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その夜、豊海は小山内のベッドの下に布団を敷いてもらいそのまま部屋に泊まったが、中々寝付けなかった。
小山内も眠れない様子だったが、豊海は声を掛けなかったし、小山内の方でも何度も寝返りを打ちながらも声を掛けては来なかった。
朝、余り寝ていなくて起きるのが辛かっただろうに、小山内はちゃんと朝食を作ってくれた。
それを食べて、豊海は小山内の部屋から学校へ行った。
部屋を出る時、今日の予定を訊かれた。
その夜は遅番だったので、一旦部屋に帰ってからアルバイトに行くと言うと、小山内は豊海を夕食に誘った。
「でも…」
自分が誘うと、小山内は決して豊海に金を出させない。そのことが、豊海には心苦しかった。
「バイトまでそんなに時間無いし、バタバタしちゃうの嫌だから…」
豊海の答えに、小山内は明らかに落胆の表情を見せた。
「そっか…。じゃあ、また次の機会に…」
「あ、あのっ…、良かったら明後日、ウチに来ない?明後日は休みだし、いつもご馳走になってるお礼に、俺がご飯作るから…」
「ホ、ホント?うん、行く。行くよ」
嬉しそうにそう言われて、豊海は少し胸が痛んだ。
大した持て成しも出来ないのに、こんなに喜んでもらっていいのだろうかと思う。
まだバイト代が入るのには間があって金銭的な余裕は無いが、それでも出来るだけ美味しいものを作ろうと思った。
(何が好きかな?ヒロさん…。訊いてくれば良かった…)
駅に向かって歩きながら、豊海はメニューを考えていた。嫌いなものがあったら困ると思ったので、後でメールすることにした。
桜音と付き合っている時も、何度も彼に食事を作った。
いつも、桜音が美味しいと言ってくれるまで、不安で胸がドキドキしたのを思い出した。
(雑魚の入ったチャーハンが好きだったな……)
自分が作ったものの中で、桜音が一番好きだった料理を思い出して、豊海は自然と口元を緩めた。
(でも、結局は何でも美味しいって言ってくれた。半分はお世辞だったんだろうけど…)
だが、桜音が“美味しい”と言ってくれるのが嬉しくて、一生懸命メニューを増やそうとした。
(そうだ…。店で出してる肉団子のレシピ、覚えたのにとうとう作ってあげられなかった……)
思い出して、急に泣きたくなった。
すぐに桜音のことを考えてしまう自分が、嫌で堪らなかったのだ。



その夜、早目に店に入って着替えた後、小山内にメールを打っているとやはり遅番だった志田がスタッフルームに入って来た。
「うぃーっす…」
声を掛けた志田に、豊海は携帯の画面から目を上げて頷いた。
「誰?ヒロ?」
訊かれて頷くと、豊海は言った。
「うん…。明日、ウチにご飯食べに来るから、何が好きなのか訊こうと思って…」
「ふぅん…。いいな、俺も行こうかな?」
「え?」
何気なく言った志田の言葉に豊海は驚いて顔を上げた。
「何?邪魔だって?」
眉を上げて志田が言うのに、豊海は慌てて首を振った。
「う、ううんッ。そんなこと無いよ…。俺は全然、構わないけど…」
豊海が答えると、志田はニヤニヤ笑って言った。
「でも、ヒロは怒るだろうな」
「そ、そんなことないよ。みんなで食べた方が楽しいし…。でも、志田は休みの時は、いつも彼女とデートしてるからさ…」
豊海の言葉に、志田は軽く肩を竦めるとロッカーのドアを開けた。
「そんなことねえけど…。今回は休み合わせられなかったんだ。だから明日は暇で…」
「そうなんだ。じゃあ、おいでよ。俺が作るんだから大した物出来ないけど…。あ、志田が来るなら鍋にしてもいいね」
「お、いいな。鍋しようぜ、鍋」
嬉しそうにそう言って、志田は服を脱ぎ始めた。だが、何かを思い出したように、その手を止めて此方を見ると言った。
「あ、そう言やさ…、豊海、桜音と喧嘩でもした?」
突然そう訊かれ、豊海は驚いて志田を見た。
「え…?どうして…?」
「いや、時々、桜音とメールしてるんだけどさ、豊海のこと良く訊いてくるし…。風邪は治ったか、とか、元気にしてるか、とかさ…。自分で訊けばいいのにって言ったんだけど、なんだか変な感じしたから…」
「…別に、喧嘩なんかしてないよ」
そう答えた後で、豊海は躊躇いながら言った。
「桜音…、俺のこと気に掛けてくれてるんだ…?」
「うん?だろうな。豊海のこと、弟みたいに思ってるんじゃね?心配なんだよ」
「うん…、そうだね」
「あ、それじゃさ、桜音が実家出て1人暮らし始めたってのも知らねえの?」
「えっ?…嘘、なんで?」
豊海が驚くと、志田はロッカーの扉に付いている鏡で髪をチェックしながら言った。
「理由は知らないけどさ、仕事も安定したし、そろそろ独立したかったんじゃね?」
「…そう」
答えると、豊海は携帯電話を中に入れ、ロッカーの扉を閉めた。
実家から会社まで、そう遠い訳でもないのに家を出たのは、きっと何か理由があるのだろう。そして、それはあの女性の存在なのかも知れない。
(俺にはもう、関係ない…)
そうだとしても、自分にはもう関係の無いことだと豊海は思った。
だが、桜音が今でも自分のことを気に掛けていてくれるのかと思うと、切なくて堪らなかった。

弟みたいに…。

心配してくれているのだ。
自分が頼り無いから。泣いてばかりいてちっとも大人になれないから。
桜音のことを、忘れることが出来ないから…。
「先、行くぞ?」
言われてハッと我に返ると、豊海は志田に続いてスタッフルームを後にした。



翌日、志田も来ることになったとメールすると、小山内は昼休みに電話をしてきた。
「今夜、志田も来るの?」
「うん、ごめんね、勝手に…。昨夜、バイトの時にヒロさんがご飯食べに来るって話したら、来たいって言うから…。駄目って言うのも変だし、一緒に鍋しようってことになったんだ。…怒った?」
「…いや、怒ってなんか無いよ。そうだな、たまには賑やかに鍋するのもいいよね。あ、俺、なんか材料買って行こうか?」
「う、ううん、大丈夫。今日は俺に全部任せて?じゃあ、待ってるから…」
「うん。楽しみにしてる」
電話を切った後で、豊海は溜め息をついた。
怒っていないと言ったが、小山内は余りいい気持ちではなかったに違いない。声の調子からそれを感じ、やはり志田には断れば良かったと、豊海は今頃になって少し後悔していた。
だが、自分がそれをするのは不自然な気がして出来なかったのだ。
その代わり、この次にもう一度改めて小山内を誘って、今度こそ2人だけで食事しようと思った。
学校の帰りにマーケットに寄り、豊海は今夜の鍋の材料を買うことにした。
いつもよりも沢山買うし酒も用意したかったので、少し足を伸ばしてアパートの近くのマーケットではなく、もっと安い大型店へ行った。
慣れない店なので、何処に何があるのか良く分からなかったが、先ずは野菜のコーナーを探して必要なものを選んで入れた。
小山内に作ってもらったキムチ鍋は美味しかったが、今日は豆乳鍋にしようと思って材料を揃えた。
肉のコーナーに来て、豚バラにしようか、鶏のひき肉を買って“つくね”にしようか迷ったが、結局は両方入れることにして豊海は両方の肉を籠に入れた。
(それから、豆乳とビール…)
そう思って、品物の棚をあちこち眺めていると、向こうから来た男が前で立ち止まった。
怪訝に思ってそちらを見ると、驚いたことにそこには桜音が立っていた。
一瞬、息を飲む。そして、立ち竦んだまま豊海は桜音をじっと見つめた。
「なんで……?」
やっと言葉を発した時、桜音はもう目の前まで歩いて来ていた。
「久し振り…。買い物?」
豊海の持っている籠を見て桜音はそう言った。口元にはぎこちない笑みが浮かんでいる。
「う…、うん…。桜音も買い物?…でも、なんでここに?」
何で今頃の時間に、しかも、こんな場所で買い物をしているのか豊海には分からなかった。
「実は…、最近、この近くに引っ越したんだ。やっと家を出て1人暮らしを始めた。こんな歳になってからなんて、ちょっと遅いけどね…。今日は仕事が定時で終われたんで、たまには、ちゃんと作って食べようかと思って買い物を…」
苦笑しながら桜音が言うのに、豊海は目を見開いた。
「そ…、そう…。で、でも、なんで…?」
何故、急に家を出たのか。そして、何故、自分のアパートからそれ程遠くない場所に住んでいるのか、豊海には理解出来なかった。そう頻繁にではないが、豊海がこの辺りで買い物することを桜音だって知っている筈なのだ。
「実は、兄夫婦が親と同居したいって言い出してね。自分で家を建てるのは大変だから、改築して二世帯にしたいらしい。それには俺が住んでたら邪魔だからね…。まあ、ずっとプラプラして親に迷惑掛けてたし、そろそろ独立することにしたんだ。ここだと、会社にも1駅で通勤も楽だし…」
豊海が訊きたかったことを桜音はすぐに理解したらしく、全部答えてくれた。だが、会社に近い場所なら他にもあった筈だ。
「そう…」
「でも…、偶然会うなんて、やっぱり豊海とは縁があるのかな…」
「…そんな…」
そう言っただけで、豊海は黙り込んだ。
今更、何を言うのだろう。
必死で忘れようとしている自分の努力を、一体、なんだと思っているのだろう。
そう考えて唇を噛もうとしたが、豊海はハッとして顔を上げた。
桜音に悪気がある訳じゃない。今の言葉だって、偶然ここで出会ってしまったことの社交辞令のようなものだ。
「あ、ごめん…。今夜はヒロさんがウチに来るんで買い物に来たんだ。急いで帰って支度しないと…」
何とか笑みを浮かべ、豊海はそう言った。
わざと志田の名前を出さなかった。それは、豊海の意地だったのかも知れない。
「そうか…。ごめん、引き止めて…。じゃあ、また。元気でな?」
「うん…。桜音も…」
そう言って、また精一杯笑みを浮かべると、豊海は桜音と別れた。
(なんで……・?)
背中でまで、桜音の存在を感じようとする自分が情けなかった。
本当は振り向きたい。振り返って、戻って、もっと話したい。
出来ることなら、一緒に部屋に行って夕食も作ってやりたかった。
だが、そんなことをして何になるのだろう。大体、桜音は望んでいないに違いない。
きっと桜音にはもう、食事を作りに来てくれる相手が居るに違いなかった。
急いで豆乳とビールを見つけて籠に入れると、豊海はレジに向かって買い物を済ませた。
後ろを振り向かず、周りも見ず、桜音の姿をまた見つけてしまわないように気をつけると、店を出て足早にアパートへ向かった。
道々、風邪を引いて看病してもらった時の礼を言わなかったことを思い出したが、もう、どうしようもなかった。
アパートに帰って、荷物を置くとすぐに手を洗い、豊海は食事の仕度を始めた。
小山内と志田は7時頃には来る筈で、急がないと間に合わない。つくねを作る為にひき肉を出してボールに入れ、そこに卵と調味料を加えると混ぜ合わせた。
一心不乱に料理することで、豊海は桜音との出会いを忘れようとした。
だが、振り払おうとしても、目の前に桜音の姿が浮かんでくる。その表情のひとつひとつまでもが、はっきりと目の前に浮かんだ。
幾ら頑張っても、桜音を好きな気持ちは少しも無くならない。何処へも行ってはくれなかった。