涙の後で
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「え?坂上って、柔道部の坂上真也か?」
身を起こしながら、真藤先輩が訊いてきた。
俺は頷くと、慶たちから目を逸らして振り返った。
「はい。クラスで一番仲良くしてるヤツで…。まさか、坂上がそんな気持ちで俺を見てるなんて全然知らなくて……」
本当は、坂上から告られたことを誰にも言うつもりは無かったのだが、さっきの二人にも、それから坂上にも、小金井先輩と付き合っているのは本気じゃないと思われていることが気になっていた。
慶を見て、それを思い出してしまい、それで思わず口に出してしまったのだ。
「ふぅん。あいつがなぁ…」
そう言うと、先輩はまた草の上に横になった。
「でも、千冬は付き合うつもりは無いんだろ?」
「あ、はい。だって俺は、小金井先輩と付き合ってるし、それに…、坂上はやっぱり友達以上には思えないし…」
「だったら、はっきりそう言った方がいい。振ったからって友達としての関係が壊れるとは限らないし…。あいつ、いいヤツそうだから、きっと千冬の気持ちを尊重してくれるだろ」
「はい。俺もそう思います」
それから俺は先輩と日が暮れるまで話しをして、それから山を降りた。
その時にはもう、カフェテリアには慶たちの姿は無かった。
夕食の後、部屋に戻ると、暫くして坂上がドアをノックした。
「出られる?」
緊張した面持ちでそう言う坂上に、俺は頷いてドアの外へ出た。
寮の外に出ると、二人でぶらぶらとカフェテリアの方へ歩いた。
そこで座って話そうと思ったのだが、食堂へ入る為の扉が閉まる時間まで間がある所為か、夜になってもカフェテリアにはポツポツと人の姿があった。
「並木の方に行こうか?」
「あ、うん…」
学校へ続く桜並木は所々に街灯があって夜でも暗くない。俺たちはそっちへ向かって歩き始めた。
「あ、あの…、今朝の話なんだけど……」
口篭りながら話し始めた坂上は大分緊張しているような面持ちだった。
「う、うん…。あのさ、俺は坂上のこと好きだし、仲良くしてもらえてホントに嬉しいと思ってるよ?」
俺がそう言うと、多分坂上はその先を察したのだろう。急に落胆の表情を見せた。
「あ、あの……」
俺はその顔を見て、少々怯んだ。だが、言わなければならない。
俺は正直に自分の気持ちを話そうと決めた。
「俺、確かに成り行きみたいにして小金井先輩と付き合うことになっちゃったけど、でも、先輩のことを好きなのは本当だよ。ただ…、他に好きな人が居るのも本当なんだ」
俺の話を聞いて、坂上は足を止めた。
「高梁…」
俺も足を止めると坂上の方を向いた。
「でも、その人は絶対に俺の事なんか振り向いてくれないって分かってるんだ。だから俺……、諦めようって決めてる」
見上げると、坂上は何か言いたげな表情で俺を見ていた。だが、口を開こうとはしなかった。
「小金井先輩には失礼なことしてるって分かってるんだ。でも、先輩の気持ちに甘えさせてもらおうと思う。……今は無理でも、その内にきっと先輩のことをちゃんと好きになるから……」
そう言って俺は思わず目を伏せた。
「呆れたろ?俺って、嫌なヤツだよね?でも、坂上が真剣に俺のことを好きだって言ってくれたから、俺も本当のことを言わなくちゃ駄目だって思ったんだ。……嫌われるかも知れないと思ったけど、でも…、嘘は言いたくなかった」
俺が言い終わると、少し間を置いて坂上の手が俺の肩に乗った。
「嫌なヤツだなんて思わないよ」
顔を上げて見上げると坂上は笑みを見せて頷いた。
「何となく分かってたんだ。高梁はきっと他に好きな相手が居るんじゃないかって…。でも俺は、例え振られてもいいから、今度こそちゃんと気持ちを伝えたかった。だから、気にしなくていいよ。俺、マジで玉砕覚悟だったんだからさ」
「坂上…」
坂上の優しさに涙ぐみそうになった。
どうして俺の周りの人たちは皆、こんなにも優しいのだろうか。
こんな駄目な俺に対して、優しくしてくれるのだろうか。
比べると、自分の情けなさや醜さが浮き彫りになり、俺は遣る瀬無くて堪らなくなる。
「ごめん。応えられなくて、ごめんな……?」
坂上の厚い胸板に手を当て、俺は思わず項垂れてしまった。本当は、彼の目の前から消えてしまいたいくらいだった。
「いいって、ホント。な?これからも今まで通りに接してくれればいいから。俺、高梁とはずっと付き合いたいし、振られたからって友達までやめたりしない。やめる気は無いよ」
「ありがと…」
項垂れたままの俺の肩に、また坂上の手が乗り緩く揺すった。
「ほら、もう帰ろうか。あ、そうだ、食堂行ってなんか飲もうよ。俺、奢るし」
寮生の夕食が済むと食堂で働いているおばちゃんたちは帰ってしまうが、食堂には飲み物や軽食類の自動販売機があって、これも全部、24時間カードで使えるようになっている。
「で、でも…」
俺が躊躇うと、坂上は笑いながら俺の手を取った。
「いいから、行こう。ほら…」
引っ張られて俺は頷くと、坂上と一緒に歩き始めた。
もう時間が過ぎたので、外から直接食堂へ入ることは出来ない。カフェテリアに居た生徒たちも、もう居なくなっていた。
俺たちは一旦、寮の玄関に戻り、靴を履き替えて中へ入った。
夜でも飲み物やスナック類を買いに食堂を利用する生徒は多かったが、大抵は買い物だけして部屋に戻るか談話室を使う。そのまま、がらんとした食堂で飲み食いする生徒は居なかった。
だが、俺たちが食堂へ入ろうとすると、そこには先客が居た。
ハッとして足を止めた俺の目の前で、たった今、キスをしていたらしい二人が慌てて離れた。
愕然として、俺はその場に凍りついた。
そこに居たのは、慶と友井先輩だったのだ。
「あ……」
俺を見て、慶が照れくさそうな顔になった。
友井先輩は片手で顔を覆うようにして背を向けた。
俺は、何も言えなかった。
何も言えずに踵を返すと、逃げる為に走り出した。
「あっ、高梁ッ……」
すぐに坂上が追いかけて来て、俺は外の欅の木の下で捕まった。
「高梁……」
何処が“契約”なのだ。 契約だったら、みんなに隠れて、あんな場所でキスなんかしない。
二人は間違いなく、本気で付き合っているのだ。
そう思うと、切なくて堪らなくなった。
本当は“契約”だという噂が真実だったらいいと何処かで願っていた。
そしたら、こんな俺にも、もしかしてほんの少しでも希望があるかも知れないと、きっと思っていたのだろう。
だが、そんな浅はかな思いも見事に打ち砕かれた。
どんなに願っても、慶が俺を見てくれることなんか無い。彼は友井先輩のものなのだ。
「高梁の好きなヤツって、戸田だったのか……」
呟くように言った坂上の言葉を聞いて、俺は驚いて振り返った。
俺を見ると彼はフッと笑い、そして手を伸ばして俺の頬から涙を拭った。
泣いていたことに気づかなかった。
恥ずかしくて彼から顔を背ける。
なんと言う醜態を晒してしまったのだろうか。
「なんとなく、そうかな…、とは思ってた。さっき、絶対に振り向いてくれない相手だって言ってたし、きっとそいつには他に付き合ってる相手が居るんだろうって思ってた」
「ご、ごめん……」
消え入りそうな声で俺が言うと、坂上は大きな手を俺の肩に乗せた。
「なんで謝るんだ?高梁は何も悪くないよ」
俺が首を振ると、坂上の手が俺の肩を撫でるように動いた。
「人を好きになる時に相手なんか選べない。希望が無くても好きになる時はなっちまう。仕方ないだろ?」
それは、自分にも言い聞かせているように感じられた。
そう思うと、また済まない気持ちでいっぱいになった。
希望の無い相手なんか好きにならずに、優しい坂上を好きになれればいいのに。そして、彼を幸せな気持ちにしてやれればいいのに……。
そしたら自分だってきっと、こんなに辛い思いなんかしなかっただろう。
だが、どうにもならないのだ。
坂上の言う通り、好きになる相手を選ぶことなんか出来ない。幾ら辛い恋でも、その想いが薄れるまで耐えるしかないのだ。
「ありがと…、坂上…」
顔を上げると、俺は精一杯笑った。
「礼なんかいいよ。何もして無いし…、それに、俺が食堂に誘ったりしたから……。こっちこそ、ごめん。辛い思いさせて」
「ううん。却って良かった。諦める決心が付いたから……」
「高梁……」
「あ、そうだ。今度、坂上の写真撮らせてくれないかな?練習とか、試合とか。邪魔にならないように撮影するから。ね?駄目かな?」
気分を変えようとして俺は坂上にそう申し出た。
もっと前向きに行動しようと思った。振り向いてくれる筈の無い慶の事ばかりを考えて過ごすのは、もう止めるのだ。
折角写真部に入ったのに、まだ碌な写真を撮っていない。
風景ばかりではなく、小金井先輩のように動きのある写真にも挑戦してみるつもりだった。
それには、坂上はいい被写体に違いなかった。
「ええっ?俺なんかでいいの?もっとカッコいい先輩とか、強い先輩とか沢山いるぜ?」
照れたのか、少し顔を赤くして坂上が言った。
「ううん。良く知らない人より、坂上がいいよ。顧問の先生にはちゃんと許可取るから、いいだろ?」
「う、うん…。高梁が俺でいいって言うなら、俺は構わないけど。でも、なんか照れるなぁ」
ぽりぽりと頭を掻いた坂上を見て俺は少し笑った。大きな身体をしていても、こんな様子を見るとなんだか可愛い。
「じゃあ、明日顧問の先生に許可を取るよ。撮った写真は全部坂上に見せるから」
「うん、楽しみにしてる」
坂上と一緒に寮に戻り、俺は気持ちを落ち着けようと深呼吸をしてから部屋のドアを開けた。
慶はもう、部屋に戻っていた。
俺が入って行くと、パソコンの画面から目を逸らして俺を振り返った。
「変なトコ見せちゃったな…」
ばつの悪そうな顔でそう言い、慶は身体の向きを変えて俺の方を向いた。
「ごめん…。邪魔するつもりは無かったんだけど…」
なるべく普通を装い、俺はそう言った。
本当は慶の顔を見るのも辛かったが、同室では避ける訳にもいかない。どんなに見たくなくても目を逸らすことも叶わないのだ。
「いや。あんなトコで会ってる方が悪いんだよ。驚かせてごめんな?」
「ううん…。気にするなよ」
そうだ。
もう俺のことなど、気に掛けてくれなくていい。
放っておいてくれればそれでいい。
そして、段々に忘れさせてくれればいい。
この、叶わない想いを……。