涙の後で


-8-

誰かがドアを開けるのではないかという心配は拭えなかったが、はっきりとした欲望をぶつけてくる有川が愛しくて、その手を振り解く気にはなれなかった。
まだ、燦々と日が差し込む部屋で全てを見られながら抱かれるのは恥ずかしかったが、俺に抵抗する隙を与えない位の有川の熱が俺にも火をつけていた。
「会いたかった。ホントに会いたかった……」
切なくなるくらいの声で何度もそう言われ、俺はほんの少し残っていた躊躇う気持ちを棄てた。
「俺も…。雄李……」
有川の首に腕を回して引き寄せると、初めて自分からキスをした。
思えば、いつも、誰が相手でもされる側で、こうして自分からキスをしたのは、この時が初めてだったかも知れない。
それでも、下を脱がされると恥ずかしくて目を逸らしてしまった。
「挿れていい?駄目?」
訊かれて頷こうとすると、被せるように有川が言った。
「駄目って言われても、我慢出来ない…」
「うん、いいよ」
俺が答えると、またキスが落ちてきた。
熱く何度も舌を吸われ、そして何度も噛まれた。
前から思っていたが、恋愛経験が豊富なのか、有川は年下の癖に俺よりも慣れている感じがした。
鞄からローションを取って来て俺の後ろを解すと、有川は性急に挿入しようとした。
多分、大丈夫とは言ったが、有川にしても何時誰が来るかも知れない部屋で時間を掛ける危険を感じていたからだろう。
「いっ…」
まだ十分に身体の準備が出来ていなかった俺は、思わず顔を歪めてしまった。
すると、すぐに有川が動きを止めて俺を見下ろした。
「ごめん…、痛い?」
「うん。…ゆっくりして?」
「うん、ごめん…」
そう言うと、有川は俺の様子を見ながらゆっくりと腰を繰り出した。
「あ、く……う……」
小さく呻きながら、それでも俺は最後まで有川を受け入れた。
息をついて、有川がまた俺を見下ろす。そして、動き始める前にまた何度もキスをした。
「可愛い……。本当に好きなんです。早く俺のものになって……?」
小さな声で有川が言った。
泣き出しそうになりながら俺は彼の身体に腕を回した。
「もう、雄李のものだよ。全部……」
嘘ではないと思った。
もう、俺は心の中の慶のことを閉め出すことが出来る筈だった。
「ホント?離さないから…、絶対に、もう離さない…ッ」
「うん、……うん…」
何度も頷き、俺は有川を抱きしめた。



有川の部屋でシャワーを借り、火照りを冷ましてから部屋へ戻ると、慶はベッドの上に寝転んで、携帯で誰かと話していた。
それは、俺にとってかなり珍しい光景だった。
大分前にカモムラージュで友井先輩と付き合っていた頃は、毎朝、先輩からのモーニングコールがあったが、今では慶の携帯が鳴るのはアラームかメールの受信音だけだったので、彼が誰かと話をしているのを見るのは随分と久し振りだったのだ。
誰と話しているのか気になったが、まさか、気になる素振りなんて見せられない。俺は自分のベッドへ行くと、そこに寝そべって本を開いた。
時折、楽しげな笑い声を上げながら、慶の電話は続いた。
その様子を背後で気にしながら、俺は全く頭に入らない文章を目で追っていた。

電話の相手は瑠衣子ちゃんだろうか。
いや、そうは思えない。
じゃあ、友達だろうか。
なんだか、それも違う気がした。

誰かと何処かで会う約束をしているような内容が、何となく耳に入った。その約束の仕方が、ただの友達相手とは思えなかったのだ。
電話が終わり、慶が立ち上がる気配がした。
俺は振り返らなかったが、慶が近付いて来るのが分かった。
「千冬、飲み物買ってくるけど要るか?」
「え?あ、ううん。俺はさっき飲んだからいいや」
俺が答えると、慶は頷いてドアの方へ向かおうとした。
だが、足を止めると振り向いて言った。
「あ、俺、彼女出来たんだ。……千冬には言っておこうと思って」
「え…?」
それは、本当にあっさりとした口調だった。
そして、驚いて見つめた視線の先に、照れくさそうに笑う慶の顔があった。
「か、彼女って……誰?」
恐ろしく間抜けな質問だったと、後から思った。でも、その時の俺は訊かずにはいられなかったのだ。
一体、いつ、どこで知り合ったのだろうか。
夏休み前は、慶にそんな素振りなんか少しも無かったではないか。
「本屋でバイトしたって言ったろ?そこで前からバイトしてた女子大生。最初から気が合って、一緒に飯食ったりしてる内に自然とそんな雰囲気になって」
「女子…大生。と、年上……」
当たり前のことを俺は言った。
だが、慶は気にする風でもなく笑みを見せた。
「うん、二つ上。意外か?」
「う、ううん。べ、別に、そうじゃないけど…」
慶の顔は酷く明るかった。
今度こそ、本当に慶は恋愛の相手を見つけたのだと思った。
「よ、良かったね。本物の彼女なら、今度こそ周りも静かになるよ」
「まあ、別に宣伝するつもりも無いけどな。でも、ここの連中の情報網って凄いから」
苦笑しながらそう言い、慶は飲み物を買う為に部屋を出て行った。
ふーっと身体から力が抜けて、俺はぱたりとベッドに横になった。
余りにも突然で、そして、意外な展開だった。
いつかは慶にも相手が出来るだろうと思っていたが、自分の全然知らない間に、こんなにもいきなり、その存在を告げられるとは思っても見なかった。
「か、彼女…」
声に出すと、それが急に現実になった。
「慶に彼女……」
もう1度呟き、俺は両手で顔を覆った。

終わったのだと思った。
いや、やっと終われたのだと思った。

胸が苦しくて、叫びだしたいような気分だったが、同時に俺は何処かでホッとしていた。
多分、何日も眠れないだろう。
悲しくて辛くて、慶の顔をまともに見られなくなるだろう。
だが、俺はやっと自分自身で作り上げた呪縛から解き放たれることが出来るのだと思った。
「ぅうっ…、う…う……」
泣けるのは、どうしようもない。
長いこと、慶のことだけを思い続けていたのだ。
少しぐらい泣いてしまうのは仕方ないと思った。
だけど、少し泣いたら、きっと大丈夫だ。平気な顔をして、慶と話が出来る。
きっと出来る筈だと思った。



慶に彼女が出来たことは、瞬く間に学校中に広まった。
そして、耳の早い楠田は、すぐに俺のところに飛んで来た。
「聞いたよな?勿論」
「うん、聞いた。直接ね」
何のことなのか聞かなくても分かった。
俺が答えると、楠田もすぐに俺の言葉を理解したらしく、溜め息と共に頷いた。
「いいの?それでおまえは?」
「何が?いいも何も、俺には関係ないし…」
そう答えると、楠田はまた溜め息をついた。
「そう言うと思った。何も行動しないで諦めるんだ?まあ、高梁らしいけどさ」
楠田の言葉に俺は笑うしかなかった。
「だって俺、彼氏いるんだよ?もう何度もセックスだってしてる。……有川のこと、本気で好きだから…」
俺の答えに、楠田はただ顔を顰めただけで何も言わなかった。

慶の彼女は美人らしい。わざわざ本屋に確かめに行った野次馬たちの情報で、そのことも忽ち広まった。
勿論、慶の彼女なのだから美人だろう。
そしてきっと、いい人に違いない。
そうじゃなくても、男だというだけで、俺では最初から勝負にならない。諦めるもなにも、俺には初めから選択肢なんか無かったのだ。

慶は幸せそうだった。
週末も寮に居ることが多かったのに、今は彼女に会いに週末ごとに隣町へ出かけて行った。
平日も外出することが多くなり、放課後、部屋に戻っても慶に会わない日が度々あった。
きっと、すぐに忘れられると思っていたが、無人の部屋に入る度、週末にいそいそと出かけて行く慶を見る度、俺はいつまでも胸の痛みを感じていた。
だが、それでも幾らかは諦めることを覚えたのか、慶が彼女と電話で話しているのを聞いても、その場から逃げ出さずに居られるようになった。



2年の冬も終わり、もうすぐ俺達が3年に進学する季節になった。
慶と彼女の付き合いは終わることなく続き、そして俺も、有川との付き合いを深めていった。
週末になると慶は必ず出かけるので、それをいいことに、俺と有川は部屋で過ごすことが多くなった。
勿論、たまには下の町に下りたり、隣町まで行ってデートすることもあったが、週末は二人で居ることが当たり前になり、そして、俺は当たり前のように有川に抱かれた。
また部屋替えの季節が来て、本当はもう、慶と同室になるのは嫌だった。
だが、仲違いをした訳でもないし、人付き合いの苦手な慶は、今更他の気心の知れない相手と同室になるのは嫌らしかったし、結局俺はルームメイト変更希望を出さなかった。
だから、俺と慶はまた同じ部屋で1年間を過ごすことになったのだ。
だが、相手は変わらないといっても部屋の引越しはある。
同じB寮の中だったが、今度は最上階の3階に部屋を割り当てられた。
それは、嘗て真藤先輩と小金井先輩が過ごしていた部屋の隣だった。
そして、俺が初めて異性に抱かれた、あのオーディオ室のすぐ傍だった。
あれ以来、俺はその部屋に入ったことは無かった。別に、嫌な気持ちになることは無いと思ったが、それでも、敢えてその部屋に入る気にはなれなかったのだ。