涙の後で
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何故、あんなことを言ってしまったのか、自分でも分からなかった。
だが、村内が余りにも寒そうに見えて、そしてそれは、体に感じる寒さだけではない様に思えて、どうしても放って置けなくなってしまったのだ。
近くのコーヒー店に入り、俺たちは一番奥のボックス席に座った。
「寒っ……」
暖かい店内に入って、却って今までの寒さを感じたのか、村内はそう言うと、さっと手を伸ばして俺の手を掴んだ。
「ちょ…」
俺が引っ込めようとすると、両手で俺の手を包むようにしてギュッと握った。
「温かいな、ちーちゃんの手……」
嬉しそうに笑って、村内は俺を見た。
「ちーちゃんって……」
余りの馴れ馴れしさに、俺は少々呆れて言った。だが、慶と同じ声で”千冬”と呼ばれるよりはいいと思い、訂正はしなかった。
手袋無しに外を歩いて来たのだ、俺の手だって然程温かくはない。だが、それでも温かく感じるほど、村内の手が冷たかったのだ。
店主が持って来た、温かいおしぼりを代わりに掴ませると、俺は手を取り戻した。
村内は苦笑しながら、今度はおしぼりで手を温めた。
「何してたんです?こんな寒いのに外で、そんなに冷えるまで…」
訊くと、村内は肩を竦めて、持っていたおしぼりの袋を破った。
「別に…、特に何もしてないよ。誰か拾ってくれないかと思ってたら、ちーちゃんが拾ってくれた」
ニッと笑ってそう言った村内を俺は呆れたように眺めた。
凡そ、慶は絶対に言わないだろう言葉を、同じ声で言う。それは、本当に不思議な気分だった。
「拾うって…、猫じゃないんですから」
俺が言うと、村内は可笑しそうに笑った。
今ではそうでもないが、出会った頃の慶は滅多に笑顔を見せなかった。だが、村内はまるで笑顔の安売りのように、始終笑っている。商売柄なのかも知れないが、嫌な気持ちはしなかった。
だが、その笑顔がすっと引っ込み、またさっきの寂し気な顔になった。
「ありがとな、ちーちゃん…、声掛けてくれて」
「なんです?改まって…」
「いや、何か今日はマジに落ち込んでてさ…。人恋しかったから、嬉しかったよ」
何と答えていいのか分からず俺が黙っていると、村内はやっと身体が温まってきたのか、コートを脱いで脇へ置いた。
「ほんと…、もうマジでこんな仕事辞めてぇわ……」
仕事で何か嫌なことでもあったのか、村内は吐き捨てるようにそう言った。
「ちゃらちゃらお世辞言うのも、呑みたくもねえ酒、吐くほど呑むのも、金の為に女抱くのも、もう全部止めてえな……」
言葉を止め、村内は俺を見た。
「そんで、ちーちゃんみたいな綺麗な子とずっと暮らしたい……」
一見、真剣そうな眼だったが、勿論俺は信じなかった。
俺のことを綺麗だなんて言うのは、職業病の様なリップサービスだろうと思ったし、碌に知りもしない相手と暮らしたいなんて信じられる訳がない。
だが、慶と同じ声で、慶と同じように、俺を”綺麗”と言ったその言葉にほんの少し心が動いた。
「……俺の、何を知ってるんです?何も知らない癖に、そんなこと言うのやめてください。冗談だとしても笑えないです」
素っ気なく俺が言うと、村内は寂しげに笑った。
「そりゃそうか…」
注文した、暖かい飲み物が来て、俺たちはカップを手に取った。
まだ温まらないのか、村内は両手でカップを包んで暫くの間じっとしていた。
さっき、拾ってくれたと言ったが、本当に今日の村内は捨てられた子犬、いや大型犬のようだった。
「ちーちゃん、この後、予定あるの?」
両手で持ったままのカップからコーヒーを啜り、村内が言うのに、俺は少し身構えた。
「……無いですけど…。家に帰ってご飯作るくらいしか」
俺が答えると、村内はさっと顔を上げて驚いたように俺を見た。
「ちーちゃん、ご飯作れんの?」
「まあ、普通に…」
何を言われるのかとまた身構えると、村内はただ頷いただけだった。
「本当に、仕事休むんですか?」
俺が訊くと、村内はコーヒーのカップに目を落としたままで頷いた。
「さっき、店長には連絡したからいいんだ。……ちーちゃん、俺みたいな仕事してる男、やっぱ嫌だろ?汚いと思う?」
俺の意見が何か影響するのかと訝ったが、一応俺は思ったことを正直に答えた。
「別に、そんな風には思いませんよ。仕事なんだし…」
すると、村内は顔を上げて俺を見た。
「ほんと?」
頷いて見せると、村内はホッとしたような笑みを見せた。
「じゃあ、この後、飯行こうよ。俺、何でもちーちゃんの好きな物奢るし」
身を乗り出すようにして言った村内に、俺は首を振った。
「結構です。奢ってもらう謂れもないですから」
「俺が…、もっと一緒に居たいからっていうんじゃ駄目?」
間近でじっと見つめられて、俺はなんだかムズムズした。
なんて眼をするんだろう。
嘘だとは思わせない、本当に縋っているような眼。これが、商売上のテクニックというものなのだろうか。
俺は少し可笑しくなって、クスッと笑ってしまった。
俺相手に何を考えているのか、女性客を落とすような手管を使う必要なんかないのにと思った。
「なんで俺なんかと?別に面白いことも無いでしょう?」
訊くと、村内はまたじっと俺を見た。
「なんだろな…?ただ、ちーちゃんと居ると気が休まるって言うか…」
俺の答えを待っているのか、村内は黙った。
俺は見つめ合っているのが気恥ずかしくなり、眼を逸らした。
「やっぱり、今日は止めます。また、この次にでも…」
俺が言うと、村内は寂しげに笑った。
「次なんて……。もう、会えるかどうかも分からないだろ?連絡先、教えてくれる気なんかないんだろうし…」
少々、後ろ髪を引かれるような気がしたが、俺は伝票を掴んで立ち上がった。
「会えますよ、きっと。2度も偶然に会えたんだから…」
「そうかな…?」
力なく笑い、村内はコートを掴んで立ち上がった。
俺が奢ると約束したので、レジで金を払い表に出ると、村内はそこで待っていた。
「ご馳走様。じゃあ…、さよなら、ちーちゃん…」
「さよなら」
答えて歩き出したが、振り返ると村内は立ち竦んだようにしてこちらを見ていた。
(なんなんだよ?まったく……)
溜め息をつき、俺は踵を返した。
「ラーメンでいいです。食べたら、すぐに帰りますからね」
諦めたように俺が言うと、村内は嬉しそうに笑みを見せて頷いた。
近くのラーメン屋に入り、村内にラーメンと餃子を奢ってもらうと、俺は今度こそ彼と別れた。
食べている間、何が嬉しいのか村内は終始ニコニコし、何やかやと俺に訊いて来た。
誕生日は何日なのかとか、大学では何を勉強しているのかとか、サークルには入っていないのかとか、他愛のないことばかりだったが、まるでそれは、食べ終わって俺が帰ると言い出すのを引き延ばそうとしているように感じた。
「え?ちーちゃんも、お父さん居ないの?」
両親のことを訊かれて俺が答えると、思い掛けなかったのか、村内は驚いて顔を上げた。
「ええ、まあ。実の父は2歳の時に亡くなって…。母は3年前に再婚しましたけど」
「じゃあ、結構苦労したんじゃないの?」
箸を止め、村内はじっと俺を見た。
「いえ、母は働くのが好きな人で、男と同じように仕事をしてくれたんで金銭面では問題なかったし、祖父と祖母も俺を可愛がってくれたんで、苦労らしい苦労はしてないですよ」
「そうか……。いいお母さんなんだな。良かったな、ちーちゃん…」
安堵したような口調でそう言われ、何だか違和感を覚えた。
それはまるで、自分の親は違ったと言いた気だったからだ。
「俺もって、村内さんのお父さんも亡くなったんですか?」
躊躇ったが俺は訊いてみた。何となく、村内は話したいのかも知れないと思ったからだ。
「ああ、俺は顔も知らない…。死んだんだか、生きてるんだかも分からない。お袋は……、病気がちでさ、あんまり働けなくて…。だから俺も自分の面倒は自分で見るしかなかったって訳。でも、中卒じゃあな、碌な仕事もないし、行きつく先は結局こんなんだよ」
自嘲するようにそう言い、村内はラーメンを啜った。
思っていたよりも、村内は随分苦労をしてきたらしい。
そして今も、現在の自分の生活に嫌気がさしているのだろうか。
俺が何も言わずにいると、村内は笑みを浮かべて俺を見た。
「ちーちゃん、友達にご飯作ってやったりするの?」
「え?…まあ、時々…」
俺が答えると、村内は溜め息をついた。
「いいな……。どんな男がちーちゃんのご飯食べてんだろ」
その言葉に俺は顔を顰めた。
「そういう言い方止めてください。俺は女子じゃないし、相手は友達で彼氏じゃないんですから」
すると、村内はプッと吹き出した。
「まあ、そりゃそうだ…」
別れる時、連絡先を教えろと言われるかと思ったが、村内は何も言わなかった。
その代わり、
「また、会えるといいな…」
と寂し気に呟いた。
慶と同じ声でそんなことを言われると胸が詰まったが、俺はただ頷いて彼と別れた。
俺の何を気に入ったのか分からなかったが、落ち込んでいる時に出会った俺に、ただ、ほんの少し胸の内を吐露したかっただけなのかも知れないと思った。
俺の誕生日に、ケーキを持って来てくれると慶が言っていたので、俺は鍋の用意でもして待っていようと思っていた。
すると、覚えていてくれたらしく、真藤先輩もメールをくれた。
やはり、ケーキを買って来てくれるというので、慶の話をすると、それなら自分が鍋の材料を買って行くと言ってくれた。
当日、準備があるだろうと気を利かせてくれ、先輩は夕方になると買い物袋を持って現れた。
「適当に買って来たけど大丈夫か?」
訊かれて、俺は袋の中身を確認しながら頷いた。
「肉は豚バラですね。これと白菜さえあれば、大体大丈夫ですよ」
「良かった…。あ、あとこれ、プレゼント」
ポケットから包みを取り出し、先輩は俺の手にそれを載せた。
「え?プレゼントまで?そんな…、悪いですよ」
俺が恐縮すると先輩は笑いながら首を振った。
「遠慮するほど大したもんじゃないよ」
お礼を言い包みを開けると、中には本のページを挟むタイプの金色のブックマーカーが入っていた。
「あ、可愛い。猫だ…」
透かし彫りの猫が本を読んでいるようなポーズを取っていて、それぞれ違うポーズの物が3枚セットになっていた。
俺は喜んでもう1度礼を言い、それを本棚の上に置いた。
先輩と一緒に鍋の用意をして、そろそろ煮える頃、慶がやって来た。
手には俺の為にバースデーケーキの入った箱を持っていた。
「あ、真藤さん…、久し振りです」
真藤先輩の姿を見て、慶は少し驚いたようだったが、すぐに笑みを浮かべて挨拶をした。
「悪いな、戸田、お邪魔虫が現れて」
「何言ってるんです。どっちがお邪魔虫だか…」
言いながら、慶は俺にケーキの箱を手渡した。
「ありがとう」
相変わらず慶は、真藤先輩のことを変に意識しているようだった。
「どうせなら、みんなで鍋でもってことになってさ、拓馬さんが材料買って来てくれたんだよ」
取り繕うように言い、俺は慶を座卓の前に座らせた。
ぐつぐつと煮えている鍋を見て、慶も笑みを浮かべた。
「おお、旨そうだな。…ご馳走になります」
見上げられて先輩も隣に腰を下ろした。
「作ったのは千冬だから。あ、ビールも買って来たんだ…」
立ち上がり掛けた先輩を抑え、俺は先輩のビールと俺たち用のウーロン茶を運んだ。
乾杯して”おめでとう”を言ってもらい、俺たちは鍋をつついた。
味付けは、先輩が買って来てくれたストレートの鍋つゆだったが、中々美味しかった。
慶も喜んで、何度も肉や野菜を自分の器によそっては食べていた。
久し振りに会った先輩と、近況などを聞き合っていた慶だったが、やがて誕生日の話題から学園の頃に貰った変わったプレゼントの話になった。
「そう言えば楠田が、3年の時にパンツを貰ったって言ってましたよ」
俺が言うと、先輩は肩を竦めた。
「それは珍しくないだろ?俺も随分貰ったぞ、ブランド物のとか。もしかして、贈って来たヤツとお揃いかもと思うと穿く気はしなかったけどな…」
先輩の言葉に、慶が苦笑して言った。
「違いますよ真藤さん、新品のじゃなくて、楠田が貰ったのは使用済みのヤツですよ」
「ええー?それは嫌だな…」
「物凄く怒って、送った奴を見つけたら、ただじゃ置かないって…」
俺が言うと、先輩は呆れたように笑った。
「で?見つかったのか?」
「いえ、流石の楠田も見つけられなかったらしいです」
「千冬も2年の時に、変なの貰ったよな?」
慶の言葉に、俺は思い出した。
「ああ…、ポエム?」
「そうそう。それも、ノート3冊分…」
「うわぁ、それも嫌だな。俺、パンツよりそっちの方が嫌かも」
先輩の言葉に、俺たちは同時に笑った。
鍋の中身を食べ尽くし、ご飯と卵を入れて雑炊にすると、それも好評だった。
その他にもつまみにと思って、唐揚げやポテトサラダなども作ったのだが、それらの皿も空っぽになった。
その皿を見ると、不意に、俺の作った料理を食べたいと村内が言っていたことを思い出した。
彼氏に作る訳じゃないと言ったが、一人は元カレで、一人は思い続けている相手だ。強ち、村内の言ったことは間違っていなかったと可笑しくなった。
テーブルの上を片付けて、慶の持って来てくれたケーキを出したが、持って来た本人は要らないと言ってコーヒーだけを受け取った。
俺と先輩は切り分けた苺のケーキを食べたが、ちゃんとしたケーキ屋の物らしく美味しいケーキだった。
楽しい夜だったが、慶は明日も仕事があるからと10時を回る頃には腰を上げた。
真藤先輩も、それなら俺もと、一緒に部屋を出た。
俺は二人に礼を言い、ドアの外まで見送った。
暖かい部屋から出ると、身震いするような寒さだった。冴え冴えとした空気を感じ、俺は寒さに背中を丸めたまま二人に手を振った。
まさか今夜は村内も、暖かい屋内に居るのだろう。
何故、あんな寒い公園で一人で空を見ていたのか、その姿を思い出すと俺は酷く切ない気持ちになっていた。