1℃
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初めて出来た友達のようなもの。
重光が自分の事をそれくらいにしか思っていないのは、黒田には良く分かっていた。
だが、それでも良かった。
キスをしても本気で抵抗しなかったし、抱きしめても怒らなかった。それは、嫌われてはいないということだろう。
だから、可能性はある。
もしかすると、曖昧な気持ちではなく、自分の事を好きだと感じてくれる時が来るかも知れない。
自分がこれ程、誰かに夢中になれるなんて、黒田は思ってもいなかった。
だが今は、何とかして重光の心を手に入れたいと思っていた。そして、その為には何でもするつもりだったのだ。
学校では話し掛けるな、と重光が言ったのは、多分双子の目を気にしての事だろう。他の誰かと一緒に居る所を、重光は双子に見られたくないのだ。
重光は、双子を“友達”とは言わなかった。
黒田を“初めての友達”として扱ったが、だとしたら双子はきっと重光にとって友達以上なのだろう。
その位置を、黒田は心から欲しいと思った。
重光にとっての双子以上の存在に、黒田はなりたいと思った。
話し掛けることはしなかったが、黒田は重光に見つからないようにして彼と双子を観察した。
朝は遅刻ギリギリの時間に3人一緒に登校して来る。だが、双子と重光が言葉を交わしていることは余り無かった。
昼休みは、相変わらず重光は独りだった。
裏庭の樹の下に独りで座り、独りで菓子パンを齧っている。黒田は周りに人目が無い事を確認して、何度か隣に座った。
重光は嫌がらなかったし、黒田が来ると少しホッとしたような表情を浮かべた。
余り口は利かなかったが、それでも休み時間が終わるまで、重光は黒田の隣に座っていた。
そして、放課後になると、重光は3年の教室まで双子を迎えに行き一緒に帰った。
毎日ではなかったが、3人があの空部室へ向かう所も何度か見た。
前と同じように窓からそっと覗くと、重光は双子の性器を手淫させられ、また兄の方に強引に口を犯されていた。
その行為を、重光は嫌だと思っているようだったが、それでも決して彼は双子に逆らおうとはしなかった。
そして、見ている内に黒田は気付いた。
どうやら重光が好きなのは、陸という弟の方らしい。
求められれば、兄の海の方にも同じようにキスをしていたが、その表情は明らかに違っていた。
陸にキスされたり触られたりすると、重光は切なげな表情になる。そして、海に触られるよりも明らかに感じているのが分かった。
覗くのを止め、黒田はその場にずるずると腰を下ろした。
重光の陸を見つめる視線の熱さに気付き、自分が嫉妬しているのが分かった。
あんな目で、自分も重光に見つめられたい。
そして、その身体も心も独り占めにしたかった。
溜め息をついて目を瞑ると、黒田は焼けるような胸の痛みにその身を任せた。
嘗て、1度も感じたことの無いこの想いが辛い。
恋がこんなに辛いものなら、知らなくても良かったと思う。
だが、そう思う傍から、人を好きになることの熱さが心地いいと思えた。
冷めていた体温までもが上がった気がする。そして、何よりも生きていることを感じられる気がした。
家に帰ると、黒田は重光にメールを送った。
今度の日曜日にまた会いたいとの内容だったが、暫くして送られてきた返信には素っ気ないが“OK”の文字があった。
それを見て、待ち合わせ場所と時間をメールすると、同じように“OK”の返信が来た。
今度はどこへ行こうかと考えた。
ゲームをしている時、重光は本当に楽しそうだったが、またケーキ屋へ行って家に来るだけではなく、もっと友達同士でするようなことを重光に経験させてやりたい気がした。
初めての友達として、重光が今までにしたくても出来なかったことをさせてやりたかった。
だが、余り金の掛かることだと重光は遠慮するかも知れない。
いや、遠慮するよりも気分を害するかも知れないと黒田は思った。
それに、重光は学校で一緒に居るところを見られたくないようだった。だとすれば、外を一緒に歩いているのも見られたくないのかも知れない。
それなら、何処へも行かず、今度はケーキをテイクアウトして、家に呼んだ方がいいのだろうか。
考えながら、黒田は可笑しくなった。
女の子とのデートでもこんなに考えたことは無かった。
大抵は自分が考えなくても、向こうが何処へ行きたいとか何を食べようとか勝手に考えてくれたし、何処へ行こうが何をしようが、熱くなれないと分かっていたからだ。
迷ったが、黒田はもう1度重光にメールを打った。
“何処か、行きたいところある?”
すると、またすぐに返事があった。
“別に”
その素っ気無さに黒田が苦笑すると、追いかけるように、また着信があった。
“おまえの家がいい”
また素っ気無い言葉だったが、黒田は照れて赤くなった頬を隠すように、そっぽを向く重光の顔を思い出した。
「可愛いなぁ…」
笑みを浮かべて呟くと、黒田はごろりとベッドに仰向けになった。
こんな些細なことでさえ、胸がきゅんとする。早く会って、早く二人きりになりたかった。
抱きしめて、キスして、本当はもっとそれ以上したいと思った。重光の全てを手に入れたいと、また願っていた。
だが、一方で、傷つけたくないと思う。
そして、誰にも、もう2度と傷つけさせたくない。
(守りたい…。俺が、守ってやりたい…)
そう思と、また胸が熱くなった。
他人を、こんなにも大切に感じられるなんて思わなかった。こんな感情が自分の中に眠っていたなんて信じられなかった。
自分の胸がこんなに昂ぶる日が来るなんて本当に驚きだったのだ。
「俺も、人間だったんだなぁ…」
呟いて苦笑すると、黒田は目を瞑った。
すると、この前部屋に来て自分に組み敷かれた時の重光の姿が浮かんできた。
白い肌が、怒りと恥ずかしさで紅潮していた。
その色が、酷く艶めかしかった。
“やめろ”と言いながら、逃げない身体。
腕に残る感触は、決して女の子のように柔らかくはなかったが、それでも黒田は、細いその胸も腰も、また強く抱きしめたいと思わずにはいられなかった。
「知己……」
名前を呼び、黒田は片手をスエットパンツの中に滑らせた。
勃起しかけて少し硬くなった性器を掴み出すと、ゆっくりと扱き始める。
頭の中では、まだ見たことのない重光の裸の身体を思い浮かべた。
今日は先に叔父の店へ寄って、この前重光が食べたのとは違うケーキを、何個か箱に入れてもらった。
再度のメールで重光は直接家に来ることになったので、黒田はそのまま帰宅しようとした。
家の門が見えるところまで来ると、その前にうずくまる人影を見つけ、黒田は眉を寄せた。
良く見ると、それは重光だった。
「知己…ッ」
約束の時間より随分早い。そして、なんだか様子がおかしいと感じ、黒田が慌てて駆け寄ると、重光は億劫そうに立ち上がった。
「知己、どうしたんだ?」
酷く疲れた様子の重光を見て、黒田は眉を顰めた。
「別に、どうも…。ちょっと、疲れてるだけだ」
「でも、顔色悪いよ。大丈夫か?」
「なんでもねえって」
煩そうにそう言い、重光は掴まれた手を乱暴に払った。
この前と同じ服装だったが、髪が汚れているように見え、頬にも泥の跡がある。
黒田は重光の背中に手を当てた。
「兎に角、入りなよ。ほら…」
促されて、重光は黒田と一緒に家に入った。
靴を脱いで上がったが、少しふらついているような重光に、黒田はまた眉を寄せた。
「知己、なんかあったんだろ?おかしいよ。ちゃんと言えって」
今度は少し強い口調でそう言い、黒田は重光の肩を掴んで揺すった。
すると、うつ向いたままだったが、重光は渋々口を開いた。
「うるせえな…。別に大したことじゃねえよ。…昨夜はまたお袋が男と帰って来て、邪魔だってんで俺は追い出されたんだ。行くとこもねえしさ、近くの公園で寝たってだけ…」
「なっ…」
黒田が驚いて顔を覗き込むと、重光は益々顔を背けた。
「じゃあ、昨夜から何も食べてないのか?」
「いや…。昨日はマックでハンバーガー買って食べたから……。ただの寝不足なんだって」
そう言った重光の手を掴むと、黒田はバスルームへ引っ張って行った。
「兎に角、シャワー浴びて。さっぱりしたら何か食べて、少し休みなよ」
「いっ、いいよッ。そんな…」
「いいから、入って。その間に、俺が何か作るから」
躊躇う重光にバスタオルを出してやり、シャワーの使い方を教えると、黒田は取り敢えず自分の部屋へ行き、重光のために着替えを持って来た。
重光はああ言ったが、まだ外で一晩過ごすには寒かった筈だった。公園のベンチでは、きっと殆ど眠れなかっただろう。
温まって、空腹を満たせば眠れる筈だ。
そう思って、黒田はキッチンへ入ると、母が朝作ったスープの残りを温め、卵とベーコンを焼いた。
食事の用意が出来ると、程なく重光がバスルームから出て来た。
「俺の服は?」
不機嫌そうに言った重光は、明らかに大き過ぎる黒田のスェットを着て、タオルで拭いただけの髪はまだ濡れていた。
「洗濯機」
「勝手なことすんな」
また不機嫌に言われたが、黒田は気にしなかった。
「いいから、ほら、こっち来て」
手を取って引っ張ると、黒田はキッチンカウンターの前に重光を座らせた。
「こんなもんしかないけど、食べなよ」
並んだ料理を見て、重光は戸惑っているようだった。そして、隣に座った黒田を見た。
「……いいの?」
「勿論だよ。食べて」
「お前が作ったの?すげえ…」
スプーンを取りながら重光は言った。
「スープは母が朝作ったのの残り。俺は目玉焼いて、パン焼いただけ」
「でも、すげえ。あったかい飯なんて、ずっと食ったことなかったし…」
嬉しそうにそう言い、重光は料理を食べ始めた。
御馳走という訳でもないのに、こんなに喜ぶのかと思い、黒田は切なくなった。
それだけ、重光の置かれている環境は厳しいものなのだろう。
「ケーキも買ってあるんだ。後で食べよう?」
「うん…」
「食べたら少し眠るといいよ。俺のベッドでよければだけど…」
嫌がるかと思ったが、重光は素直に頷いた。
きっと、余程疲れているのだろう。
出された物をすべて平らげ、重光は黒田に付いて部屋へ行くと、促されてベッドへ入った。
まだ髪が濡れていて枕を湿らせたが、黒田は気にしなかった。
傍に座り、その濡れた髪を黒田は撫でた。
「ん…、やめろよ…」
満腹になりすぐに眠気が訪れたらしく、重光は眠そうな声で言うと、その手から逃れようと首を動かした。
だが、黒田は手を止めずに髪を撫で、屈んでその顔にキスをした。
「やだって…、雪…」
もう、首を振るのも億劫らしく、今度は言葉だけが帰って来た。
黒田はくすっと笑うと、今度は唇にキスをした。
「ん……、雪……」
そう言ったっきり、重光は眠ってしまった。
(ヤバい…。ほんと、ヤバいよ、知己…)
まだ、重光の濡れた髪を弄びながら、黒田は頬を腕に乗せてずっと彼の寝顔を見ていた。
自分に対する警戒心を、重光はすっかり解いてしまったようだった。
こんなにも無防備に、自分の前で眠る彼を見つめ、黒田は益々彼に対する想いが募るのを感じていた。
(可愛くって堪らない。こんなに酷い仕打ちをされてるなら、このまま、この部屋に隠してしまいたいくらいだ…)
そうすれば、双子の眼にも留まらなくなる。
自分だけのものになってくれるかも知れない。
そう思って、黒田は深い溜め息をついた。
そんな手段は有り得ないと知っているからだった。
もう1度溜め息をついて立ち上がろうとした時、重光が呻いた。
夢を見ているのか、何度も首を振り、誰かに向かって手を伸ばした。
「んー…、り…く…。陸…、俺のこと…見て…」
見ると、重光の睫毛に薄っすらと涙が乗っていた。
「知己…。そんなに好きなのか…?」
辛そうな声でそう言うと、黒田は部屋を出て行った。