イヌ・4


-12-

映画は面白かった。
だが、さっきの小高の様子がどうしても気になって、夏樹は集中する事が出来なかった。
通路側の1番端に座っていたのをいいことに、夏樹は映画の途中でトイレに立った。
少し、独りになって考えたかったからだ。
小高も、そして隆哉も、自分に何か言おうとしていた。それは、一体どんな事なのだろうか。
勿論、2人の言いたい事が同じだとは思わないが、2人が何かを打ち明けたがっているように夏樹には思えた。
はぁっと溜め息をつき、夏樹は鏡を見ながらポップコーンでべたついた手を洗った。
男同士だし、別段、お洒落している訳でもないのだろうが、私服の小高は制服の時よりもずっと可愛く見えた。
今日の夏樹は、出掛ける相手が異性だし、一応気を使ってこざっぱり見えるように服を選んできたつもりだった。
だが、幾ら気を使っても自分の見栄えが良くなる訳ではなかった。
小高と並べられたら、随分見劣りするだろう。隆哉もきっと、改めてそう思ったに違いない。
(俺と別れて良かったって、思ったかな…)
自嘲気味に笑うと、夏樹は首を振りながら視線を手に落とした。
こんな事を考えている時点で、未練たらたらなのが分かる。そんな自分が夏樹は嫌で堪らなかった。
その時、ドアが開いて、夏樹はまた顔を上げた。
見ると、驚いた事にドアの前に隆哉が立っていた。
その姿を見て、一瞬、夏樹の息が止まった。
「リ、…リキ…」
「夏樹…」
此方もまた緊張しているのか、夏樹の傍に近付いて来ると、隆哉はコクッと1度、唾を飲み込んだ。
「夏樹…、あの子と…、沖名さんと付き合う事にしたのか…?」
険しい表情だった。
それを見て、すぐに、“違う”と言おうとした。だが、夏樹はその言葉を飲み込んだ。
「なんで…?もし…、もし、そうだとしても、もうリキには関係無いだろ…?」
精一杯の意地を張って、夏樹はきつい目で隆哉を睨んだ。
すると、その目に怯んだ様子を見せて、隆哉は開きかけた口を結んだ。
「わざわざ、そんな事聞く為に出て来たのか?…なんで?俺の事なんてもう、気にしなければいいだろ?」
「そんなっ…」
ガッと両手で肩を掴まれ、夏樹は少し顔を歪めた。
「関係無いとか、気にするなとか…、そんな…、そんなこと言わないでくれ…ッ」
「リキ…?」
辛そうな隆哉の様子に、夏樹は眉を寄せて彼を見上げた。
「夏樹ッ…」
思い余ったように叫び、隆哉は夏樹をギュッと抱き寄せた。
「んっ…?」
突然、キスで唇を塞がれ、夏樹は驚いて身体を強張らせた。
余りに思い掛けない隆哉の行動に、抵抗する事さえ忘れてしまった。
自分と別れたがったくせに、何故、隆哉は今更キスなどするのだろう。
だが、そんな事を考えたのも、ほんの一瞬の事だった。何時の間にか、夏樹の腕は隆哉の背中にしっかりと回されていたのだ。
久し振りのキスに、体中が熱くなる。
上唇を吸われて、ビクッと身体が震えた。
(リキ…、好きッ…好き…)
想いが込み上げて、夏樹は涙を浮かべた。
まだこんなにも隆哉を好きな自分が、惨めで、そして情けなかった。
「夏…樹…」
唇を離して涙を浮かべた夏樹を見ると、隆哉は当惑気な顔をした。
夏樹は溢れそうになっていた涙を拭いながら彼に言った。
「俺の事…、からかいたいのか…?それとも、可哀想だからとか思ってるのか?」
「ち、違うッ…」
カッと頬に血を上らせた隆哉の腕を、夏樹はギュッと掴んだ。
「じゃあ、なんだよッ?…酷いよ、リキ…。酷い…」
とうとう我慢が出来なくなって、夏樹は泣いてしまった。
必死で忘れようと思っているのに、何故、隆哉は今更自分に関わろうとするのだろうか。こんな、期待させるような仕打ちをするのだろうか。
「夏樹ッ…」
隆哉の腕が再び夏樹を抱き締めた。
「違うんだ…ッ、違う…。俺は、夏樹と…っ」
隆哉が何か言い掛けた時、トイレのドアが開いた。
ハッとして2人が離れると、中年の男が怪訝そうに2人を見ながら入って来た。
「出よう…」
その男の視線を避けるようにして顔を背けると、隆哉は夏樹の腕を掴んで表へ出た。
すると、通路の向こうに小高が壁に寄り掛かるようにしてしゃがんでいるのが見えた。
「も、基…ッ」
その姿を見るなり、隆哉は慌てて彼の方へ走り寄った。
そして、心配そうにその前にしゃがむと彼の顔を覗きこんだ。
「どうした?大丈夫か…?」
「…ごめん。ちょっと…」
真っ青な顔でそう言った所を見ると、どうやら具合が悪いらしい。
夏樹も、眉を顰めながら傍へ行った。
「基…、具合悪いの?」
夏樹が聞くと、小高は首を降って笑って見せたが、余り大丈夫そうには見えなかった。
「ごめん、夏樹…。俺、基を連れて帰るよ…」
隆哉の言葉に、夏樹は頷いた。
「うん…。基、お大事に…」
「サンキュ…」
力無く頷き、そしてまた笑みを浮かべると、小高は隆哉に助けられて立ち上がった。
甲斐甲斐しく、隆哉は小高の身体を支えて歩き出した。
何時だったか、まだちゃんと付き合う前、熱を出した自分を隆哉は同じようにして支えてくれた。
あの時の彼の腕は、とても心強かった。
それを思い出して、夏樹はまた悲しくなった。
さっき、隆哉は一体、何を言い掛けたのだろうか。どうしていつも、隆哉が何かを打ち明けようとすると邪魔が入るのだろう。
これもまた、運命なのだろうか。
だとしたら、自分達はきっと、別れるべくして別れたのかも知れない。
隆哉達の後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、夏樹はロビーのベンチに腰を下ろした。
もう、上映室の中へ入っても映画も終わる時間だった。それなら、ここで美雪を待った方がいいだろうと思ったのだ。
それにしても、小高はやはり何処か悪いらしい。
その所為で、部活も見学しているのだろう。普段は元気に見えるが、一体、何処が悪いのだろうか。
もしかすると、市川や吉岡が言っていたのは小高の病気の事だったのだろうか。
「リキ…」
キスされた事を思い出して、夏樹は自分の唇に触れた。
忘れる事なんて、とても出来ない。
嫌うことなんて、無理だった。
例え、隆哉の気持ちが自分に対する同情でしか無いとしても、キスされてあんなにも嬉しかった。
本当は、しがみ付いて、戻って来て欲しいと叫んでしまいたかったのだ。
「俺…、駄目だなぁ…」
呟いて夏樹は両手で目を覆った。



夏樹が色々と考えている内に、映画を観終えた客が続々と出て来た。
夏樹はその中から美雪の姿を探した。
だが、見つけたのは美雪の方が先だった。
「夏樹君、大丈夫…?」
戻って来ないのを心配してくれていたのだろう。美雪はすぐに夏樹にそう訊いた。
「うん、ごめん…。別に、何でも無いんだ。ただ、暗いし、いい所なのに歩き回って他の人に迷惑になると思ったから…」
夏樹が答えると、美雪は一応納得したようで頷いて見せた。
「そうなら、いいけど…。気分でも悪くなったのかと思っちゃった。映画、つまんなかった?」
「ううん、面白かったよ」
「そう?…あ、なんか食べに行く?お腹空いたよね?」
夏樹の言葉を信じていないのかも知れないが、美雪は敢えて気にしていない振りをしてくれた様だった。
彼女の、こんな、あっさりとした所も夏樹にとっては有難かった。
「うん、そうだね。何がいい?」
「近くにファミレスあったよね?あそこでいいかな」
美雪の言葉に頷くと、夏樹は先に立って映画館を出て、彼女の言ったファミレスに向かって歩き始めた。
「力丸君達も途中で出て行ったみたいだったけど…、帰ったのかな?」
美雪の言葉に、夏樹は頷いた。
「あ、うん…。なんか、基が具合悪くなったみたいで帰ったよ」
「そうなんだ…。ねえ、夏樹君、小高君てさ…」
そこまで言って、美雪は言葉を止めた。
「な、なに?」
夏樹が訊くと、美雪は少し迷った後で口を開いた。
「うん…。小高君てさ、力丸君の事、好きなのかなぁって…、ちょっと思ったから…」
彼女の答えに、夏樹は少々顔を強張らせた。
「そう見える…?」
「うん…。夏樹君も気付いてたんじゃないの?…もしかして、だから2人から離れてるのかなって…」
「べ、別に、そういう訳じゃないけど…」
夏樹が口篭ると、美雪は肩に掛けていたバッグの紐を掴んで掛け直しながら言った。
「そうなの?でも、私には2人に気を遣ってるように見えるよ」
「…み、美雪はさ…、男同士って事は気にならないの?」
思い切って夏樹が訊くと、美雪は笑った。
「ああ、私、そういうのは全然平気。だって、人其々だもんね?」
「そうなんだ…」
「うん。…でも、夏樹君は本当は嫌なんでしょ?力丸君が、小高君と居ること…」
図星を指されて夏樹は少しうろたえてしまった。
やはり美雪は、自分と隆哉の事を気付いていたのだろうか。
「俺がどう思ってようと関係無いよ。…2人の事は、俺には何の関係も無いから…」
「夏樹君…」
黙り込んだ夏樹に、美雪もそれ以上は何も言わなかった。
ファミリーレストランに着いて中へ入ると、2人はどちらとも無くさっきの映画の話をし始め、食事を終えて別れるまで、隆哉達の事には触れなかった。