか、夏樹はとても気になった。だが今は、追いかけて聞き出す訳にもいかない。
夏樹は諦めて、美雪からジュースとポップコーンを受け取ると、一緒に上映室の方へ進んだ。