涙の後で
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まさか、こんな所でこんな告白を受けるなんて、さっきまでこれっぽっちも考えていなかった。
それなら先輩は、そいうつもりで最初から俺に声を掛けてきたのだろうか。
だが、俺のそんな疑問を彼がすぐに否定した。
「入部するの嫌になったか?今更こんなこと言っても信じられないだろうけど、写真部に誘ったのは俺の気持ちとは別だよ。高梁が入部しても俺はしつこくしたりしないって約束するし、妙な事もこれっきり言わないよ。まあ、気にするなって言っても無理だろうけど、俺の事を避ける為に入部を止めるのは考え直して欲しい」
「い、いえ、そんなことは…。別に俺、先輩を避けたいとか思いませんから」
「そうか…」
ホッとした表情になり、先輩は笑みを見せた。
「折角、高梁が写真に興味を持ってくれたのに、俺の所為で入部を止めてしまうのは残念だからなぁ。…良かったよ」
また、歩き出しながら先輩はそう言った。
(いい人だな……)
俺はそう思って、彼の横顔を見上げた。
今朝会ったばかりだし、彼の事を良く知っていると言う訳ではなかったが、今までの印象から小金井先輩は誠実な人だと思えた。
「あの…、擬似恋愛って先輩もそうなんですか?つまり、もし俺と付き合うとしても、それはこの学校に居る間だけってことなんですか?」
俺の言葉に、先輩は僅かに首を傾げた。
「まあ多分、実際のところ、殆どがそういう関係で終わるんだと思う。外の世界に行けば綺麗な女の子は沢山居るからな。この閉鎖的な場所でだけ成立する恋愛を楽しんでいる奴らが殆どだろ。……けど、俺は好きになったから付き合いたいと思うだけだし、それは、この学校に居るからとか、卒業したからとかは関係なく、どちらかが冷めるまで終はわらないと思うよ」
それなら彼は、“擬似恋愛”ではなく、本当の恋愛を俺としたいと思っているのだろうか…。
そう思った途端、俺は急にドキドキと鼓動が早まるのを感じた。
今まで、正孝さんのことしか頭になかった所為か、自分が誰かと恋愛出来るなんて考えた事がなかったのだ。
おかしな話だが、片想いをしている時間が長過ぎて、自分が誰かに好かれることもあるんだなんて気付かなかった。
(俺のこと、好きになってくれる人もいるんだ……)
その思いが、何故か急に俺の胸を締め付けた。
そして俺は、突然に慶の事を思い出したのだ。
それが何故なのか、その時の俺には分からなかった。だが、慶の顔が脳裏に浮かんで、酷く悲しい気分になった。
それと同時に、俺は今朝の先輩の言葉を思い出した。
慶の事を“話題になってる”と彼は言っていた。それは、俺の場合と同じ意味なのだろうか。
だが、どう考えても慶は俺とはタイプが違い過ぎる。彼を女の子の代わりにしようとは、きっと誰も思わないだろう。
その意味を訊こうと思ったが、その前に先輩が先に口を開いた。
「けど、俺の事は兎も角、高梁がある程度許せるって相手を見つけて、なるべく早く特定の彼氏を作った方がいいぞ」
「かっ、彼氏…ですか?」
その言葉に動揺して、俺は真っ赤になって訊き返した。
先輩は俺の様子に笑いを噛み殺した。
「ああ。特定の相手がいると、しつこくアプローチされなくなるからな。まあ、相手は選ばないと却って嫌な思いをする事になるから、気をつけた方がいいけど…」
「真藤先輩は……駄目ってことですか?」
さっきの言葉を思い出して俺が訊くと、サッと先輩の顔が険しくなった。
「あいつは駄目だ。止した方がいい。あんなの撰んだら、泣きを見るぞ」
随分な言われ様だと思った。
確かに真面目には思えないが、俺には真藤先輩がそう悪い人間だとも思えない。なのに、小金井先輩は何故これほどまでに彼を嫌うのだろうか。
もしかすると、誰かを巡って二人の間に何かあったのではないのだろうか。
俺は漠然とだが、そんな風に感じた。
「カメラは俺が貸してやるよ。先月、実家に帰った時に一眼レフのデジカメを買ったから、前使ってたデジカメはもう使わないし。それで良かったら使うといい」
「あ、ありがとうございます」
俺が頭を下げると、先輩はB寮の方を指差した。
「今から部屋に来るか?早い方がいいだろ?使い方も教えるし…」
話に夢中になっていて気付かなかったが、俺たちはいつの間にか寮のすぐ傍まで帰って来ていた。
「あ、はい。じゃあ、お邪魔します」
俺は返事をすると、先輩の後についてB寮へ足を向けた。
「あの、先輩…」
俺はまた思い出し、慶の事を訊こうと彼の背中へ声を掛けた。
「うん?」
「今朝、俺の同室の戸田に言いましたよね?目立つから、上級生の間で話題になってるって。あれって、どう言う意味ですか?まさか、俺と同じように戸田がそういう対象になるとは思えないんですけど…」
「ああ…」
笑いながら頷いて、先輩は立ち止まった。
「戸田は勿論、高梁とは違う意味で話題になってるんだよ。まあ、なんというか……、王子様候補ってとこかな」
自分で言いながらその例えが可笑しかったのか、先輩は言った後で苦笑した。
「王子様候補……?」
俺がその奇妙な言葉に驚いて訊き返すと、先輩はまた苦笑して首を振りながら歩き出した。
驚いた事に、仲が悪いのかと思っていた小金井先輩と真藤先輩は同室だった。
B寮は表側も部屋の中も、俺たちの居るA寮と作りは全く一緒だった。
作り付けのベッドに、机や家具類も同じだが、置いてある物や、それから部屋に飾ってある写真やポスターなどで大分雰囲気が違う。
俺は、中へ入ると珍しそうに周りを眺めた。
「そっちが俺のベッドだから、座れよ」
「あ、はい…」
促されて、俺はきちんとメイクされたベッドの上に遠慮がちに腰を下ろした。
反対側の真藤先輩のベッドはザッと布団を掛け直した程度で、パジャマ代わりらしいスウェットが畳まれもせずに枕の上に置いてあった。
同じ部屋の中なのに、半分ずつ、ちゃんと其々の個性が出ていて面白いなと俺は思った。
俺と慶の部屋は、まだ誰が住んでいるのか分からないだろう。
荷物は入っていたが、装飾の類はどちらの側にもまだ何も無かった。個性が出ているとすれば、お互いの本棚くらいかも知れない。
「お茶飲むか?インスタントだけど、コーヒーも紅茶もあるぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「どっちがいい?」
「あ、じゃあ紅茶を…」
共有して使っているのか、棚の上に電気ポットとカップが幾つか伏せられて乗っていた。
先輩はそこに近付くと、二つのカップに紅茶のティーバッグを入れ、お湯を注いだ。
「ありがとうございます」
湯気の立つカップを受け取りながら、俺は礼を言った。
「小金井先輩は、スポーツの写真を撮るのが好きなんですね?」
周りの壁に貼ってある写真を眺めながら俺が言うと、先輩は机から椅子を引き出してそれに座りながら頷いた。
「そうなんだ。スポーツ観戦も好きなんでね。躍動感のある写真を撮りたいんだけど、中々難しいよ」
「そんなことないですよ。部室に飾ってあったのもそうだったけど、これも迫力ある。やっぱり、望遠で撮ってるんですよね?」
俺が、丁度バッドにボールを当てている瞬間の野球部員を撮った写真を指さすと、先輩は嬉しそうに頷いた。
「うん。選手を間近で撮るのは無理だからね。俺は殆ど望遠で撮ってるんだ」
「ふうん…。カッコいいですね…」
言いながら首を巡らし、俺は真藤先輩の写真を見た。
小金井先輩のように大きく引き伸ばした物は無く、スナップがぺたぺたと、無造作に見えて計算されたレイアウトで飾られていた。
写っている対象は猫が多かったが、他にもクラスメイトの一瞬の表情や、手や足などの部分、建物の一部を切り取った物など様々だった。
どれもアングルが新鮮で、口には出さなかったが、やはり俺は真藤先輩の写真の方が好きだった。
「カメラだけど、これで良ければ使っていいぞ。そんなにいいヤツじゃないけど、撮る事に慣れるまでは十分だと思うし」
「はい、ありがとうございます。お借りします」
俺はコンパクトなデジカメを受け取って頭を下げた。
「あの…先輩、さっき言ってた“王子様候補”ってなんですか?」
用も済んだので、俺は聞きたかった事を口に出した。
「ああ…」
先輩は、さっきと同じようにまた苦笑すると、紅茶を一口飲んだ。
「変な言い方だよな?けど、まあそれが一番分かり易いというか……。まあ、その言葉から察しられるかも知れないけど、つまりは王子様がいればお姫様もいるって事だ」
「お姫様……ですか?」
俺が眉を寄せると、先輩はまた笑った。
「ああ、その内に分かるが、つまり、この学校で一番の美人…って言っても勿論男だがな。誰もが認めるナンバーワンの美人が例えて言えば“お姫様”って訳だ」
その話を聞いて、俺の脳裏に、あの図書館で見た上級生の顔が蘇った。
きっと、“お姫様”は彼に違い無いと、俺は確信したのだ。
だが、そうだとしても“王子様”とは何なのだろう。
「だから、“王子様”は、その姫に選ばれた男だよ。つまりは彼氏になれる候補ってところだ」
「え……?」
俺は驚いて目を見張った。
つまり、慶はあの綺麗な先輩に“彼氏”として迎えられるかも知れないと言うのだろうか。
「我らが姫…とかって、ファンの連中は言ってるが…」
少し笑った後で、先輩は先を続けた。
「友井は付き合ってた先輩が卒業して、この春からフリーなんだ。だから、みんな色めき立ってるし、新入生のチェックも特別に厳しいってわけ」
「はあ……」
余りにも特殊な世界の話に、俺はただ感心して頷いた。
だが、どうやらあの綺麗な先輩の名前は“友井”というらしいと分かった。そして、小金井先輩とは親しいらしい。
「まあ、昨日少し喋っただけだから良く分からないが、戸田はこういう事には興味無さそうな感じだしな。周りが騒いだだけで終わりそうでもあるけど…」
確かに、幾ら男子校に入って来たからと言って、慶は例え在学している間だけだろうと同性と付き合うようには見えなかった。
小金井先輩の言う様に、幾ら周りに騒がれても、我関せずと飄々としていそうな男だった。
だが、もしかして相手が友井先輩だとしたら、話は違うのではないだろうか。
慶だって、あの綺麗な先輩に彼氏として撰ばれたら心が動くかも知れない。
そう思うと、俺は何だか酷く憂鬱な気持ちになった。
友井先輩と慶が並んだら、きっと誰もが振り返って眺めたくなるほどお似合いだろうと思う。
その事が、何だか酷く俺を嫌な気分にさせた。
そう言えば、慶はさっき図書館へ行った。もしかして、友井先輩と出会っていたりするかも知れない。
「どうかしたか?」
小金井先輩に声を掛けられて、俺はハッとして顔を上げた。
何を考えているのだろう。
慶が誰と付き合おうと、一体、俺に何の関係があるのだ。
「す、済みません。なんでもないです…」
俺は慌てて言い繕うと、手に持っていた紅茶のカップを口に運んだ。