涙の後で


-8-

始業式直前に戻る生徒も居たが、準備もあるので大抵の生徒は始業式の1日前には戻って来る。俺も慶も2日前に戻り、まだ半分ほどの生徒しか戻っていない寮で一晩を過ごした。
翌日の昼過ぎに、戻って来たクラスメイトに誘われて談話室に行くと、そこには楠田も来ていた。
「いつ戻ったの?食堂に来てたっけ?」
訊くと、楠田は首を振った。
「ううん。今さっき着いたトコ。そんなに早く戻って来たってやることないもん」
言いながら、楠田は窓の方へ行ってそこから外を見た。
「あっ、ほらほら、あれ……」
何を見つけたのか、楠田は窓の方を向いたまま急いで俺に手招きをした。
指差す先を見ると、新入生らしい生徒が通る所だった。
「なに?新入生?」
「そうそう。あれが、今年の美人ナンバーワンって言われてる日下部(くさかべ)琉加(るか)だよ」
「ふぅん…」
今さっき来たばかりだと言っていたのに、もう新入生の情報を掴んだのかと思うと、俺は呆れるのを通り越して楠田を尊敬した。
確かに凄く綺麗な生徒で、多分、外国の血が混じっているのではないだろうか。抜けるように白い肌と、金茶色の綺麗な髪をしていた。
「ホント、綺麗だね」
俺が感心すると、楠田は呆れたような顔をして言った。
「何のんびりしてんのさ。あの子、入寮早々に友井先輩の二代目だって言われて、すでにファンクラブまで出来ようかって勢いなんだよ。今まで誰にも靡かなかったけど、あの子なら戸田君を落とすんじゃないかって、専らの噂なんだから」
「え……?」
慶の名前が出て、俺は急に真剣になった。
慶はあれからずっと、誰に告白されても断り続けている。でも、その煩わしさから逃れたいと思っているのも確かだった。
だから俺には、絶対にあの下級生が慶の心を動かさないとは言えなかったのだ。
「で、でも、あの子はそういうの嫌いかも知れないじゃないか。男同士のカップルが居るなんて思わないで入学してきたのかも知れないよ。俺や慶だってそうだったし…」
期待半分に俺がそう言うと、楠田は呆れ顔で俺を見た。
「その高梁も、そして嘗ては戸田君だって結局は彼氏を作ったじゃんか。言い寄られるのが面倒だとか、そんな理由だけだって彼氏が欲しいって思うかも知れないだろ。だったら、幾ら理由がそんなことでも付き合うからにはカッコいいに越したこと無いって思うよ」
そう言われれば、返す言葉は無かった。
「でも、別にそれならそれでいいだろ。あの子が慶を選んだとして、そして慶もあの子を選ぶんなら、俺たちには何も言えないし、関係ないよ」
精一杯強がって、俺はそう言った。すると、楠田も肩を竦めながら頷いた。
「まあね…。俺ももう伊藤先輩が居るし、今更、脈の無い戸田君に言い寄る気も無いしね。でも、やっぱ悔しいよなぁ。戸田君が友井先輩以外に誰かを選ぶなんて」
どんなに可愛い子が告っても撥ね退け続けている慶だからこそ、彼に選ばれることは名誉に感じるのかも知れない。慶自信には全くそんな気も無いのだろうが、影では孤高の存在のように言われているらしかった。
慶はもう卒業まで誰とも付き合わないのではないかと何処かで思っていた。
だが、確かにさっき見た新入生は友井先輩にも負けないほど綺麗だった。彼なら、慶の心も動くかも知れない。
そう思うと、俺は急に憂鬱になった。
もう例え偽りだったとしても、自分の目の前で、慶が彼氏だと言われる誰かと笑い合っているのを見たくなかった。
(勝手だな……)
とうとう、慶に自分の気持ちを告げることも出来ず、友達の域から少しも出られないくせに嫉妬だけはするなんて馬鹿げている。
相変わらず成長していない自分に俺はまた呆れるしかなかった。
部屋に戻ると、慶が向かっていた机から振り返った。
「談話室に誰か居た?」
「楠田と有田。後は3年生かな」
俺が答えると、慶は少し笑った。
「この頃、楠田と仲いいな?前は犬猿の仲だったのに」
「別に良くは無いけど…。でも、部活も一緒だし話す機会は増えたかも。時々、きついこと言われるけど、ある意味正直だからね、楠田は」
「なるほど…。まあ、もう千冬に嫌がらせしないなら俺はどうでもいいけど」
言いながら元のように慶はパソコンに向き直った。
「明日はもう、始業式か。1年って早いよな…」
呟くように言った慶に俺は笑った。
「年寄り臭いよ、それ…」
俺の言葉に慶が笑った時、ドアにノックの音がした。
返事をしてドアを開けると、そこに立っていたのはさっき楠田と噂していた新入生だった。
「あ…」
驚いて俺がまじまじと見ると、日下部はにっこりと笑って頭を下げた。
「はじめまして。僕、今度入学する日下部琉加と言います。ここは戸田慶先輩の部屋ですよね?」
訊かれて俺は更に驚いてしまった。
「えっ?あ、ああ、うん、そうだけど…」
近くで見ると、日下部は俺よりも背が高かった。目の色も、はしばみ色というのだろうか、色素が薄くて輝いている。本当に見惚れるほどに綺麗だと思った。
「日下部……?」
俺が戸惑っていると、後ろから驚いたような声がした。
「戸田先輩」
慶が現れたのを見て、日下部の顔に喜びの表情が浮かんだ。
驚いたことに、慶と日下部は知り合いだったらしい。俺の後ろから出て来ると、慶はまだ驚いた表情のままで日下部の前に立った。
「おまえ、ここに入学したのか…」
「はい。お久し振りです、先輩」
「なんで、こんな遠くまで?お前、一高へ行くんだと思ってたよ」
「それが…」
苦笑しながら口篭った日下部に、慶は怪訝そうな顔をして彼を見た。
「あ、あの…、入れば?どうぞ…」
戸口に立ったままの日下部に俺がそう言うと、彼は笑みを見せて軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。それじゃ、失礼します」
礼儀正しい態度でそう言い、日下部は部屋の中へ入って来た。
「あ、何か飲む?」
俺が訊くと、部屋の中を珍しそうに見回していた日下部は首を振った。
「いえ。今日は戸田先輩に挨拶に来ただけなんで、すぐに帰りますから」
慶のことを先輩と呼んでいるのだから、日下部と慶は同じ中学なのだろう。だとすれば、日下部も他県から入学したことになる。
それに気付き、俺は急に鳩尾辺りにもやもやした物を感じた。
(まさか……)
日下部は、慶を追ってここへ来たのではないだろうか。
何の根拠も無いのに、俺はなんだかそんな気がして気分が悪くなった。
要らないとは言われたが、俺は自分のを淹れるついでのふりをして、日下部の分も紅茶を淹れた。
「慶も飲むだろ?」
訊くと、慶は礼を言いながら頷いた。すると、日下部は不思議そうな顔をして俺を見た。
「慶…?」
怪訝そうに口に出してそう言った日下部に、俺は眉を寄せた。
「なにか?」
俺が差し出した紅茶のカップを受け取りながら、取り繕うように笑顔になって日下部は言った。
「いえ…。戸田先輩が名前で呼ばれてるの、初めて聞いたので」
「え…?」
「中学の時に付き合ってた吉沢先輩にも、確か“戸田君”って呼ばれてましたよね?戸田先輩って相手を構えさすようなところがあるから…」
笑いながらそう言われて慶は苦笑した。
「別に俺は名前で呼ばれるのに抵抗なんか無いけどな…」
「さすがルームメイトですね。同じ部屋にずっと寝泊りしてるんだから、親しくなって当たり前ですよね」
振り返って俺を見た日下部の目に、敵意があるように思えたのは俺の勘違いだったのだろうか。
「ま、まあね…」
俺は曖昧にそう言うと、カップを持って自分の机の前に腰を下ろした。
すると、日下部は俺に背を向けて慶の方を向いた。
「それにしても、相変わらずの読書家ですね。寮の部屋にもこんなに本があるなんて。また、なんか貸して欲しいな」
「ああ、いいけど。でも、ここの図書館は充実してるぞ。もう、行ってみたか?」
「いえ、まだです。あ、先輩、暇だったら連れてってくれませんか?」
その遣り取りを、俺は興味の無いふりをしながら、しっかりと気にしていた。
慶に、行って欲しくない。
突然現れた、この日下部という存在が、俺は怖くて堪らなかった。
「今からか?春休み中、図書館は2時までなんだ。あと10分も無いから無理だよ」
「そうなんですか…、残念。じゃあ、入学式が終わってからゆっくり行ってみます」
「そうだな。平日は7時まで開いてるから」
「はい。それじゃ、僕、もう行きます。お邪魔しました」
「ああ、またな」
素っ気無く慶が答えた後、日下部は俺の方を振り返って笑みを見せた。
「高梁先輩、ご馳走様でした」
俺にカップを返しながらそう言ったが、紅茶に口はつけていなかった。
「あ、うん…」
俺が頷くと、日下部は笑みを残したままで言った。
「また、遊びに来てもいいですか?」
何故、慶に訊かずに俺に訊いたのか、その意味を図りかねて俺は戸惑った。
「あ…、うん。どうぞ」
「ありがとうございます。それじゃ、失礼しました」
礼儀正しく頭を下げて、日下部は部屋を出て行った。
ドアが閉まると、慶は首を傾げた。
「なんであいつ、こんな遠くまで来たんだ?訊くの忘れたな」
「慶のこと追い掛けて来たんじゃないの…?」
嫌味にならないように気をつけながら俺は言った。
「まさか…」
そんな理由は微塵も頭に無かったらしく、笑いながら慶は言った。
「だって、親しそうだったし…」
「生徒会で1年間一緒だっただけだぞ。本を貸したり、借りたりなんかはしてたけど、学年も違うし一緒に遊んだことも無かった。別に、特別親しくは無かったよ」
「そうなんだ。でも、凄い綺麗な子だよね。友井先輩にも負けないくらい…」
「ああ、まあな。日下部は母親が北欧辺りの人なんだ。ハーフだし確かに綺麗だよな。男にしておくのは勿体無いかも」
笑いながらそう言った慶は、日下部に対して特別な興味を持っているようには感じられなかった。だが、日下部の方ではどうなのだろう。
さっき、俺が慶を名前で呼んだのを気に入らない感じに見えた。
本当に慶を追い掛けて来たのではないのだろうか。
「知らないで来たんだろうけど、これから大変だぞ、あいつ」
「うん、そうだね…」
笑いながらそう言った慶に、俺も笑って見せた。
だが、心の中では不安が渦巻いていたのだった。