涙の後で


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思い掛けなく告白のようなものをされたが、あれから有川が俺に何か言ってくることはなかった。
ただ、部活で一緒になったりすると必ず話し掛けてくれたし、時々、学校内で一緒に撮影することもあった。
だが、あれから気をつけて二人きりにならないようにしていたし、有川がおかしな素振りを見せることもなかった。
慶の方は、てっきり告白して来るだろうと思っていた日下部に何も言われていないらしく、中学の後輩だと言っても、慶の方では別段親しく付き合うつもりも無いようだった。
もしかすると、変な噂になるのが嫌で、わざと近寄らないようにしているのかも知れなかった。
坂上は大抵、部活の朝練があって一般の生徒よりも早く登校してしまうので、俺は相変わらず慶と一緒に朝食を食べ、そして一緒に登校していた。
その日も、食堂で朝食をとった後に俺は慶と一緒に学校へ向かった。
すると、後ろから慶を呼ぶ声がして、振り返ると日下部が走って此方に向かって来るのが見えた。
俺の知らない所で、日下部が慶に接触しているのかどうかは知らなかったが、少なくとも俺と慶がいる所に日下部が姿を現したのは部屋に尋ねて来て以来初めてだった。
「おはよう。どうした?」
立ち止まって彼が近づくのを待ち、慶が訊いた。
すると、日下部はその言葉にちょっと苦笑して見せた。
「おはようございます。いや、先輩たちが前を行くのが見えたんで…。用がないのに声掛けたりしたら迷惑でしたか?」
「あ、いや。そんなことないけど…。暫く顔見なかったし、何か用事があるのかと思ったんだ」
そう言って歩き出した慶の隣を、肩を並べて日下部も歩き出した。
「学年が違うと、中々顔を合わせることもありませんよね。寮も別棟だし。今日はいつもより、少し寮を出たのが遅かったんです。そしたら、先輩たちが見えたんで」
「そうか。そう言えば、文芸同好会に入ったんだろ?どうだ?楽しいか?」
「ええ、結構楽しいですよ。先輩たちに面白い本を紹介してもらったりして。……書く方は俺の場合、散文ばかりですけどね」
「ふうん」
それ程興味もなさそうに慶が頷くと、日下部はまた苦笑した。
「戸田先輩も良かったら入りません?歓迎されると思いますけど」
「いや、俺はいい。集団で何かするのとか向かないからな」
その答えを聞いて肩を竦めると、日下部は慶の影から顔を出して俺を見た。
「実は高梁先輩にちょっとお話があって…」
「え?俺に?なんだろ?」
意外なことに驚いて俺が訊くと、日下部は少し厳しい顔つきになって言った。
「写真部の生徒で隠し撮り写真を流してるヤツがいるらしいんです。人気のある生徒の写真を望遠で撮って、噂では1枚幾らで売ってるとか。俺も自分の写真がその中にあるって知ったら放って置けませんから。影でコソコソそんなことされるのは気分が悪いし、大体、そんなことで金を稼いでるなんて知れたら学校の方も許さないでしょう?事が大きくなる前に、写真部の方で何とかしてもらえませんか?」
腹立たし気にそう言われ、俺は少々面食らった。
「それ、写真部員がやってるのは確かなの?俺も隠し撮りのことはこの前知ったけど、誰がやってるのかまでは聞いてないし…」
まさか写真部の生徒が主犯だなんて思わなかった俺は、少々戸惑ってしまった。
「そんなのあるのか?隠し撮りなんて…」
初めて知ったらしい慶は驚いてそう言った。
「あるんですよ。知らなかったんですか?戸田先輩のも勿論ありますよ。それに、高梁先輩のはかなりヤバイのもあるって噂です」
「ヤバイって?」
眉に深い皺を刻み、険しい顔になって慶は訊いた。
「体育の時の着替えとか……。つまりセミヌードです」
「なんだって?そんなのまで、あるのか?」
少々腹立たしげに慶は言った。
俺も、自分のそんな写真が出回っていた事を知ると、顔が蒼褪めるのが分かった。
有川が気をつけるように言っていたので、着替える時には窓の傍には行かないようにしていたのに、一体、いつの間に撮られていたのだろうか。
「千冬、1度、写真部の部長に相談してみたらどうだ?日下部の言う通り、このままそんな物を出回らせるのは良くないよ」
「うん、分かった。写真部内で少し相談してみるよ」
俺が頷くと、慶はまだ怒りの収まらない様子で言った。
「まあ、隠し撮りだからってイコール写真部員とは限らないだろうけど」
すると、その言葉を聞いて日下部が言った。
「でも、可能性はやっぱり高いですよ。部員の中には高性能な望遠レンズを持っている生徒もいるそうですから。どこから狙って撮ったのか、撮られてる方が気付かないんですから余程遠くから望遠で狙ってるとしか思えませんよ」
言いながら、何故か少し冷ややかな目で日下部は俺を見た。
「大体、着替えている処なんて、別の窓から狙ったとしか思えない。近くから撮られてたら、幾ら高梁先輩だって気付くでしょう?」
棘のある言い方だと思ったが、俺は何も言わなかった。だが、慶は眉を顰めて日下部を見た。
「おい、嫌な言い方するなよ。まるで千冬がぼんやりしてるみたいじゃないか」
すると、日下部は明らかに気分を害したような表情を見せたが、一応俺に頭を下げた。
「済みません。…でも、高梁先輩には隙が無いとは言えないでしょう?」
「どういう意味だ?」
少々腹立たしげに慶は言った。
俺は慶が庇ってくれようとしているのが嬉しかったが、これ以上険悪な雰囲気になるのが嫌だったので、慶の腕を掴んだ。
「いいよ。隙があるって言われれば、違うとは言えないから…。別の後輩にも、もっと自覚しろって、この前言われたんだ」
笑いながら俺が言うと、慶も苦笑して見せた。
「人が好いんだよ、千冬は。でも、それは千冬のいいところだと俺は思うよ」
慶の言葉が嬉しいのと照れ臭かったのとで、俺は目を逸らすと幾らか俯いた。だから、日下部がどんな表情をしているのか分からなかった。
だが、次に彼の口から飛び出した声は冷ややかな感じがした。
「戸田先輩、今日の放課後、何か用事がありますか?無かったら、図書館で待ってますから来てくれませんか?なにか面白い小説、教えてくださいよ」
「いいけど…」
慶が返事をすると、日下部はにっこりと笑った。
「ありがとうございます。じゃあ、待ってますから」
日下部がそう言ったところで、丁度校舎の前に着いた。
俺たちは日下部と別れて、2年の昇降口へ入った。
俺のことを慶が庇ったことが日下部は面白くなかったのだろう。やはり彼は、慶のことが好きなのだ。
もしかすると、今日の放課後、とうとう慶に告白するつもりなのかも知れない。
そう思って、胸が騒いだ。
もしそうなら、慶は何と返事をするのだろうか。
もう、誰かと付き合うつもりはないと言っていたが、もしかすると気が変るかも知れない。それに、慶が断ったとしても、日下部は簡単に諦めないような気がした。
朝から少し重い気分になりながら、俺は慶と別れて自分の教室へ向かった。
昼休みに、食堂へ行こうとして珍しく一人でいる楠田を見つけ、俺は声を掛けた。
「え?隠し撮りの犯人?」
声を潜めて眉を上げた楠田に、俺は頷いた。
「うん…。写真部員がやってるんじゃないかって言われたんだ。それで、学校側に知られる前に何とかした方がいいって」
「ふぅん…」
渋い顔で顎を撫でながら、楠田は言った。
食堂に着いて其々にランチのトレイを貰うと、俺たちは隅の方に空いている席を見つけて座った。
「まあ、確かに写真部員ならいいカメラを持っているヤツも多いし、疑われるのも仕方ないかも知れないけどさ、でも、隠し撮りイコール写真部ってのも短絡的過ぎない?大体、なんだかんだ言っても写真部のヤツらって結構真面目なのが多いからなぁ。そんな悪さ、するとは思えないけど」
楠田の言葉に、俺も頷いた。
「そうなんだ。俺も、部員全員を良く知ってる訳じゃないけど、思い当たるような部員はいないんだよね。取り敢えず、部長には話してみるつもりなんだけど」
「ふぅん…。でも、この学校ってお坊ちゃんが多いしさ、写真部じゃなくたってカメラの凄いの持ってるヤツも結構いるよ。……俺、別ルートからちょっと探ってみてもいいけど」
「別ルート?」
俺が聞き返すと、楠田はニヤリと笑った。
「撮ってるヤツに心当たりはないけど、流してるヤツは多分分かるからさ。でも、そんなに大騒ぎすることか?高梁にそれ言ってきたのって、誰?」
訊かれて俺は口篭った。まさか、日下部の名前を出す訳にもいかないだろう。
すると、答えない俺を見て楠田は肩を竦めた。
「まあ、いいけど。大体、見当は付くし…」
勘のいい楠田のことだから、きっと日下部だと当りをつけたのかも知れなかった。俺は答えずに、別のことに話を切り替えた。
「ただ、写真を撮って流してるだけなら俺も別にいいと思うんだ。でも、お金取ってるって聞いたから」
「うん、まあ確かに、それは問題か。勝手に自分を金で売られてるのと同じだし、その点では俺も頭にくるけどな」
「うん…」
「高梁は特に嫌だろ?セミヌードまで売られてるらしいしさ」
「知ってたの?」
俺が少々腹を立てて言うと、楠田は少し首を竦めた。
「見た訳じゃないよ。噂で聞いただけで、本当かどうか俺だって知らなかったんだからな」
「ふうん」
疑わしげに俺が首を振ると、楠田は持ち上げかけた箸を止めてパッと此方を見た。
「ほんとだって」
「……いいけど。知ってたってどうしようもなかったし」
悔しげに俺が言うと、楠田は肩を竦めて箸を口に運んだ。
「でも、なんで俺ばっかり……」
隠し撮りされているのは俺だけではない。それなのに、なんで俺だけが裸なんか撮られたのか納得出来なかった。
やはり、それだけ俺に隙があるという事なのだろうか。
そう思うと、気が重くなった。
「そんなの俺が訊きたいね」
ちょっとからかう様にそう言い、楠田は俺を見てまたニヤリとした。
「俺の方がずっとセクシーだし、可愛いのにさぁー」
その言葉に俺も笑い、そして言った。
「ほんとはあるのかもよ、楠田のも。ううん、きっともっと際どいのがあると思うな」
「なんだよ、際どいのってぇ」
言いながら、楠田は肘で俺を小突いた。
「知らないけどさ」
俺がそう言ってクスクス笑うと、楠田も少し笑った。そして、皿の上のハンバーグを箸で小さく切って挟んだ。
「しかし、他人に撮られて儲けさせるんだったら、自分で撮って売った方がいいよなぁ。隠し撮りじゃ、油断してる表情なんか撮られてる可能性もあるしさぁ。俺の魅力をちゃんと写してんのか分かんないもんなぁ…。あーあ、マジ、腹立つわ」
楠田の腹が立つ最大のポイントは、売られているのが自分の気に入った写真じゃない点みたいだったが、確かに自分をネタにして金を取っている生徒が居るというのは気持ちのいいものではなかった。
隠し撮りがあると知っただけでもショックだったのに、日下部の話は俺を本当に落ち込ませていた。
おまけに今日の放課後、慶は彼と約束しているのだ。何だか本当に、嫌な日になったと思った。
食事を済ませて楠田と一緒に教室へ戻り、俺は重い気分のままで午後の授業を終えた。