涙の後で


-8-

今朝は日直で少し早目に出ると言うので、俺は小金井先輩とは別に学校へ行くことにした。
放課後に会う約束をして食堂の前で別れると、丁度、慶と友井先輩が現れて食堂へ入って行った。
俺は、先輩に挨拶すると部屋へ戻った。
登校するのはまだ早い。
俺は自分のベッドに腰を下ろすと、向かいの寝乱れたベッドを眺めた。
幾ら俺が避けていても、慶はあれ以来、ずっと俺を気遣ってくれている。最初は、不機嫌そうで冷たい印象もあったが、本当は優しい男なのだろう。
普段の顔は相変わらずの無愛想だったが、友井先輩と居る時はいつも楽しげに見えた。それに、俺に対しても他の人間には見せない優しい表情を見せてくれるような気がした。
「少しは…、違うのかな?ほんの少しは特別なのかな……?」
そう思われていたら嬉しい。
本当に、そう思われたかった。
彼氏にはなれなくても、それでも少しでも、俺は慶の特別になりたかった。
友井先輩の他に、慶が名前で呼ぶのは俺一人だけ。同室だからと言う理由以外に、慶の中に俺に対する親しみがあるのなら嬉しかった。
でも、臆病な俺は、欲していても自分からは近付けなかった。
近付いて、結果を知るのが怖い。
それが自分の望む結果ではないのが怖いのだ。
思えば、正孝さんに片想いしていた時も、同じような気持ちだったように思う。
「成長しないなぁ…、俺……」
呟くと、余計に惨めな気持ちになった。
そして、こんな気持ちをずっと引き摺ったまま、卑怯にも小金井先輩と付き合っている。
何処までも俺は、駄目な奴なのかと思った。
溜め息をついて首を振ると、俺はベッドから立ち上がった。まだ早いが、慶が戻って来る前に部屋を出て学校へ向かおうと思ったのだ。
慶はどうせ、友井先輩と一緒に登校する筈だ。待っていても、俺は一緒には行けないのだから。
もう1度、バスルームに入り鏡を見て身だしなみをチェックすると、俺は鞄を斜めに背負って部屋を出た。
そう言えば、裏山のあの場所へ慶はあの後も友井先輩と一緒に登ったのだろうか。
折角見つけた気に入りの場所だったが、俺は二人に出会ってショックを受けて以来、1度も行っていなかった。
思い出すと無性に行きたくなり、俺は今日の放課後、裏山へ登ろうと決めた。
寮を出てゆっくり歩いていると、後ろから追いついて来た坂上に声を掛けられた。
俺を追って痛めた足で急いで来た所為か、少し息が上がっている。俺は彼が近づくのを待って、そこに立ち止まった。
「大丈夫か?無理しない方がいいよ」
「ああ、平気だよ。大丈夫」
「ゆっくり歩こう。なんなら、俺の肩使ってもいいけど……」
俺がそう言うと、坂上は笑った。
「俺が乗ったら、高梁なんか潰れちまうよ」
頭二つ以上大きな坂上は、肩幅も俺の倍ほどあるのではないだろうか。確かに、俺なんかが支え切れるような体格ではなかった。
「なあ、さっきさ、何か言いかけたよね?なんだったの?」
丁度、二人きりになれたので俺が訊くと、坂上は途端にばつの悪そうな顔になった。
「ああ、あれ…。いいや、忘れて」
言われて俺は眉間に皺を寄せて彼を見上げた。
「ええ?そんなのやだよ。気になって仕方ないだろ?ちゃんと話してよ」
「うん……」
坂上はそう言ったきり、中々口を開こうとはしなかった。
幾らか頬が高潮して、そして、俺から目を逸らそうとした。
「なあ?なんなの?」
俺がもう一度訊くと、坂上はやっと決意したように顔を上げた。
「ん…あのさ…、高梁は勿論、小金井先輩が好きだから付き合ってんだよな?」
訊かれて、俺は口篭もった。
まさか、坂上からこんなことを訊かれるなんて思ってもいなかった。そして、訊いてくるからには、もしかして俺の本当の気持ちを知っているのではないかと思った。
「な、なんで…?」
俺は答えを言わずに聞き返した。
すると、坂上はぼりぼりと頭を掻いた。
「いや…。噂だと小金井先輩の方から付き合ってくれって言ったらしいし、高梁は最初、迷ってたみたいだって聞いたからさ」
「そ、それは…、そうだけど……」
俺が黙ると、坂上はやっと俺の顔を見た。
「勿論、嫌いだったら付き合わないだろうけど、ほら…、高梁みたいにアチコチから狙われたりしてると、早く相手を決めた方が楽になるって聞いたから。…いや、そんな打算的な理由で先輩と付き合ってるとは思ってないけど、でも……、そんなに真剣って訳でもないのかなって」
言い辛そうに、だが、坂上は思っていることを口に出した。
「それは…」
俺がまた口篭もると、坂上は突然足を止めた。
「あ、あのさッ、もう相手が居るのは承知で言うんだ。もし…、もしもだよ?俺が思ってる通りに高梁が小金井先輩に夢中じゃないなら……」
そこまで言って、坂上はゴクッと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「そうなら高梁、…頼むから俺にもチャンスをくれよ」
「え?」
言っている意味が良く分からず、俺は坂上を見上げて聞き返した。
「チャンスってなんのこと?」
「あ、あのさ…」
坂上はもう一度唾を飲み込むと、俺の両腕を掴んだ。
「俺、実は、地元にいる時から高梁のこと気になってて、わざと姿を見たくて道場へ行く時間をずらしたりしてたんだ。…まさか、ここで会えるなんて思わなくてさ。勿論、ここがこんな特殊な学校だって事も知らないで来たんだけど、でも、ここでなら同性の高梁にも告れるんだって思ったら、俺……、勇気出してみようかって……」
「えっ?ええ?えッ……?」
馬鹿みたいに何度も繰り返し、俺は真っ赤になった坂上の顔をまじまじと見上げた。
まさか、友達以上の感情など無いものと思い込んでいた坂上までが、俺にこんな告白をしてくるなんて、驚き過ぎて言葉も出なかったのだ。
「だ、駄目かな?やっぱ、俺は小金井先輩みたくカッコ良くないし、ごついし、今更こんなこと言っても遅過ぎるかな?」
必死とも言える坂上の表情を見て、俺は答えが出せなかった。
坂上のことは好きだし、簡単に拒絶することは出来なかった。だが、だからと言って、もう小金井先輩と付き合い始めているのにOKする訳にもいかない。
俺は本気で困惑してしまった。
「もっと早く言うべきだったのは分かってんだ。高梁が色んな先輩たちからケイバン貰ったりしてるって知ってたから、本当はもっと早く言いたかったんだけど、中々機会が掴めなくて……」
言いながら、坂上がどんどん項垂れていくのが分かった。
「ぐずぐずしてる内に、高梁が小金井先輩に決めたって聞いて……。まじ、ショックだった。自分の勇気の無さに嫌気が差したよ」
「坂上……」
彼の大きな身体が段々小さくなるような気がして、俺は出来ることなら慰めたいと思った。だが、坂上の告白を受け入れる訳にはいかない。
「可愛いなって、ずっと思ってたんだ。見かける度に、今度こそ声掛けてみようって思ったんだけど、中々近づけなくて……。その内に高梁は塾に来なくなっちゃって…」
そう。正孝さんと母の結婚が決まった時に俺は塾をやめたのだ。
「高梁を見かけなくなってずっと、声を掛けなかったこと後悔してたんだ。きっともう、2度と会えないんじゃないかって……」
「坂上……」
「ここで会えた時、マジで嬉しかった。だから、今度こそ、ちゃんと勇気出して声掛けようって思ったんだ」
坂上の気持ちが真剣なのは良く分かった。
そして、こんな俺を好きになってくれたことも凄く嬉しかった。
でも、坂上の気持ちが真剣だからこそ、俺は彼を騙すようなことをする訳にはいかない。
「俺……」
答えようとして、登校してくる生徒たちが増えたのに気付き、俺は坂上に言った。
「後で、話せる?夜にでも、何処かで会おう」
「あ、ああ…」
坂上もやっと回りに気付き、頷くと歩き始めた。
本当は誰にも言うつもりはなかった。
だが俺は、坂上にだけは自分の本当の気持ちを話すべきではないかと思った。
それでもし、坂上に軽蔑されるようなことになっても仕方が無い。自分のやっていることが卑怯で恥ずべき事だというのは分かっているのだ。
坂上の気持ちが、この学校で皆が楽しんでいる擬似恋愛ではないのだと分かるから、だからこそ俺は彼に嘘をついてはいけないと思った。
「晩飯食べたら部屋に行くよ。外でも散歩しながら話そうか?」
「うん、じゃあ、その時にちゃんと答えるから」
俺がそう言うと、坂上は緊張した面持ちになって頷いた。
「あ、ああ…」
その後は、並んで学校まで行く道すがら、今の話にはお互いに触れないようにして話題を選んだ。
(なんでみんな、俺のことなんか好きになってくれるんだろう?)
すっかり自分のことが嫌いになっていた俺には、みんなが好意を持ってくれることが理解出来なかった。
(やっぱり見た目?……自分ではそう思わないけど、先輩たちも、それに慶まで俺のことを可愛いって言ってくれた…)
確かに男子ばかりの中に入れば俺は中性的な感じかも知れない。色の白さや顔立ちだけで、みんなは俺に女子の代わりとしての期待をするのかも知れない。
でも、そんな中で、坂上はみんなとは違うように思えた。
坂上が元々男が好きなのかどうかは知らないが、中学の時から俺を見ていてくれたのだから、女子の代わりとして見ている訳ではない筈だと思えたのだ。
校舎に着いて、靴を履き替えると俺たちはそのまま一緒に教室へ行った。
教室にはもう、半分くらいの生徒が来ていた。
だが、慶の姿は、勿論まだ見えなかった。
窓から下を覗くと、もしかすると校舎に向かって歩いて来る慶と友井先輩の姿が見えるかも知れない。だが勿論、俺は窓に近付いたりはしなかった。
「高梁君、居るー?」
戸口に現れた楠田に声を掛けられ、俺は立ち上がって彼に近づいた。
「おはよう。何か用?」
「うん。今日さ、俺、日直で放課後遅くなるんだよね。で、部室の掃除当番代わってくれないかな?」
あの後、本当に楠田は俺と同じ写真部に入部した。
それからはまるで、俺に嫌がらせしていたことなど無かったことにされてしまったらしく、楠田の態度は今までとはがらりと変わって親しげなものになった。
俺は少々釈然としない気持ちもあったが、彼の方が俺に何もしないなら、今更蒸し返して責めるつもりも無かった。
「いいけど。じゃ、俺が日直の時、代わってくれる?」
「うん、もち。じゃあ、悪いけどお願いね」
そう言うと、楠田はサッサと教室へ戻って行った。 ちょっと信用出来ない感じも無い訳ではなかったが、俺はやってやることにした。
部室の掃除は1年生が交代でやっている仕事だったが、何のかのと口実をつけてサボる奴が多い。
特に、小金井先輩や真藤先輩目当てで入部した連中はその傾向が強かった。
「千冬?」
後ろから声を掛けられて振り向くと、そこには少々眉を顰めた表情で慶が立っていた。
「楠田に、何か言われたのか?」
また心配されてしまい、俺は思わず苦笑した。
「ううん、違うよ。今日、日直だから部室の掃除当番代わって欲しいって。それだけ」
「そうか。なら、いいんだけど…」
「なあ。ホントに俺、もう何もされてないし。心配しなくて大丈夫だから」
「うん、そうだな。余計なこと言ってごめん…」
「ううん。ありがと」
慶は本当に男らしい性格なのだろうと思う。だからこそ、自分よりも弱い人間を守ってやろうとする気持ちが強いのだろう。
ひ弱な俺を、慶は守ってくれようとしているのだ。
俺に軽く頷いて教室へ入っていった慶の後姿を、俺は暫くの間眺めていた。
思えば俺は、随分と慶の後姿ばかりを眺めているような気がする。
同じ部屋に居ても、同じ教室に居ても、俺は慶の後姿ばかりを見ている気がした。