涙の後で
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慶の家は高台の高級住宅地の一角にあったが、近くに立派な公園があり、そこからの眺めがいいとかで、慶は俺をその公園へ連れて行ってくれた。
遊歩道や噴水などがあり、小さな東屋に石のベンチ、広々とした芝生や花壇のある近所の人たちの憩いの場所のような公園で、高台にあるだけに、そこから下を見ると街が一望出来るようになっていた。
犬の散歩をさせている人や、ボールで遊んでいる親子連れなどが居て、東屋にも老夫婦が腰を下ろして話をしていた。
「わ…、綺麗な公園だね」
弾んだ気持ちのままで、俺は慶を振り返ると言った。
「うん、この辺りの人が良く利用してる。こっち来てみろよ、下の街が全部見える」
「うん」
俺は慶の後についてフェンスの方に歩いて行くと、隣に立って下を見下ろした。
「凄い…、いい眺めだね。夜は夜景も綺麗だろうね」
俺が言うと、慶は笑みを浮かべながら頷いた。
「ああ。よく一人で夜になるとここへ来たよ。……親父とぶつかったりした時とか」
前にも聞いていたが、慶は父親と将来について意見が合わないらしかった。そのことで、以前にも度々、ぶつかることがあったのだろう。
「慶のお母さんって、綺麗だよね。若いし…。慶にはあんまり似てないけど」
気分を変えようとして俺が言うと、慶はまた頷いた。
「ああ、俺とは血が繋がってないからな」
「え?そうなの…?」
驚いて訊き返すと、慶は軽く肩を竦めて何でもないような調子で言った。
「ああ。今の母さんは、俺が5歳の時に親父と再婚したんだ。まあ、継母ってやつだけど、でも5歳から俺を育ててくれたし、俺は本当の母と思ってる」
「そうなんだ…」
慶は平気そうな様子だったが、俺は悪いことを訊いたと思った。
だが、慶は笑いながら俺の肩を叩いた。
「気にするなよ。そういう訳で、俺は母との間に溝を感じたことはないし、却って親父とより仲がいい」
「そう…。じゃあ、瑠衣子ちゃんとは腹違いなんだね?」
すると、慶は首を振った。
「いや、瑠衣子は母の連れ子なんだ。だから、俺とは血は繋がってない」
「え…?」
慶と妹は他人……?
それなら、慶が妹としてではなく、瑠衣子ちゃんを愛することもあるということだ。
まだ幼いが、後2~3年もすれば俺たちと同じくらいの年になる。そしたら、慶もただの妹としてではなく、一人の女性として彼女の魅力に気づくのではないだろうか。
今でさえ、あんなに可愛いのだ。数年したら、それこそ見惚れるほど美しくなるだろう。
「どうかしたか?」
俺が黙り込んだのを不審に思ったのだろう、慶が心配そうに顔を覗き込んできた。
「う、ううん。なんでもない…」
俺が首を振ると、慶は苦笑した。
「ウチって複雑だから驚いたんだろ?でもまあ、当人たちは別に不自然さは感じてないんだ。俺と瑠衣子も本当の兄妹だと思ってるし」
「そう…。慶の本当のお母さんは?亡くなったの?」
動揺していた俺は、訊かなくていいことを訊いてしまった。だが、慶は気にする様子も無く首を振った。
「いや、生きてる筈だよ。でももう、俺とは縁が切れてるから、会ってないけどな」
何でもないような調子でそう言ったが、さっきとは違って、慶の眉間に僅かに皺が刻まれているのを俺は見つけてしまった。
実の母のことは、慶が話題にしたくないことなのだろう。やはり俺は、余計なことを言ってしまったのだと知った。
「ごめん…」
俺が謝ると慶はふっと笑った。
「いや、いいよ。別に……」
だが、俺は慶の方を見ることが出来なかった。
きっと、嫌な思いをさせてしまった筈だ。折角、俺のことを慰めようとして色々と気遣ってくれている慶を、俺はまた傷つけたのだと思った。
「暑いな…?近くにコンビニがあるから、冷たいものでも買って行こうか?」
「…うん」
優しく言われても俺は顔を上げられなかった。
すると、俺の頭の上に慶の掌がすっと乗った。
「千冬?なあ、ホントに気にするなよ?」
「…うん」
やっと頷いた俺の髪を撫でるようにしてから慶は手を離した。
「千冬をリラックスさせたくて連れて来たのに、余計な話しちゃったな…」
後悔するような口調で慶は言った。
それに気づき、俺は顔を上げると、必死で笑みを浮かべた。
「ううん。連れて来てもらって良かった。ここ、凄く気に入ったし、さっきまでちょっと緊張してたから、嬉しかった。ほんとだよ?」
「そっか。なら、良かった。じゃあ、行こうか?」
「うん」
折角、気を遣ってくれた慶の気持ちを台無しにしたくなかったが、もう遅過ぎたかも知れない。余計なことを言ったのは、やっぱり俺の方なのだと思った。
慶と一緒に歩き出し、俺はコンビニまでの道程で一生懸命に会話をしようと努めた。
慶は俺の話に全部応えてくれ、表情もいつもと変わらなかった。
本人が言うように、気にすることは無いのかも知れない。だが、実の母親と別れ、たった5歳で実の子のいる継母に育てられたというのは確かに複雑な生い立ちだろう。
今の母親は優しそうだし、慶の言うように溝は無いのかも知れないし、勿論、継子虐めをするような人にも見えなかった。
だが、本当の母親が別にいると知っていたら、会いたいと思わない訳がない。自分だったら、きっと会いたいと思うだろう。
でも慶は、“縁が切れている”と言った。
態度も言葉も割り切って見えるが、自分が好きで縁を切った訳ではない筈だった。実の母親のことを、慶はどう思っているのだろうか。
知りたかったが、勿論、訊けなかった。そして俺は、慶のクールな面や大人びた雰囲気は、こうした生い立ちの所為なのかも知れないと感じていた。
コンビニに着いて、冷たい飲み物とスナック菓子を少し買い、俺たちは歩きながらジュースを飲んだ。
すると、途中で慶の携帯がポケットで鳴り出した。
すぐに取り出して画面を見ると、慶は笑いながらそれを耳に当てた。
「もしもし?え?……ああ、今、公園の近くだよ。……ああ、うん。もう戻るとこ。…ああ、じゃあ…」
電話を切ると、慶は苦笑しながら言った。
「瑠衣子だよ。何処にいるのかって…。千冬ともっと話したいから、帰ってきてくれってさ」
「え…?」
それを聞いて、俺も笑みを浮かべた。
もう、余計なことは考えない。ここに居る間は、純粋に慶と過せる時を大事にしようと思った。
「あ、瑠衣子ちゃんに写真持ってきたの、渡してないや」
必要以上に明るく、俺はそう言うと慶を見て笑った。
「瑠衣子、きっと喜ぶよ」
そう言って、慶も嬉しそうに笑った。
家に戻ると、慶は真っ直ぐに2階へ上がって行った。
それに付いて、俺も2階へ行き、さっきの客室へ向かうと鞄の中から分厚い封筒を取り出した。
その中に、持って来た写真が入っているのだ。
振り返ると、ドアのところで慶が待っていた。
「なんか、あんまりいいのが無かったんだけど……」
俺が躊躇うように言うと、慶は励ますような笑みを見せた。
「いや、俺は千冬の写真が好きだよ。瑠衣子もきっと同じだと思う」
「ありがと…」
お世辞でも、そう言ってもらえて俺は嬉しかった。
写真を持って、また瑠衣子ちゃんの部屋へ行った。ドアをノックすると、すぐに返事があって、慶がドアを開けた。
「お帰りなさい。邪魔しちゃってごめんなさい…」
瑠衣子ちゃんの言葉に、俺は首を振った。
「ううん…。あの、瑠衣子ちゃん、何もお土産が無いんだけど、俺の撮った写真を持って来たんだ。学校の様子が少しでも分かるかと思って…」
「ほんと?わぁ、嬉しいッ」
目を輝かせた瑠衣子ちゃんを見て、俺は嬉しくなった。気に入ってもらえるかどうか、少し心配でもあったが俺は封筒ごと彼女に渡した。
すると、瑠衣子ちゃんはすぐに封筒の中から写真を取り出して熱心に眺め始めた。
「これが学校?」
訊かれて俺は頷くと、彼女の肩の方に回って一緒に写真を見た。
「うん、これが学校の校舎。それからこっちが寮だよ。俺たちが居るA寮はこっち」
学校を見渡せるあの裏山から撮った写真で俺は彼女に建物を説明した。
「B寮は上級生の居るところ。それから、この煉瓦で出来てるのが図書館」
「ふうん。大きな学校なんですね。いいなぁ…」
羨ましげに言いながら、彼女は次の写真を見た。
「わぁ、綺麗。桜ですね…」
桜並木を撮った写真が自分でも一番良く撮れていると思ったので、色々な角度からのものを数枚入れておいた。それを気に入ってくれたらしく、瑠衣子ちゃんは何度もその数枚を順番に眺めた。
「私、桜の花って大好き…」
「そう?良かった…」
嬉しそうな笑みを見せられ、俺も釣られて笑った。
その他の写真も、質問に答えながら一緒に見たが、最期まで来ると瑠衣子ちゃんはふと顔を上げた。
「慶ちゃんの写真、無いんですね?」
訊かれて、俺はちょっと戸惑った。
彼女は別段、変な意味で言った訳ではないだろう。同じ部屋に暮らしているのだから、当然、慶の写真があってもいいと思ったに違いない。
「あ…、うん。少しは撮ったんだけど、あんまり自身あるのが無くて…」
俺が答えると、彼女は残念そうな顔になった。
「そうなんですか?慶ちゃんの写真もあったら嬉しいな。…千冬さん、今度でいいからお願いしてもいいですか?」
「え…?あ、うん。じゃあ、上手く撮れたらあげるよ」
俺が答えると、彼女はまた顔を輝かせた。
「ほんと?じゃあ、約束」
小指を出されて、俺は躊躇いながらも自分の小指を絡ませた。
指きりなんて、何年ぶりだろう。
何だかくすぐったくて、変な気分だった。
慶はそんな俺たちを笑いながら見ていたが、口を挟もうとはしなかった。
ただ、いとおしげな目でずっと瑠衣子ちゃんを見ていた。
そして、俺は情けないことに、慶からそんな眼差しを受けている瑠衣子ちゃんに嫉妬していたのだ。