涙の後で
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「いえ……」
なんと答えようか迷っているように有川は少し口篭った。
だが、気持ちを決めたような表情になると、はっきりとした口調で答えた。
「俺は振られましたから。もう、彼氏はいいです」
有川の言葉に、慶の眉がすっと上がった。
「それ、千冬にって事か?」
「ええ、そうです。高梁先輩に見事に振られました。でも、俺には他の彼氏は考えられないんで……」
余りにもきっぱりとそう言われ、俺はカーッと頬が熱くなるのが分かった。まさか、慶と有川がこんな話をするなんて夢にも思わなかったのだ。
「ふぅん、有川も千冬か……」
顔を見られて俺は視線を逸らした。
またきっと、慶は呆れているのだろうと思った。
告られて振った相手と、こうして親しく付き合っていることも、彼氏が居るのに他の男と二人きりでいることも、きっと慶には信じられないことだろう。
「ホントにモテるよな、千冬は。だから嫉妬されるんだろうけど」
思った通り呆れたように慶は言った。
俺は何も答えられなかった。
すると、隣で有川が怪訝そうに言った。
「嫉妬…?さっき、楠田先輩もそんなようなこと言ってましたね?もしかして、嫌がらせみたいなことでもされたとか?」
有川の言葉に慶は苦笑しながら答えた。
「楠田が、ね…。そう、1年の時から千冬は人気のある先輩たち何人もの告白を受けたりしたからな。やっかむ連中が居たんだよ。まあ、今は嫌がらせはされてないみたいだから、良かったけど」
慶の言葉に今度は何故か有川が苦笑した。
「なんだ?」
その表情を見て、慶が怪訝そうに訊くと有川は形のいい眉をキュッと顰めた。
「失礼を承知で言いますけど、戸田先輩って鈍過ぎますよね?高梁先輩がやっかまれてるんだとしたら、先輩もその一因だと思いますけど」
「どういう意味だ?」
思い掛けないことを言われて慶は聞き返した。
俺も、まさか有川がこんなことを言い出すなんて思いもせず、驚いて彼を見上げた。
「戸田先輩は自分が周りからどんな風に思われてるのか全然分かってない。先輩に憧れて近付きたいと思ってる人間は沢山居ます。けど、それを先輩は寄せ付けない。唯一、先輩の近くに居るのは高梁先輩だけです」
有川に言われて、何かに気付いたような顔をすると慶は俺の方を見た。
「俺の知る限り、先輩が親しく話をするのも“千冬”なんて名前で呼ぶのも高梁先輩だけだし、先輩のことを“慶”って呼ぶのも他にはいないでしょう。ずっと同室で朝から晩まで一緒なんだし、俺から見ればそれで普通だと思うけど、戸田先輩に近付きたくても近づけないヤツ等からしたら、そんな高梁先輩に嫉妬することもあるんじゃないですか?」
有川の言葉に、慶は考え込むように黙った。
俺は慌てて慶の腕を掴むと下から顔を見上げた。
「そ、そんなことないよっ。慶のことは関係ない。俺が隙だらけだから悪いんだ。それだけだよ」
「いや…。有川の言う通りかも知れない、俺が鈍過ぎた。ごめん千冬、気付かなくて」
「違うって…」
慶にそう言うと、俺は有川を振り返った。
「有川の思い違いだよ。別に俺は慶のことで何かされた訳じゃないから」
「先輩…」
「俺が優柔不断だから悪いんだ。今だって彼氏が居るのに、ふらふらしてるし。ほんと、全然懲りてないって言うか、学習してないって言うか…」
思わず自分を卑下するように言うと、有川の手が俺の肩を掴んだ。
「そんなこと無いですよ。部活の仲間で一緒に過ごすのも、友達と一緒に過ごすのも普通なら当たり前のことです。でも、ここは特殊な環境だし、同性同士だと区別するのが難しい。本人たちは違うと思ってても、勝手に思い込む連中も居るから」
有川が言うと、慶も頷いて言葉を続けた。
「千冬がモテるから、誤解され易いのかもな。でも、俺ももっと気をつけるよ。そもそも、俺が無愛想なのが悪いんだろうから…」
苦笑しながらそう言い、慶は自分の頬を指で擦った。
「済みません。調子に乗って余計なこと言いました。でも俺、これ以上、千冬先輩が傷つけられるのは嫌なんです」
本当に有川は男らしい性格なのだなと俺は思った。
そして、その言葉はストレート過ぎて俺は戸惑ってしまう。嬉しい反面、恥ずかしくもあったのだ。
そして、慶は謝られて首を振った。
「いや、言ってもらって良かった。有川の言う通り、俺は人間関係に鈍いところがあるから。……けど、千冬を傷つけたくないって思うのは俺も同じだから」
「慶……」
まるで有川に対抗するかのような言葉に聞こえたが、でも、慶の表情は穏やかだった。
きっと、有川がくれた言葉と慶の言葉とでは、同じに聞こえても全く違うのだろう。俺はそれをちゃんと分かっているつもりだった。
「二人とも、本人を目の前にしてくすぐったいこと言わないでよ。そんな台詞誰かに聞かれたら、また俺、虐められそう…」
茶化して俺が言うと、二人は同時に笑った。
「撮影止めて帰ろうか?テラスで何か飲まない?」
俺が言うと、有川はすぐに頷いた。
「いいですね。そうしましょうか」
慶も承知して、俺たちは回れ右をすると寮に向かった。
途中でまた図書館の前を通ったが、慶は見向きもしなかった。
寮の敷地に戻ってテラスに行こうとすると、友達と談話室に居たらしい楠田が、目敏く見つけて上から俺を呼んだ。
テラスでお茶するから来いと誘うと、嬉しそうに頷いてすぐに飛んで来た。
慶は相変わらず苦手らしかったが、以前のようにモーションを掛けてくることもないし、俺とも普通に付き合うようになったのを知っているので楠田が来ても嫌がりはしなかった。
学園のモテ男二人を引き連れてテラスになんか居たら、きっとまた妬まれるだろうし、楠田が居ることで俺の立場も助けられる。それを二人も察してくれたようだった。
滅多に話す機会の無い慶と話せるし、お気に入りの有川も居るしで楠田は上機嫌だった。
他愛の無い話をして買ってきた飲み物を飲んでいたが、暫くすると少し声を潜めるようにして楠田が話し出した。
「例のさ、隠し撮りの件だけど……」
「あ、うん。もう、何か分かったの?」
「撮ってるヤツはまだ不明。けど、流してるヤツ等は全部3年だね。勿論、写真部とは無関係だよ。多分、撮ってるのも部のヤツじゃないと思う」
楠田の情報網は侮れない。俺は心の中で、その速さに舌を巻いた。
「やっぱり、金取ってるんですか?」
眉を顰めて有川が訊くと、楠田は頷いた。
「らしい。買ったヤツを一人突き止めて訊いたら、写真にもランクがあるんだそうだ」
「ランク?」
今度は慶が眉を顰めて聞き返した。
「うん。人気のある人のは高いってのもあるけど、写真の出来によっても値段が違うんだって。安いのは200円くらいで買えるけど、高梁の例のヤツは1000円以上するらしいよ」
“例のヤツ”とは、着替え写真だろう。
それを聞いて俺は思わず溜め息をついた。
「それ、やっぱり放っては置けないな。本人の知らないところでそんなに金が動いてるなんて尋常じゃないよ。ホントに学校側に知られたら大変な騒ぎになるぞ」
慶の言葉にみんなが頷いた。
でも、具体的にどうすればいいのだろう。
「中島先生に……相談してみようかな」
ふと思いついて俺が言うと、慶の顔がパッと明るくなった。
「うん、いいかもな。中島先生なら何かいい方法を考えてくれるかも知れない」
他の教師たちとは違って、中島先生は俺たちともっと近いところに居てくれるし、色々と生徒の相談にも乗ってくれる。特に俺は、あの一件以来、中島先生を深く信頼していた。
今晩にでも先生の部屋を訪ねてみることにし、俺たちは其々部屋に戻った。
部屋に戻ると、俺は少し逡巡していたが、やはり気になっていたことを慶に訊いてみることにした。
「慶……、何かあった?図書館の前で会った時、なんか変な感じがしたけど…」
俺が訊くと、着替えていた慶は振り返った。
フッと溜め息をつくと、腕だけを通していたTシャツを被って頭を通した。そして、ポスンとベッドに腰を下ろした。
「千冬の言う通りだった。今日、図書館で日下部に付き合って欲しいって言われたよ。中学の時から憧れてて、俺がいるからこの学校に来たって」
やっぱり……
予想していたことだったが、俺は息苦しくなるのを感じた。
やはり日下部は、慶のことが好きだったのだ。
「で……?付き合う事にしたの?」
恐る恐る俺が訊くと、慶は顔を顰めながら首を振った。
「まさか。俺はもう彼氏は要らないって言ったろ?」
慶の答えにホッとしながら、それでもまだ不安を消せずにいた俺はまた訊いた。
「でも、日下部は凄く綺麗だし、それに気心も知れてるんだからカモフラージュで付き合うんなら悪くないだろ?そうなれば、慶の周りももっと静かになるし…」
「気心が知れてるってほど、俺は日下部を知らないよ。いや、全然知らなかったって言ってもいいかもな」
「どういうこと?」
俺が前に立って訊くと、慶は苦笑しながら俺を見上げた。
「大体、日下部が俺のことをそんな目で見てたのも全く気付かなかったし…。それに、あいつの性格も、ちょっと俺には付いていけない。例えカモフラージュでも友井先輩の時のように付き合うのは無理だ」
「何か嫌なことでも言われたの?」
心配になって俺が訊くと慶は疲れたように首を振った。
「いや、直接俺に対しては何も。どうしても駄目なのかって、泣かれそうになって困っただけだ」
慶の言葉に思い当たることがあり、俺は訊いた。
「じゃあ、俺のこと……?」
きっとそうだと思ったのだが、俺の予想に反して慶は笑いながら首を振った。
「いや、違うよ。千冬のことじゃない」
「そう…」
それでもう日下部の話は終わりにしたかったのだろう。慶は立ち上がると、飲み物を買いに行くと言って部屋を出て行った。
慶は否定したが、日下部が俺について何か言ったのは間違いないだろうと思った。
俺が慶の傍にいるのが気に入らない様子だったし、今朝、慶が俺を庇った時も明らかに不満げな表情をしていた。
慶が日下部の告白を受けなかったのは嬉しかったしホッとしたが、彼が慶に何を言ったのか気になって堪らなかった。
そしてそれは、俺をまた酷く不安にさせたのだった。