涙の後で


-3-

近くに居た上級生に入り口を聞き、校舎の中に入ると、俺は写真部の部室へ向かった。
そこには文化部の部室が幾つか並んでいて、写真部は一番奥の部屋だった。
俺は少々緊張気味にドアをノックした。
すると、すぐに返事があって中から小金井先輩が顔を出した。
「こ、こんにちは…」
「お、高梁、来たな?」
嬉しそうにそう言うと、小金井先輩は入れと言う意味で顎を杓った。
「丁度、部長も来てるんだ。紹介するよ」
「はい。失礼します」
中に入ると、二人の上級生が居た。
俺が頭を下げると、二人とも笑って頷いた。
「新入生の高梁千冬君だ。……高梁、あっちのメガネが部長の箕川(みかわ)慎二。それから、そっちが同じく3年の真藤拓馬だ」
小金井先輩に紹介されて、俺はもう一度頭を下げた。
「宜しくお願いします」
「宜しく」
「宜しくな、高梁」
部長の箕川先輩は、眼鏡の所為もあるのだろうが、如何にも秀才然とした風貌で少々神経質っぽい感じがした。それに比べて、真藤先輩は砕けた感じで、優等生の部類ではなさそうだった。
背が高く、色が黒くて、髪も少し長目にし、まだ学校が始まっていない所為もあるのだろうが、制服も着崩している。セーターは正規のものだったが、中に着ているシャツは制服の物ではなかった。
だが、その雰囲気は決して悪いものではなく、カッコいい先輩という感じだった。
面白い物で、小金井先輩は二人の丁度真ん中ぐらいの雰囲気だった。
堅苦しく感じるほどの真面目さも無いし、かと言って不良っぽい訳でも無い。最初に会った時からそう思ったが、人当たりもいいし、面倒見のいい頼りになりそうな感じがする。
顔立ちも、爽やか系イケメンという感じだった。
それから、すぐに気付いたが、初対面の筈の箕川部長も真藤先輩も、何故か俺を必要以上に興味深そうに見ている気がした。まるで、俺の事を前から知っていて、本人を目の前にして何かを確認しているように頷き合ったりしている。
なんだか、おかしな気分になり、俺は益々緊張した。
そんな俺の緊張を感じて和らげようとしたのか、真藤先輩が傍へ来て、俺の肩に手を置いた。
「高梁は写真、興味ある?」
人懐っこい笑みを向けられ、俺は少々頬を染めてしまった。男の俺から見てもその笑顔は魅力的に思えたのだ。
「無いことも無いですけど……。今まで、携帯のカメラで撮る程度で、ちゃんとしたカメラも持ってないですし、写真の事は良く分かりません」
俺が正直に答えると、真藤先輩は頷いた。
「そうか。でも、やってみると面白いぜ。風景撮りに、小旅行したり、たまにはモデル撮影会もするし…」
それを聞いて、俺は少し驚いた。
「モデルって、まさかプロの……?」
すると、隣から部長が笑いながら言った。
「まさか…。そんな、贅沢出来るほどの部費は無いよ。モデルって言っても、この学校の生徒を頼んでやるんだよ」
「へえ…。じゃ、女性モデルじゃないんですね」
俺が言うと、真藤先輩がニヤニヤ笑って抱くように俺の肩に腕を乗せた。
「がっかりしたか?でもまあ、それなりに楽しいぜ。男って言っても、一応、綺麗どころにお願いするしな」
「綺麗どころって?」
俺が怪訝そうに言うと、真藤先輩はもう一方の手で俺の顎を掴んだ。
「高梁も、モデル出来そうだなぁ…」
「えっ?」
俺が驚くと、今まで黙っていた小金井先輩が傍へ来て、俺の顎から真藤先輩の手を離させた。
「よせよ、拓馬。あんまり、からかうな」
小金井先輩は何故か少々むっとした様子だった。
すると、手をどかされて、真藤先輩の方も唇を歪めて不満げな表情を作った。
「なんだよ、ユキ。声を掛けたのが自分だからって所有権でも主張する気かよ?」
(所有権って……)
その言葉に、俺は少々呆れてしまった。
まるで、小金井先輩に下心でもあって俺に声を掛けたように聞こえる。俺は、自分を挟んで左右に立つ先輩達を交互に見上げた。
それを見ていた部長が、とうとう呆れたような顔で笑った。
「おい、おまえら、もう少し純粋な気持ちで新入部員を歓迎しろよ」
この台詞にも、俺はまた驚いた。
まだ、入部するとも言っていないのに、もう入る事に決まっているかのようだ。
だが、それに気付いたのか、部長は苦笑しながら俺を見た。
「ああ、いや…。まだ、入部するって決まった訳じゃないけどな」
部長に釣られて俺も苦笑すると、やっと部屋の内部を細かく観察した。
部屋の壁には部員の撮影したらしい写真が沢山飾られていて、中にはポスターのように大きく引き伸ばしたものもあった。
それから、デスクトップのパソコンが1台とプリンター。奥には部屋があるらしく、恐らくは写真を現像する為の暗室だろうと思った。
「部員って、先輩達の他は何人ぐらい居るんですか?」
俺が部長に聞くと、彼は手招きして壁の方へ俺を呼んだ。
そこには、風景や草花の写真の脇に小さな人物写真が飾ってあった。
「ほら、これで全部。3年が俺たちの他に5人。後は、2年が4人だ」
壁には勿論、部長と他の二人の写真もあった。どうやら、其々の顔写真の隣に飾ってあるのが、その人の作品らしい。
部長のはこの近くの山なのか、紅葉の風景。小金井先輩のは陸上部の生徒の練習風景で、躍動感溢れるものだった。
だが、俺が一番驚いたのは真藤先輩の作品だった。
それは、塀の上で2匹の猫が日向ぼっこをしている写真で、一見、チャラチャラして見える彼からは想像出来ない、素朴な優しげなものだったのだ。
「可愛い…、これ」
俺が思わず口にすると、真藤先輩は照れ臭そうに笑って俺の横に立った。
「猫の写真撮るの好きなんだ。これは、春休みに実家に帰って、近所をぶらつきながら撮ったヤツ。……高梁は?猫、好きか?」
「はい。家でも飼ってますし」
「へえ?どんな猫?」
訊かれて、俺はポケットから携帯を取り出すと、アルバムを開いて猫の写真を見せた。
「お、可愛いな。ミックス?」
「はい。多分、少しシャムの血が入ってるのか、目が青いんです。身体は普通のブチですけどね」
「名前は?」
真藤先輩は携帯を俺に返しながら言った。
「千秋です」
「ははっ…、千冬の猫だから?」
笑われて、俺は少々頬を染めた。
「ええ、まあ。俺が千冬で、母が千夏なので……」
「へえ…。いいな、それ。じゃ、千秋は女の子なんだ?」
俺が返事をしようとすると、後ろから小金井先輩に肩を掴まれた。
「俺にも見せてくれよ。猫の写真」
「あ、はい…」
俺はまた、ポケットから携帯を取り出して、アルバムを開いた。
すると、後ろで真藤先輩がクスッと笑った。
「妬くなって、ユキ」
「煩い」
真藤先輩を睨み付けると、小金井先輩は俺の携帯を受け取って写真を見た。
「ふうん…、美人な猫だな。それに、結構アングルもいいし、高梁は写真のセンスあるかもな」
「そうですか?動くから、テキトウにパシャッと撮ったんですけど…」
お世辞だとは思ったが、悪い気はしなかった。俺が嬉しそうに言うと、小金井先輩は頷きながら笑みを見せた。
「うん。生き物を撮るのは難しいんだよな。けど、良く撮れてるよ」
携帯を返してもらい、俺も見慣れたその写真をもう一度眺めた。
「カメラは持って無いんだよな?」
訊かれて、俺は頷いた。
「はい。自分用のは無いです。もし、入部するとしたら買わないと駄目ですよね?」
「いや、最初は誰かのを借りて撮ればいいよ。デジタルとアナログとあるし、使ってみて自分の好みの方を買った方が良いと思うしな」
「そうですか…」
俺が頷くと、横から真藤先輩が口を出した。
「一眼レフの古いのでよければ、俺のを貸してやるぜ。今は、デジタルばっか使ってるし」
「え?いいんですか?」
「ああ。どうせ、もう使わなくなったヤツだし、それで良ければどうぞ」
真藤先輩がそう言うと、部長がにっこり笑って言った。
「なら、高梁君。入部決定かな?」
「あ……」
一瞬躊躇ったが、俺は頷いてしまった。
どうせ、何かクラブには入るつもりだったし、小金井先輩に声を掛けられたのも何かの縁だろう。皆の作品を見ると、それぞれに個性が現れていて楽しそうなので、俺は入部する事に決めた。
「はい。お世話になります」
改めて俺が頭を下げると、3人から同時に拍手が起こった。



入学式の次の日から入部手続きが出来ると言うので、俺はまたその日に改めて来ると約束して写真部の部室を出た。
すると、小金井先輩も部屋を出てきた。
「俺も、寮に帰るよ。一緒に行こう」
「あ、はい…」
「入部を決めてくれて嬉しいよ。分からない事とかあったら、何でも訊いてくれ。まあ、俺で分かる範囲でだけど、教えるし」
「はい。ありがとうございます」
俺がそう言って見上げると、小金井先輩は何故か一瞬躊躇うような素振りを見せたが、結局また口を開いた。
「なあ、高梁…、真藤にはあんまり近付かないで欲しい」
「え…?どうしてですか?」
「あいつ…、見境無いし。ヤバイとこあるからな」
苦笑いしながら先輩は言ったが、俺にはその意味が良く分からなかった。
「ヤバイって?素行が悪いとか…、です?」
確かに少々不良っぽいが、だからと言ってこんなに街から離れた学校でそうそう悪いことも出来ないだろう。いや、したくても遊ぶ場所さえないのだから、悪さをするにも限りがあるだろう。
俺が怪訝そうな顔で訊くと、小金井先輩は苦笑しながら首を振った。
「まあ、隠れて煙草吸ったり、ビール飲んだりなんてのは誰でもやってるからなぁ。そう言う点では、素行が悪いって程でも無いけど…」
「じゃあ、なにが?」
訳が分からずに俺はまた訊ねた。
すると、小金井先輩はまた苦笑した。
「まあ、つまり……、手が早いってことだよ」
「手?手って、なんの……?あっ……」
訊いてから思い当って、俺は驚いて先輩を見上げた。
そう言えば、さっき真藤先輩は小金井先輩に、“所有権”がどうとか“妬くな”とか言っていた。その意味がいまいちピンと来なかったが、今になって、やっと俺にもそれが分かった。
「そ、そんな…、だって俺……」
“男だし”と言い掛けて、俺は口を噤んだ。
自分だって男の癖に正孝さんが好きなのではないか。しかも、相手は義理の父親なのだから余程始末が悪い。
「まあ、最初は誰も驚くけどな…。こんな閉鎖された環境に何百人もの若い男が押し込められてるんだ。擬似恋愛だってしたくなるだろ?」
小金井先輩は少々皮肉めいた口調でそう言った。
「擬似恋愛?」
「ああ…。勿論、中には本当に男が好きだってヤツも混じってるだろうけど、大抵は女の代わりにってのが殆どだろ。そうなると、出来れば相手は可愛い方がいい」
その言葉の後に、小金井先輩は俺を見て笑った。
「だから、高梁みたいなタイプは人気があるんだよ」
「えっ?俺っ…?」
確かに自分でも男っぽいとは思っていないが、だからと言って女の子の代わりになれるなんて思いもしなかった。
俺は、正直に驚いて先輩の顔をマジマジと見た。
「高梁みたいに、華奢で中性的なタイプはモテる。みんな、新入生が来るとその中でどの子が可愛いかチェックしてるしな。中にはランク付けしたりしてるヤツもいるよ」
「ランク……」
俺が益々驚くと、小金井先輩は少し言い辛そうな顔になった。
「ああ。高梁は新入生の中じゃ、間違いなくランキングのトップに入ってると思うぞ」
「そ、そんな…」
これは、喜んでいいのだろうか。
一瞬そう思って、俺は自分を笑った。
俺は確かに正孝さんが好きだ。でも、だからと言って男なら誰でもいい訳じゃない。
正孝さんから逃げる為にこの学校に入学したのであって、他に彼氏を見つけたかった訳ではないのだ。
「そんなの俺…、困る……」
呟くように俺が言うと、隣で先輩が溜息をついた。
「だろうな…」
その、寂しげな言い方に俺はドキリとした。
「せ、先輩も、俺を…?」
訊くと、先輩は立ち止まって俺の方を向いた。
「引かれるのを承知で言うけど、俺は殆ど一目惚れだったよ」
「ええ?」
真剣な目で見つめられて、俺はカーッと頬に血を上らせて俯いてしまった。