涙の後で


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慶が言っていたが、食事の後、午前中は講堂に集まり、寮の規則や何かを説明する会があった。
寮は2棟に別れていて、其々、A寮とB寮という名前だった。
新入生が入るのは殆どA寮で、各部屋の小さなユニットバスの他に大浴場が各寮に1つずつあったが、食堂はA寮にしかなかった。だから、今朝のように、1年から3年まで、寮生は同じ食堂を使う。
寮には其々学生の寮長がいて、A寮の寮長は2年生、B寮は3年生の生徒だった。
食事のことや、入浴のこと、門限のことなど、1時間ほど色々と説明を受けて解散した。
その後、慶と一緒に部屋へ帰り、俺は箱に入ったままになっていた制服を出すとハンガーに掛けた。
昨夜の内に用意してあったのだろう、壁のフックが2つ並んでいる場所に、先に慶の制服が掛けてあった。俺は、その横に自分の制服を掛けると、ちょっとの間2つ並んだ制服を眺めた。
身体が大きいから当たり前だったが、慶の制服はやけに肩幅が広かった。
それを見ると、ちっぽけな自分の存在が益々小さく感じられた。
(小さいな……)
自分の制服を慶のと比べて、俺はそう思った。 平均から見ればそうチビでもなかったが、それでも大きいとは言えない。
そしてそれは、身体だけの事ではないように、その時の俺には感じられたのだ。
それは多分、正孝さんの事が頭から離れなかったからだろう。
正孝さんが母を選んだ事を、俺は頭の中から消す事が出来なかった。そしてそれが、酷い劣等感を与えていたのだ。
「写真部、見学に行くのか?」
訊かれて、俺はハッとすると慶の方を見た。
「う、うん。行ってみようと思って……。戸田は?一緒に行かないか?」
多分、断られるだろうと思いながらも、俺は一応訊いてみた。
すると、やはり思った通り慶は首を振った。
「いや。俺は、部活は入るつもり無いから」
「そうなの?何処にも?」
「ああ。出来れば、バイトしたいし」
その言葉に俺は眉を寄せた。
「バイトって…、何処で?」
街からこんなに離れた場所で、働ける所があるとは思えなかった。周りには、店の一軒さえ見当たらないのだ。
働く為には、1時間半置きに1本通るバスに30分以上も揺られて街へ出るしか無い。その時間を差し引いて、門限までに寮に帰る事を考えると、働ける時間は1時間に満たなかった。
すると、慶は肩を竦めて見せた。
「まあ、何とか見つけるさ」
そうまでして、何故、慶がアルバイトをしたいのか分からなかった。
この学校に入学した時点で、家が貧しいとは思えない。成績がどうなのかまだ分からなかったが、慶は学費を免除される特待生でもなかったし、だとすれば、私立であるこの学校の高い学費と入学金を払って入って来た筈だった。
それに加えて寮費も掛かるし、少なくとも、余裕の無い家ではこの学校に息子を入学させられない筈だった。
だとすれば、他の生徒と同様、小遣いに困るような家庭環境ではない筈だ。
それに、娯楽の無いこの環境では、そもそも、そう沢山の小遣いは必要なかった。
「金が要るの?」
躊躇ったが、俺は思い切って訊いてみた。
すると、慶はまた気の無さそうに肩を竦めた。
「まあな…」
それだけだった。
俺になんか、多分理由は話してくれないだろうとは思った。
だが、それきりでまた背を向けられてしまうと、俺はまた無性に寂しくなってしまった。
もっと何か話したかったが、何を言っていいのか分からなかった。
それに、しつこくして慶に嫌な顔をされるのではないかと思うと、躊躇われてしまった。
娯楽室へでも行って、誰か話し相手を見つけようかとも思った。
だが、知らない相手に話しかけるのは俺も得意な方じゃない。それに、人待ち顔で娯楽室に居るのも何だか嫌だった。
(そうだ。確か図書館が……)
春休みで校舎には入れなかったが、別館になっている図書館は解放されているらしい。それを思い出すと、俺は部屋を出て行った。
貸し出しは入学してからしか出来無いだろうが、本を読む分には構わない筈だった。読書家と言う訳でもなかったが、時間を潰す為に何か物色してみようと思った。
敷地が広いので、寮を出てから図書館までは歩いて5分以上掛かった。
図書館は2階建てのレンガ造りの立派な建物で、2階は書庫と、調べ物や勉強が出来るスペースになっていた。
中に入ると、シンと静まり返った空気の中に、数名の生徒が居た。
司書らしき先生がカウンターの向こうに居たので、俺は一応会釈をして、本棚の並ぶ方へ歩いて行った。
手前に、背の高いテーブルとパソコンが数台並んでいて、どうやらそれで所蔵本の検索が出来るらしかった。
何が読みたいのか決まっていなかったので、俺はそこを通り過ぎて当てもなく本棚の本を眺めながら歩いた。
なにか、心に止まるタイトルがあったら、手に取ってみるつもりだった。
背表紙を眺めながら、どんどん奥へと進むと、窓際に光を背にしてその人が居た。
ハッとして足を止め、俺は手に持った本に目を落としているその人を見た。
私服だったので分からなかったが、多分、上級生だろう。
その顔は、見惚れるほどに綺麗だった。
真っ白な肌、長く濃い睫、スッと通った鼻筋。
勿論、男子校なので女性が居る訳はない。だが、そこに居る人は中性的な雰囲気で、男とも女ともつかない感じがした。
(日本人…?)
もしかしたら、ハーフかも知れない。
光に透ける長めの髪は、金茶色に輝いていた。
視線を感じたのか、その人は不意に顔を上げて俺を見た。
「ん?あ、悪い…。邪魔だったか?」
訊かれて、俺はハッとすると急いで首を振った。
「い、いえ。済みません…」
俺は軽く頭を下げると踵を返して元来た方へ足を向けた。
余りに呆然と見惚れていた自分が、急に恥ずかしくなった。
きっと、おかしな奴だと思っただろう。
だが、俺は気になって、また彼の方を振り返った。
すると、彼はまた手に持った本に視線を落としてパラパラとページを捲っていた。
(3年生かな?)
始業式前にここに居るのだから、当然、彼も寮生だろう。
だが、あんなに目立つ生徒なら、もうとっくに見覚えている筈だった。
それが、今初めて見た気がするのだから、きっと今日になってから寮に戻って来たのだろう。
(綺麗だなぁ…)
近寄りがたい雰囲気は、どこか慶と通じるものがあった。
だが、その存在に引き寄せられそうになるのも確かだった。
俺は、何度も振り返りながら、少しずつ彼から離れた。



昼近くまで図書館で時間を潰し、俺は寮に戻った。
部屋には慶の姿は無く、どうやらもう、食堂へ行ってしまったらしかった。
俺も、すぐにまた部屋を出て食堂へ向かった。
もしかして、あの綺麗な人にまた会えるのではないかと思ったが、彼の姿は食堂には見えなかった。
その代わり、慶は今朝と同じ場所に座って食事をしていた。
俺は、メニューを見てA定食を頼むと、トレイを持って彼の隣へ腰を下ろした。
「図書館に行ってたんだ」
訊かれもしないのに俺が言うと、慶はふうんと言う様に頷いた。
「どうだった?学校案内のパンフには収蔵量が自慢だって書いてあったけど…」
「うん。学校の図書館とは思えないぐらい立派だったよ」
俺が答えると、慶はまた頷いた。
「ふうん。じゃ、俺も午後から行ってみよう」
慶が話をしてくれたので嬉しくなったが、でも会話はそれで終わりだった。
俺は、心の中で溜息をつくと、仕方なく黙って食事を終えた。
食堂を出ると、図書館へ行くと言った慶と一緒に学校へ向かって歩き始めた。
だが、途中で、図書館と部室のある校舎の方へと別れた。
慶は勿論、俺の方なんか振り向きもしないで図書館へ向かって歩いて行く。だが、俺はそこに立ち止まって、暫くの間慶の後ろ姿を見ていた。
この先、俺は慶とこれ以上親しくなる事が出来るのだろうか。
そう考えると、また、無性に寂しくなった。
別に、慶に拘る必要などないのだ。
学校が始まったら、他に親しい友達を作って、慶のことなど気にしなければいい。
そう思おうとしたが、どうしても上手くいかなかった。
何故かは分からないが、俺はどうしても慶に振り向いて欲しいと思ってしまったのだ。
小さくなっていくその背中を眺め、俺はまた、大きく溜息をつくと写真部のある校舎へ向かって歩き始めた。