イヌ・4


-7-

翌朝は朝練があるのか、夏樹が同じ時間に通っても小高と出会う事も無かった。
夏樹が教室へ入ると、暫くして朝練を終えた隆哉と小高が入って来た。
2人は相変わらず楽しげに話しをしながらやって来たが、夏樹に気付くと、隆哉はすぐに傍に来てくれた。
「おはよう、夏樹。もう、平気?」
「うん、大丈夫。ありがと…」
「熱、下がった?」
小高にも訊かれて、夏樹は頷いた。
「うん。もう、なんとも無いよ」
「そか。大した事なくて良かったな」
「うん、ありがと」
「夏樹、昨日帰る時に吉岡先輩に会ったんだって?今朝、心配してたぞ」
隆哉に言われて、夏樹は吉岡に会った事を思い出した。
あの時、自分の態度に吉岡は何か不信感を抱いたように見えた。彼が心配してくれたのは、もしかすると夏樹の体調の事だけではないのかも知れない。
「う、うん…。通り掛ったら、丁度、道場のとこにいて…」
「うん。顔色悪かったって心配してたから、もう、大丈夫らしいって言っておいたよ」
「うん、ありがと…」
あの時の自分を吉岡がどう思ったのか少し気になったが、まさかわざわざそれを訊ねに行く訳にもいかない。夏樹は気にしない事に決めた。
「あ、なあ、さっきの話だけど…」
小高が隆哉に話しかけ、夏樹もハッとして彼を見た。
「駄目?俺、まだこの辺のこと詳しく無いしさ、付き合ってくれれば嬉しいんだけど…」
「あ、うん…。でも、土曜は…」
困った表情で、隆哉はチラリと夏樹を見た。どうやら小高に、土曜日に何処かへ行こうと誘われたらしい。
「あ…、夏樹となんか約束してた?」
「い、いや…、約束って訳じゃないけど」
隆哉が答えて、また夏樹を見た。
夏樹は、小高に向かって言った。
「なに?何の話?」
「うん。まだ俺、引っ越して来たばっかで、店とか良く分からないからさ、買い物に付き合って貰えたらと思ったんだ」
「買い物…」
「うん。でも、夏樹と約束してたなら悪いから…。また、暇な時でも付き合ってよ、リキ」
そう言った小高の顔は何だか寂しげだった。買い物は口実で、本当は隆哉と2人で出掛けたかっただけなのではないだろうか。
そう思うと、夏樹の胸がツキンと痛んだ。
「あ、じゃあさ、3人で出掛けないか?ついでに映画でも見ようよ。どう?」
隆哉の言葉に、夏樹はすぐに答える事が出来なかった。
そして、小高もまた、少しの間、返事を躊躇った。
「う、うん。夏樹がいいなら3人で行こう。俺、付き合って貰うお礼に昼飯奢るよ」
すぐに笑顔になり、小高はそう言って夏樹の肩を叩いた。
だが、夏樹は小高のほんの少しの躊躇いに彼の本心を感じ取った。
小高は、隆哉と2人だけで出掛けたいのだ。
もう間違い無い。小高は隆哉の事が好きなのだ。
「お、俺ッ…、土曜は親と親戚の家に行く事になっちゃって…。だから、2人で行ってきなよ」
「え…?そうなのか?夏樹…」
約束していた訳ではないが、部活の無い土曜日は大抵2人で過ごすので、何も聞いていなかった隆哉は驚いたようだった。
だが、勿論、夏樹の話は嘘だった。
小高と3人で一緒に出掛けるなんて無理だと思った。どうしていいのか、身の置き所がないに違いない。
「う、うん。急にさ、昨日、そういう事になって…」
夏樹の言葉に、隆哉は頷いた。
「そうなのか…。じゃあ、基、土曜は2人で行こうか」
「う、うんっ。ありがと、リキ…」
それは、本当に嬉しそうな笑顔だった。
そして、その笑顔はなんと可愛いのだろうと夏樹は思った。
(馬鹿だな、俺…。一体、何やってんだろ…?)
敵に塩を送るなんてどうかしている。わざわざ小高にチャンスを作ってやったようなものではないか。
だが、本当は、隆哉が断ってくれるのではないかと密かに期待していたのだ。
自分が行かないと言えば、隆哉も行かないと言ってくれるのではないかと思っていたのだ。
だが、隆哉は断ってはくれなかった。
結局、夏樹は自分で自分の首を締める結果になってしまったのだ。
昨夜、隆哉と電話で話して、やっと安心した夏樹だった。
だが、2人きりで出掛けたりしたら、もしかして隆哉も小高を意識してしまうのではないだろうか。
(どうしよう…)
今日の帰り、2人きりになったら隆哉に言おうかと思った。
行かないで欲しいと言ったら、聞いてくれるだろうか。それとも、約束したのだからと言って断られるだろうか。
その事ばかりが気になって、夏樹は気も漫ろになっていた。



昼休み、飲み物を買いに、隆哉と小高と一緒に購買まで行くと、向こうから歩いて来た女子にぺこりと頭を下げられた。
知らない顔だったので、自分には関係無いと思い、夏樹はチラリと見ただけで知らん顔をしていた。
すると、脇から小高に腕を掴まれた。
「誰?」
訊かれて、夏樹は首を振った。
「知らない。俺は関係無いだろ。どうせ、リキの追っかけじゃないの?」
「えー?そうかなぁ…。今、あの子、夏樹の方見てたような気がしたけど…」
「まさか…。違うよ、リキを見てたんだよ」
疑いも無くそう思っていたので、夏樹は小高の話を取り合わなかった。それに、土曜日の事で頭がいっぱいで、それ所ではなかったのだ。
「夏樹、なんにする?オレンジ?」
まるで2人に割って入るように、隆哉が口を出した。
その態度が少し変な気がして、夏樹は隆哉を見た。
「あ…、うんと…、お茶にする」
夏樹が答えると、隆哉は頷いただけで、さっさと順番を待つ生徒の列に並んだ。
(リキ…?)
なんだか、隆哉が急に慌てたように見えて夏樹は眉を寄せた。
気になって、さっきの女子が歩いて行った方を振り返ったが、もうそこに居る訳も無く、彼女の姿は見えなかった。



放課後、何時ものように、夏樹は図書館で隆哉の部活が終わるのを待っていた。
窓辺の席に座って、書棚から選んできた本を読んでいたが、5分に1度は顔を上げて道場の方を眺めた。
此処からでは遠くて、隆哉の姿は確認出来ない。
だが、それでも夏樹は、開け放した道場の扉の向こうに隆哉の姿を探した。
やがて、部活時間終了のチャイムが鳴り、グランドでも体育館でも、練習を終えた生徒が引き上げて来た。勿論、道場からも片付けをする生徒以外は続々と外へ出て来た。
夏樹も、本を片付けて図書室を出た。
いつもなら部室の前で待っているのだが、今日は小高に待っている姿を見られたくなくて、夏樹は一旦、教室へ戻った。
ここからなら、剣道部の部室が見える。皆が着替えて出て来るのを確認してから、隆哉の所へ行こうと思った。
やがて、ぱらぱらと皆が姿を現し始め、校門の方へ向かって歩いて行くのが見えた。
夏樹は腰を上げて、鞄を背負うと教室を出て昇降口へ向かった。
靴を履き替えて表へ出る。そして、またそこで暫く待った。
だが、剣道部の部室の方から粗方の生徒が出て行っても隆哉は現れなかった。
聞いていなかったが、もしかしたら、今日は隆哉が鍵当番なのかも知れない。だとすれば、掃除を終えた道場と部室から誰も居なくなるまで帰れない筈だ。
仕方なく、夏樹は昇降口を離れて部室の建物の方へ歩き出した。
やっぱり、隆哉に土曜日の事を言おうと思った。なんとかして、小高と2人で出掛けるのを止めてもらいたい。
夏樹はソワソワしながら部室へ向かった。
だが、部室のドアに手を掛けると、もう鍵が閉まっていた。
不審に思い、何度もガチャガチャとノブを回したが開く気配はない。どうやら、もう剣道部の生徒は全員帰ってしまったらしい。
それなら、隆哉は何処に居るのだろうか。
夏樹は、踵を返して今度は道場の方へ足を向けた。
すると、道場の扉が1つ、僅かに空いているのが見えた。
隆哉はまだ、中に居るのだろうか。夏樹は思わずその隙間から中を覗いた。
そして、夏樹はそこに、信じられないものを見た。
(え…?)
隆哉は確かに、まだ道場の中に居た。
だが、隆哉は1人ではなかったのだ。
一瞬、眩暈がした。
夏樹は、思わず道場の壁に片手を突いて自分を支えた。
その夏樹の目の前で、隆哉が小高の唇にキスしていた。