にんじんのお星さま
第4話 再会とクリームシチュー
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明日のバザー用に100枚のクッキーを焼くというので、孝彰が手伝いに来てくれた。
「クッキーだけ持って行けば、後はいいのか?他にもなんかやるの?」
彪芽に頼まれて、小麦粉を篩いながら孝彰が訊いた。
「そのつもりだったんだけど、売り子が足りないとかで、実行委員のお母さんに頼まれちゃってさ、お菓子のコーナーで販売もやることになったんだ」
少々苦笑しながら彪芽が言うと、孝彰も笑った。
「それ、初めから彪芽に頼むつもりだったんじゃないの?若いイケメンが売り子なら、売り上げも違うし…」
「まさか…」
「いや、そうだって。……けど、その間、岳斗はどうするんだ?」
「まあ、一緒に売り場に置いとくしかないかなぁ。一応、係りのお母さんたちが連れて来る子供は、先生が保育園の一部屋で見てくれるらしいけど、俺が居るって知ったら、岳斗は一緒に居たがるだろうし…」
彪芽が答えると、孝彰は篩った粉をボールに移しながら言った。
「なら、俺が見てようか?」
「え…?いいのか?今日も休みなのに手伝ってもらって、明日の日曜まで潰しちゃって」
彪芽が言うと、孝彰は笑いながら言った。
「どうせ、予定なんかないよ。最近、岳斗も俺に懐いてくれてるし、彪芽だって岳斗を見ながらお客さんの相手するのは大変だろ?保育園で遊具で遊びながら待ってれば、岳斗も退屈しないだろうし、任せろよ」
「ありがとう。悪いな…」
孝彰の厚意に甘えることにしたが、彪芽は少し、躊躇ってもいた。
この頃、孝彰と過ごす時間が随分増えていた。もしかすると、自分と縁りを戻したがっているのだろうか。
だが、孝彰にそんな素振りは見えなかったし、ただ単に、自分や岳斗の傍に居ることで安心したいだけなのかも知れない。
彪芽がそう思った時、孝彰が躊躇いがちに口を開いた。
「この頃、隣のサラリーマンとは会ってるのか?」
「…あ、いや…。向こうが忙しくて残業続きだからな、ゆっくり会うことは無いんだけど…」
彪芽が答えると、孝彰は心配そうな顔でこちらを見た。
「まさか、俺の所為か?あんまり入り浸ってるから……」
その言葉に彪芽は笑って首を振った。
「いや、そうじゃないよ。本当に忙しいだけだから…。時間が出来たらゆっくり会おうって言ってくれてるし、それに、毎朝のように顔を合わせてるから、心配するなよ」
彪芽の言葉に、孝彰は安堵したような顔になって頷いた。
椎名に好意を持っていることを、孝彰に話したことは無かったが、彪芽の様子を見ていて察していたのだろう。そして、椎名の存在を、気にしていたらしかった。
「約束がある時は、はっきり言えよ?俺、邪魔するつもりないから…」
「うん、分かってるよ」
「ごめんな?彪芽…。まだ、俺……、時々、怖くて…」
やはり、孝彰はまだ、あの男の恐怖に怯えているのだ。
住んでいる処も変わって、連絡も取れないようにはしたが、あの男は孝彰が通っている大学が何処なのか知っている。まだ孝彰に対して執着があるなら、待ち伏せすることも可能なのだ。
「大丈夫だよ。俺は構わないから、いつだって来ればいいよ」
「ありがとう…」
安心したような笑顔を見せ、孝彰はまた作業に戻った。
バザーは大盛況で、保育園に通っている子供たちの家族だけではなく、その友達や、近隣の人など大勢が集まった。
特に、彪芽の居る手作り菓子のコーナーは大人気で、彪芽の前には長蛇の列が出来た。
どうやら、彪芽に売り子を頼んだ実行委員の思惑は当たったらしい。随分沢山の種類の菓子があったのだが、あっという間に売り切れてしまった。
他の手作り品などはまだ販売していたが、彪芽は自分の場所の片づけを終えると、帰らせてもらうことにした。
ずっと孝彰に、岳斗の面倒を見させていたので、帰りに何処かで食事でもご馳走しようと思ったのだ。
「そんなのいいよ。何時も俺の方が世話になってるのに…」
そう言って孝彰は遠慮したが、彪芽は彼と岳斗を連れて、近くのファミリーレストランへ行った。
すると、やはりバザー帰りに食事をしに寄ったらしく、保育園で一緒のお母さんたちが何人か見えた。
そちらに軽く挨拶をし、彪芽たちは案内された席に座った。
「しかし、凄いんだなぁ、保育園のバザーって。あんなに人が来るとは思わなかったよ」
そう言った孝彰に彪芽も頷いた。
「俺も吃驚した。毎年やってるから、楽しみにしてる人も多いみたいだな。手作り品って言っても、プロ級の腕前の人もいるから、それを安く買えるんで集まって来るんだろうな」
今日出ていた菓子や、手作りの子供服や袋物などの中には、本当に値段よりも随分価値のある物が多かった。
食事を終えると、孝彰はファミリーレストランの前で彪芽たちと別れて帰って行った。
彪芽は岳斗の手を引いて、マーケットへ寄ると買い物をして帰った。
通り掛かりに椎名の部屋の窓を見上げたが、カーテンが閉まっていた。
今日は確か、野球の試合があるので、午前中はグラウンドに居た筈だった。
午後になっても帰っていないようだが、きっと、そのまま仲間と食事でもしているのだろう。
クッキーを差し入れした次の朝、椎名は美味しかったと言ってくれた。
そして、水曜日には早く帰れるから家に行くと言った。
用事がないなら今夜来てくれてもいいのに、と思わないでもなかった。だが、今夜は来られないから”水曜日”と椎名は言ったのだ。
彪芽は視線を戻すと、岳斗を連れて家に入った。
慣れないことをした所為か、さすがに疲れて、昼寝をさせる為に岳斗と一緒に横になったが、そのまま自分も眠ってしまった。
先に起き出した岳斗に頬を叩かれて、彪芽は目を覚ました。
「あーたーん、おしっこ出るー」
「あ、ごめん…。寝ちゃったな」
起き上がって岳斗をトイレに連れて行くと、2人で手を洗い、残しておいたクッキーでおやつにすることにした。
自分の分のコーヒーと岳斗のミルクをカップに入れると、彪芽はキッチンの椅子に座った。
椎名が来る水曜日には何を作ろうか、色々と考えていたが、そろそろ温かい日も多くなって季節ではなくなるし、最後にクリームシチューでもどうだろうかと思った。
初めて椎名を呼んで夕食をご馳走した時、シチューの中の星形の人参に感心してくれた。それを思い出して、彪芽はもう1度、星の入ったシチューを作ろうと思ったのだ。
「後は何がいいかな…?岳斗、何食べたい?」
訊くと、ミルクの髭が生えた口で岳斗が叫んだ。
「ハンバーグ―ッ」
「はいはい、訊くんじゃなかった」
3回に1回は”ハンバーグ”と答えるので、滝沢家の食卓のハンバーグ率はかなり高かったのだ。
岳斗の口を苦笑しながら拭ってやり、彪芽は椎名の部屋のドアを窓から眺めた。
すると、見慣れない男が外廊下を歩いて来るのが見えた。
椎名の部屋のドアが閉まった所も見えたし、その男は彼の部屋から出て来たようだった。
(誰だろう……?)
何故だか分からなかったが、妙な胸騒ぎがした。
男の姿が見えたのは短い間だったし、遠目で顔も良く分からなかったが、椎名と同年代のすらりとしたスマートな男だった。
野球の仲間とも違うようだし、同僚とも思えない。
気さくな椎名には親しい友人も沢山いるようだったが、休日に部屋に呼ぶようなことは無かったし、少なくとも彪芽は知らなかった。
(ほんと、ガキだな俺…)
椎名の周辺に居る男をすべて気にしていたらきりがない。水曜日には会いに来てくれると言ったのだ、一々動揺せずに待っていればいいことだった。
「……揚げ物じゃない方がいいかなぁ…。生姜焼きとか…」
窓から眼を離さずに彪芽は呟いた。
「いやー、ハンバーグ―」
「肉じゃなくて魚がいいかな……」
岳斗の答えを無視して、また彪芽は呟いた。
「いーやー。ハンバーグ―」
「牡蠣フライとか……」
「ハンバーグでしゅー」
子供椅子の上に立ち上がった岳斗に、きゅっと頬を摘ままれ、彪芽は初めて彼の方を見た。
「うん?」
「ハ・ン・バー・グ・ぅぅぅ」
彪芽の顔に自分の顔をくっ付けるようにして岳斗は言った。
「ハンバーグかぁ…」
呟いて、彪芽はまた、窓の外に眼をやった。
翌朝、岳斗の保育園へ行く為に外へ出たが、何時も現れる椎名がアパートから出て来なかった。
彪芽は、なんだかまた、胸騒ぎを覚えた。
だが、まさか椎名が出て来るまでここで待っている訳にもいかない。彪芽は岳斗の手を引くと、保育園へ向かって歩き出した。
「パパ、来なーい」
アパートの窓を振り仰ぐようにして岳斗が言った。
毎朝会う椎名が来ないので、岳斗も寂しいのだろう。
「そうだね…。お仕事忙しいから、今日はもう行っちゃったんだよ」
「お仕事ー?」
「うん、お仕事…」
「うーん…」
不服そうに頷くと、岳斗は繋いでいる手をぶんぶんと振った。
前は、椎名の出勤時間と保育園へ送る時間がたまたま一緒で、ここで会うと分かれ道まで一緒に歩いていた。だが、最近では、椎名の方でも彪芽たちに会えるように、時間を合わせてくれていたのだ。
だから、会えないことは殆ど無くなっていた。
朝のこの一時だけは、椎名の顔を見られる、彪芽にとっては大切な時間だった。何故、今朝に限って椎名は出勤時間をずらしたのだろう。
本当に仕事の所為なのか、それとも、他に何か理由があるのだろうか。
(俺に……、会いたくない理由……?)
また、不安な気分になり、彪芽は振り払うようにして首を振った。
「岳斗、お歌うたって?」
気分を変えたくて彪芽が言うと、岳斗は得意になって保育園で習った歌を歌い始めた。