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店に入ると、連絡しておいたので黒田の叔父が出迎えてくれた。
重光は緊張しているらしく、少々強張った顔で
「どうも」
と低く言って頭を下げただけだった。
「好きなケーキ、幾つでもどうぞ」
笑顔の叔父にケーキの並んだショーケースを示され、重光の目が見開かれた。
本当に甘いものが好きらしく、目を輝かせている重光の様子を見て微笑ましく思ったのだろう。黒田はまた笑みを浮かべた。
「これと、これ。いいですか?」
大分迷っていた様子だったがやっと決めたらしく、重光は2つのケーキを指さして叔父に伝えた。
「はい、いいですよ。雪はいつものか?」
訊かれて、黒田は頷いた。
「うん。それとアイスコーヒー。知己は?飲み物は何にする?」
「え?あ、うん。同じでいい」
遠慮がちにそう言った重光に頷き、黒田は彼を促して奥の席に座った。
「なあ、ほんとにいいのか?ケーキ1個が600円以上もするぞ」
黒田の方に乗り出すと、重光は周りを気にして小声になって言った。
それを聞いて、黒田は笑いながら頷いた。
「大丈夫だよ。気にしないで食べて」
「う、うん。悪いな」
言いながら立ててあったメニューを手に取り、重光は開いて中を見た。そして、飲み物の値段にも驚いたらしく、慌ててそれを閉じると元に戻した。
この店が高級だと改めて分かって急に緊張したのか、重光はきょろきょろと周りを見回し始めた。
そして、自分たちの他には男同士の客など皆無だと知り、居心地悪そうにもぞもぞと身体を動かした。
そんな様子を具に見て、黒田は可笑しくて堪らなかった。
そして、益々彼を可愛いと感じていた。
ケーキと飲み物が運ばれて来て、重光の顔がパッと明るくなった。
大きな白い皿に、2つのケーキが載せてあり、ソースやクリーム、花びらなどで美しくデコレーションされている。女の子だったら歓声を上げる所だろうが、さすがに重光はケーキそのものに惹かれただけのようだった。
「すげえ…」
「どうぞ。食べなよ」
「うん」
頷いて、すぐにフォークを手に取った重光だったが、黒田の皿の上を見て手を止めた。
「何それ?」
クリームがほんの少し乗っただけのシンプルなケーキを見て、重光は訊いた。
「サバランだよ。洋酒を染み込ませたケーキ。これが好きなんだ」
「へえ?ちょっと食っていい?」
「どうぞ」
黒田が皿を押して勧めると、重光はフォークでケーキを少し削って口へ運んだ。
「うわ、酒だっ」
その表情に黒田は笑い、自分もフォークをケーキに刺した。
「俺、やっぱこっちがいい」
そう言って、重光はたっぷりクリームの乗った自分のケーキに、満足そうにフォークを入れた。
ブラックでアイスコーヒーを飲む黒田とは対照的に、重光はガムシロップとクリームをたっぷりと入れて掻き混ぜた。
どうやら、遠慮して同じものを頼んだが、本当は苦いコーヒーは好きではないらしい。それに気づくと、黒田はまた彼に微笑ましさを感じた。
「旨い…。こんな旨いケーキ、初めて食った…」
「そう?良かった」
感動したらしい重光に頷いて見せると、黒田は表の方を指さした。
「良かったら、帰りに好きなのを貰っていきなよ。家の人にも食べてもらったら?」
黒田の言葉に、重光は慌てて首を振った。
「い、いいよっ。そんなの悪い。それに…」
そこまで言うと、また例の不機嫌そうな表情になり重光は唇を尖らせた。
「ウチの奴らになんか、食わせたくねえし」
どうやら、家族とは余り折り合いが良くないらしく、重光はそう言った。
「そう?じゃあまた、一緒に食べに来ようよ。ね?」
下心があった訳では無く、重光の嬉しそうな顔がまた見たいと思って黒田は言った。
「うん…」
躊躇いがちにだったが、重光は頷いた。
美味しいケーキがまた食べたいからという理由だけでも良かった。重光が頷いてくれたことが黒田は嬉しかった。
「この後、どうする?何処か行きたいところある?」
重光がケーキを綺麗に平らげたのを見て、黒田は訊いた。
「別に…」
つまらなそうな調子でそう言い、残ったアイスコーヒーのストローに口を付けた重光に、黒田は思い切って言ってみた。
「じゃあ、家に来ない?」
「え?」
心から驚いた様子で重光は目をまん丸く見開いた。
「嫌?だったら、無理には誘わないけど」
黒田の言葉に、重光は目を見開いたままで激しく首を振った。
「い、嫌じゃねえけど…。俺なんか、行ってもいいのかよ?」
その言葉に黒田はクスッと笑った。
「何でそんなこと言うの?駄目だったら最初から誘わないし、来て欲しいから言ったんだけど」
黒田が言うと、重光は恥ずかしかったのか、頬を染めて顔を背けた。
「おまえ、やっぱ変わってんな」
今まで、友達に家に誘われたことが無いのだろうか。
黒田は重光の反応からそう思った。
憎まれ口を利いて見せたが、本当は照れ臭いのかも知れない。
「じゃあ、行こう?別に何も面白い物も無いけど、一応、ゲーム位はあるから」
「おまえ、ゲームなんかすんの?優等生だから本ばっか読んでんのかと思った」
顔を上げた重光は少し意外そうな表情でそう言った。
「まさか。俺だって、遊ぶことくらいあるよ」
「ふぅん」
頷いた重光を促し、黒田は店を出た。
(どうしちゃったんだろうな、俺…)
重光が自分に心を許し始めているのを感じ、嬉しくて心を弾ませている自分が黒田は不思議でならなかった。
家には誰も居ないのは分かっていた。
父も母も、大抵土日は友達と遊びに行ってしまう。
多分、父は釣りで母はゴルフだろう。何時もの事なので、もう黒田も一々確認しなかった。
黒田がしっかりしているのをいいことに、高校に入ってからは週末の殆どが留守だった。
だが、夫婦仲が悪い訳ではなく、時には二人で旅行に行くこともある。普段、仕事が忙しい所為もあって、週末は自由に遊びたいのだろう。
「誰も居ねえの?」
玄関に入った重光にそう訊かれ、黒田は説明した。
「ふぅん。なんかブルジョアだよな、おまえんち」
その言葉に黒田は笑った。
「何処が?両親共働きの普通の家だよ」
「両親揃ってるってだけでいいよ。家だってでっかいし」
「普通だよ。でっかくないって」
そう答えたが、黒田は重光の言葉が気になっていた。
もしかすると、彼は片親なのかも知れない。
だが、黒田は敢えて重光に親のことを訊かなかった。
多分、まだそれを訊いていいほど自分たちは親しくなっていない筈だ。重光のことを色々と知りたかったが、焦って警戒されるのは嫌だったのだ。
「2階だよ」
階段の上を指して言い、黒田は先に立って上り始めた。
重光は珍しそうに周りをきょろきょろ見回しながら付いて来る。上がり切ると立ち止まって、ぐるっと180度見回した。
「こっちだよ」
黒田がそう言って自分の部屋を示すと、重光は軽く頷いて付いて来た。
「うわ、すげ…」
部屋の中に入り、驚いた様子でそう言うと、重光はすぐに黒田のベッドに腰を下ろした。
「広いなぁ。テレビもある」
8畳間の洋室で、そこにセミダブルのベッドも勉強机もスチールの棚もあるのだから、そう広い訳ではない。だが、感心するように言って重光は目を輝かせた。
「俺んちなんか6畳2間のアパートだぜ。自分の部屋なんて夢のまた夢だよ」
「そう。でも、あの双子の家の方が凄いだろ。ウチなんて共働きの普通のサラリーマン家庭だし、吃驚するような生活はしてないよ。双子の家は議員さんなんだろ?立派なお屋敷に住んでるって聞いたよ」
黒田が言うと、重光は不機嫌そうな顔になって肩を竦めた。
「まあな、でっかい家だけど。でも俺、陸たちの家に行ったことねえから、良く知らねえし…」
「え?そうなの?」
あんなに毎日一緒に居て、家に行ったことが無いなんてあるのだろうか。黒田は驚いて聞き返した。
すると、重光は不機嫌な表情のままで頷いた。
「陸たちの家は母親が厳しいんだ。俺みたいな貧乏人、出入りさせてくれねえよ。俺、友達いねえし、誰かの家に入れてもらうのって、これが初めてなんだ」
そう言って恥ずかしそうに顔を赤らめる重光を見て、黒田は胸がざわつくのを感じた。
同情した訳ではない。
精一杯突っ張って、虚勢を張って生きているように見える重光が、こんな短い付き合いの自分に素顔を垣間見せたことに感動を覚えていたのだ。
(そんなに俺を信用していいの?知己君…)
不良を演じている癖に、なんて無垢なんだろう。
そう思って、黒田は感心してしまった。
「ジュースかなんか飲む?甘いのが好きだから、コーヒーよりいいだろ?コーラとかあったと思うし」
「ああ、うん。コーラがいい」
「分かった。ちょっと待ってて。あ、ゲームはそこにあるから好きなの入れていいよ」
「うん」
頷くと、重光はベッドから降りてゲームの入っているケースを引っ張り出した。
重光を残して部屋を出ると、黒田は階下に降りてキッチンへ行った。
探すと、スナック菓子の袋とチョコレートが見つかったので、それをコーラのペットボトルと一緒にトレイに載せた。
家に行ったことが無いのなら、双子とは学校以外では付き合いが無いのだろうか。それとも、家ではない他の場所で、前に見たような行為をしているのだろうか。
部屋に戻ると、重光は須賀ジャンを脱いでゲームをしていた。
まだタンクトップ1枚になるには涼しかったが、重光は平気なようだった。
「寒くない?」
そう言って黒田は折り畳みテーブルの上にトレイを載せた。
「あー、うん。平気」
「これ、ヴィンテージ?」
ベッドの上に無造作に投げ出されていた須賀ジャンを指して黒田が訊くと、重光はチラッと目を上げて彼を見たが、首を傾げて、またゲーム画面の方に目を向けた。
「さあ、知らねえ。貰いもんだし」
「ふぅん。でも、結構高そうだな。多分、ヴィンテージ 物だと思うけど」
生地は古そうだが、刺繍が丁寧で緻密だし縫製もしっかりしているようだった。
「かもな。お袋が服屋に勤めてる男と付き合ってた時、そいつに貰ったから。もしかすると、いいもんなのかもな」
「そう…」
話の様子から、やはり重光には父親が居ないらしいと分かった。
母親と2人で6畳2間のアパートに住んでいるのだろう。そしてその母親も、余り上品な女ではなさそうだった。
ふと見ると、黄色味がかって薄くなってはいるが、重光の肩から背中に掛けて打撲の痕らしい痣があった。
手を伸ばすと、黒田はその部分を指で少し押した。
「てッ。なに?」
驚いて振り向いた重光に、黒田は申し訳なさそうな顔で笑みを見せた。
「ごめん。痣になってるから、どうしたのかと思って。…これ、双子に?」
すると、その部分を手で押さえて重光は黒田を睨みながら首を振った。
「ちげえよッ。陸と海は俺に暴力振るったりしねえし。これは、お袋の男に、ちょっとな…」
どうやら重光は、母親の彼氏に邪険に扱われているらしい。
「今のが、今までで1番ひでぇんだ。どうせ長く続いたことなんかねんだから、早く別れりゃいいのによ」
吐き捨てる様にそう言うと、重光はまたコントローラーを持って、テレビの画面の方に目を向けた。
「その服くれた男は、結構俺にも優しかったんだ。男も好きだとかで、たまに俺に変なことしようとしたけど、飯も食わせてくれたり、服もくれたりさ。でも、今の奴は駄目だ。お袋が居ねえと、必ず俺を殴ろうとするしよ」
「そういうこと、お母さんに言わないの?」
黒田が眉を寄せると、重光は画面を見たままで肩を竦めた。
「言ったって無駄だからさ。お袋は俺よりも男の方が大事だし…。それに、俺ももう慣れてるから…」
諦めたような口調で重光は言った。
「高校行かせてくれただけでも、めっけモンだしさ。ほんとは中卒で働くつもりだったけど、働いたとしても住み込み以外じゃ、一人暮らしは出来ねえしよ。ちゃんと高校を卒業すりゃ、自分の稼ぎで部屋借りて生活出来るし。それまでの我慢だよ」
「でも、暴力もだけど、変なことされそうになったって」
心配そうに黒田が言うと、重光はまた肩を竦めた。
「まあ、ちょっとヤバいと思ったこともあったけど、結局は身体触られたりとか、そんぐらいだったし、別に…。犯らせたら金くれるって言われたけど、嫌だって言ったら無理にはしなかったし」
だが、無理にしようとする男だって居るだろう。
今は無事でも、何時どうなるか分からない危うい生活をしていると黒田は思った。
だからこそ、重光は双子と居るのだろうか。
いざとなったら自分を守ってくれるかも知れないと思って、双子の力を当てにしているのだろうか。
「双子は、助けてくれるの?知己の事」
黒田が訊くと、重光は振り返って彼を睨んだ。
「あのな…、俺、そういうことが目当てて陸たちと居るんじゃねえから」
黒田が黙って見つめていると、重光はまた画面に視線を戻した。
「そりゃ、陸たちは強いけどさ、俺、みんなが思ってるようにあいつらに守ってもらいたいとか、あいつらの力を当てにしてるとか、そんなんで一緒に居る訳じゃねえ。それに、陸たちは別に、俺を助けてくれたりしねえし…」
では、何が良くて重光はあの双子と一緒に居るのだろう。
黒田は益々、その理由が知りたくなった。
「ただ……」
ぽつりと言って、重光は口を噤んだ。
「ただ…、何?」
黒田が促すと、重光は持っていたコントローラーを絨毯の上に置いた。
「陸たちだけなんだ、俺の事馬鹿にしなかったの」
黒田が黙って先を待っていると、重光はコーラを一口飲んで、また口を開いた。
「お袋は、立派な親とは言えなかったし、同級生の親たちが悪い噂してたのも知ってた。でも、言われても仕方ないような女だから、それはいいんだ。けど、お袋の事や片親だって事で小さい頃は馬鹿にされたり苛められたりしたんだ。俺…、体も小さいしさ、やり易かったんだと思う。でも、陸たちだけは馬鹿にしなかった。守ってくれた訳じゃないけど、でも、それだけでも俺には嬉しかった…」
「そう…」
黒田が言うと、重光は少々口を尖らせるようにして、ちらりと彼を見た。
「お袋が男連れ込んでると家に帰れねえからさ。そんな時も、陸たちは俺に付き合って公園とかで一緒に居てくれたりした。陸たちも家には馴染めなかったから、俺の気持ちも分かってくれんのかなって、俺は勝手に思ってたけど…」
家に馴染めないとは、どういう意味だろうか。母親が厳しいと言っていたが、小さい頃からやんちゃが過ぎて、母親に叱られることも多かったのだろうか。
黒田が訊くと、重光は眉を顰めて首を振った。
「海と陸は今の母親の子じゃないんだ。父親が外で作った子なんだって。…けど、今の母親には子供が出来なかったから、小さい頃に引き取られて来たんだ。だから、継母って言うの?それなんだってさ」
「そうか、あの二人も結構難しい家庭に育ってるんだなぁ」
まさか、あの双子にそんな複雑な背景があるとは思ってもみなかった。
金持ちの家庭で、やりたい放題の育ち方をしたのだとばかり思っていたのだ。
「気に入らないと、継母に竹製の長い物指でビシビシ叩かれるんだって陸が言ってた。でも、海が何時も庇ってくれるから、自分はあんまり叩かれないって…。海は乱暴だけど、弟の陸にだけは優しいんだ…」
そう言った重光は、何だか切なそうな表情をしていた。
その顔を見た時、黒田には何故彼が双子と居るのか分かったような気がした。
(そうか…。あの双子のどちらかを…)
重光は海か陸のどちらかに恋をしているのだ。
それに気づくと、黒田の胸が何故かチリチリと痛んだ。
(どっちだろう?どっちが好きなんだろう?)
そう思ったが、すぐにそんなのはどちらでもいいと思った。
(俺じゃ駄目なのかな…?)
じりじりと胸の辺りが焦げるようだった。
黒田は生まれて初めて、嫉妬するということを知ったのだ。
何だか急に、自分が焦り始めたのが分かる。
重光を手に入れたくて、ぐるぐると訳の分からない想いが頭の中を巡って行くのを感じた。