涙の後で


-10-

あの後、坂上は何事も無かったように、元のように俺に接してくれた。
そして、お互いの呼び方が変わっただけで、俺たちの関係は友達のままで変わることなく続いていた。
坂上の心の中は分からない。でも彼は、どんなに切ない思いをしていても俺にそれを気づかせることは無かったのだ。
そんな坂上を、俺は見習わなければいけないと思った。
俺もまた、心の中でどんなに風が吹いても、それを慶に気づかせてはいけないのだから。
「ちふは夏休み、家に帰るんだろ?」
訊かれて、俺は首を振った。
「ううん。7月の夏期講習に申し込んだし、両親はお盆休みに旅行に行くんだ。だから、お盆が終わってから帰ることにした。ちょっとしか居られないけどね」
「そっか…。俺は夏休みが始まったら家に帰って、むこうの道場の合宿に出て、終わったら戻って、今度は部の方の合宿なんだ。やっぱり、八月の半ば過ぎないと、ゆっくり家には帰れないな」
「そうか。大変だな、真也は…」
俺が言うと、坂上は仕方無さそうな顔をして少し笑った。
「まあ、柔道を続ける限りはしょうがないよ。これで大学も行かせて貰うつもりだしな」
一年生でも有望選手の坂上は、高校での成績次第では大学も特待生として取ってもらえる筈だった。だから、本人もそのつもりで、稽古稽古で休みの無い毎日でも頑張っているのだ。
何の目的もなく、ただ逃げる為だけにこの高校へ入学して、そしてまた入学後も色々なものから逃げ続けている俺にとって、そんな坂上は憧れる存在だった。
彼の望むような関係にはなれなかったが、それでも友達として傍に居てくれることが嬉しかったし、有り難かった。
「なあ、お盆過ぎたら帰るんだろ?だったら、あっちで遊ばないか?」
言われて俺はすぐに頷いた。
「あ、うん。いいよ、じゃあ帰ったらメールしてよ。何処か遊びに行こう」
笑顔で答えながら、俺は違和感を覚えて戸惑っていた。
さっき、同じように慶に一緒に遊ぼうと誘われた時、自分でも驚くほど興奮していた。でも、今は坂上と一緒に遊びに行くことが楽しみではあっても、心が落ち着かなくなることはなかったのだ。
気持ちは正直だと思う。
はっきりと、慶と坂上に対する俺の想いの差がこうして現れてしまう。
まだまだ俺は、慶を諦めることが出来そうも無かった。
「ちふ、また何かあったのか……?」
坂上に訊かれて、俺は飲んでいたコーヒーの紙コップを口から離した。
「え?何かって?」
「いや…、さっきさ、歩いて来た時、何だか様子がおかしかったから。マジで怖い顔してたぜ」
訊き辛そうに、だが、心配してくれているのだろう。坂上は躊躇いながらもそう言った。
俺は持っていた紙コップを見つめながら、それを手の中でゆっくりと回した。
「別に何も無いよ。ただ、俺が駄目なだけ。何でもないことなのにすぐに動揺して…、馬鹿なんだ、ホント…」
ボソボソと俺が呟くように言うと、坂上は黙って手を伸ばして、紙コップを持っていた俺の手を掴んだ。
「綺麗な指してるよな…」
「え…?」
「男の指じゃないみたいだ」
そう言って視線を上げると、坂上は俺の顔を見て笑みを見せた。
「そ、そうかな…?」
恥ずかしくなって、俺は多分赤くなったんだろう。坂上の笑みが広がるのが分かった。
「綺麗だよ。ほら、俺の手と比べてみなって」
そりゃ、坂上の大きな手と比べたら、俺の手なんて子供みたいに見える。でも、指が綺麗だなんて今までに言われたことは無かった。
きっと、俺を慰めようとしてくれたのだろう。
それに気付くと、俺も笑みが浮かんできた。
「女の子じゃないんだからさ、指が綺麗だなんてお世辞、嬉しくないよ」
俺が笑うと、坂上は唇を尖らせた。
「じゃあ、髪が綺麗ってのは?サラサラで艶々で、凄く綺麗だ」
「えー?別に嬉しくない」
「なら、目が綺麗は?睫毛長くて可愛いし、あ、肌も綺麗だなぁ」
続けざまにそう言った坂上の言葉に、俺は吹き出して笑った。
「もういいって。ありがと、元気出てきたよ」
クスクスと俺が笑い続けていると、坂上は急に力を込めて俺の手を握った。
「お世辞なんかじゃないよ。全部……、本気でそう思ってるから」
「し、真也……」
俺がじっと見ると、坂上は手を握ったままで苦く笑った。
「俺なら……」
言いかけて、坂上はフッと黙った。
何を言おうとしたのだろう。

俺なら……

俺なら、慶とは違うのにと、そう言いたかったのだろうか。
俺なら、友井先輩ではなく、千冬を選ぶのにと。
「俺は、俺は……」
坂上の手を握り返して俺は言った。
「真也の手が好きだなぁ。大きくて、男らしくて。男だったら、こういう手に憧れるよ」
ポンポンともう一方の手で、俺は坂上の手を叩いた。
薄っすらと、坂上の頬が染まる。
そして、居たたまれないような目をして、坂上は俺から目を逸らした。



終了式の後、俺は部室に顔を出した。
家に帰る人は今日の内に寮を出る場合も多いので部室には誰も居ないのかと思ったが、部長と、それから真藤先輩が来ていた。
「あ、部長、来てたんですか。今日はまだ帰らないんですか?」
俺が訊くと、部長は首を振った。
「ああ、明日にしたんだ。今日はちょっとやることがあるんで」
「そうなんですか。他の部員は、みんな今日帰るのかな?」
部屋の中を見回しながら俺が言うと、真藤先輩がニヤニヤしながら近付いて来て、俺の肩を掴んだ。
「千冬、部屋でユキが待ってるぞ。帰る前に、千冬の顔見たいんじゃないか?」
「え?ホントですか?先輩、何にも言ってなかったけど…」
「さっき、ここへ来る前に伝えてくれって言われたんだ。俺は、邪魔しないようにここに居るから、行って別れを惜しんでくれば?」
まだ、ニヤニヤしながらそう言われ、俺は部長を気にしながら頷いた。
幾ら、俺たちが付き合っていることを知られているとは言え、やはりこんな話題を他人の目の前でするのは恥ずかしかった。
そして、それを知っているからこそ、真藤先輩はわざと俺をからかったのだ。
顔が熱くなるのが分かったが、部長は自分の用事で忙しいらしく俺の反応を気に止めている様子は無かった。
「分かりました。じゃあ、俺、これで帰ります」
俺がそう言うと、二人は同時に頷いた。
早足で寮へ戻ると、俺はA寮を通り越してB寮の玄関へ向かった。
階段を上り、先輩の部屋まで行くとドアを叩く。すぐに、中から小金井先輩の返事が聞こえた。
「あれ?千冬、どうかしたか?」
不思議そうな顔で俺を見た先輩の表情で、俺はすぐに真藤先輩に担がれたのだと分かった。
カーッと頬に血が上るのが分かり、俺は思わず両手で顔を覆った。
「真藤先輩ッ…」
悔しげに言うと、小金井先輩はすぐに察したらしく苦笑いをして俺の肩を叩いた。
「拓馬にからかわれたのか?何、言われたんだ?」
「せ、先輩が帰る前に会いたがってるから部屋に行けって。そう伝言されたからって…」
「ええー?」
笑いながらそう言うと、先輩は俺の肩を抱くようにして部屋の中へ入れた。
「でもまあ、感謝しようか。今、行く前に千冬の顔見たいなって思ってたんだ。メールしようかと思ってた…」
「先輩……」
「40日も会えないんだな。寂しいよ」
「俺もです…」
答えると、先輩の手が俺の頬を包んだ。
もう何度もキスしている。
でも、まだその瞬間に、俺の中には躊躇いが生まれるのだった。
唇が重なる前に、俺は目を閉じた。
乾いた先輩の唇が押し付けられ、そして、濡れた舌が、つっと俺の唇を割った。
だが、すぐに離れて、その代わりに肩を抱いた腕が俺をベッドの方へ誘った。
「こっちにおいで…」
促されるままにベッドに腰を下ろすと、すぐに先輩が俺に重なるようにして覆い被さってきた。
「あ、あの…、先輩、時間は……?」
「まだ大丈夫…」
「でもっ、んっ……」
また唇を重ねられ、俺は黙るしかなかった。
今日の先輩は何だか何時もと違う。何時もより積極的で、俺は少し戸惑っていた。
「ん…ッ」
シュッと、ズボンの中からシャツを引き出され、俺は思わず声を上げそうになった。
身体を硬くして先輩のキスから逃れようと顔を振ったが、すぐに掴まって、また口中を犯された。
シャツの裾から入ってきた先輩の手が、肌の上を滑って上って来るのが分かる。
ドキドキと鼓動が早まり、俺はカーッと身体が熱くなるのを覚えた。
(あっ……)
胸に届いた先輩の指に乳首を弄られ、俺は逃げようとして先輩の肩に両手を掛けた。
「いや…?」
唇を離した先輩に訊かれ、俺は彼を見上げた。
「だ…、だって……」
こんなことになるなんて思ってもみなかった。
まさか先輩が、キス以上のことを俺にしようとするなんて、考えたことも無かったのだ。
「触るだけ…。いいだろ?」
じっと見つめられて、嫌と言えなくなった。
コクッと喉を鳴らして唾を飲み込むと、俺はゆっくりと頷いた。
ネクタイが外され、シャツのボタンも外された。そして、先輩の手が俺の胸を露にした。
恥ずかしくて、思わず顔を背けてしまった。
同性同士だし、膨らんでもいない胸を見られたからと言って、どうと言うことも無い筈だった。
だが、性的な行為の為に先輩がこうして俺を裸にしたのだと思うと、恥ずかしさで身の置き所さえなくなるようだった。
「触るよ…?」
囁くように言われ、俺は目を逸らしたままコクッと頷いた。 キスも初めてだったくらいで、勿論、誰かに身体を触られたことなど無かった。だから、まだ指が触れる前から怖くて身が竦んだ。
「痛いことなんかしないから、そんなに硬くならないで…?」
囁かれて頷いたが、緊張が解ける訳が無かった。
俺はガチガチになったまま、先輩の指が触れるのを待った。
「綺麗だ…。まるで雪みたいに真っ白なんだな……」
言葉の後に、そっと先輩の指が降りてきた。
覚悟していた筈なのに、ピクッと身体が震えるのを止められなかった。
「んぁっ…」
クリッと乳首の上で指が動くのを感じ思わず声を漏らすと、俺は両腕で顔を隠すようにした。
恥ずかしくて消えてしまいたい。
自分の顔が信じられないくらいに熱かった。
「可愛いな…、千冬。顔、隠さないで見せて?」
「い、いや…っ」
殆ど聞こえないような小さな声だったが、先輩の耳には届いた筈だった。でも、先輩は聞いてくれなかった。
俺の腕を掴むと、顔から退かせて、背けたままの頬に唇を落とした。
「こっち向いて?」
「せんぱ…っ」
顎を掴んで優しく前を向かされると、今度はキスで唇を塞がれた。
(あ、熱いっ。口の中……)
自分の熱なのか、それとも先輩の舌が熱いのか分からなかったが、口の中が燃える様な気がした。
そして気付くと、先輩の指がまだ俺の胸の上で動いていた。
最初はただむず痒いような気がするだけだったが、突然に感覚が変わった。
急に敏感になった乳首が、先輩の指に擦られてはっきりとした快感を生んだ。
「硬くなった…」
先輩の囁きで、俺は自分の乳首が勃起したのを知った。
そして、それを知った途端にまた激しい羞恥心に襲われた。
「やっ……」
突然、口に含まれ、俺は先輩を押し返そうとした。
だが、すぐに両手首を掴まれて縛められてしまった。

恥ずかしい…

その気持ちが強くて半減していたが、でも確かに、俺は先輩の舌に愛撫されて感じていた。
唇から漏れそうになる声を抑えて唇を噛み、俺は目を瞑ったまま、また顔を背けた。
でも、先輩の手がズボンのベルトを外そうとしているのに気づき、俺は慌てて目を開けた。
「せっ、先輩ッ」
「大丈夫。手でするだけだから…」
そう言われても落ち着ける訳がない。他人にそんなところを見られて、しかも触られるなんて、心の準備がまるで出来ていなかったのだ。
だが、先輩の手は手際良くベルトを外し、そしてズボンと下着をずり下ろしてしまった。
また、居た堪れない思いに囚われ、俺は腕で顔を隠した。
胸を弄られて、そこが反応しているのが分かっていたからだ。
「一緒に…。いいだろ?」
言われて、僅かに頷く。
もう、どうにでもしてくれと思うしかなかった。
「あぁっ…」
手ではない感触。
同時に、手が加わって擦られた。
恥ずかしさと、それから初めての快感が怖くて涙が滲んだ。
先輩の片肘が俺の顔の横に下りて体重が掛かる。
ベッドが少し沈んで、俺の方に屈み込んだ先輩がキスを落とした。