涙の後で


ー第7部ー

有川と数時間の撮影をして寮に帰ると、窓から見ていたらしく楠田が上から俺を呼んで手招きをしていた。
談話室の窓からだと分かっていたので、俺は部屋へは帰らずに真っ直ぐ談話室へ向かった。
部屋に入ると、楠田は機嫌の悪そうな顔で俺を待っていた。
多分、お気に入りの有川と俺が歩いているのを見たからだろう。苦笑しながら近づくと、案の定、俺の腕を掴んでぐっと睨みつけてきた。
「偶然会ったんだよ。一緒に写真撮りに行きたいって言われたから行っただけだから。いいだろ?同じ部の後輩なんだから」
文句を言われる前に俺が説明すると、楠田はそれでも不機嫌な表情のままだった。
「嘘つけ。告られたろ?」
相変わらずの鋭さに、俺は苦笑するしかなかった。
「なんでそう思うの?」
「俺と話してる時もさ、高梁のこと色々と訊いてきたりしてヤな感じだったもん。絶対に近づくチャンス狙ってるって思ったね。今日だって、偶然なもんか。絶対に待ち伏せてたに決まってるよ」
嫌な感じとは失礼だと思ったが、有川に興味のある楠田としてはそう思えたのだろう。俺はまた苦笑して首を振った。
「まさか…。偶然だって」
「正直に言えよ?告られたんだろ?」
迫られて俺は仕方なく口を開いた。
「まあね…。でも、付き合いたいって言われた訳じゃないよ」
俺が答えると、楠田はまだ面白くなさそうに口を曲げた。
「そりゃね、一応、高梁は彼氏持ちだし遠慮したんだろ?でも、絶対に諦めてないと思うよ。あーあ、腹立つなぁ…。なんで、いい男はみんな高梁に向いちゃうんだ?」
楠田がそう言って憎らしそうに俺を睨んだ時、ドアが開いて坂上が入って来た。
「真也…、部活じゃなかったの?」
確かめた訳ではなかったが、当然そうだと思い込んでいたので、俺は坂上が現れたことに少し驚いた。
俺が訊くと、坂上は少々強張った顔に無理に笑みを浮かべた。
「今日は午前中で終わりだったんだ。ちふの部屋に行ったら居なかったから…」
「ごめん。写真撮りに行ってて……」
「部活終わってすぐにメールしたんだけど…」
言われてハッとすると、俺はポケットを探って携帯を探した。
「ご、ごめん。部屋に置きっ放しだった……」
「そっか。返事来ないからそうかと思った。暇だったら部屋に来ない?相方は家に帰っちゃって居ないし…」
言われて、俺はすぐに頷いた。
「うん、購買に寄って何か買ってくよ」
何だか坂上の様子がおかしかった。俺は少し不安になって、精一杯明るくそう言うと、急かすように彼の腕を掴んだ。
そのまま談話室から廊下に出ると、坂上は不意に立ち止まった。
「真也?」
何だか嫌な感じがして俺は不安げに彼を見上げた。
すると、坂上は俺の方を見ずにサッと俺の手を掴んで歩き始めた。
「カッコいいね?あの1年…」
「え…?」
握られた手に強い力を感じ、俺は眉を寄せた。
“あの1年”とは、有川のことだろうか。
「有川…の、こと?」
恐る恐るそう訊くと、坂上は頷いた。
「裏山に行ってたの?」
「う、うん…。偶然に会って、一緒に撮影に…」
楠田とは別の場所から俺が有川と歩いているのを見ていたらしく、明らかに坂上は腹を立てていた。他の男と二人きりで居たことで、もしかすると俺が、彼を蔑ろにしているように感じているのだろうか。
だとしたら、俺は大いに反省しなければならない。
「怒ってるの?真也…」
俺が訊くと、坂上は口元を歪めるようにして笑った。
「どうして?ちふが誰と一緒に居たって俺が怒る理由なんかない。どうせ俺は……」
そこまで言って、坂上はふっと口を噤んだ。
見ると、彼の表情には後悔の念が浮かんでいた。
彼が何を言おうとしたのか分かっていた。自分は本当の彼氏ではないのだから、と言いたかったのだろう。
「ごめん、真也。俺、無神経だった」
また傷つけてしまったことを知り、俺は悲しくなった。きっと坂上は、嫉妬してしまった自分にさえ腹を立てているのだろう。
そんな気持ちにさせてしまった俺に、全ての罪はあるのに。
「ちふ…」
立ち止まり、坂上はやっと俺を見た。
「俺こそ、ごめん。女々しい態度とって……」
無理に笑おうとしてくれる彼が痛々しかった。
こんな思いを、俺はもう2度とさせてはいけないと思った。
首を振り、手を繋ぎ直すと俺は言った。
「ごめん。これからは気をつけるから…」
俺の言葉に、坂上は急いで首を振った。
「い、いいよッ…。ホントに俺が悪かった。今までは、ちふが誰かと二人きりで居てもそんなに気にならなかったんだけど、でも、あいつは……」
そこまで言って一旦口を噤んだが、坂上は再び口を開いた。
「あの、有川って1年は、少し真藤先輩に似てるから……。何だか俺、馬鹿みたいに不安になってさ。ホント、どうかしてた」
苦笑しながらそう言い、坂上は手を繋いだままで歩き始めた。
「うん、ちょっと似てるよね。俺も初めて見た時にそう思った。でも俺、だからって有川に興味持ったりしないよ」
「ちふ…」
ギュッと、繋いでいた手が強く握られた。
「うん。ごめん……」
そのまま購買へ行ってお菓子と飲み物を買うと、俺たちは坂上の部屋へ行った。
同室の剣道部員は家に帰ってしまって坂上一人だったし、俺は気兼ねなく彼の部屋でテレビを見せてもらった。
坂上はもう、さっきのことは気にしていないように見えたが、でも俺はやはり、さっき有川に告られたことをちゃんと話すべきだろうと思った。
「真也、さっき裏山でね、俺…、本当は有川に告られたんだ」
「え……?」
テレビ画面からこちらに向けられた坂上の顔は強張っていた。
「でも、はっきり好きだって言われた訳でも、付き合って欲しいって言われた訳でもないよ。ただ、男でも俺となら付き合えると思ったって言われたんだ。でも、真也のこと知ってるから、それ以上は何も言われなかった」
「……そう」
坂上の表情は緩まなかった。
「真也は嫌な気持ちになるだろうって分かってたけど、でも、黙ってるのは余計に良くないと思ったんだ。……俺は真也にだけは正直でいたいから」
気持ちを伝えたくて俺が言うと、やっと坂上の顔に笑みが戻った。
「うん、分かった。言ってくれて嬉しいよ。俺は大丈夫、嫉妬はするかも知れないけど、でも、ずっとちふの傍にいるから」
「真也…」
「嫉妬するのは仕方ないだろ?だって、俺はちふのこと本当に好きなんだ。カッコいい男と一緒に居たら不安になるし、ジリジリもするよ。小さいヤツでごめん……」
坂上の言葉に俺は首を振った。
「真也は小さくなんかないよ。こうやって、俺を許して傍にいてくれるんだ。心が広くて男らしいと思う。ホントだよ?」
「ちふ…」
坂上の手が俺の両肩を掴んだ。
「ヤバい。そんなこと言われたら、俺……」
坂上の首筋からサッと朱が上ってくるのが分かった。
どうしたいのか、俺にだって分かる。俺は体を強張らせたが、逃げなかった。
坂上の唇が、性急に俺の唇に押し付けられた。
今まで、どんなに一緒に居ても、決して坂上は俺に触れなかった。だが、勿論、触れたくなかった訳ではないのだろう。どんなに我慢していたのか、そのキスで俺にも分かった。
激しくて息が出来ず、俺は思わず首を振ってしまった。
すると、それに気づき、坂上は俺を離した。
「ご…、ごめんッ」
我に返ったようになり、坂上は泣きそうな眼をして言った。
俺は慌てて首を振り、彼の腕を掴んだ。
「お、俺こそごめん…。嫌だった訳じゃないよ?」
「い、いや…。こんなことするつもりで部屋に誘ったんじゃないんだ。ほんと、ごめん……。あ、そうだ。ゲームしようか?ね?」
そう言って立ち上がり、坂上はゲーム機を取り出した。
彼を傷つけたことが辛くて、どうしていいのか分からなかった。
ずっと我慢して、偽りの恋人役を続けてくれている。本当は本物の恋人になって、俺と触れ合いたい筈だった。
そうしてもいいと俺は思った。
だが、身体は繋がれても、心は離れたままだ。
俺の心が慶を諦められない限り、坂上に身体だけ許しても、もっと彼を苦しめるだろう。
「真也……」
その背中に呼び掛けると、坂上は一瞬、身体を強張らせてから振り返った。
「うん……?」
「苦しかったら言ってね?俺…、一人でも大丈夫だから……」
俺の言葉に、坂上は立ち上がって来て前に膝を突いた。
ぎゅっと俺の手を掴み、坂上は俺を見上げた。
「そんなこと言うな。俺は大丈夫。ずっとちふの傍に居る。居たいんだ……」
「……ありがとう」
優しい眼差しに涙が出そうだった。
そして、いつまでも実らない恋を諦めきれない、自分の強情さが憎いと思った。