涙の後で
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家に居た3日間、有川は飽くことなく俺を抱いた。
余りに求められて余計に不安になる。怖がっているのは俺だけではないのだと感じるからだった。
だが、最初に言った以上のことは何も言ってはくれなかったし、俺も訊こうとはしなかった。
帰る時、俺が止めなければ、人の目が沢山ある駅だということも気にせず、有川は俺を抱きしめんばかりだった。
また、すぐに会えるからと言って別れたが、何度も何度も俺の方を振り返り、ホームに向かって姿を消した。
その姿が見えなくなっても、俺は暫くの間、そこを動けなかった。
本当に、すぐにまた会える筈だった。
それなのに、不安で堪らない。
学校が始まって再会した時には、この不安がすっかり消えていることを願った。
有川が帰ってから3日後に瑠衣子ちゃんからメールが来た。
少し具合が良くなって食欲も出てきたこと。毎日、俺が贈ったアルバムを開いているということ。それから、春までには元気になって、祖父のカフェへ遊びに行きたいと言って来た。
余程気に入ってくれたらしく、店の写真をメールで送って欲しいとのことだったので、俺は使っているカップの写真や、焼きたてのケーキ、評判のサンドイッチや庭の草花など、何でも撮ってメールで送った。
すると、その度に、瑠衣子ちゃんからは画像についての楽しそうな返事が来た。瑠衣子ちゃんが喜んでくれるのが嬉しくて、俺もまた画像を送る。
夏休みが終わるまで、俺と瑠衣子ちゃんの間にはそうやって何度もメールが遣り取りされたが、慶には寮へ帰る前日になるまでメールはしなかった。
明日帰るとメールすると、慶は寮に帰る電車の中だった。
明日は彼女と会うことになったと書いてあったが、夕方には帰って来るとも書いてあった。
夕食は一緒に食べようと言って来たので、俺はOKの返事をした。
もしかすると、有川がまた怒るかも知れないと思ったが、わざわざ夕食を一緒にと言って来たのは、慶が何か俺に話したいことでもあるのかも知れないと感じたのだ。
その有川とは、明日、駅で待ち合わせをすることになった。
寮へ戻る前に昼食を一緒に食べてデートしたいと言うので、俺は朝の内に電車に乗ることにした。
あれから何度も、メールする他にも電話で話したが、有川に変わった様子はなかった。
単なる、俺の杞憂だったのかも知れない。
でも、顔を見るまで安心は出来なかった。
もしかして、俺と別れることを心に決めたから、却って平常心になれたのかも知れない。そんな余計なことを、俺はまた考えていたのだ。
電車が駅に着き、俺は改札口を抜けると外へ出て入り口の近くで待った。
暑かったが、何となく中で待つのが嫌だったのだ。
帰って来る時間はまちまちだが、学校の連中がぽつぽつと戻って来る。改札の近くに居ると、一々顔を合わせることにもなるだろう。
時間を見ると、有川が着くまで10分ほどの時間があった。
俺は、思い直して近くの書店へ入り、時間を潰すことにした。
店の中は涼しくて、中に入るとホッとした。
雑誌のコーナーで、気になる雑誌を手に取りパラパラと見たが、買う気になるほどのものは無かった。
お薦め本の並ぶ最前列の棚は、もう他の書店で散々見てしまっていて見慣れた本ばかりだったので、俺は小説のコーナーへ足を向けた。
慶に借りた本の続編を買おうかどうか迷ったが、確か寮の方に慶が持っていた筈なので、別の本を探した。
本の背表紙だけを見ながら歩いていたので、俺は先に立っていた人を良く見ていなかった。
ただ、ぶつからないように除けようとすると、向こうが俺に声を掛けてきた。
ハッとして顔を上げると、其処に立っていたのは日下部琉加だった。
「あ…、どうも」
軽く頭を下げると、日下部はきちんと礼をした。
「暑いですね。先輩も今日帰って来たんですか?」
「うん、さっき着いたとこ。日下部も?」
聞き返すと、日下部は頷いた。
「バスの時間を見たら、少し間があるんで…。一人でお茶するのも嫌ですし」
「そうだね…」
こんなに暑いのに、少しも日焼けしていない。日下部の肌は相変わらず抜けるように白かった。
よく、俺も色が白いと言われるが、所詮は日本人の白さに過ぎない。日下部の肌は、北欧の血が混じっているだけあって、白さが違う。
慶のことは諦めたのか、その後、接触してきた様子は無かったが、日下部が誰かと付き合っているという噂も聞かなかった。
情報通の楠田の話では、交際を申し込んでくる傍から、けんもほろろに振りまくっているらしく、今ではアタックしようという勇者も居なくなったらしい。
「面白そうなの、ありました?」
俺の手に持った本を見ながら日下部が言った。
「ああ、うん。これ、どうしようかと迷ってるとこ。この作家は好きなんだけど、ちょっと毛色の違う作品みたいだから」
「ああ…、これはちょっと止めた方がいいかも。代表作のシリーズとかが好きな人にはお薦め出来ませんよ。意欲作ではあるのかも知れないけど、出来は今ひとつです」
笑いながらそう言われ、俺は頷くと、持っていた本を書棚へ返した。
「日下部はホントに読書家なんだね。何か、お薦めがあったら教えて?」
俺の言葉に日下部は肩を竦めた。
「僕なんかより、戸田先輩に訊いた方がいいんじゃないです?今の作家も、先輩の影響なんでしょ?」
「影響って…、まあ、慶に薦められて読んだのは確かだけど…」
俺が口篭ると、日下部は少し迷ってから俺に頭を下げた。
「いつかは、済みませんでした。失礼なことを言って、悪かったと思ってます」
いきなりそう言われ、俺は面食らってしまった。
まさか日下部が、俺に謝るなんて思ってもいなかったのだ。
「い、いや…。もう、いいよ。前のことだし…」
俺がそう言うと、日下部は頭を上げてクスッと笑った。
「本当にお人好しですね、高梁先輩は。皆が先輩を守ろうとするのも分かる気がする。僕だったら、あんなこと言った相手をあっさり許したりしないですよ」
「そ、それは…、日下部の言ったことは間違ってないから…」
俺の言葉に日下部は眉を寄せた。
「驚きだけど、それ、本気で言ってるんでしょうね。全く、僕は悪者だな。……こんな人が相手じゃ、敵う訳ない…か」
最後は溜め息混じりに日下部は言った。
何と言っていいのか分からずに俺が黙ると、日下部はまたクスッと笑い、少し離れた棚から本を1冊取った。
「これ、面白いですよ。上下巻で長いけど、引き込まれてすぐに読み終えちゃうかも」
「あ、ありがとう。じゃあ、読んでみるよ」
俺が礼を言って受け取ると、日下部は笑みを浮かべて軽く頭を下げ、背中を向けた。
その後姿を見送ると、俺は渡された本の下巻を棚から下ろしてレジへ向かった。
慶に会いたくて、この学校を選んだのに、その慶に受け入れてもらえずに、それでも学校に居続けるのは、きっと辛いだろうと思った。
だが、日下部は俺のような弱虫とは違うのだろう。
たった一人でも、いつも毅然と立っている。俺に比べたら、日下部はずっと強くて男らしい。
レジでお金を払っていると、ポケットで携帯が鳴って、俺は慌てて取り出した。
「ごめん、着いたの?」
俺が訊くと、有川の声が答えた。
「はい、今着きました。何処に居るの?」
「今、本屋。すぐに出るから…」
「いいですよ。俺がそっちへ向かいます」
そう言って、有川は電話を切った。
本を袋に入れてもらって外へ出ると、駅の方から有川が歩いて来るのが見えた。
軽く手を挙げて合図をすると、有川は笑顔になって少し足を速めた。
「ごめん。時間あったから…」
目の前に来た有川に言うと、彼は笑みを見せて首を振った。
「ううん。何か買ったの?」
「うん…」
持っていた本の袋を渡すと、有川は中身を確認して頷いた。
「へえ、面白そう。読み終わったら借りようかな」
「うん、いいよ」
返された本をバッグの中に仕舞い、俺は下に置いていた荷物を持って肩に掛けた。
デートしようとは言っても、二人とも大荷物だった。
これを持ったまま移動するのは大変だし、わざわざロッカーに預けて歩くほど、この街に行く所も無かった。取り敢えず何処かで昼食をとって、その後は寮に戻ってゆっくりしようということになった。
慶は彼女とデートで夕方まで戻らないと言っていたし、有川が部屋へ来ても問題ないだろう。
駅の近くの洋食屋へ入り、其々注文を済ませると、やっと落ち着いてお互いの顔を見た。
半月ぶりに会った有川は、少し疲れているようだった。
家の手伝いが忙しかったのかも知れないが、やはり何か心配事を隠しているようにも見えた。
「あれから、ずっと休み無し?」
扱き使われていると言っていたので、俺はそう訊いた。
すると、有川はうんざりしたような顔になって頷いた。
「息子だと思って、親も遠慮なしですよ。ホント、今年の夏休みは“休み”なんて言葉とは無縁でした」
「大変だったね。でも、そんなに忙しいなんて、お店は繁盛してるんだね」
「ええ…、まあ」
お座成りに頷くと、有川は少し身を乗り出すようにして笑顔になった。
「それよりもこれ…、今度は俺からプレゼント」
小さな包みを差し出され、俺は驚いた。
開けてみると、猫のキーホルダーだった。
「ふふっ…可愛い。千秋だね」
俺が千秋にそっくりな猫の置物をプレゼントしたのでそのお返しだろう。このキーホルダーの猫も、目の色は違うが千秋と良く似た配色だった。
「同じ色で青い目のを探したんだけど、残念ながら無かった。こんな子供騙しのプレゼントで悪いけど、目に付いたから」
「ううん、ありがとう。嬉しいよ」
俺はそう言うと、すぐに鞄から鍵の束を出して、そこに猫のキーホルダーを追加した。
食事を終えて駅へ戻ると、駅前のバス停からバスに乗った。
帰ると、寮は、もう戻って来た生徒で賑やかさを取り戻していた。
有川は荷物を置きに自分の部屋へも行かず、真っ直ぐに俺の部屋に来た。
そして、ドアを閉めると同時に俺を抱き寄せた。
「ゆ、雄李ッ、待ってよ…」
汗臭い自分の身体が気になって、俺は密着しようとする有川を抑えた。
それでもキスをされ、唇を吸われて俺はもがいた。
「ね…、汗臭いから…っ」
「平気…。千冬さんの匂い好きだし…」
キスの合間に有川が言うのに、俺は首を振った。
「嫌だよ。先ず、シャワー浴びよう?」
とうとう肩を掴んで俺が押し退けると、有川はニッと悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、一緒に入ろう?」
「え…?」
驚く俺を尻目に、有川は俺のシャツに手を掛けた。
「決まり。ほら、脱いで」
「や…、ちょっと……ッ」
戸惑っている間にシャツを脱がされて、ジーンズにも手が掛かった。俺は諦めて、されるに任せて服を脱いだ。
サッサと裸になった有川は、俺を促してバスルームへ入った。
俺は最後に残った下着を脱ぐのに躊躇ったが、有川の方は躊躇無く素っ裸になるとバスタブの中に入ってシャワーを出した。
「早く…」
空いた方の手で俺の手を掴み、もたもたしていた俺を有川はバスタブの中に立たせた。
カーテンを引いて俺の身体にシャワーを掛けて汗を流すと、ボディソープを手に取って少し泡立ててから、俺の身体に塗りつけた。
「い、嫌だよ。恥ずかしい。自分で洗うよ」
俺が逃げようとすると、有川は首を振って俺を捕まえた。
「駄目。俺が洗います」
「で、でも…ッ」
「いいから。…はい、そっち向いて」
そう言って俺に背中を向かせると、有川は両手で首から背中を洗い始めた。
やがて、その手が前へ回り、胸を撫でる。
勃起した乳首を擦られて、俺は恥ずかしさに唇を噛んだ。
回を重ねる度に大胆になる有川の行為に、俺は付いていけなかった。
だが、放って置けば何時までもその場に留まっているような俺にとって、この有川の強引さは必要だったのかも知れなかった。
「ぅんッ、いや…っ」
手が下に下りて来て、思わず俺は身体を捩ろうとした。
だが、有川に掴まれた自分の性器が少し勃起しているのに気付くと、俺は諦めて逃げるのを止めた。
「手、突いて…」
囁かれて、カーッと耳が熱くなる。
だが、俺は言われた通りにバスタブの縁に両手を突いた。
ボディソープで滑った指が後ろから入って来る。
また唇を噛み、俺は声を抑えた。