涙の後で
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放課後、また楠田と一緒に部室へ行くと、そこには一足先に有川が来て掃除をしていた。
「有川、ひとり?他の当番は?」
手を止めて俺たち先輩に挨拶した有川に、楠田がすぐに笑みを浮かべて近づいて行った。
「さあ、分かりません。来ないんで、先に始めてました」
「ええ?まったく、有川ひとりに押し付けて…。じゃあ俺、手伝ってやるよ」
自分の当番だってサボり勝ちで碌にやったこともない癖に、楠田は調子良く、いそいそと有川を手伝って掃除を始めた。
俺はそれを見て苦笑すると、パソコンを起動していた3年の部長の方へ近づいた。
「お疲れ様です。部長、ちょっと、いいですか?」
声を掛けると、部長はディスプレイから目を上げて俺を見た。
「うん?どした?高梁…」
「あの…」
どう切り出そうか俺が迷っていると、部長の目つきが変わった。
「あ…。高梁、ちょっと外に出ようか?」
「あ、はい」
何かを察してくれたらしく部長が言い、俺はホッとして頷いた。
二人で外に出ると、部長の方が先に切り出した。
「もしかして、隠し撮りのことじゃないのか?」
「あ、はい。そうなんです。実は、隠し撮りされている生徒から、撮っているのは写真部員じゃないのかって言われたもんですから…」
部長は俺の言葉を聞くと、少々渋い顔をして頷いた。
「やっぱ、りそんな噂があるのか……。実は、隠し撮り写真ってのは、随分前からあるんだよ。人気のある生徒の写真を欲しがる連中は多いしな。需要があれば供給するヤツもいる訳なんだけど…。まあ、確かに写真と言えば写真部って考えるのかも知れないけどさ、過去は知らないけど今のウチの部員が関わってるって事は無いと思うんだ」
「本当ですか?それならいいんですけど」
「いや、俺も全員に確かめた訳じゃないから、確実だとは言えないんだけどな。一応、前にも写真部が疑われて、前の箕川部長が調べたんだよ。その時も、写真部員は関わってなかったんだけど、そういう事があったから俺も気を付けてはいるんだ。今のところ、俺の見る限りじゃウチの部に怪しいヤツはいないよ」
「そうですか」
ホッとして俺が頷くと、部長がポンと肩を叩いた。
「高梁も被害者なんだよな。嫌な思いしてると思うけど、ウチの部員を疑わないでやってくれよな?」
「はい、分かってます。最初からウチの部員がやってるとは思ってませんでしたから」
俺がそう言うと、部長は頷いて部室に戻って行った。
それと入れ替わりに、掃除を終えたらしい有川がカメラを持って外に出て来た。
「高梁先輩、少しブラブラしませんか?」
カメラを持ち上げながらそう言われ、俺は躊躇ったが頷いた。
「うん。ちょっと待ってて」
俺がそう言って部室に戻ると、少々膨れた顔の楠田が待っていた。
「楠田も一緒に行かない?」
多分、有川に逃げられて機嫌が悪いのだろうと思ったので、俺は楠田を誘ってみた。
「やだよ。有川に邪魔だって顔されたくないもんね。二人で行ってくれば?」
「でも俺、真也に他のヤツと二人っきりにならないって約束してるんだ」
俺の言葉を聞いて、楠田はキュッと眉を持ち上げた。
「可愛いこと言ってんなぁ。まったく……」
苦笑いしながらそう言うと、楠田は面倒臭そうに立ち上がった。
「分かったよ。仕方ない、一緒に行ってやる」
「うん。ありがと」
有川の誘いを断れば済むことなのかも知れなかったが、嫌いでもない相手の、それも面倒を見るべき後輩の誘いを無碍に断るのは嫌だった。
八方美人と言われるかも知れないが、部内で浮いた存在になるのは嫌だったし、なるべくなら誰とでも気軽に話せる関係にしておきたかったのだ。
楠田と一緒に外に出て行くと、有川は僅かに表情を変えた。だが、すぐに笑顔になると俺たちに近づいて来た。
「学校の外に行きませんか?」
「いいけど…」
頷くと、俺たちは校門へ向かって歩き始めた。
学校の外と言っても別に変わったものは無い。外の道を登っていくと、民家が何軒かあるだけだった。
でも、眺めのいい場所が幾つかあるので、俺たちは坂道を登って行った。
「高梁先輩、さっき部長と何を話してたんです?もしかして、隠し撮りのことですか?」
有川に訊かれて、躊躇ったが俺は頷いた。
「うん…。写真部の誰かがやってるんじゃないかって言われたから」
俺が答えると、有川は少し顔を顰めた。
「それ、高梁先輩に言って来るって、おかしいでしょ。誰だか知らないけど、随分無神経ですね」
腹立たしげに言った有川に、楠田が苦笑しながら言った。
「わざとだろ?多分、嫌がらせの一種じゃないの」
楠田の言葉に、有川は険しい顔をして彼を見た。
「なんで、高梁先輩にそんなことを?先輩だって被害者なのに…」
「別に、嫌がらせって訳じゃないよ。俺以外に写真部員を知らなかったからだと思う」
俺が答えると、楠田は肩を竦めた。
「ほらね。こういうヤツだからさ、高梁は。本気で言ってるんだから始末が悪いね。だから余計に、気に食わないと思うヤツもいるんだよ。高梁といると自分の汚さが見えてきてうんざりするのさ」
「な、なにそれ…」
驚いて、俺は楠田を見た。
彼の口から、こんな言葉が出てくるなんて思いもしなかったし、楠田が俺のことをそんな風に見ていたなんて勿論知らなかった。
「でもそれは、高梁先輩の所為じゃない」
きっぱりとそう言い、有川は俺を見た。
その視線がくすぐったくて、俺はそっと目を逸らした。
すると、隣で楠田の溜め息が聞こえた。
「ほぅらね。引く手数多なのに誰にも靡かない有川君まで高梁に夢中だしぃー。これだからやっかまれるんだよ、千冬ちゃんは」
からかうように言った楠田とは対照的に、次に飛び出した有川の声は真面目そのものだった。
「仕方ないでしょう。好きなんだから」
「あ、有川……」
余りにもストレートな言葉に俺は絶句するしかなかった。
まさか、他の人間がいる前で、こんなにもはっきりと告白されるなんて思いもしなかったのだ。
「あーあ、やっぱ来るんじゃなかったなぁ」
呆れたように楠田が言い、グイッと俺の脇腹を肘で押した。
「そんな困った顔するなよ。有川が可哀想だろ」
「あ……」
俺が言葉を探していると、有川が寂しげな笑みを見せた。
「いいんですよ。最初から答えてもらえるとは思ってませんから」
「……ごめん。あの…、そう言ってもらえるのは嬉しいよ。ほんとに……」
俺がやっとそれだけを言うと、有川は頷いてくれた。
本当に有川の気持ちは嬉しかった。彼は格好いいだけでなく、年下なのに大人だし、しっかりしているし、性格も男らしくていいヤツだと思う。そんな彼に好かれるのは誇らしいことだろう。
だけど、今の俺には彼の気持ちに応えることは出来なかった。
登って行くと、学校を見渡せる場所に出て俺たちは足を止めた。
小さく、運動部員や校内を歩く生徒達が見える。
小さな世界に見えたが、今の俺たちの全てがあそこにあるのだと思った。
「隠し撮りのこと言ってきたの、日下部琉加だろ?」
楠田に訊かれたが、俺は答えなかった。
「あいつ、戸田君に気があるんだろ?そろそろ、告るつもりなんじゃないの?」
今度の言葉にも俺は答えなかった。
俺には分からないし、俺が答えることじゃないと思ったからだ。
「断られる訳無いって思ってるんじゃないのかな?自分の美貌に自信満々って感じだよ。戸田君にきっぱり断られちまえば、気持ちいいのにさ」
意地悪に楠田は言ったが、俺も心の何処かでそう思っているのかも知れなかった。
楠田は正直だ。
そして俺は、みんなが思っているように綺麗な人間じゃないのだ。
撮影を終えて学校に戻ると、友達と出合った楠田が誘われて、俺たちと別れて行ってしまった。
「あ、じゃあ俺も帰るよ」
慌ててそう言った俺の手を有川がサッと掴んだ。
「俺と二人きりになるのが怖いですか?」
真剣な目でそう訊かれ俺は首を振った。
「そ、そんなことないよ。ただ…、実は真也と約束したんだ。もう、他の誰かと二人きりにならないって」
「そうですか。でも、人目のある所でならいいでしょう?」
周囲を示すようにしながらそう言われれば嫌だとは言えなかった。
学校の中には至る所に人の目があるのだし、確かに二人きりとは言えないかも知れない。それに、神経質になり過ぎるのも良くないだろうと思った。
「うん、そうだね。ごめん…」
「いえ…。そのくらいの方がいいかも知れませんよ。先輩の場合は」
苦笑しながらそう言われ、俺も苦笑した。
「ごめんな?有川。嫌な思いさせて……」
俺の言葉に有川は首を振った。
「嫌な思いなんかしてませんよ。気にしないで下さい」
「ありがと…」
優しくされる度に、チクチクと胸が痛む。でも、有川とこうして一緒に過ごすのは嫌ではなかった。
運動場で部活の生徒を少し撮影しようということになり、図書館の前まで来て、俺は思わず足を止めた。
まだ、慶と日下部は中に居るのだろうか。
窓を見上げていた俺の隣で、有川も俺と同じように上を見ながら言った。
「寄っていきますか?」
「え?」
驚いて振り返ると、有川は言った。
「何か借りたい本でもあるんじゃ?」
「あ、ううん。今はいい。行こう」
俺がそう言って歩き出すと、有川もすぐに付いて来た。
「さっき、日下部の名前が出ましたけど、隠し撮りのこと本当に彼が言ってきたんですか?」
訊かれて、俺は一瞬迷った。
個人名はなるべく出したくなかったし、日下部の話をするのも余り気が向かなかったのだ。
俺が答えずにいると、有川は肯定と受け取ったらしく話を続けた。
「同じ学年でもクラスが違うし、顔は勿論知ってますけど俺は話したこと無いんですよね。一部では確かに凄い人気だけど、反面、余り良く言わないヤツもいる。はっきりした性格らしいし、敵も作り易いのかも知れない。わざわざ高梁先輩に言ってくる辺り、確かに余り可愛いタイプとは思えないな」
また苦笑しながら有川はそう言った。口調から察するに、日下部に対して余りいい印象を持っていないのかも知れない。
「そうだね。確かにはっきりしてる。俺なんかは少し見習った方がいいのかも」
笑いながらそう言うと、有川はフッと視線を正面に向けた。
「そんなことないですよ。俺は先輩はそのままがいいです」
「あ、ありがと…」
戸惑いながら俺が言った時、後ろから呼ぶ声がした。
振り返ると、図書館の前に慶が立っていた。
俺たちが待っていると、慶は小走りに近づいて来た。
「何処行くんだ?撮影?」
頭を下げた有川に軽く頷き、慶は俺に訊いた。
「あ、うん。運動部の練習を見に…」
「ふぅん。俺も行っていいか?」
「え…?」
今まで俺の撮影に付いてきたことなど無かった慶が、一体どういう風の吹き回しでこんなことを言うのか俺は驚いた。それに、日下部と一緒だったのではないのだろうか。
「いいか?有川」
今度は有川に訊くと、戸惑いながらも彼は頷いた。
「ええ、俺は構いませんけど」
その答えを聞いて慶は俺たちを促して歩き始めた。
気になってチラリと後ろを振り返ってみたが、そこに日下部の姿は無かった。
もしかすると、先に寮へ戻ったのかも知れない。
「今日…、約束してたんじゃなかった?」
恐る恐る俺が訊くと、慶は軽く肩を竦めた。
「いいんだ。もう、済んだ」
「そう…」
心なしか、慶の様子がおかしい気がした。何だか少し、腹を立てているようにも見える。
何かあったのかと、俺が訊こうか迷っていると、先に慶が口を開いた。
「有川ってモテるんだろ?もう彼氏は決めたのか?」
凡そ、慶の口から出たとは思えない言葉に、俺は驚いて彼の顔を見た。普段、他人のプライベートにまるで興味を示さないのに、一体どうしたのだろうか。
(なんか変だ……)
今日の慶はいつもと違う。そう思って、俺は何だか不安になった。