涙の後で
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3月、真藤先輩が卒業した。
卒業式の当日、少しでもいいから先輩に会いたくて、俺は3年生が来る筈の昇降口付近で待った。
でも、同じ考えの生徒は俺だけじゃなかった。
部活の後輩たちも先輩を待っていたし、卒業生を彼氏に持つ下級生は大抵集まっていた。だから、昇降口には思ったより沢山の生徒が居た。
下の町からのバスは本数が少ないので、両親と一緒の卒業生は車で来る人が多かったが、真藤先輩は一人でバスに乗ってやって来た。海外赴任中のお父さんはやはり来られなかったのだろう。
俺の姿を見つけると、先輩はすぐに手を上げてくれ、俺は嬉しくなって駆け寄った。
回りに沢山の親の姿が見えたので、まさか抱き合うわけにもいかなかったが、誰も居なかったらきっと迷わず抱きついていた。
「元気だったか?」
訊かれてすぐに頷いた。
「はい…」
俺が頷くと、先輩は心配そうな顔をした。
「そんな顔するなよ。これが最後じゃないから…」
きっと、泣きそうな顔をしていたのだろう。俺は先輩に言われて自分の頬を擦った。
「済みません。先輩の旅立ちなのに」
「帰り、寮に寄るよ。俺はすぐに帰る必要も無いし」
その言葉に嬉しくなって、俺は勢い良く頷いた。
「はいっ。待ってます」
笑って俺の頭を撫でると、先輩は校舎に入って行った。その後姿を見送った後で、俺も校舎に入った。
卒業式には泣かないと決めていたのだが、講堂を出て行く先輩の姿を見るとやはり涙が出てしまった。
先輩が来てくれると言ったので、俺はそれを慶にも伝えて飲み物を用意しておいた。
先輩は式の後にすぐに来て、購買で昼ご飯を買うと俺たちと一緒に食堂で食べた。
人気者の真藤先輩だったから、食堂に行くと大勢の生徒が別れを惜しみに来た。
メルアドやプレゼントを渡されたり、握手を求められたり忙しかった。中には、先輩のファンだったのだろう、泣き出す生徒までいて先輩も大変そうだった。
帰る時、俺と慶は先輩をバス停まで送って行った。
今度こそ泣くまいと決めて、俺は先輩を見送った。
メールも電話もくれると約束し、長期休みには会いに来てくれると先輩は言った。
今度は先輩の地元にも遊びに来いと言われて俺は頷いた。
最後じゃないのは分かっている。
それでも、先輩が遠くに行ってしまうことに変わりは無かった。
バスが来て、先輩は改めて俺を見た。
”さよなら”
と言いたくなくて、俺は黙って先輩を見上げた。
すると、先輩は
「またな?」
と言って笑った。
「はい。また……」
小さな声でそう答え、俺は精一杯先輩に向かって笑った。
卒業式の翌日、真藤先輩との別れからまだ立ち直れていなかった俺を坂上が呼び出した。
「ちふは、俺じゃ嫌?やっぱり、駄目かな?」
両手をしっかりと掴まれ、真剣な目で俺を覗き込む坂上に、すぐには応えられなかった。
気持ちは嬉しい。
真藤先輩に俺のことを頼むと言われて、カモフラージュでもいいから付き合いたいと言ってくれた。
でも、それで坂上のことを余計に傷つけるのだとしたら、俺は躊躇う他無かった。
「俺は嬉しいよ。でも、……知ってるだろ?俺は……」
「だからっ、だからそれでもいいよ。……ちふの一番傍に俺が居たい。この学校に居る間だけでも、俺が守りたい」
「真也……」
「戸田の代わりにはなれなくても、真藤先輩の代わりにはなれるかも知れないから。だから、俺と付き合おう?」
痛いほど真剣な目をして坂上は言った。
俺はその気持ちを嬉しいと思ったが、どうしても頷くことは出来なかった。
俺は坂上に何も返せないのに、本当に傍にいていいのか分からなかった。彼を傷つけない自信がなかった。
「頼むよ。……本当に傍に居るだけでいいんだ。ちふが嫌なら何もしないし、無理なことは言わない。ただ、時間が許す限り傍に居て、そして俺を頼って欲しい。誰よりも、俺を信じて欲しい」
「真也……」
涙が出た。
こんなにも俺のことを大切に思ってくれる人が他に居るだろうか。
「な?俺と付き合おう?」
涙を堪えて下を向いた俺の肩に手を置き、坂上は覗き込むようにして言った。
俺は、とうとう頷いた。
例え、恋人としては応えられなくても、俺は彼のことを友達として誰よりも大切にしようと思った。
春休み前、寮の部屋替えが決まったのだが、何故か俺はまた慶と同室になった。
ただ、部屋はB寮に替わったので、俺たちは他の生徒たち同様に荷物を纏めて引越しをした。
部屋を移る前に、寮全体で一斉に部屋の大掃除があり、自分たちの使っていた部屋を綺麗にして空け渡すことになっていた。
寮監の先生方のチェックが入り、合格しないと引越しが出来ないのでみんな必死だった。
B寮に移っても今までの習慣で俺と慶は其々同じ側に自分の陣地を決めた。
1年の時と同じルームメイトなのは俺たちだけではなかったが、坂上や楠田は別の相手になったようだった。
後で楠田の話を聞いたところによると、1度でも問題を起こしたり、諍いがあったりすると別の相手と組まされるらしい。
楠田は見た目は可愛いがきつい性格なので、結構ルームメイトと喧嘩していたようだった。
ただ、坂上の場合は部活の為に他の生徒とは生活のサイクルが違うので、今度は便宜性を考えて同じスポーツ推薦の生徒と同室になったらしい。
楠田は時々嫌味を言う程度で、もう嫌がらせをしてくることは無かったし、すぐにやめると思った写真部も辞めずに在籍していたこともあって、案外話をする機会が多くなった。
春休み前に部室の方も大掃除があり、いつもはなんやかんや言って面倒臭い掃除当番などはサボりがちの楠田も、顧問の先生が監督に付いていたこともあり、この時ばかりは真面目に参加した。
掃除が終わった後、珍しく誘われて部室の外で一緒にジュースを飲んだ。
「高梁さぁ、付き合った全員とエッチしたの?」
さらっと訊かれて、俺は飲み物を吹き出しそうになった。
「なっ…?」
まじまじと見ると、楠田は済ました顔でチューッとストローからジュースを飲んでいた。そして、俺の方を見るとにやりと笑った。
「清純そうに見えたって高梁だって男だもんね?性欲だってそれなりにあるんだろ?俺の見る所じゃ、真藤先輩とはヤってたんじゃないかなぁって。なあ?どうなの?」
「そ、そんなの、楠田に答える必要ないだろッ」
ムッとして俺がそう言うと、楠田はちょっと溜め息をついた。
「まあさ、そりゃそうだけど……。実は俺、ちょっと相談したくてさぁ」
「え?相談?楠田が俺に?」
驚いて俺が聞き返すと、楠田は可愛い口をちょっと尖らせた。
「俺だって悩みくらいあるよ」
「ああ…、ごめん。で?相談って、なに?」
訊くと、楠田は表情を戻して俺の顔を見た。
「俺、伊藤先輩と付き合ってるじゃん?まあ、1年近く付き合ってるしさ、チュー以上のこともあったりする訳よ」
それを聞いても、別に驚きはしなかった。楠田は積極的に彼氏を探していたくらいだし、付き合う相手ともプラトニックに終わらせようとは思っていなかっただろう。
「うん」
俺が頷くと、楠田は話を続けた。
「でもさぁ、ぶっちゃけ、マジにエッチまでしたいかって言えば、ノーなんだよねぇ」
言った後で溜め息をつき、楠田は後ろの壁に寄り掛かって足を投げ出した。
「だってさ、先輩はやっぱ俺に挿れたい訳じゃん?そうなったら、俺の負担って半端じゃないもんね。そこまでする相手かって訊かれたら、違うしさ」
「うん、中島先生も言ってたよ。お前たちが考えてるよりリスクが高いって。幾ら好きでも、安易にするなって」
俺の言葉を聞くと、楠田はニヤニヤ笑った。
「てことは、高梁も最後まではしてないんだ?」
「だ、だから、俺のことは関係ないだろッ」
俺がむきになって言うと、楠田はまた少し笑った。
「まあいいや。兎に角、これから先、惚れて惚れて、どうしようもなく惚れちゃった相手が出てきたら躊躇わないかも知れないけど…。でも、ここでの相手はここだけの相手だと思うんだよね。所詮、卒業したらサヨナラだろ?」
最後の言葉が嫌で、俺は頷かなかった。
勿論、真藤先輩たちは本気で俺のことを好きだった訳じゃないし、俺の方にも慶という存在がある。でも、これっきりで先輩たちとの縁が切れるのだとは認めたくなかったのだ。
「伊藤先輩に、強要されてるの?」
頷く代わりに、俺は楠田に訊いた。
「いや、強要とまではいかないけどさ。やっぱ、させてくれって何度も言われてんだ。んで、断り続けてたら、じゃあフェラして欲しいって…」
「ええっ?」
その言葉に衝撃を受けて、俺はカーッと顔に血を上らせた。
「なんだ。その様子じゃ、そっちも未経験か」
苦笑しながらそう言われ、俺はむきになって言った。
「あ、当たり前だろッ。そんなこと……」
俺の答えに楠田は軽く肩を竦めた。
「まあ、そうだろうな。ヤるにしたって、高梁はマグロっぽいしさ」
「マ、マグロッ?」
その言葉にまたショックを受けたが、でも否定は出来なかった。
確かに俺は、小金井先輩の時も真藤先輩の時も、されるがままで自分からは何も出来なかったのだ。
「俺さぁ、性格的に駄目なんだよね。一方的に奉仕するって。それぐらいなら、我慢してヤらせちゃった方がいいかな、とか考えちゃって」
「だ、駄目だよッ、そんな簡単にッ」
俺が慌てて言うと、楠田は少し驚いた様子で俺を見た。
「なに?心配してくれんの?」
「そりゃ……。だって、本当に安易にさせることじゃないよ。慣れない相手との行為は病院の世話になることもあるって中島先生も言ってたし…」
先生から直接言われた訳ではなかったが、俺は自分の体験からそう話した。病院へは行かずに済んだが、それは中島先生が傍にいて治療し、学校には秘密にしてくれたお陰だった。
「まあね、俺だって率先してヤらせるつもりはないよ。でも……」
クスッと笑って楠田は俺を見た。
「ホントに高梁ってお人好しだよな。俺のこと、嫌いじゃないの?」
「そりゃ…。腹が立つこともあったけど、でもだからって傷ついていいとは思わない」
「ふうん…」
まじまじと俺の顔を見ていたが、楠田はやがて肩を竦めて視線を逸らした。
「高梁さ、なるべく独りになるなよ?坂上君でも戸田君でもいいから、いつも誰かの傍にいた方がいいよ」
「え…?どうして?」
驚くことに、俺が坂上に告られて承諾したことは数日で知れ渡っていた。だからもう、言い寄られる心配も無いだろうと思っていたので、楠田の言葉は意外だった。
「短期間に相手を変え過ぎたんだよ。一部じゃ、高梁は清純そうに見えて尻軽だって言われてる。強く迫れば、誰にでもヤらせるんじゃないかって言ってるヤツもいるんだ。だから、気をつけた方がいいよ」
「そんな……」
まさか、そんな噂が立っているなんて思いもしなかった。だが、噂に精通しているらしい楠田の言うことに間違いは無いのだろう。
ショックだったが、俺は楠田が忠告してくれたことが嬉しかった。
「ありがと…、教えてくれて」
俺が言うと、楠田は不本意そうに顔を顰めた。
「別に心配してる訳じゃないよ。ただ、知ってることを隠してるのが嫌だからさ。……さて、そろそろ戻ろ?まごまごしてると日が暮れるよ」
「あ、うん…」
尻を払いながら立ち上がった楠田に続き、俺も立ち上がった。
グラウンドでは、まだ運動部の生徒たちが活動していたが、今日はもう早めに切り上げるところが殆どだった。
春休みが終わって学校に戻ると、俺たちは2年に進級する。
そして、俺たちがそうだったように、期待と不安を胸に抱きながら新入生たちがやってくるのだ。
俺は、去年そうしたように、今年も桜並木の写真を撮ろうと思った。