彼といる時間


-5-

バス停から野々宮さんの家に行く途中に児童公園があったのを覚えていた。
その入り口に自転車を着けると、ブランコの方で野々宮さんが慌しく手を振っていた。
「こっち、こっち…」
淡いピンクとオレンジのボーダー柄のセーターを着た白いパピヨンを抱いて、散歩用のバッグを持った野々宮さんは、近付いた僕の腕を掴むとレンガ色の建物の方へ引っ張って行った。
「ほら、アレが諒子先生のマンションだよ」
「先輩は…?」
「まだ、入ったっきり出てこない。もうすぐ、30分以上になるけど…」
携帯の時計を見て確認すると、野々宮さんはまたマンションの方へ目をやった。
「僕…、入り口で待ってみる。先輩の事…」
「私も一緒に居てあげるよ」
そう言ってくれた野々宮さんに僕は首を振った。
「ううん、1人で大丈夫だよ。ありがとう…」
「でも…」
心配そうに眉を寄せた彼女に、僕は笑って見せた。
「これは僕と先輩の問題だから…。大丈夫、心配しないで。先輩は、悪い人じゃ無いと思うし、今度はちゃんと話をしてくれると思うから…」
「分かった。でも、なんかあったら電話するんだよ?私、すぐに来られるように家で待機してるから」
「うん。ホントにありがとう、野々宮さん」
「いいんだよ。じゃあ、わたし、行くね?」
「うん…」
野々宮さんと公園の入り口で別れ、僕はそのまま諒子先生のマンションへ向かった。
入り口の脇の煉瓦風の壁に背中を預け、そのまま待っていると、10分ぐらい経って保科先輩が現れた。
「七綱……」
僕を見て、先輩は少なからず驚いたようだった。
でも、すぐに笑みを見せると僕の腕を取った。
「行こう」
「何処へ?」
「そこの公園。俺に訊きたい事があって待ってたんだろ?」
先輩は僕の意図を分かっているらしく、そう言うと僕を連れてさっきの公園へ入った。
途中、自動販売機で温かいコーヒーを2つ買うと、僕に1つを渡し、並んでベンチに腰を下ろした。
すぐにプルトップを起こし、先輩はコーヒーに口を付けた。 僕はその横顔を見ていたが、やはりコーヒーの缶を開けた。
「美味し…」
昨夜から殆ど何も口にしていなかった僕は、温かいコーヒーを口にして思わず呟いた。
「缶にしちゃあ、まあまあだな…」
先輩も前を向いたままで呟くように言った。
僕はまた、彼の横顔を見た。
言い出す切欠が中々掴めない。
すると、先輩が首を曲げて僕の方を見た。
「何で俺が、諒子先生のマンションへ来たのか知りたいんだろ?」
「はい」
僕が素直に頷くと、先輩も軽く頷いて見せた。
「諒子先生と俺はさ、…姉弟なんだよ」
「え………?」
僕が驚いて目を丸くすると、先輩は肩を竦めてまた前を向いた。
「もっとも、母親は違うけどな…。所謂俺は、愛人の息子って訳。だから、姓も違う」
先輩は手に持ったコーヒーの缶を口に運ぶと、また一口飲んだ。
「…そうだったんですか…」
自分と諒子先生が付き合うなんて有り得ないと先輩が言った訳がそれで僕にも分かった。
姉弟と言っても複雑な関係だからだろう、その間柄は皆には秘密にされていたのだ。だから、却って変な噂になったのかも知れない。
コーヒーの缶を両手で転がすようにしながら、先輩は意味ありげな目付きで僕の方を見た。
「もう1つ告白するけど……」
そこまで言うと、先輩は少し笑った。
「俺さ、女…、駄目なの」
「え……っ?」
僕はさっきよりも驚いて、先輩の顔をまじまじと見た。
すると、その表情がおかしかったのか、先輩はプッと吹き出した。
「う、嘘なんですか…?」
冗談を言われたのかと思い僕がそう訊くと先輩は笑いを引っ込めた。
「嘘じゃ無いよ。本当に、女は駄目なんだ、俺」
「先輩が……?」
信じられなかった。あれほど女の子に人気があって、追っかけまで居るような人なのに。
「小さい頃からさ、お袋と本妻のごたごたばっかり見て育った所為かなぁ、女に夢がなくなったって言うか……。兎に角、興味が持てなかった。まあ、そんな事はどうでもいいんだけど…」
言いながら先輩はベンチに背中を預けると、空いた方の手をその背に掛けた。
「諒子先生、葦原の事はマジだったらしくて、俺のことなんか無視し続けてたくせに、急に助けてくれって言ってきた」
先輩は姉さんと言わず、諒子先生と呼んだ。
その事で、僕は2人の間に見えない距離を感じた。
「小さい頃から、憎まれこそすれ、頼られた事なんか無かったからさ、俺も嬉しかったんだろうな、きっと…。泣かれて、思わず“うん”と言ってしまった。……葦原の相手を調べて、別れさせてくれって言われて…」
そうだったのか。
先輩自身が葦原を怨んでいた訳ではなかったのだ。すべて、お姉さんである諒子先生の為にした事だったのだ。
先輩にすれば、初めて諒子先生に兄弟として認められたような気分だったのかも知れなかった。
「まさか、葦原の相手が男だなんて思わなかったから、最初は吃驚したよ。けど…、おまえだったら分からなくもないかなって…」
先輩の笑みを見て、僕は恥ずかしくなり頬に血を上らせた。
「俺は女装してない方が好みだけど、あれを見て惚れたヤツも結構いるんじゃないかな?」
「そ、そんなこと…。ある訳ないです」
僕の女装なんか所詮はイミテーションだ。そんなものに、惚れる人なんかいないだろう。
その時、僕はあの写真に疑問を持った。
先生が頼んだのなら、自分の不利になるような写真を撮らせるだろうか。
「じゃあ、あの先生と葦原の写真は……?」
そう訊くと、先輩は少しばつの悪そうな顔になった。
「実はさ、俺のお袋、親父に任されて小料理屋をやってんだけど、その店の権利を中々譲ってもらえなくてさ。だから…、ちょっと親父を困らせてやろうと思って……。諒子先生の相手はウチの生徒だってもっぱらの噂だったから、待ち伏せして写真を撮ったんだよ。……けど、まあ、結局は親父には見せなかったんだけどな」
「そうだったんですか……」
僕が納得して頷くと、先輩は少しの間、僕の顔をじっと見ていた。
「ごめんな……」
先輩の手が僕の髪に触れ、そっと撫でた。
「そんなに、目を腫らして……。昨夜も、ずっと泣いてたんだろ?」
僕は先輩から目を逸らすと、腫れ上がった目を隠すように俯いた。
「諒子先生には、もう諦めるように言ったよ。だから、もう心配しなくていい」
「え……?」
顔を上げると先輩は笑って頷いた。
「葦原のあんな顔を見たらさ、誰にだって分かる。諒子先生に勝ち目は無いよ。幾ら足掻いたって、もう無駄だって」
「先輩……、どうして…?」
先輩は今日、わざわざその事を言う為に諒子先生のマンションを訪ねたのだろうか。だとしたら、それは何故なのだろう。
そんなことをしたら、先輩とお母さんの立場は今よりも悪くなるかも知れないではないか。
すると、先輩は僕の疑問に答えてくれた。
だが、それは僕にとって意外な答えだった。
「もう、七綱が泣くのを見たくないしな…」
「え……?」
僕の方に向き直り、先輩はまた僕の目をじっと見た。
「最初は、ただ可愛いなと思ってただけだったけど、今は本当に俺、七綱が好きだよ。このまま、葦原と別れてくれたら嬉しいけどな……」
葦原と、また元のように戻れるかどうかは僕にも分からなかった。
でも、だからと言って僕が葦原を忘れて先輩と付き合えるはずも無い。
「ごめんなさい…、僕は……」
視線を外して俯いた僕の耳に、フッと、寂しげな溜息が聞こえ、僕はまた視線を戻した。
「まあ、答えは分かってて訊いたんだよ」
そう言うと先輩は僕の頬に少し触れた。
「そんなに、目を腫らして泣くほど好きな相手なんだもんな、葦原は……」
また視線を落として、手の中にあったコーヒーの缶を見つめ、僕は口を開いた。
「ずっと、1年の頃からずっと好きで……、でも、同じクラスになっても話も出来なかった。里久と僕は、あまりにも違い過ぎたから。……でも偶然に、裏庭にあった温室の中で出会って、初めて話をすることが出来て……」
そこで途切れてしまった僕の言葉を、先輩は黙ったままで待ってくれた。
まだ目を上げられず、僕は缶を見つめたままで話を続けた。
「だから、僕にとっては奇跡みたいな出来事だった。里久が僕を好きになってくれるなんて……」
でも、それがもう終わってしまうのかと思うと、僕の目にはまた涙が滲んできた。
「何よりも大切なんです。僕にとっては、里久といる時間が……。だって、……だって、いつ終わっちゃうか分からないんだから…」
「七綱……」
泣き出した僕の肩を、先輩の温かい手が包んだ。
「ごめんな…?ほんとに、ごめん……」
まるで昨日と同じように、僕は先輩の腕の中で泣いた。
その腕は優しくて温かかったけれど、それでも葦原の代わりにはなれない。
僕にとって、唯一欲しい葦原の腕には、もう触れることは出来ないのだろうか。
こうして全てが分かった後でも、僕にとっての1番の問題はちっとも解決してはいなかったのだ。



先輩は、僕の自転車の後ろに僕を乗せて、家まで送ってくれた。
その後、昨夜から食事も取らず、黙って出かけた僕に小言を浴びせる母が仕事に行くのを見送った。
今夜は、病欠の看護師の代わりに夜勤になってしまったのだ。
僕は、母が作っておいてくれた食事を、何とか少し胃の中へ入れた。
その後、ジンジャーJr.とペッパーに餌をやり、ベッドの上でぼんやりとしていたが、携帯電話の着メロでハッとして起き上がった。
メールは野々宮さんからだった。
心配してくれていたのだろう。僕はすぐに電話を掛けた。
先輩から聞いた事実を全て話し、僕は彼女に心配しないように言って電話を切った。
野々宮さんは葦原に全部話すようにと言ったが、例え心は違っても、事実、彼を裏切るような行為をしてしまった僕は、彼にどう切り出せばいいのか思いあぐねていたのだった。
電話を切った後、葦原に掛けようかどうしようか、迷い続けて手の中で携帯を弄んでいた。
すると、玄関のチャイムが聞こえた。
僕は携帯をベッドの上に置いて、階段を下りた。
「はい。どなたですか?」
僕の問いに答えたのは思い掛けない人だった。
「七綱、俺…」
その声を聞いた途端、グッと何かが込み上げた。
ドアの鍵を急いで開けようとしたが、震える手がいう事を利かなかった。
何とか気持ちを落ち着かせて、ドアを開けたが、それも葦原の顔を見るまでのことだった。
「り…く……」
感極まって、また泣きそうになる。
まさか、葦原の方から会いに来てくれるなんて思ってもみなかったのだ。
すぐに抱きつこうとして、僕は彼の表情に気付いて上げかけた手を下ろした。
何故、こんなに強張った顔つきをしているのだろうか。
「さっき、保科先輩がウチに来たんだ」
「え……?先輩が…?」
僕は驚いて目を見張った。
まさか、僕の為に葦原に諒子先生の事を告げに行ってくれたのだろうか。
だから葦原はこんな顔をしているのだろうか。
だが、そうでは無いと、僕には何と無く分かった。
葦原のこの表情には、他に何か理由があるように思えたのだ。
そして、葦原は険しい表情のまま頷くと話を続けた。
「ああ。全部先輩から聞いたよ。俺の所為で七綱に嫌な思いをさせてごめんな」
「う…、ううん…。そんなこと…」
首を振りながら、僕は葦原の顔から目を離せなかった。
確かに、僕に対して謝ってくれているのに、どうしてこんなに険しい顔をしているのだろう。
嫌な予感が、段々と胸の中に広がっていく。
不安が、徐々に僕の背筋を上ってくるのが分かった。
「けど、七綱…、おまえが俺を全然信用してないんだってこと、今度こそ、ホントに良く分かったよ」
それは、まるで吐き出すような口調だった。
(いや…ッ)
僕の体中の血管が、急にドクドクと脈打ち始めた。
「分かってくれたんだと思ってた…。誕生日の日、七綱もやっと俺の気持ちを信じてくれたんだって、そう思ってたのに…。そうじゃなかったんだな……」
急いで首を振ったが、葦原の目は変わらなかった。
「もう、疲れたよ、俺……」
僕は馬鹿みたいに、また首を振るしか出来なかった。
「七綱が俺のことを想ってくれてるのは、良く分かってる。だけど、何でおまえは分からないんだ?俺だって、同じくらい七綱のことを想ってるんだ。七綱のことだけ見てるんだってこと……、何で分からないんだよ……?」
辛そうに、本当に悲しそうに葦原は言った。
「例えそれが、どんな理由だろうと、七綱が他の誰かにキスされるなんて、俺が我慢出来ると思ったのか?………どうして…?どうして、俺に何も言ってくれないんだ?1人で抱え込もうとするんだよっ?」
葦原の身体が震えているのに、僕は気が付いた。
僕の所為で、こんなにも彼を苦しめているのだ。悲しませているのだ。
それが辛くて、こんな自分が嫌で堪らなかった。
どうして、出来ないのだろう。
いつも、いつも、葦原のことばかり考えているのに、どうして彼を幸せに出来ないのだろう。
どうして僕は、こんなにも愚図なんだろうか。
「七綱のは、結局、ただの自己満足だ。自分さえ想っていれば、俺がどう思おうとそんな事はどうでもいい。……そんなの、恋とは言えないよ」
悲しそうにそう言うと、葦原は玄関から出て行った。
(これで……、終わりなの……?)
僕は呆然と佇み、閉まったドアを見つめた。
僕はとうとう葦原に棄てられたのだろうか。
「や……」
ポツリと、突然僕の唇から言葉が漏れた。
「いや…、嫌だ……。いやっ、嫌だよっ……」
そう叫んだのが引き金になり、突然何かに駆られたように腑抜け状態だった僕の身体が動き出した。
夢中でドアを開け外に飛び出すと、薄闇の中に葦原の姿を探した。
そして、駅へ続く道のずっと遠くに、その後ろ姿を見つけた。
後はもう、何も分からなかった。
気がついた時には、僕の手は葦原の上着を掴んでいた。
「七綱……」
「や……、里久…、ねが…」
夢中で走って来た為と、泣きじゃくっていた為に、僕はまともに話すことが出来なかった。
ただ、必死で葦原にしがみ付き、馬鹿みたいに何度も首を振った。
「や……、ゆる……、ゆる…して…。ねが…・・い…っ」
「七綱……、靴…」
言われて足元を見ると、僕は裸足だった。
玄関に居た時に履いていたはずのサンダルは、走っている最中に何処かへ置いて来てしまったらしい。
だが、そんなことはどうでも良かった。
「里…、里久…、り……」
もう何も言えなかった。
ただ、この手を絶対に離すまいと思った。
失うことなど耐えられはしない。
葦原の心を繋ぎ止めておく為なら、僕はどんなことでも出来る。
「七綱…」
葦原の腕が僕の身体に回され、ギュッと強く抱きしめた。
「里久……っ」
まるで、溺れかけているように僕は葦原にしがみ付いた。
「どうでもいいなんて思ってないッ…。好きだって言って欲しいよ。ずっと、ずっと、好きでいて欲しい……っ。里久…」
「七綱……」
葦原は僕の項に顔を埋めるようにして囁いた。
そして、そのままじっと何かを感じ取ろうとしているかのように動かなかった。
僕は不安を抱えたまま彼にしがみ付き、それでも葦原の言葉をじっと待った。
「分かった…」
僕の項から顔を上げて、葦原は言った。
「里久……?」
僕が不安げに見上げると、葦原は笑みを見せた。
その表情に、僕の不安がやっと少し薄らいだ。
「ほら、帰ろう。負ぶって行ってやるから」
「い…、いいよ。自分で歩ける」
僕は首を振ったが、葦原は構わず僕に背中を差し出した。
「ほら、足が傷だらけだ。そのままでなんか帰れないだろ?」
「うん……」
僕は素直に頷いて、葦原の背中に掴まった。
この前、保科先輩も同じように負ぶってくれたが、やはり僕にとっては葦原の背中ほど安心出来る場所ではなかったのだと思った。
こうして、その温かさを感じているだけで、こんなにも幸せになれる。
そんな幸福を僕に与えてくれられるのは、唯一、葦原しか居ないのだと改めて感じていた。
家に帰ると、葦原はバスルームで僕の足を洗い、石で切ったらしい傷に絆創膏を貼ってくれた。 僕はずっと黙ったまま、葦原の顔ばかり見ていた。
まだ、許してはくれないのだろうか。
手当てが終わったら、帰ってしまうのだろうか。
また、改めて「さよなら」を言われてしまうのだろうか。
でも、葦原は足の手当てを終えると、僕を促して2階の僕の部屋へ入った。
「七綱……」
葦原が何を言い出すのかが怖くて、僕は彼の袖をギュッと握った。
「俺を信じてくれるか…?」
目が急に熱くなる。 頷くと同時に、僕の瞳からは涙が零れて散っていった。
「俺の気持ちを、もう疑ったりしないか?」
僕はまた頷く。
「もう、1人で全部抱え込むな。俺のことを思ってくれるのは嬉しいけど、七綱1人を苦しめることを、俺は望んでなんかいない。それは、却って辛い事なんだぞ?」
「うん……、う…。ごめん…、ごめんなさい……」
溢れて止まらない涙を僕の頬から拭い、葦原は僕の唇に唇を押し付けた。
そのまま、キスは深まり、葦原に押し倒されるようにして僕はベッドに横たわった。
何度も角度を変え、葦原は僕の唇や舌を丁寧に愛撫してくれた。
やっと取り戻した喜びを僕は全身で感じ取った。
「もう許さないからな…?」
唇を離して葦原は言った。
「これが最後だぞ?もう、他の男になんか触らせたら絶対に許さない…」
「うん……」
葦原は返事をした僕の顎を掴むと、首を曲げさせて先輩がつけたキスマークを確かめた。
「まだ、残ってる……」
忌々しげにそう言うと、葦原はその部分に唇を押し付けて強く吸った。
「んっ……。あっ…、痛…ッ」
歯を立てられて僕は思わず声を上げた。
すると、噛んだ部分を、今度は愛しげに何度もキスで癒してくれた。
「これだけだよな?…これ以上のこと、されてないよな?」
「うん…」
答えると、葦原の表情がふっと緩んだ。
でも、すぐにまた、少し硬い表情を浮かべた。
「この前は、酷い事してごめん…。これを見たら、頭に血が上って……」
「ううん、いいんだ。僕が悪かったんだもん…」
「まだ、痛むんじゃないのか…?」
心配そうに見る葦原に、僕は首を振った。
「ううん、もう平気だよ。平気だから……」
その先は言えず、僕は目を伏せた。
でも、想いを伝えたくて両手でギュッと葦原のシャツを掴んだ。
「七綱……」
僕の気持ちは葦原に伝わり、彼はまた僕に熱いキスをくれた。
本当に、こうして傍にいられるだけで、ほんの少し触れていられるだけで、僕は怖いほど幸せになれる。
その同じ感情を、僕が葦原に与える事が出来るのだとしたら、それは、なんて素晴らしい事なんだろうか。
それが本当なら、僕はもう何も、余計な心配なんかする事は無いのだ。
ただ黙って、葦原の傍にいればいい。
余計な事ばかり考えて、変に焦って、僕は今までこんな簡単なことに気付かずにいたのだ。
「んッ…、里久……」
愛撫に喘いで、僕は葦原の身体を強く引き寄せた。
「気持ちいい…?もう、凄いな、七綱…」
「ん…」
頷いて、僕は葦原の目を見上げた。
「もう、欲しい……」
僕がそう言うと、葦原は少し驚いて目を見張った。
僕が、自分から積極的に求めたのは初めてだったからだ。
でも、葦原はすぐに優しく笑うと首を振った。
「まだ無理だよ。今日は、この前の分まで優しくする…」
言葉が終わらない内に、また熱い唇が降りてきた。
そうして、溢れかえるほどの喜びを、僕は全身で感じ取りながら、葦原もまた、僕と同じように感じてくれているのだと思った。
こうして一緒にいることが、僕にとっては何よりの幸せ。
そして、僕もきっと、葦原を幸せにしているのだ。
痛い経験をして、でもやっと、そう思うことが出来るようになった。
そうして、僕の幼い恋も、やっと少しだけ成長出来たような気がしたのだ。