涙の後で


-5-

真藤先輩の部屋に居る間、俺は何度も先輩と慰め合った。
中島先生と会う度に後ろめたさを覚えたが、先輩の方は全く気にしている様子は無かった。
真藤先輩の恋の相手が中島先生だと思ったのは俺の思い違いだったのだろうか。
それとも、ただ単に先輩のポーカーフェイスを俺が見抜けないだけなのだろうか。
そのどちらだとしても、これ以上の詮索をするべきではないと分かっているつもりだった。

お盆も終わり、俺は先輩を寮に残して家に戻った。
先輩は俺が帰る時にバス停まで送ってくれた。明日からはまた、パラパラと生徒も戻って来る筈で、先輩も寂しくはないだろう。
家に戻ると、久し振りの息子との再会に母は少々興奮気味だった。
学校のことや、寮のこと、友達は出来たかとか矢継ぎ早に質問され、俺は少々面食らった。
それから、普段、余り家事は得意じゃないのに、無理して俺の好物を沢山作ってくれたりした。
あんなに辛かったのに、正孝さんの顔を見ても俺はほんの少しの罪悪感を覚えただけで、胸の苦しみを感じることも無かった。
却って、正孝さんの方が辛そうに見えて申し訳ない気持ちになった。
だが、努めて明るく接することで、蟠りも段々と解けていくようだった。
帰ったら遊ぼうと約束していたので、坂上にメールを打つと、早速明日にでも会おうと言うことになり、待ち合わせ場所と時間を決めた。
地元同士なので慣れた街だったし、行く場所もすぐに決まり、迷うことも無かった。
実家に居る10日ほどの間に、俺たちは毎日のように会い、映画を見たり買い物をしたり、お互いの家に行ったりして遊んだ。
夏休みはまだ数日残っていたが、部活が始まるので学校へ戻ると言う坂上と一緒に、俺も戻ることにした。
母は寂しがってもっと居るように言ったが、秋休みにも戻って来るからと言うと渋々納得してくれた。
駅で待ち合わせして、俺は坂上と一緒に電車へ乗った。
「あーあ、短かったなぁ」
電車の席に座ると、すぐにそう言って坂上は溜め息をついた。
「真也はまた忙しくなるね。もう、明日から部活だもんな」
「うん…」
頷いて、坂上はじっと俺の顔を見た。
「もっと、ちふと居たかったな」
「真也…」
居たたまれないような思いに、俺はまた囚われた。
こんな目で見つめられると、想いに答えられない自分がまた嫌になった。
「ごめん。楽しかったから、つい…」
坂上の言葉に俺は首を振った。
「ううん、俺だって楽しかったよ。学校に戻ったって遊べるよ。真也が部活の無い日にまた何処か行こう?」
俺が言うと、坂上は笑みを見せて頷いた。
「うん。約束な?」
「うん、約束」
にっこりと笑った坂上に釣られ、俺も笑った。



寮に戻っても、慶の姿は無かった。
そして慶は、夏休みが終わる直前まで、とうとう帰って来なかった。
何度かメールがあったが、瑠衣子ちゃんの具合が余り良くないと、その度に書いてあった。
“約束を守れなくてごめん”
すぐに戻ると言ったのに帰れなくなったことを申し訳なく思っているのか、慶はそう書いてきた。
だが、なんとなく俺には予想出来ていたことだったので、寂しくはあっても残念には思わなかった。

夏休みも、もう終わろうとしていた。

余りに色々なことがあり過ぎて、長かったような、あっという間だったような、不思議な夏だった。
そして俺は、とうとう自分の気持ちに区切りをつけることも出来ないまま、また慶との生活を始めようとしていた。



新学期になって、友井先輩と小金井先輩が転校したことが知れ渡った。
理由は家の都合ということになっていたが、それでは納得出来なかったのだろう。本当の理由を知りたがり、俺や真藤先輩に訊いてくる生徒も多かった。
特に俺は夏休み中に小金井先輩と抱き合っていたのを見られていた所為もあって、それが忽ち噂になり、みんなの好奇心が集中した。
そんな俺を庇ってくれたのは慶だった。
慶は常に傍に居て、好奇心を満たそうとして俺に近づいて来る生徒を遠ざけてくれた。
本当は友井先輩のことを慶に訊いてみたいと思っている生徒も居たのだろうが、彼の人を寄せ付けない雰囲気が幸いして、面と向かって訊いてくる人間はいなかった。
そしてその慶の存在が、俺にとっても助けになったのだ。
「ありがと、慶…」
休み時間に、群がってこようとしたクラスメイトから俺を引き離し、腕を掴んで外へ連れ出してくれた慶に俺は礼を言った。
「いや。ああいうの嫌いなんだよ、俺」
「うん…」
まだ腕を掴んだままの慶の手を見つめながら俺は頷いた。
「今日は、学食で食うのやめよう。暑いけど、購買で何か買って外で食おうよ」
「うん、そうだね」
友井先輩も小金井先輩も居なくなり、俺と慶は、朝と昼は大抵一緒に食事を取るようになっていた。
小金井先輩が学校を去ったことを、慶には夏休み中にメールで知らせた。慶もそれは予想していたらしく、驚いた様子は無かった。
夏休みが終わっても、瑠衣子ちゃんは退院出来なかったらしい。慶はいつものことだと言ったが、本当は心配なのだろうと思った。
それなのに、寮に戻って来て最初に慶が言ったのは、
「大丈夫か?」
という言葉だった。
心配してくれていたのだと思うと胸がじんとした。
ほんの少しでも、慶が俺のことを考えてくれたのだと思うと素直に嬉しい。でも、俺は潤んだ瞳を見られまいとして、すぐに背を向けて誤魔化してしまった。
俺の腕を掴んでいた慶の手は自然に離れて行き、だが、肩を並べたままで俺たちは購買に向かって廊下を進んだ。
図書館の前の芝生が昼頃は日陰になる。
俺たちは購買で買ったパンやジュースを持って、そこへ陣取った。
「おう、暑いのにご苦労だな」
半分ほど食べた頃、窓から見えたのか、中島先生が飲み物の入ったペットボトルを持って近づいて来た。
「先生…」
俺がぺこりと頭を下げると、先生も笑みを浮かべて頷いた。
「中に居ると、外野が煩くて……」
慶が苦笑しながらそう言うと、先生はもう1度頷いた。
「小金井と友井のことか。まあ、暫くは面倒だろうが我慢するしかないな。ヤツらの好奇心も何れ他へ移るさ」
俺の隣に胡坐を掻いて座ると、先生はそう言ってペットボトルに口をつけた。
「友井先輩のこと、何処かから漏れたりしないですよね?」
それが一番心配だった。
だが、俺が訊くと先生はきっぱりと首を振った。
「いや、大丈夫だ。学校側の対応も素早かったし、噂になることは無いだろう。お前たちも口は堅そうだしな?」
最後はニヤリと笑って先生はそう言った。
「ふぅー、やっぱり暑いなぁ外は…。クーラーの効いた医務室に帰ろう」
言いながら立ち上がり、先生は俺たちを見下ろした。
「おまえらも、暑かったら来ていいぞ」
「ありがとうございます。でも、今日はいいです」
俺が答えると、先生は頷いた。
「そうか。まあ、いつでも来いよ。じゃあな」
俺たちがもう1度お礼を言うと、先生は手を上げて校舎の方へ歩いて行った。
「今頃、どうしてるんだろう……?」
小さくなっていく先生の後姿を見ながら、俺はポツリと言った。
「早く元気になって欲しいな…。二人とも…」
勿論、俺が言ったのは小金井先輩と友井先輩のことだったが、名前を言わなくても慶にも分かりきっていたのだろう。そんな言葉が返ってきて、俺は頷いた。



真藤先輩の言った通り、小金井先輩と友井先輩が学校から居なくなったショックが薄れていくと、俺と慶の周りがまた煩くなってきた。
慶にはまた手紙やメルアドを書いたメモが何通も来るようになり、俺にも先輩からの呼び出しや手紙が来るようになった。
中には、付き合えないなら1度だけでいいからキスさせろと過激なことを言う先輩も出てきて、驚いてその場から逃げ出すなんてこともあった。
慶はもう誰とも付き合うつもりはないようだったが、俺のことを心配したのか、どうするのかと訊いてきた。
「実は…」
言い出しかねていたのだが、俺はやっと真藤先輩に言われたことを慶に伝えることにした。
「きっと、また周りが煩くなるから俺の傍に居ろって、拓馬さんが…」
俺の言葉を聞いて、何故か一瞬、慶は眉を顰めた。
「……そうか。それなら安心だな。真藤さんは千冬のことよく見ててくれてるし」
「うん。俺も、拓馬さんと居るのが1番楽なんだ…」
「1番…?」
その言葉に拘るように、慶は聞き返した。
「え?」
怪訝に思って俺が聞き返すと、慶は首を振った。
「いや…。なら、良かった。この前も、危ないところだったって言ってたし、気になってたんだ。千冬は非力だと思って強引なヤツもいるからな」
「うん…。心配してくれてありがと」
俺がそう言うと、慶はフッと笑みを見せて机の方に向き直ってしまった。
その背中を見つめ、俺はまた少し寂しさを感じていた。
カモフラージュでも、“俺と付き合おう”と言ってくれたら嬉しかっただろう。だが、きっとその内に耐えられなくなる。
二人の付き合いが偽装だということに、きっと俺は耐えられなくなるのだ。
だから、これでいいのだと思った。
結局、どんなに熱烈なラブコールを貰っても、その年度が終わるまで慶は誰とも付き合うことは無かった。
俺はと言えば、暇さえあれば真藤先輩と一緒に過ごしていたので、すぐに噂は広まり、心変わりが早いと陰口を言われることもあった。
その中でも楠田などは、面と向かって嫌味を言ってきた。
俺は何も言い返さなかったが、嫌味を言った後で少し笑い、彼は言った。
「だから最初から真藤先輩と付き合えば良かったんだよ。今の方が、ずっといい顔してるって」
そう言って、ポンと俺の肩を叩いて楠田は行ってしまった。
小金井先輩の転校の理由をあれやこれやと訊いてきたこともあったが、頑なに口を閉ざした俺を放っておくことに決めたらしく、その後ではもう何も言わなかった。
坂上も俺と真藤先輩が付き合い始めたらしいという噂を聞いたのだろう。食堂で顔を合わせた時の、ぎこちない笑みを見てすぐに分かった。
でも、俺に何も訊いては来なかったし、態度も変える事は無かった。そんな彼の優しさが、俺には嬉しかった。