涙の後で
ー第6部ー
荷物を詰め終え、ダンボールを積み上げると、俺たちは部屋を出た。
その足で医務室へ向かい、真藤先輩が荷造りが終わったことを中島先生に報告した。
「……なあ、町に行って映画でも見ないか?」
真藤先輩の言葉に、友井先輩の部屋を出てから終始無言だった俺たちは顔を上げた。
「ここに居ても、もうすることが無い。ぼんやりしてても仕方ないだろ?」
先輩の言葉に俺たちは同時に頷いた。
戻って、舎監の先生に外出届を出すと、俺たちは外に出た。
まだ午前中でも、外はもうかなり暑かった。
俺たちは時折汗を拭いながら、バス停まで向かった。
映画館に着くと、掛かっていた映画はアクション物とアニメーションの2本だった。
「こっち、観ようぜ」
笑いながら真藤先輩が指差したのはアニメーションの方だった。
俺と慶も笑いながら頷き、そして、俺たちは並んで上映室に座った。
ほのぼのとしたストーリーのアニメーションだったが、俺は楽しかった。
先輩と慶の間に座り、コメディチックな場面では笑うことも出来た。
そして、慶も先輩も笑っているのが分かり、俺は何だかホッとした。
だが、映画館を出た後で、先輩が呟いた一言が俺をまた不安にさせた。
「なんだか、嵐の前の静けさって感じだな…」
それはきっと、小金井先輩のことを言っているのだろうと俺は思った。
小金井先輩は今実家に居て、友井先輩の事件を知らない。でも、友井先輩が退院して一旦実家に戻ったら、もしかして何か噂を聞いてしまうかも知れない。
そうなった時、先輩は一体、どうするのだろうか。
「よーし、飯に行くか?何食う?」
ポン、と背中を叩かれて俺は先輩を見上げた。
「俺は何でも。…あ、慶は?何がいい?」
俺が訊くと、慶が答える前に先輩がヒュッと眉を持ち上げた。
「慶?…ふーん」
その意味に気付いて、俺はカーッと頬に血が上るのを感じた。
慶の家に行く前まで、俺が彼を苗字で呼んでいたのを先輩は知っていた。それが急に親しげに名前を呼び棄てたのでからかったのだろう。
ニヤニヤと笑う先輩の視線から目を逸らし、俺は慶が不審がっていないかと心配になって彼を見た。
「おかしいですか?俺と千冬が名前で呼び合うのが」
不思議そうに慶が言うのに、真藤先輩は肩を竦めた。
「いや、全然。千冬は気を遣い過ぎる所があるからさ、やっと打ち解けたみたいでいいことだな、と思っただけ」
先輩の答えに、慶も頷いた。
俺は何も言わなかったが、慶に変に思われなかったらしいと分かりホッとした。
結局、のんびり出来るということでファミレスに入り、俺たちは昼食を食べた。
3人とも、わざと友井先輩の話も、小金井先輩の話もしなかった。
真藤先輩は俺が慶の家に行ってどうだったのか訊いてきて、俺は彼の家が立派で驚いたことや、慶の母親が若くて美人で料理が上手なこと、それから瑠衣子ちゃんがとても可愛かったことなどを話した。
「へえ、いいなぁ、妹……」
羨ましそうに言った真藤先輩に、慶が訊いた。
「そう言えば、真藤さんは兄弟はいないんですか?」
すると、先輩はちょっと間を置いて、アイスコーヒーを一口飲んでから言った。
「居るよ。弟がひとり。でも、今は一緒には住んでない。母親が連れてったから…」
そう言った先輩は何処か寂しそうに見えた。
「夏休みぐらい会いに行くか、とも思ったけど、会うとまた、こっちで一緒に暮らしたいなんて言われると困るからさ。来たって、俺も親父もウチには居ないしなぁ」
苦笑しながらそう言い、先輩はまたアイスコーヒーに口をつけた。
「お袋の男と、あんまり上手くいってないらしくて、時々メール寄越すんだ。あいつがウチに来たいなら、俺も寮になんか入らなかったんだけど…」
普段は暗い顔なんか見せたことが無いし、いつも、人の心配ばかりしてくれる先輩だったが、本当は自分だって沢山の悩みを抱えているのだ。
だが、そんな所を微塵も見せない。本当に強くて、カッコいい人だと俺は改めて思った。
俺が黙って顔を見ていると、先輩はばつの悪そうな顔になって少し笑った。
「失敗……。余計なこと言うんじゃなかったな。また、千冬にそんな顔させちまった」
「え…?」
ハッとして俺は先輩から目を逸らすと両手で頬を包むようにした。
「す、すみません。俺、変な顔してました?」
「いや…。千冬はいつも他人の苦しみまで自分のことみたいに感じるから。……弟はちょっと俺に我侭言いたいだけなんだよ。お袋や連れ合いに虐められてる訳でもないし不幸な訳じゃないんだ」
そう言いながら、先輩は安心しろと言うように俺の肩をポンと叩いた。
「俺、別にそんなんじゃ…」
恥ずかしくなってそう言うと、俺は気になって、ちらりと目の前に座っている慶を見た。
何故か一瞬顔を強張らせた後でそれを緩め、慶はグラスの中のストローで氷を掻き混ぜながら言った。
「真藤さんはホントに千冬のこと、よく見てますよね」
すると、真藤先輩は軽く肩を竦めた。
「そりゃ、誰だって好きな相手のことは良く見るよ。気になるからな」
真藤先輩の言葉に、俺はまたカッと頬を染めた。
「た、拓馬さん…。からかうの止めて下さい」
わざわざ慶に、こんなことを言わなくたっていいのにと思った。大体、先輩が好きなのは俺じゃない筈だ。
「あれー、心外だなぁ。マジなのに、俺……」
冗談口でそう言うと、真藤先輩は笑った。
俺も釣られて笑ったが、何故か慶は笑わなかった。
その後、だらだらとファミレスで時間を潰してから、俺たちは帰途に付いた。
学校に着くと、慶は部屋に戻ったが、俺は真藤先輩に付いてそのまま先輩の部屋へ行った。
先輩に誘われたからだが、それだけではなく、やはり何処かで友井先輩のことが気になっていたからだろう。
「もう、運び出したかな…」
先輩の言葉に、俺は友井先輩の部屋の方角を見た。
俺たちが留守の間に、友井先輩の家族が来て荷物を運んで行っただろう。夏休み中で残っている生徒は少なかったが、坂上たちのように運動部の合宿で戻って来ている生徒も居る。まるっきり、秘密裏に運び出すのは無理だったに違いない。
だとすれば、気付いて不審に思った生徒も居ないとは限らなかった。
「千冬、戸田の家に行って、何か変わったことなかったのか?」
部屋に入ると、真藤先輩はすぐにそう言った。
俺は、ベッドに座らせてもらうと、買ってきたペットボトルのキャップを捻りながら首を振った。
「なにも……。別に何もありませんよ。前と、全然変わりません。どうして、そんなこと訊くんですか?」
「いや、何だか前と雰囲気が違うと思って。……もしかしたら、戸田もお前のこと意識し始めてるんじゃないか?さっきだって、まるで俺に嫉妬してるみたいに見えたぜ」
苦笑しながらそう言うと、先輩もペットボトルのキャップを捻って口を着けた。
「そんなことありません。……慶は、小金井先輩とのことで俺に凄く同情してくれて、それで優しくしてくれただけです。……それだけ…」
そんなつもりは無かったのに、つい、口調が寂しげになってしまった。真藤先輩はペットボトルを机の上に置くと、立って来て俺の隣に座り直した。
「何があった?」
「だ、だから、何にもありませんって…」
否定しようとしたが、先輩には通じなかった。
じっと俺の目を見ると、真藤先輩は言った。
「千冬?」
問い掛ける眼差し。
その優しさに、俺の心が緩む。
やっぱり、いつでも真藤先輩の優しさに、結局俺は甘えてしまうのだ。
「慶に……、思い切って、慶に…」
「うん?」
「だって、あんまり優しく触れてきたりするから、俺、勘違いして……ッ」
あの時の事を思い出し、俺はまた感情が高ぶってしまった。すると、先輩の手が励ますように肩に載るのが分かった。
「……キスして欲しいって、そう言った……。そしたら、凄く吃驚して、そして……、有り得ないって顔……」
最後まで続けられず、俺は尻すぼみに言葉を消した。
「……いきなりで驚いたからだろ?だからって、戸田が千冬を好きじゃないってことにはならない。あいつは、明らかに俺に嫉妬してた。それは、千冬を好きな証拠だよ」
慰めてくれた先輩に、俺は首を振った。
「あの時の慶の顔を、先輩は見てないから…。驚いただけじゃない。慶は怖がってるようにさえ見えた。それに、俺が冗談だって言ったら、ホッとしたのがはっきり分かったんです。……馬鹿だった、ホント…。ホントに俺、馬鹿なんです」
何とか無理に笑うと、俺は先輩を見た。
「慶は、ずっと俺に同情してくれてるんです。友達として守ってくれようとしてる。それなのに俺は、優しくされたらすぐに自分の都合のいいように受け取って……。でも、今度こそもう、ちゃんと諦めます。今度こそ、自分の気持ちにケリをつけるって決めたから」
肩の上にあった先輩の手が、優しく動いて撫でてくれた。
「強いな、千冬は…」
首を振って、俺はまた笑みを貼り付けた。
「強くなんてないです。いつも、逃げてばかりいる。…でももう、逃げられないって分かったから」
そうだ。瑠衣子ちゃんとも約束した。
俺はもう、どんなに好きでも慶のことは諦めると決めたのだ。
「まだ、気付いてないだけかも知れないぞ。戸田は、もしかすると自分の気持ちに鈍いタイプなんじゃないのかな?俺には、あいつが千冬のことを特別な存在に感じているように思える。千冬だって、そう思ったから気持ちを伝えようとしたんじゃないのか?」
先輩の言葉に、愚かな俺は、また心を揺らしそうになった。
でも、思い直して首を振った。
「もしかすると、特別に思ってくれているのかも知れません。でも、それは“恋”とは違うから……」
そうだったらいいと、どれほど望んだか知れない。
でも結局は、俺の望む結果になんかならないのだと分かった。
「きっと、沢山の時間が必要だと思う。でも…、きっと何時かは忘れられると思います」
先輩は何も言わなかった。
ただ黙って頷き、そして、俺の肩をまた撫でた。
先輩の腕は優しい。
本当にいつでも、真藤先輩の腕は優しかった。
そしてきっと、この腕は、俺だけでなく小金井先輩にも優しいのだろうと思った。
「ユキ先輩に、知らせないんですか?」
俺が訊くと、先輩はフッと口元を歪めた。
「迷ってるんだ。多分、知らせなかったらきっと、また俺を怨むだろう。でも……、知らせたら、ユキがどうなるか分かってるんだ。分かっていながら、知らせるのは辛い」
「本当に……、ユキ先輩は学校を辞めてしまうと思いますか?」
前に真藤先輩がチラリと漏らした言葉を思い出し、俺は訊いた。
すると、先輩は疲れたような顔になって頷いた。
「多分……。もし、ユキが尚也のことを知ったら、ここに居るのは辛過ぎるだろう。それに、尚也が去ったこの学校に、ユキにはもう居る意味が無い」
2年半も過ごしたこの学校で、本当に小金井先輩は他に何も見つけなかったのだろうか。
だとしたら、それは余りに悲し過ぎる。
同学年にも下級生にも慕われて、友達だって沢山居る。部活だって楽しんでいたように見えたし、学校生活は先輩にとって楽しいことも沢山あっただろう。
それでも、先輩は行ってしまうのだろうか。
「拓馬さんは、それでいいんですか?もし、ユキ先輩が学校を辞めるって言ったら、止めないつもりなんですか?」
「俺?」
聞き返して真藤先輩は肩を竦めた。
「関係ないだろ、俺は。それに、俺が止めたからってユキの気持ちに変化が起きるとは思えないし……。決めるのはユキだ。残念だけどな…」
「拓馬さん…」
気がつくと、俺は先輩の身体にしがみ付いていた。
「なんでいつも、自分の気持ちを後回しにするんですか?拓馬さんは優し過ぎます。他人のことばかり優先して、自分の気持ちはいつも二の次だ。辛くないんですか?」
先輩の腕が俺の身体を包み、頬が摺り寄せられるのが分かった。
「俺は…、優しくなんか無いよ。臆病なだけだ…。それに、何度も言ってるが、俺はユキに恋愛感情は持ってない。ユキのことは好きだけど、それは恋じゃない」
顔を上げると、先輩もじっと俺を見た。
「……嘘です」
俺が言うと、先輩は笑った。
「千冬……」
不意に顔が近づき、逃げる前にキスされていた。
「俺は確かに片思いしてる。けど、それでいいんだ。……辛くても、それでいい」
“誰に”とは言わなかった。
そして、その相手が小金井先輩だと、俺には確信出来なかったのだ。