涙の後で
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真藤先輩と、祖父母の家で過ごした1週間は、穏やかで楽しくて、優しい日々だった。
先輩と別れる時は何時もそうだが、離れ難くて前の晩は眠れなかった。
送らなくていいと言われたが、俺はバス停までは送って行った。
夏休み中に、来られたらまた来ると先輩は言ってくれたが、多分、それは無理だろうと思った。
この後も、先輩には色々と予定があるのは分かっていたのだ。
バスの中の先輩に手を振って見送り、見えなくなるまでそこに居ると、俺は家に戻った。
聞いてはいたが、祖父は確かに余り元気そうではなく、今日も少しだるそうにしていたので、ランチの込み合う時間帯まで店は祖母と二人でやることにした。
「病院に行くように言ってるんだけどねえ。元々が丈夫な人で自分の身体に自信を持ってるし、病院が大嫌いだし、中々言うことを聞いてくれなくて…」
祖母も心配そうだったが、祖父は大丈夫だと言って利かないらしかった。
「千冬からも言って頂戴よ」
祖母に言われて、俺は店が終わった後にでも言ってみると約束した。
だが、結局祖父は、俺が店に居る間には病院へは行かなかった。
8月に入って、慶から連絡が来た。
10日頃に一旦、家に帰れそうだとのことだったので、俺もそれに合わせて瑠衣子ちゃんを訪ねることにした。
13日には有川と会う約束をしていたので、瑠衣子ちゃんを見舞った足で、有川の住んでいる町へ行くことになるかも知れない。そう思って、その夜、俺は有川に電話を掛けた。
メールはしていたが、声を聞くのは久し振りだった。喜んでくれるものと思っていたのに、何だか有川は疲れているような感じだった。
「ごめん。今、都合悪かった?」
俺がそう言うと、すぐに有川の返事が返ってきた。
「そんなことないですよ。声が聞けて嬉しい」
「ほんと?」
何だか何時もと様子が違う有川に、俺は少し不安になった。
「嘘な訳ないでしょう?早く会いたい。今すぐにでも、会いたいよ」
「雄李…」
酷く切なそうな声で言われ、俺は益々不安になった。もしかして、有川に何かあったのかも知れない。
「13日には会えるんだろ?俺、そっちへ行くから…」
「ええ。俺が会いに行ってもいいんだけど…」
「ううん、いいよ。雄李の住んでる所、見てみたいし」
俺が10日に慶の妹を見舞ってから行くと話すと、有川の声が少し険しくなった。
「なら、3日も戸田先輩の家に泊まるの?」
「うん、多分。…でも、寮ではいつも同じ部屋に居るんだよ。慶の家では慶とは別の部屋に泊まるんだし…。それに、今更俺と慶がどうにかなる訳ないだろ?」
妬いてくれたのかと思って、俺はそう言った。すると、有川の溜め息が薄っすらと聞こえた。
「それはそうだけど…。分かりました。じゃあ、戸田先輩の家から真っ直ぐこっちに来てくれるんですね?時間が分かったら教えて下さい。迎えに行くんで…」
「うん…。あのさ、もし迷惑だったら俺、別の機会にするけど…」
俺がそう言うと、すぐに有川の答えが返ってきた。
「迷惑な訳無いでしょ?さっきも言ったけど、本当に今すぐ会いたいくらいなんだ。店の手伝いさえなかったら、今すぐ会いに行きたいよ」
「雄李……、ごめん。俺だって早く会いたいよ。じゃあ、13日に行くから」
「うん、待ってる…」
最後まで有川の様子はおかしかった。
何だか妙に苛々している様に感じられて俺は不安になった。
もしかすると、俺が行くのは良くないのかも知れない。有川がどんな所に住んでいるのか見てみたかったが、彼が言うように俺の方へ会いに来てもらった方がいいのかも知れないと思った。
(俺のこと、親に知られたら困るのかも……)
“部の先輩”として、有川は俺を親に紹介するのだろう。だが、それでも何処か後ろめたいのかも知れないと思った。
迷惑を掛けたくないと思う。優しくしてくれる有川の重荷にはなりたくない。
有川は俺とは違うのだ。
もし彼が、他の学校に行っていたら、彼の隣に居たのは男ではないだろう。きっと、可愛い女の子とまともな恋愛をしていた筈なのだ。
学校の中に居る時には気付かないが、こうして外に出てみると、そのことをまざまざと感じる。
そして、有川を巻き込んだことを、俺は後悔してしまうのだ。
迷ったが、俺はもう1度、有川に電話を掛けた。
「ごめん、何度も…」
「ううん、どうしたの?」
「あの…、やっぱり、俺が行くより雄李に来てもらった方がいいかなって。雄李んちはお店やってるから忙しいだろうし、ウチはほら、お盆は両親が祖父の家に行って留守だから」
「ウチは構わないですよ。それに、お祭りも行きたいって言ってたでしょう?」
「う、うん…。でも、来てもらった方が、二人っきりになれるから…」
「千冬さん……」
「な?駄目?」
「駄目じゃないよ。そんな風に言われたら、嬉しくて断れる訳ない」
やっと、有川の声がいつもの優しい声になった。
それに気付き、俺は少しホッとした。
「本当に早く会いたい。早く13日にならないかな」
「うん…」
子どもみたいなことを言われて、俺は少し笑った。でも、その気持ちが嬉しい。
「じゃあ、千冬さんがそっちを出るのに合わせて俺も出るから。駅で待ち合わせましょう?」
「うん。じゃあ、また電話するね。……おやすみ」
「おやすみ」
電話を切って、俺はホッと息をついた。
有川に会って、何時もの様に強く抱きしめられたら、きっとこんな不安は吹き飛んでしまうのだろう。
楠田あたりに知られたら、臆病過ぎると言われるかも知れないが、俺には有川に限らず誰かをずっと繋ぎ止めておく自信が無い。
だから、俺と付き合っていることが少しでも負担になるような関係を作りたくなかったのだ。
顔を合わせれば杞憂だったと分かるのかも知れない。
だが、遠く離れて声だけしか聞けない今は、俺の不安は消えることは無かった。
この前喜んでくれたので、今度もまた瑠衣子ちゃんにお土産を持って行きたいと思ったが、まさかまた猫の焼き物という訳にもいかないだろう。
俺は祖母のお使いに行くついでに、あの雑貨屋をまた見に行った。
迷ったが、表紙に綺麗な布を張った小型の可愛いアルバムを見つけて、それに決めた。自分で撮った写真を入れてプレゼントしようと思ったのだ。
持って来ているカメラの中に、新しく撮った慶の写真や、祖母の庭やカフェの写真があったので、祖父のパソコンを借りてプリントすると、レイアウトしてアルバムに貼った。
祖父母と一緒に真藤先輩を撮った写真もあったので、ついでにそれもプリントして祖父母にプレゼントした。
祖母は嬉しそうに、それを写真立ての中に入れると、居間のキャビネットの上に飾った。
慶とは向こうの駅で待ち合わせることにした。
お昼に合わせて、街で食事をしてから病院へ行こうということになり、俺はバスと電車の乗り継ぎ時間を考えて家を出た。
少しは瑠衣子ちゃんの具合が良くなっているといいと思っていたが、慶に聞いた様子では、余り変わらないようだった。
文庫本を1冊持って出たのだが、バスと電車の中で全部読んでしまったので、街で本屋に寄るか、でなければ慶に何か借りようと思った。
2年半、読書好きの慶と暮らしている所為か、俺もすっかり本無しで居られなくなっていたのだ。
駅には慶が先に着いていた。
改札口の近くで待っていた慶は、俺が出て行くと手を上げて合図した。
「悪かったな、千冬」
そう言った慶に、俺は首を振った。
「ううん、そんなことないよ。待たせちゃった?」
「いや、俺も5分くらい前に着いたんだ。……飯、何がいい?今日は俺が奢るから」
言われて、俺は首を振った。
「いいよ、そんな。慶はお金貯めてるんだろ?俺だってバイト代貰ってるんだから、俺が奢る」
俺の言葉に、慶は慌てて言った。
「何言ってんだ?そんな訳にいくか。瑠衣子の為に来てくれたのに、千冬に奢らせるなんて、親父達にだって怒られるよ」
俺の手を掴むと、慶はグイと引っ張った。
「ほら、行こう。今日は俺の奢り。な?」
人目の多い駅の構内で手を繋がれ、俺は慌てた。周りをサッと見回すと、足早に慶に続いた。
「わ、分かった」
慶と手を繋いだのは、1年の夏休みにプラネタリウムへ行って以来だった。
あの時は真っ暗闇で見られる心配もなかったし、人目を気にすることも無かったが今は違う。俺は急いで慶の手首を掴んで、自分の手を引き抜いた。
「は、恥ずかしいよッ」
「ああ、ごめん」
苦笑しながらそう言うと、慶は俺を振り返った。
「ファミレスでいいか?甘い物もあるし」
甘党の俺を気遣って、慶はそう言った。きっと、デザートもご馳走してくれるつもりなのだろう。
「うん、なんでも…」
いけないと分かっていても、慶と手を繋いだりすると、やはりドキドキしてしまう。何時まで経っても俺は懲りていないのだ。
結局ファミレスで、慶に日替わりランチとデザートのサンデーをご馳走になり、バスに乗って瑠衣子ちゃんの病院へ行った。
俺たちの姿を見て、瑠衣子ちゃんは喜んでくれたが、起き上がるのも辛そうで俺は胸が痛くなった。
食事も余り取れないらしく、栄養剤の点滴が腕に繋がれていた。
だが、俺がお土産のアルバムを出すと目を輝かせて、嬉しそうに胸に抱いた。
「可愛い…。あ、新しい写真、入れてくれたんですね」
「うん。ほら、慶の写真も…」
ページを捲って俺が言うと、自分の写真が入っていることを知らなかった慶が、驚いて覗き込んだ。
「あれ?これ、何時撮ったんだ?」
眉を寄せて慶が言うのに、瑠衣子ちゃんはその顔を見て楽しげに笑った。
「慶ちゃん、知らないんだ。じゃあ、隠し撮りだぁ」
楽しげに言った瑠衣子ちゃんに俺も笑いながら頷いた。
「そうそう、隠し撮り。慶は人気者だから、いっぱい隠し撮りされてるんだよ」
「ホント?慶ちゃん」
瑠衣子ちゃんが訊くと、慶は軽く肩を竦めた。
「そんなことないよ。俺よりも千冬の方が……」
そこまで言って、慶は言葉を飲み込んだ。
以前の隠し撮り事件のことを思い出して、俺を気遣ってくれたのだろう。
慶の気持ちを尊重して、俺は話題を変える為にアルバムのページを捲った。
「これ見て、瑠衣子ちゃん。ここが俺の祖父と祖母がやっているカフェなんだ」
「わぁ…、可愛いお店ですね。お庭も綺麗…。ここでもお茶が飲めるんだ」
「うん、冬以外は開放してるんだ。夏はちょっと暑いけどね」
「いいなぁ、行ってみたい。ケーキも美味しそう」
瑠衣子ちゃんの言葉を聞き、俺はチラリと慶を見上げた。
すると、慶は僅かに頷いて言った。
「じゃあ、早く元気になれよ。そしたら、一緒に行こう。俺も行ってみたいし」
「ホント?慶ちゃん。行ってもいい?千冬さん」
目を輝かせた瑠衣子ちゃんに俺は頷いた。
「勿論。来てくれたら、祖父母も喜ぶよ」
俺が言うと、瑠衣子ちゃんは頷いて、もう1度写真に目を落とした。
「本当に、行けたら嬉しいな…」
呟くようにそう言い、写真を撫でる彼女を見て俺は目頭が熱くなった。
前に、一緒に公園へ行こうと約束していたが、その約束も果たせていない。心の何処かで、本当は無理だと諦めているのではないかと思うと、切なくて堪らなかった。