涙の後で


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「何処行くの?」
慶が近づくのを待って訊くと、その方向を指差して彼は答えた。
「図書館。千冬も行くか?」
訊かれて、躊躇ったが俺は頷いた。
「うん。行こうかな」
「あの作家の新刊出てるぞ。今月の新刊コーナーに入ってる筈だよ」
「ホント?じゃあ、借りよう」
慶に薦められて読み始めた作家を気に入って、俺は彼の作品を読み漁っていた。それを知っていて、慶は教えてくれたのだ。
「今さ……」
言うかどうするか迷ったが、俺は慶に日下部と会って彼を文芸同好会まで連れて行ったことを話した。
「へえ?あいつ、文芸に入るつもりなのか…。まあ、読書家なのは確かだけどな」
それ程興味を示した様子も無く、慶はそう言った。
「慶のこと、フリーなのかって気にしてたよ」
「え?俺?なんで?」
「知らない。でも、慶が同性と付き合うなんて考えられないって」
俺がそう言うと、慶は苦笑気味に笑った。
「まあ、そうだろうな…。あの時は少し安易に考え過ぎたんだと思う。俺はもう、例え偽装でもここの生徒とは付き合うつもりは無い。友井先輩と付き合ったことも間違いだったと思ってる。……結局、いい結果にはならなかったし」
「そんな……。まだ、気にしてたの?でも、あれは慶には何の責任も無いよ。拓馬さんだって、そう言ってたろ?」
俺の言葉に、慶は僅かに頷いた。
「そうかも知れない。でも、やっぱり付き合うべきじゃ無かったって思うんだ。……兎に角、もう安易に彼氏を作るつもりは無いよ」
慶の言葉は俺の胸に痛みを与えた。
自分が選ばれないことは知っているが、それだけではなく、次々と偽りの相手を替えている自分を否定されたような気持ちになったのだ。
「……俺のこと、軽蔑してる?」
躊躇ったが、俺ははっきりと慶に訊いた。
すると、慶は驚いた顔で俺を見た。
「え?……いや、俺は千冬のことを言ったんじゃないよ。彼氏を作ることも悪いとは思ってない。危ない目にも合ってるし、千冬には決まった相手が居た方がいいと思う。でも、俺には向かないって言いたかったんだ。俺は、器用じゃないしな」
坂上と付き合うことになったと言った時、慶は少し苦笑して、
「忙しいな、千冬も」
と、言っただけだった。
俺が誰と付き合おうと興味がないからなのか、それとも、俺と坂上の付き合いは真藤先輩たちの時とは違うと思ったのだろうか。
確かに、春休み中、家に帰った俺たちは何度も出かけたり、お互いの家へ行ったりしたが、恋人らしいことは何一つ無かった。
そんな俺たちの関係を、慶はなんとなく感じていたのかも知れない。
「本当に好きな人としか付き合わないって、日下部は言ってたよ。……それは多分、慶のことなんだと思う」
「え…?」
驚いた表情で、慶はまた俺を見た。
「まさか…」
「ううん。きっとそうだよ。日下部は慶のことが好きなんだと思う」
俺が見上げると、慶は少し困惑したような顔になった。
「どうかな?俺にはそうは思えないけど……。でも、もしそうだとしても俺は日下部と付き合うつもりは無いよ。さっきも言ったけど、もう俺は“彼氏”は要らない」
慶の答えを聞いて、俺は複雑な心境になった。
曖昧に笑って歩き出すと、慶も黙ってまた歩き始めた。
日下部と付き合う気は無いと、慶の口からはっきり聞けたことは嬉しかったし、安心した。でも、やはり慶は同性相手に恋愛することは無いのだなと、改めて分かった。
「今年の桜、もう撮った?」
訊かれて俺は頷いた。
「うん、少しだけ。……あ、帰りにモデルになってよ。桜のとこで撮らせて?」
俺が言うと、慶は苦笑した。
「モデルってのはどうもな…」
「瑠衣子ちゃんにも約束したし、綺麗に撮れたら送ってあげたいから」
「じゃあ、普通に動くから勝手に撮ってくれよ。それならいいけど」
「うん、分かった」
普通の友達同士の会話が出来ている筈だと思った。
この想いは、もしかするとずっと消えないままなのかも知れない。
だが、俺はこれからも慶の隣で笑っていられるように努力するつもりだった。
「まったく、瑠衣子も何で俺の写真なんか欲しがるんだか…」
「いつも会いたいからだろ?瑠衣子ちゃんの気に入る写真が撮れるといいな」
俺の言葉に、慶は優しい笑みを浮かべて此方を見た。
その笑みに答えて俺も綺麗に笑えているといいと思った。



5月に入り、俺には坂上という決まった相手がいると知れ渡ったのか、もう付き合いたいと言ってくる下級生もいなくなっていた。
俺の身辺はやっと落ち着きを取り戻したが、彼氏のいない慶の方はまだまだ煩いようだった。
そんな中で、てっきり告白してくるのではないかと思っていた日下部は慶に何か言ってきた様子は無かった。だが、やはり彼も数ある告白を断り続けているらしく、相手を決めたという噂は聞かなかった。
楠田は“カッコいい”と言っていたあの下級生に何やかやと親切にしているようで、部室に行くと良く二人で話しているのを見かけた。
まさか、本気で乗り換えるつもりなのかと少し呆れたが、相手の方はそんな気持ちは無いらしく楠田のことを先輩以上に見ている様子は無かった。
その下級生、有川(ありかわ)雄李(ゆうり)は楠田が目をつけただけあって、かなりモテる様子だった。上級生にも良く話しかけられていたし、メルアドを渡されているらしい場面にも出合ったことがあった。
ゴールデンウィークは休みが短い所為もあり春休みから間もないこともあって、家へ帰らない生徒も結構いた。
俺も慶も今回は寮に残ることにし、俺は休みの初日に、初夏の景色を撮りにぶらぶらと裏山へ出掛けることにした。
寮を出たところで、向こうから歩いて来た有川が手を振って駆け寄って来た。
近づくのを待って立ち止まっていると、有川は笑みを見せて軽く頭を下げた。
「高梁先輩、撮影ですか?」
「あ、うん。別に目的は無いけど、裏山にでも登ってみようかと思って」
「一緒しても?」
手に持ったカメラを見せながら有川が言った。
「いいよ。じゃあ、行こうか」
頷いて俺が歩き出すと、有川は肩を並べてきた。
「いい天気ですね」
「うん、気持ちいいね。有川も家に帰らなかったんだ?」
「ええ。まだホームシックになるには早いですしね。それに、俺んち結構遠いから」
「そうなんだ。親から帰って来いって言われなかったの?」
俺が訊くと、有川はちょっと苦笑して頷いた。
「ウチ、商売やってて親はどっちも忙しいんですよ。ゴールデンウィークは稼ぎ時だし、帰っても邪魔なだけですから」
「へえ…」
同じ部にいても余り話したことが無かったが、こうして話してみると有川は話し易い相手だった。
山を登り切り、頂上に着くと、有川は大きく背伸びをして景色を眺めた。
「いいとこだなぁ。良く来るんです?」
笑顔で振り返った有川に俺は首を振った。
「前はね。仲のいい先輩と良く来たんだけど、今はあんまり…。今日は久し振りに登ったよ」
「仲のいい先輩って、元の彼氏とか?」
訊かれて、俺は少々頬が赤くなるのが分かった。
「まあ、そんな時もあったけど…」
ここへは、乱暴されそうになって以来、真藤先輩と一緒にしか来なくなった。だから、先輩が卒業してから初めて来たのだ。
「今は、坂上先輩でしたっけ?柔道部の…。あの人と付き合ってるんですよね?」
「う、うん。そうだけど……」
そういうことには興味が無いのかと思っていただけに、有川に訊かれて俺は少し驚いた。
「先輩目当てて入った奴らがガッカリしてましたよ。部を辞めるとか言ってるヤツもいたから、もう少し待つように言った。まだ、写真の面白さも何も分からないだろうって」
「そうなんだ。ありがと…」
俺が言うと、有川は笑った。
「礼なんておかしいですよ。大体、そんな不純な動機で入部する方が悪い」
「そうだけど……。でも、そういう理由で入っても残ってくれる子は残るから。去年も半分は残ったしね」
「ふぅん」
頷きながら、有川はカメラを構えてファインダーを覗いた。
「有川は?付き合いたい相手は居ないの?凄くモテてるみたいだけど」
俺が言うと、有川は苦笑して構えていたカメラを外した。
「モテても、男じゃね」
「だよね」
俺が笑うと、有川は唇から笑みを消して俺を見た。
「高梁先輩が付き合ってくれるなら、性別なんか気にしないんだけどな…」
「えッ?」
驚いて俺が絶句すると、有川はクスッと笑った。
「先輩なら“あり”なんだけど、惜しかったな…」
「ま、またっ。からかうなよッ」
俺が睨むと、有川は肩を竦めるようにして向きを変え、またファインダーを覗いた。
「からかってないですよ。でも、誤解しないで欲しいけど、写真部に入部したのは不純な動機じゃないですよ。純粋に写真が好きだっただけで…」
言いながら何枚かシャッターを切り、そして有川はまた俺を振り返った。
「けど、入部して先輩を見てる内に、いいなって思うようになった。男でも先輩となら付き合いたいって思えた。……なんだろ?高梁先輩は別に女性っぽくもないけど、でも、なんだか守ってあげたいような気にさせられるんですよね」
何だか見ているのが恥ずかしくなり、俺は有川の視線から目を逸らした。
「それは別に好きだからとかじゃないよ。俺が頼り無く見えるってだけのことだろ」
「違いますよ」
「そうだよ」
「違います」
押し問答のようになり、有川は少し笑った。
「こんなこと言うと嫌な気持ちにさせると思うけど、先輩の隠し撮りがあるの知ってますか?」
「えっ…?」
初めて耳にしたことだった。
隠し撮りだなんて、まるで知らなかった。俺は驚いてまじまじと有川を見た。
「やっぱり知らなかったんだ?……先輩だけじゃなくて、人気のある生徒の大半の隠し撮りが出回ってる。俺が見たのは1枚だけで、先輩が外を歩いているところを望遠で撮ったモノだったけど、高梁先輩のは欲しがるヤツが多いんで、種類も枚数も相当な数が流れてるらしいですよ。気をつけないと、着替えているところとかも撮られるかも知れない」
「そんな……」
俺が驚いて青くなると、有川は近づいて来て俺の顔を見た。
「そういう奴らの気持ち、分からなくもない」
「あ、有川……」
「先輩はもっと自覚した方がいいです。他にも女の子っぽいヤツや、楠田先輩みたいに可愛い人もいるけど、でも、そういうアイドルたちの中でも先輩は少し違う。高梁先輩に触れたいと思ってるヤツは先輩が思ってるよりずっと多い筈です」
見つめられて体が強張った。コクッと喉を鳴らして唾を飲み込むと、俺は口を開いた。
「なんで俺なんかを……?」
「分からない……。けど、どんな顔するのか見てみたいと思う」
「どんな……?」
聞き返すと、有川はじっと俺を見つめながら言った。
「触れたら…、キスしたら……どんな顔するのかって」
サッと目を逸らし、俺は有川に背中を向けた。
「お、俺…、もう帰る」
すると、有川が俺の腕を掴んだ。
「乱暴したりしないですよ。怖がらないで下さいッ」
振り向くと、済まなそうな表情で此方を見ていた。
「済みません。怖がらせるつもりじゃなかった。……でも、全部本当のことです」
俺が黙って見上げると、有川は掴んでいた腕を離した。
「先輩が嫌がることなんかしません。だから、時々こういう風に話したりしたい。……駄目ですか?」
「それは、別に構わないけど……」
俺が答えると、明らかに有川はホッとした表情を見せた。
「良かった。写真、撮りましょうよ。折角来たんだし」
「うん、そうだな…」
俺もやっと笑って頷いた。
すると、有川はカメラを構えてアングルを探し始めた。