にんじんのお星さま
第4話 再会とクリームシチュー
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翌朝、彪芽は何時もよりゆっくり、岳斗と朝食を食べ、1時間ほど遅く保育園へ送って行った。
椎名は勿論、もう会社へ行ってしまっただろう。
剛は、自分と岳斗が出掛けるのを窓から見たと言っていたが、それは勿論、椎名の部屋の窓だろう。だとすると、今朝もまだ椎名の部屋に居るのかも知れない。
だが、彪芽は窓を見上げることはしなかった。
「岳斗、今日、タッくん呼ぼうか?それから、ナッキーとみーくんも…。みんなでご飯食べようか…?」
「うんーッ。みんなよぶー。あと、パパもー。パパもよぶー」
「パ…、パパは駄目だよ…」
「んー?なんでー?なーんでー?」
不服そうに口を尖らせ、岳斗が言うのに、彪芽は何と答えていいのか分からなかった。
「パパ、お仕事ーっ?」
「うん…、そう。パパはねお仕事で遠くへ行くんだって」
やっと答えると、岳斗は膨れた顔をした。
「えー。岳斗も行くー。岳斗もー、行くー」
「駄目だよ」
そう言うと、彪芽は岳斗を抱き上げた。
「俺のこと、置いてくのか?そんなの駄目だろ?」
そう言うと、岳斗が小さな手で彪芽の頬をぺちぺちと叩いた。
「あーたんも行こー?岳斗とパパと、あーたんと行こー?」
「だ…、駄目だよ……」
無邪気な岳斗の言葉が、彪芽の心を抉っていた。
「パパは俺とは行かないんだ。……俺は、行けないんだよ…」
「んー……」
彪芽の悲し気な声が、幼い岳斗にも何かを感じさせたのか、小さな両手で彪芽の首を抱きしめた。
「岳斗、あーたんと…。あーたんと行くー…」
「うん…そうだな。ありがと、岳斗……」
そう言って、彪芽は岳斗を抱いたまま歩き出した。
この幼い弟の温もりに、自分は何度助けられたのだろうか。
辛くても、守らなければならない存在があることで、自分は立っていることが出来るのだ。
「今日は遅くなったから、綾乃ちゃん待ってるかな?」
彪芽が言うと、岳斗は大きく頷いた。
「待ってるー、ああのちゃん、待ってる、ねー」
学校へ行って、彪芽が誘うと、3人は喜んで来ると言った。
名倉と三上は1度部屋に帰ってから来ることになったが、孝彰は彪芽と一緒に帰って、また保育園と買い物に付き合うことになった。
「今日は何鍋にする?」
彪芽が訊くと、孝彰は少し考えていたが、思い付いたのか彪芽を見た。
「前に、彪芽んちで食べた、あれ旨かった。白菜と豚肉の…」
「ああ、ミルフィーユ鍋…」
「そう。真ん中にカマンベールチーズ入れたヤツ。あれ、また食べたいな」
「オーケー。簡単でいいや」
保育園に着くと、孝彰が一緒に迎えに来たことを喜んで、岳斗はまたはしゃいだ。
酒類は名倉たちが持って来ると言ったので、彪芽はマーケットで鍋の材料と岳斗用のオムライスに入れる鶏肉を買った。
5時を回った頃から孝彰と二人で準備を始め、名倉たちが来た6時には、もうすべての準備が整っていた。
普段はキッチンで食べるが、今日は居間の炬燵の上にカセットコンロを置き、鍋を載せた。
その他にも、ポテトサラダや、ちくわの磯部揚げ、浅漬けやレンコンの金平などが並び、みんなが歓声を上げた。
「はい、岳斗のは、これな」
目の前にオムライスの皿を置いてやると、岳斗は喜んで目を輝かせた。
「うおー、いいな岳斗ー、俺も食いたい」
三上が言うと、岳斗は慎重にオムライスをスプーンで掬い、三上の口まで運んだ。
「みーくん、あーん」
「ありがと、岳斗ー」
礼を言って三上は小さなスプーンで運ばれたオムライスを口に入れた。
「うめー。こんなの彼女に作ってもらったら泣くわ、俺」
「はいはい。妄想してろや」
名倉が彼女の居ない三上を揶揄して、みんなが笑った。
気の置けない仲間同士だし、他人の眼も気にしなくていい彪芽の家だったので、酒も進み会話も弾んだ。
心に屈託を抱えたままの彪芽だったが、お陰で少しの間は椎名のことを忘れることが出来た。
岳斗は大勢の食事が嬉しくてはしゃいでいたが、食べ終わると、はしゃぎ過ぎて疲れたらしく、間もなく眠ってしまった。
岳斗を布団へ運んだ後、だらだらと10時過ぎまで呑み、名倉と三上は怪しい足取りで帰って行った。
彪芽は泊まることにした孝彰と一緒に片付けを済ますと、先に孝彰を風呂に入らせ、その間に客間に布団を敷いてやった。
交代に、彪芽が風呂に入って出て来ると、孝彰が彪芽の部屋で待っていた。
「どうした…?」
首に掛けたタオルで髪を拭きながら、彪芽はベッドの上に座っていた孝彰の隣に腰を下ろした。
「うん…。彪芽…、なんかあった?」
「え…?」
心配そうな顔で訊かれ、彩芽は眉を寄せた。
いつも通りに過ごしていたつもりだったが、もしかすると孝彰は、彪芽の様子がおかしいことに気が付いていたのだろうか。
「どうして…?別に何もないよ」
彪芽はそう言って笑って見せたが、孝彰の表情は変わらなかった。
そして、躊躇いがちに腕を伸ばすと、彪芽の首に回してキスをした。
「……孝彰、ごめん…。俺は……」
身体に腕を回しながら彪芽が言うと、その肩の上で孝彰は首を振った。
「うん…、いいんだ。分かってる…。もう戻れないことは……」
ぎゅっと抱きしめ、彪芽は暫くの間、目を瞑った。
「俺…、今のおまえとの関係が好きだよ。壊したくない……」
すると、孝彰は頷いた。
「うん、分かるよ…。大丈夫、俺も同じだよ…」
そう言ったが、孝彰の声は寂しそうだと彪芽は思った。
抱いてしまいたい気持ちも彪芽の中には確かにあった。
だが、孝彰が言ったように、もう元には戻れない。それなのに、今の寂しさを埋める為だけに、彼を抱くことは出来ないと思った。
孝彰の身体を離し、彪芽はその眼を見て笑った。
「ありがとう、孝彰…。俺は大丈夫だよ」
「うん…、そうだな」
そう言って、孝彰も笑みを見せると、立ち上がって部屋を出て行った。
もう1度髪を拭き、彪芽は窓の外に目をやった。
椎名の部屋の灯りは消えていた。
もう寝てしまったのか、それとも、今夜も剛とベッドに入っているのか。
彪芽は立ち上がると、窓のカーテンを閉めて部屋の灯りを消した。
翌朝も時間をずらして、椎名と会わないようにすると、彪芽は岳斗を保育園へ送って行った。
家にはまだ孝彰が寝ているので、何時もの様に朝食とメモを残してきた。今日は朝から授業があるので、戻る頃には起きているだろう。
家が見えてくると、もう行ってしまった筈の椎名がアパートの階段を駆け下りて来た。
すぐに彪芽に気づくと、椎名は立ち止まった。
軽く頭を下げ、彪芽は行き過ぎようとした。すると、椎名が追い掛けて来て腕を掴んだ。
「彪芽君ッ…」
振り向くと、椎名の強張った顔があった。
「い、今…、電話で剛から聞いて……。君の家へ行ったって……?」
どうやら、剛からの電話があったために、今日は出掛けるのが遅くなったようだった。そして、剛が彪芽に会いに来たことを、今まで知らなかったらしい。
「……ええ。お話しました。……もう、全部分かりましたから、俺のことはもういいですよ。気にしないで…、本当に、忘れてください」
何とか笑みを浮かべて彪芽が言うと、椎名はもどかし気に首を振った。
「いや、多分違う…。君が思っているのとは…」
「いいんです。本当に、もう、いいんです…」
「いや…っ。時間をくれないか?今夜、岳斗が寝た後で行くから、時間をくれ。頼む
…ッ」
そう言うと、遅刻しそうなのだろう、椎名は名残惜しそうに何度か振り返りながら、駅までの道を走って行った。
その後姿を見送り、彪芽は拳で胸をグッと抑えた。
「ほんとに、もういいから……」
何を聞いても、きっと空しい。どんな説明を受けようと、椎名が行ってしまうことに変わりはない筈だった。
椎名の姿が見えなくなると、彪芽は家に戻った。
孝彰は起きて、キッチンのテーブルで朝食を食べていた。
「おかえり…、コーヒーは?」
訊かれて頷くと、彪芽は疲れたように腰を下ろした。
「……どうかした?」
コーヒーを注いだカップを彪芽の前に置きながら、孝彰は心配そうに言った。
「なんでも…。早く食べないと遅刻するぞ」
笑みを見せて彪芽が言うと、孝彰は急いでフォークを取って食べ始めた。
一緒に登校したが、余り喋らない彪芽を心配して、孝彰は何度か顔を見た。
元の関係に戻りたいと、本当は思っていたのだろう。だが、昨夜言ったように、戻れないことも知っていたのだ。
そんな孝彰の気持ちが切なかったが、彪芽はもうその事には触れまいと思っていた。
孝彰が傍に居て欲しいなら傍に居る。だが、それは友達としてだ。
そして自分のこの辛い思いを慰めようとして、孝彰が傍に居てくれようとするなら、拒む理由はなかった。
「少し、暖かくなってきたよな…」
「うん…」
「4月になったら岳斗連れて遊園地でも行こうかな…」
「いいね。俺も行くよ。あ、みんなもきっと行くと思う。大勢で行こうよ」
孝彰の言葉に、彪芽は頷いた。
「そうだな。みんなで行こう」
「来週の試験期間が終われば春休みだし、遊園地だけじゃなくて色々連れて行こうよ。動物園とか、水族館とかさ」
「うん、いいな…。岳斗、喜ぶよ」
そう言って彪芽が笑うと、孝彰も一緒に笑った。