涙の後で
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夜になって、夕食の後に俺は中島先生の部屋を訪ねた。
「おう高梁、どうかしたか?」
今まで、俺が一人で部屋を訪ねたことは無かったし、前以て了解も得ずに突然現れたのも初めてだったので、先生はすぐに何かあったらしいと察した様子だった。
「はい、実は相談があって…」
戸口で俺が答えると、先生はすぐに頷いて中へ入れてくれた。
先生の部屋は勿論一人部屋で、造りは俺たちの部屋と余り変わらなかったが、片側の空いたスペースにソファとテーブル、それにテレビなどが置いてあって居間の雰囲気があった。
そのソファに座るように俺に勧めると、先生はお茶を淹れてくれた。
「ありがとうございます」
「お菓子もなんかあったな…。この前遊びに来たやつが置いてった…」
探そうとする先生を止めて、俺は口を開いた。
「いいですよ。今、夕飯食べたばっかりだし」
「そうか?……それで、どうした?」
訊かれて、俺は持っていたカップをテーブルに置いた。
「先生は、特定の生徒の隠し撮り写真があるの知ってますか?」
俺の言葉に、先生の眉がキュッと持ち上がった。
「また出回ってんのか」
「ええ、俺も人伝に聞いただけで見た訳じゃないんですけど、随分色々な種類のが出回ってて、しかも有料で遣り取りしてるって聞いたんで…」
「うーん…」
唸りながら、先生は渋い顔で顎を撫でた。
「勿論、おまえのもあるんだろうな」
「はい。俺のは…、着替え中を盗み撮りされて半裸のもあるらしくて……」
俺の言葉で先生は更に苦い顔になった。
「そりゃ嫌だよなぁ。そんな写真、何に使ってるか想像が付くしなぁ」
勿論、俺にだってその意味は分かった。カーッと頬に血が上るのを感じて、俺は目を伏せた。
「でも、裸って言ったって俺のじゃ…。所詮は男なんだし」
希望も込めて俺が言うと、先生は苦笑した。
「まあ、全部が全部だとは言わないけどな。でも、こんな所に押し込められてりゃ、使えるもんは何でも使うんじゃねえか?」
「止めて下さいよ。想像したくないですッ」
訴えるように俺が言うと、先生は笑いながら言った。
「悪い、悪い。分かった。事が大きくなると困るし、おまえたち撮られてる側も気分が悪いだろうからな。俺が調べて、学校側に知られる前になんとかするよ」
「ありがとうございます」
やはり中島先生に相談して間違いなかったと俺は思った。
ちゃんと、俺たちに一番いいように考えて、動いてくれるに違いない。
もう1度お礼を言って俺が立ち上がろうとすると、先生は引き止めるような仕草を見せた。
「この頃は元気そうだな?今、坂上と付き合ってるんだっけ?」
「あ、はい…」
俺が答えると先生は笑みを見せた。
「あいつは真面目だし、優しいしな。真藤みたいに危険じゃねえし、俺も安心だよ」
「せ、先生…」
久し振りに真藤先輩の名前が出て、俺は先生と先輩の関係を疑ったことを思い出した。
「拓馬さんから連絡とかあるんですか?」
「俺に?なんでだ?高梁にはメールくらい来るんじゃないのか?」
「はい、たまに。夏休みに、こっちに来るからデートしようって言ってくれました」
「ははは…、あいつらしいな。まあ、来たらこっちにも顔ぐらい見せるんだろ。……じゃあ、隠し撮り写真の件は俺に任せろ。悪いようにはしないから」
「はい、宜しくお願いします」
頭を下げて立ち上がると、先生はドアの所まで送ってくれた。
真藤先輩のことは、先生の態度からは何も分からなかった。以前も今も、俺には二人のことは何も分からないままだった。
部屋に戻って報告すると、慶も安心したようだった。
「中島先生がそう言ってくれたなら大丈夫だよ。俺たちは任せておこう」
「うん、そうだね」
「千冬、大丈夫か?」
「え……?」
訊かれて、何のことか分からず俺は聞き返した。
「嫌な写真撮られて気持ち悪いだろ?千冬が望んで撮らせた訳じゃないのに馬鹿なこと考えるヤツもいるからな。もし、何かあったらちゃんと言えよ?」
「ありがとう。でも俺、別に気にしてないし、大丈夫だよ」
俺が言うと慶は頷いたが、まだ何か思う処がある様子だった。
もしかして、日下部に言われたことが原因なのだろうか。そう思ったが、俺は何も訊かなかった。
だが、日下部が慶に何を言ったのか、俺は案外早く知ることとなるのだった。
俺と約束した通り、中島先生は隠し撮りの犯人が誰なのか調べてくれているようだった。
だが、事が事だけに、そう簡単に割り出せる訳もなく、まだ隠し撮りは出回っているらしかった。
そうなると、告げ口するのは気が進まないと言っていた楠田だったが、黙っている訳にもいかなくなったのだろう。仕方なく中島先生に情報を提供したらしく、売り子の数人は突き止めたそうで、間も無く撮っている人間も分かるだろうとのことだった。
あれ以来、日下部が慶に接触した様子は無く、慶の方でも意識して避けているのか、日下部に出会った様子も無かった。
俺としては嬉しいことだったが、不安が掻き消えた訳ではなかった。
日曜の午後、珍しく練習が休みになるというので、俺と坂上は久し振りに町へ降りることにした。
少し遅くなるが折角だから昼食も町で取ろうということになり、俺は食堂へは行かずに町へ降りる支度をした。
部屋を出ようとすると、向こうから歩いて来た有川と出くわした。
「出かけるんですか?」
俺がバッグを持っていたのに気付き、有川が訊いた。
「あ、うん…。真也と町へ」
俺の答えを聞くと、有川は一瞬顔を強張らせた。だが、すぐに笑みを浮かべると言った。
「デートですか。いいな…」
「うん…。真也は部活で中々休みが無いから久し振りなんだ」
俺も笑みを浮かべながら答えたが、きっとその笑顔はぎこちないものだったろうと思った。
「ちふ」
有川の後ろから声がして坂上が姿を現した。
振り返った有川を見ると少し険しい顔になったが、有川が礼儀正しく挨拶をすると、表情を戻して挨拶を返した。
「行こうか。バスに乗り損なうと大変だから」
「うん、そうだね。じゃ、有川、また…」
坂上の言葉に頷くと、俺は有川を残して玄関へ向かった。
「あいつ、ちふのこと誘いに来たの?」
寮の外に出るまで黙っていた坂上が、躊躇いがちに訊いてきた。俺はすぐに首を振ると、彼に言った。
「ううん、偶然に会っただけだよ」
そう答えたが、坂上は信じていないようだった。
確かに、有川は俺の部屋を訪ねようとしたのかも知れない。1年生とB寮で偶然会うことなど殆ど無いのだ。
だが、敢えて俺はそのことに気づかないふりをした。
事実かどうか分からないことを口にして、坂上を嫌な気持ちにさせる必要もない。
バスに乗り、下の町へ降りると、俺たちは最初にファミレスへ入って食事した。
その後で映画を見に行き、滅多に町へ下りられない坂上に付き合って服を買いに行った。
身体の大きな坂上は服を探すのが大変らしく、思ったようなデザインが中々見つからなかったが、それでも、Tシャツを1枚とジーンズを何とか探して買い、俺たちは帰途に着いた。
寮に戻って一旦部屋に帰ると、俺はまた坂上と一緒に食堂へ行った。
有川に言われてから、慶は意識して他の人間と接しようとしていて、今日も俺の帰りが遅いと分かっていた所為もあってか、クラスの友達と一緒にテーブルに着いていた。
本当は慶を独占していたような、以前の関係を取り戻したいような気持ちもあった。
だが、俺の為を思って慶が無理をしてくれているのが分かっていたので、何も言えなかったのだ。
それに、勿論、友達が沢山居た方が慶の為にだっていい筈だった。
俺と坂上は慶の傍には行かず、離れたテーブルに空きを見つけて座った。
食事を終えて、俺たちが部屋へ帰りかけると、先に出た筈の慶と日下部が一緒に居るのが見えた。
何か深刻な話をしているらしく慶の表情は硬く、日下部は珍しく興奮しているようだった。
傍を通るのが憚られ、俺は坂上を促して回れ右をすると、B寮へ行く為の通路を使わずに、一旦外へ出て帰ることにした。
「日下部琉加が戸田に告ったって噂だけど…」
坂上に訊かれたが、俺は答えるのを躊躇った。
「うん、みたいだね」
だが、坂上に嘘をつくのが嫌で、俺は結局そう答えた。
「あの様子じゃ、ふられたってのも本当みたいだな」
今度は呟くように坂上が言い、俺は何も答えなかった。
日下部は諦め切れずに、慶にもう1度アタックしたのだろうか。だが、あの様子では慶の気持ちが動いたとは思えなかった。
それに、考えてみれば、あんなに人目のつく場所で告白のやり直しをするとも思えない。だとしたら、何か別の話なのかも知れなかった。
どちらにしても、俺には関係の無いことだ。
「折角だから少し散歩しない?」
俺が言うと、坂上は嬉しそうに笑って頷いた。
話をしながらブラブラ歩き、人気の無い所まで来ると坂上が手を繋いできた。
だが、それ以上の事をしようとはせず、ただ段々にその手が湿ってくるのを感じた。