涙の後で


-3-

その日1日、俺は1度も小金井先輩と真藤先輩の姿を見かけなかった。
目立つ二人だったから、普段は待ち合わせなくても良く姿が目に付いたのだが、今日に限っては学食にも来た様子は無かった。
放課後、俺は小金井先輩のことが気になって、教室を出ると写真部の部室へ急いだ。
部室にはまだ誰も来ていなかったが、暫くすると部長が顔を出した。
「お、高梁ひとりか…。今日はユキも拓馬も来ないみたいだし、あいつらの追っかけも姿を見せないかな」
笑いながらそう言い、部長は鞄をロッカーへ入れるとパソコンの電源を入れた。
「小金井先輩、今日は来ないんですか?」
確か部長は先輩と同じクラスだった筈だった。だとしたら、先輩と顔を合わせているだろう。
「ああ、今日はもう、二人で帰ったみたいだな。あの二人が一緒に帰るなんて、ちょっと珍しいけど」
「でも、同じ部屋だし、一緒に帰ったり登校したりすることもあるんじゃないんですか?」
言われて見れば、俺もあの二人が一緒に登下校しているのを見たことが無かった。だが、全く無い訳ではないだろう。
「いや…。確かに今年は同じ部屋だし、仲が悪いって訳でもないんだけどな。でも、あいつらが行動を共にするなんて、滅多にないぜ。1年と2年の時はクラスも一緒だったけど、同じ教室に居ても付き合ってる友達も違うし、余り一緒に居るのを見たこと無かったな」
「そうなんですか……」
何となく感じてはいたが、二人の間には不思議な隔たりがあるのは確からしかった。
だが、それでいて真藤先輩は小金井先輩のことを良く分かっているように感じられる。行動は別にしていても、いつもお互いを意識していることは間違いないだろう。
「済みません、部長。俺も今日はもう帰ります」
「ああ、いいよ。俺は写真の加工に来ただけだし」
パソコンの前に座ってソフトを起動させていた部長は、俺の方を振り返りもせずにそう言った。
「はい。じゃあ、お先に失礼します」
「うん。またな」
もう、こちらを見てはいなかったが、俺は部長に軽く頭を下げて部室を出た。
なんだか、小金井先輩のことが酷く心配だった。
慶と友井先輩のキス事件で、深く傷ついているのではないだろうか。二人が一緒にいるのを見た時の先輩の強張った顔が俺の脳裏に蘇った。
急ぎ足で校舎を出て、俺は寮へ向かって歩き始めた。そして、図書館の所まで来た時、真藤先輩に教えられた抜け道のことを思い出した。
方向を変えて図書館の裏に出ると、俺は藪の中へ入って行った。
なんだか、妙な予感のようなものに導かれ、俺は真藤先輩とキスしたあの場所へ足を向けた。
顔にかかる草を払いながら、俺は獣道を進んで脇道に入った。
そして、あの木のあたりに人影を見つけ、ハッとして立ち止まった。
やはり、予感通りに小金井先輩と真藤先輩がそこには居た。
だが、俺はそれ以上近付くことが出来なかった。
そこに広がる光景は、俺が全く想像もしていなかったものだった。
仲は悪くはないのだろうが、いい訳でもない。
そう感じていた二人が、まさかこんな行為をする関係だなんて思いもしなかった。

抱き合う、二人の先輩たち。

小金井先輩を慰める意味で真藤先輩が抱きしめているのなら分からなくも無かった。
でも、そうではなかった。
経験の無い俺の目にもそれは明らかだった。
先輩たちはセックスをしていたのだ。
(う、嘘…?なに、これ?なに……?なに……?)
頭の中が真っ白になり、俺はその場に凍りついた。
幹を背にして脚を開いた小金井先輩。
膝までズボンを下げられたその腿の下に入り込むようにして、真藤先輩がゆっくりと腰を打ち付けていた。
ここからでは真藤先輩の顔は見えなかったが、何か言ったのか、小金井先輩は首を振って回した腕を引き寄せた。
これが、日常的に二人の間で行われている行為なのかどうかは知らない。だが、小金井先輩の表情に快感を表すものは無かった。
あるのはただ、何かに耐えている、そんな表情だけだった。
コクッと喉が鳴り、その自分が立てた音で我に返ると、俺はゆっくりと後ずさりを始めた。
気付かれないように、そろそろと元の道へ戻る。
そして、二人が見えなくなると、逃げるようにして走り出した。
ショックで何も考えられなかった。
俺と付き合っている筈の小金井先輩。
でも、本当に好きなのは俺ではなかった。
それだけでも、驚いたし寂しかったが、その上、真藤先輩とあんな行為をする仲だったなんて……。
そして、もっと俺に衝撃を与えたのは、真藤先輩の方だった。
小金井先輩のことを、友達として心配している様子は見せていたが、恋愛感情を持っているとは微塵も感じさせなかった。
それなのに、まさか小金井先輩を抱くなんて信じられなかったのだ。

いや……。

本当は分かっていた。
俺が一番ショックだったのは、味方だと信じていた真藤先輩に裏切られたと感じたことだった。
(嘘だッ。なんで……?先輩…なんで……?)

何も話してくれなかった。
俺には何も、ひと言も説明してくれなかった。

ひとり、蚊帳の外に置かれたような気持ちになり、俺は胸が押し潰されるような感覚を味わっていた。



走って、走って、俺は寮の部屋に逃げ込んだ。
だが、そこにも俺の居場所はなかった。
飛び込んだ俺を迎えたのは慶だけではなかった。
部屋の中には友井先輩も一緒だったのだ。
「あ……」
ドアを開けただけで立ち止まり、俺は此方を向いた二人の視線の間で目を泳がせると、急いで何か言おうとして言葉を探した。
「ご、ごめ…。あ、あのっ……」
しどろもどろで言葉が続かない。
たった今、受けた衝撃から立ち直れないまま、俺はまた新たな衝撃に見舞われていた。
すると、慶が座っていたベッドから立ち上がって来た。
「なに、謝ってんだよ?自分の部屋だろ。いいから入れよ」
「こんちは、高梁。お邪魔しちゃってごめんな?」
慶の後ろから首を伸ばすようにして、友井先輩が綺麗な笑顔を覗かせて俺を見た。
「昨日の今日だからさ、何処に行っても視線が煩くてな。千冬は写真撮りに行って、まだ帰って来ないと思ったんで……」
言いながら、慶が手を伸ばした。
ドアノブに置いたままだった手を掴まれそうになり、俺は咄嗟にそれを引っ込めた。
「千冬?」
怪訝そうに見つめられ、俺は言い訳を探して口を開いた。
「あっ、あ、そう。そうだった。お、俺、坂上と約束してて……」
「え?坂上と?」
「う、うんっ。あの、部活の写真、撮らして貰うことになってて。あ、い、…行かなきゃ。ごめん…。先輩も…、し、失礼しました」
急いでそう言うと、俺は慶に背中を向けてまた走り出した。
坂上に写真を撮らせて欲しいとは言ったが、まだ顧問の先生に許可を取っていない。だから、道場へ行っても無駄だった。それに、坂上はまだ本格的な稽古は出来ない状態だろう。
坂上に会えばすぐに分かる嘘だったが、俺にはそうでも言わなければ、その場を逃げる口実が無かったのだ。
走って、俺はまた図書館の前まで来ていた。
先輩たちがまだあの場所に居るのか気になったが、まさか見に行く訳にも行かない。それに、二人が一緒の所を見たら、きっと俺はまた動揺してしまうだろう。
まだ息を切らしたまま、俺は図書館の入り口から中へ入った。
ここなら、暫くの間、身を潜めていられる。
広い建物だったから、上手くすれば、誰にも会わずにひとりになれるだろう。
俺は2階へは登らず、受付を通って1階の書棚の並ぶ方へ歩いて行った。
人の多い、日本の小説や英米文学のスペースを足早に通り抜けると、一番利用者の少ない専門書のコーナーへ行った。
その棚と棚の間へ入り込むと、俺は背負っていた鞄を抱えて崩れるように腰を下ろした。