涙の後で


-7-

入学式も終わり、俺たちの大学生活が始まった。
楠田は相変わらずで、すぐに友達も出来たらしくいつも大勢で行動していた。
サークルも色々と物色しているようだったが、俺は入るかどうかも迷っていたし、慎重に決めようと思っていた。
慶はアルバイトが始まって忙しそうだったが、充実しているようで楽しそうだった。
愛想は良くなかったがきびきびと仕事をしていたので、客からも店長からも良く思われているようだったし、慶目当ての女性客もちらほら居るようだった。
誘っていたので、アルバイトが終わるとたまに食事をしに来ることがあり、真藤先輩もちょくちょく来てくれたので、俺の独り暮らしは思っていたよりも寂しくなかった。
その内に、先輩や慶が俺の部屋に来ることを知り楠田も現れるようになると、俺の部屋は賑やかな日が多くなった。
お蔭で、有川と別れた辛さを少しは紛らせる事が出来た。
授業や生活に慣れようと必死だったこともあり、余り色々なことを考える暇が無かったのも良かったのかも知れない。
だが、やっと何とか生活のリズムが掴めてきた頃、俺の下に1通の手紙が届いた。


千冬さん、お元気ですか?

あの時は、突然の別れになってしまって、ちゃんと話も出来ず済みませんでした。
実は、時間も余裕も無くて詳しい話をしませんでしたが、あの時、取立人から逃れる為に、母と俺たちは父の方から籍を抜き、母の親戚を頼って逃げる所でした。
だから、何処からも行方を辿られない様に、俺や妹の携帯も契約を破棄して使えない状態になってたんです。
もしかして、俺の携帯に連絡をくれたのかも知れないけど、そういう訳で通じなかったと思います。

心配を掛けて済みません。
千冬さんを泣かせてしまったこと、本当に申し訳ないと思ってます。
でも、母も俺も仕事を見つけ、定時制高校にも編入して何とか生活も安定してきました。
だから、もう俺の事は心配しないでください。
いつか、笑って再会できる日がきっと来ると信じています。

辛い思いばかりさせてしまったけど、俺は千冬さんと出会えて良かったと思ってます。
本当に、本当に、出会えて良かった。
学校で、寮で、そして街で、千冬さんと過ごした日々は俺にとっては何物にも代え難いものでした。

大学にはもう慣れましたか?
どうか、楽しい大学生活を過ごしてください。
遠い空の下からですが、いつでも千冬さんの幸せを願っています。
ありがとう。
また、会える日まで。

有川雄李


やがて涙で文字が見えなくなるまで、俺は何度も手紙を読み返えした。
有川の気持ちが嬉しくて、そして有難くて堪らなかった。
俺は、有川に切り捨てられた訳では無かった。
大変な生活をしているだろうに、こんな俺の為にこうして気持ちを送ってくれたのだ。忘れていないことを知らせてくれたのだ。
「良かった…」
手紙を胸に抱き、俺は泣きながら呟いた。
苦労はしているのかも知れないが、家族で何とか生活を立て直しつつあるのだろう。それを知って、やっと安心する事が出来た。
そして、有川との再会を思い、また涙を流した。
本当に、また会えたらいいと思う。
そして、その時はこんなに情けない自分ではなく、有川が驚くほどしっかりとした人間になっていたいと思った。



有川の近況を知って安心した俺だったが、まだ授業に付いて行くのがやっとでサークルに入ることまで考えられなかった。
楠田はカッコいい先輩がいるという信じられない理由で軟式テニスのサークルに入った。
高校で写真部に入部して来た理由と同じなのには笑ってしまった。
俺も誘われたが、丁重に断った。楠田が言うカッコいい先輩にもテニスにも興味は無かったし、それに、不器用な俺には、時間の使い方がまだ良く分からなかったのだ。
取らなければならない単位数も多かったし、暫くの間は学業に専念するつもりだった。
大学生活は楽しかった。
その内に、人見知りな俺にも幾人か友達も出来て、やはり高校時代とはまた違う新しさを感じた。
今までの友人とも、新しい友人たちともいい関係を作れていたし、有川との辛い別れの記憶も少しずつだが薄れてきた。
慶との間は相変わらずで、勿論、友達以上の関係にはなれなかったが、それでも週に1、2度は顔を合わせて一緒に食事をしたりして過ごした。
アルバイトと学校の両立に加え、小説の執筆もあって、何時会っても慶は忙しそうで、気にはなっているようだったが、瑠依子ちゃんにも中々会いに行けないらしかった。
相変わらず、少し良くなって退院しても、また具合が悪くなって入院することを繰り返しているようで、瑠依子ちゃんは俺にも、何度か気弱なメールを寄越していた。
会いに行きたかったが、慶が家に戻らないのに俺だけが行くのもおかしい気がして、結局会いに行けないまま冬になってしまった。

正月にはアルバイトも休みを取れるらしく、慶は久し振りに家に帰ると言った。
5日まで居るから来て欲しいと言われ、俺は三が日を家で過ごした後で瑠依子ちゃんに会いに行くことにした。
それから、ずっと言わずに黙っていたのだが、俺が有川と別れたことを真藤先輩はすぐに気づいてしまった。
でも、その理由や詳しいことを訊こうとはしなかった。
ただ黙って、その辛さを吸い取ってくれるかのように俺を抱きしめただけだった。
そんな先輩も、まだ新しい恋を始める気にはなれないのか、随分モテているようだったが特定の相手を作ろうとはしなかった。
学校でも、アルバイト先でも先輩を好きな女の子が居るらしく、何度も食事や遊びに誘われているらしい。だが、適当にはぐらかしては逃げているらしかった。
「千冬が俺と付き合っちゃえばいいんだよ。そしたら堂々といちゃつけるし」
冗談口でそう言った先輩に俺は笑った。
「学園とは違うんですから、残念ながら男の俺じゃ虫除けにはなりませんよ」
そう言うと、先輩は俺の隣に座り直して肩を抱いた。
「虫除け?俺が千冬をそんな風に使うと思うのか?」
「また…。そんな目したって駄目ですよ。先輩が本気じゃないことくらい知ってますから」
そう言って俺が睨むと、先輩はふっと笑った。
「千冬が俺を好きになれば簡単なんだよ。お互い、幸せになれると思わないか?」
「だって、俺は今でも好きですよ?ずーっと前から好きなの、知りませんでしたか?」
俺の言葉に、今度は先輩はプッと吹き出した。
「言うようになったなぁ、千冬も…。なんだか安心したよ。……まあ、兎に角、クリスマスは俺とデートしようぜ?いいだろ?」
その言葉に、俺も笑った。
「やっぱ、虫除けなんだ。…いいですよ、どうせ予定も無いですし」
慶はクリスマスもバイトが入ってると言っていたし、他には別に誘われている相手も無い。先輩と一緒に過ごせるなら、勿論嬉しかった。
「飯食って、久し振りに映画でも見る?」
「いいですね。何やってるか調べておきます」
冬休みは、瑠依子ちゃんに会いに行く以外予定も無かったので、楽しみが増えて嬉しくなった。



4日には会いに行くとメールすると、瑠依子ちゃんは喜んでくれた。
正月くらいは家に帰りたいから、無理をしてでも帰らせてもらえるように院長に頼んでみると返信にあったが、慶に訊いてみると、余り期待はしない方がいいとのことだった。
正月まで病院で過ごさなければならないのかと思うと余りに気の毒で、俺は何か瑠依子ちゃんが喜ぶお土産を探しに行こうと思った。
慶に一緒に行ってもらおうかとも思ったが、遠慮して何も買わなくていいと言われそうだったので、独りで行くことにした。
だが、街へ出てすぐに後悔した。
女の子の好きそうな店に男独りで入るのは気後れがして、勇気が出なかったのだ。
前に陶器の猫を買った雑貨屋は田舎の小さな店で、やっているのも初老の夫婦だったし独りでも平気だった。
だが、街中の煌びやかな店は中々に敷居が高い。結局俺は、ウロウロするだけで何も買えずに帰って来てしまった。

その話を楠田にすると、呆れて笑われてしまった。
「仕方ない。俺が行ってやるよ」
人の顔を見ると"忙しい、忙しい"ばかり言うくせに、楠田は恩着せがましい調子でそう言うと、学校の帰りに俺を引っ張って街へ出た。
女の子しか居ないアクセサリーの店やブティックにも、楠田はまったく平気な顔で入って行くので俺は思わず感心してしまった。
そして、瑠依子ちゃんがどんな女の子か俺に説明させると、似合いそうなアクセサリーや小物などを次々と探してきた。
俺が驚くと、楠田は少し不機嫌そうな顔になって言った。
「実は俺、姉貴が3人もいんの。あいつら、女の自分達より俺の方が可愛いから嫉妬してんだ。小さい頃から、あの怪獣どもに迫害されてきた所為で俺は女嫌いになったんだよ。まあ、そういう訳で、女の中で育ってるからさ、女の子の好きそうな物くらい大体分かるんだよ」
「へえ…」
初めて知った楠田の家庭環境に俺は少し驚いた。
だが、母一人子一人の俺と違って、賑やかな家庭で育った楠田が少し羨ましくもあったのだ。
結局、楠田の勧めで、俺は瑠依子ちゃんに似合いそうなピンク色のビーズで出来たペンダントを買った。
余り高くは無かったが、手作りのオリジナルだと言うことでキラキラして綺麗だった。
付き合ったんだから夕食を奢れと楠田が言うので、それなら何処かの店に入ろうと言うと、
「高梁が作った料理が食べたい。外食とか飽きちゃって」
と言われた。
さては、買い物に付き合ってくれたのは俺の部屋でご飯を食べたかったからかと思ったが、楠田が行ってくれなかったら何も買えなかったのは確かなので、仕方なくリクエストを聞くことにした。
慣れない買い物で疲れていたが、マーケットに寄って材料を仕入れて部屋に戻った。
手伝ってくれる訳でもないのに、楠田は台所に立つ俺の隣で喋り続けた。
楠田がサークルに入る切っ掛けになった"カッコいい先輩"は当たり前だが女の子にしか興味が無いらしく、しかも先月新しい彼女が出来てしまったらしい。
まあ大体、男の子でもいいという方が珍しいので、楠田も執着は無いらしかった。
切り替えの早さは変わっていないらしく、今は"カッコいいマスター"目当てに、学校近くのカフェに足繁く通っているらしい。
「女の子じゃ駄目なのか?楠田なら彼女でもすぐに出来そうだけど…」
男女問わず、何時も大勢で行動しているのを見かけるのでそう言うと、楠田は呆れ顔で俺を見た。
「女が自分より可愛い彼氏なんか欲しがると思うか?」
相変わらず自信過剰な発言に苦笑したが、確かにまだ少年臭さが抜けていない中性的な楠田は、気さくな友達としては良くても、彼氏としては好まれないのかも知れなかった。
「でも、楠田は……、本気で同性と付き合うつもりもないんだろ?その…、エッチとかまでは考えてないんだろ?」
少し迷ったが俺がそう訊くと、楠田は肩を竦めて持っていたコーラを飲み干した。
「まあ、最後までさせてもいいかって訊かれたら、正直、ちょっと迷うって答えるけどね。でも、絶対に嫌って訳でもない。どうしても好きなら断らないと思うよ」
「そうなんだ…」
俺が頷くと、楠田は目を細めて俺を見た。
「あんな学校に居たってさ、実際、マジでエッチしてた奴らなんか数える程だろ。その点、高梁はホンモノだったってことだよな?それも、ちょっと驚きだけど……」
その言葉に、俺はただ曖昧に笑った。
「俺は……、高梁はままごとみたいな疑似恋愛をして、それでも切ながって、悲劇に浸ったふりをして、そのくせ最後はあっさりと卒業して行くもんだとばっかり思ってた。だから最初、色んな先輩たちに可愛がられてるのが気に食わなかった。……でも、小金井先輩が学校を辞めた頃から、俺が思っていたのとは違うって感じた」
楠田の言葉に、俺は少し驚いて彼を見た。
「小金井先輩が学校を辞めた本当の理由は知らないけど、高梁は自分の所為だって思ってるんだろ?坂上をふって有川を選んだ時もそうだ。……高梁は真面目過ぎる。それから、何もかも背負い過ぎる。もう少し、息を抜けよ。疲れるぞ」
初めて俺に対して、楠田が真面目な顔をして本心を言うのが何だか不思議で、俺は馬鹿みたいに彼を見つめたままだった。
「おいッ、焦げるっ」
パン、と腕を叩かれてハッとすると、俺は慌ててフライパンの中の肉をひっくり返した。
まさか楠田から、こんな労わるよな言葉を掛けられるとは思わなかった。
もしかすると、有川と別れたことを、彼もまた真藤先輩と同様に察していたのかも知れない。
ご飯を食べてテレビを見ながらコーヒーを飲んで、散々喋って満足すると、楠田は帰って行った。
あの後楠田は、有川の事にも慶の事にも触れなかったが、真藤先輩がこの部屋に来てるのかどうかだけは気になっているようだった。
まだ、真藤先輩に未練があるのかと俺は驚いたが、もしかすると楠田にとって真藤先輩は特別だったのかも知れない。
思えば、学園で楠田がはっきりと自分からモーションを掛けていたのは、真藤先輩だけだった。
駄目となればすぐに切り替えて相手を変えて来た楠田だったが、本当は真藤先輩の事を真剣に好きだったのかも知れない。
そう思うと、何だか急に切なくなった。
真藤先輩とクリスマスを過ごす話をして楠田も誘おうかと思ったが、先輩に訊きもしないで勝手なことをする訳にはいかないと思い何も言わなかった。