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鍋がいい具合に煮えてきた頃、志田と小山内がやって来た。
ドアを開けて豊海は精一杯元気なふりをして2人を迎えた。
それなのに、小山内も志田も豊海の顔を見た途端に眉を顰めた。
「どうしたんだ…?もしかして、泣いてた?」
志田に言われて驚くと、豊海は首を振った。
「な、なに言ってるの?泣いてる訳無いじゃん」
だが、豊海の答えを聞いて志田は振り返ると小山内と顔を見合わせた。
「あ、上がってよ。もう食べられるようになってるんだから。ね?ビールも冷やしといたんだよ」
入るのを躊躇っているような志田の腕を引っ張って豊海は言った。
「あ、ああ…、うん。じゃ、お邪魔します」
先に中に入ってコートを脱ぎ始めた志田の後から小山内も靴を脱ぎ始めた。だが、ふと顔を上げて豊海を見ると心配そうな顔になって言った。
「本当に…、大丈夫?」
「大丈夫ってなにが?俺…、そんなに変な顔してる?」
豊海がごしごしと顔を擦ると、小山内はその手を押さえて言った。
「いや…、変じゃないけど…」
「お、旨そうっ。豆乳鍋か?豊海」
部屋に入って鍋の蓋を開けた志田が、嬉しそうに言った。
その声に救われたような思いで豊海は答えた。
「うん。今日は奮発して豚バラと鶏つくねと両方入れたんだから。あ、今、ビール出すね」
小山内から渡された2人の土産のアイスクリームと缶チューハイを受け取り、豊海はそれを冷蔵庫へ仕舞った。
代わりに冷やしておいたビールの缶を3本出し、部屋へ入った。
「肉もつくねもまだあるし、野菜もあるからね。どんどん食べて…」
「うん。旨そうっ。じゃ、いただきまぁす」
自分の空元気が空々しく感じられているのは分かっていた。だが、それに気付いていないふりをしてくれる志田の気持ちが豊海は有り難かった。
「お、このつくね旨いなぁ…。豊海君、今度作り方教えて?」
「あ、うん。簡単だよ。志田、ビールもまだあるから、勝手に冷蔵庫から出して?」
「おう。半分くらい食ったらさ、ここにキムチ入れるべ。豆乳キムチ鍋」
「いいね、やろうやろう」
油断するとすぐに桜音のことを思い出してしまう。豊海は必死で自分の気持ちを引き立てようとしていた。
鍋もあらかた食べ終わり、最後は残ったスープにトッポギを入れた。雑炊とはまた違って旨いと志田たちも喜んだ。
「ふぅー、食った、食った…」
志田が行儀悪くごろりと横になった時、脇に置いてあった携帯が鳴り出した。
横になったままで手を伸ばし、志田は携帯を開いた。
「おう、なに?バイトじゃなかったん?」
どうやら相手は彼女らしく、志田の口元に笑みが浮かんだ。
「え?俺は今、友達んちで鍋パーティー中だけど…。…えっ?マジで?」
そう言って起き上がった志田は、驚いた様子だった。彼女に何かあったのかと、豊海も小山内も志田を見つめた。
「分かった。んじゃ、すぐ行くわ」
慌てた様子の志田が電話を切って、立ち上がった。
「悪り、彼女がバイト先で怪我したらしくてさ。大したことは無いらしいんだけど、病院に居るっていうから行って来るわ」
「ええ?大丈夫なの?」
豊海が驚いて訊くと、志田は頷きながらコートを羽織った。
「うん、捻挫らしいんだけど、1人じゃ歩けないって…。食い逃げで悪いけど、俺、行くよ。ごめんな?」
「ううん、そんなのいいよ。彼女にお大事にって…」
「うん、ありがと。…ヒロ、後片付け、俺の分も宜しくな」
「分かった。呑んでるんだから、気をつけて行けよ」
小山内の言葉に返事をすると、志田はバッグと携帯を持って出て行った。
それを見送った後で、小山内は豊海を振り返った。
「さて、少し休んでから片付けようか」
「あ、うん…。あ、そうだ、持って来てくれたアイス食べる?」
「ああ、そうだった。食べよう、食べよう」
冷凍室からアイスクリームをふたつ出し、豊海はスプーンと一緒に小山内に渡した。
「頂きます…」
カップの蓋を開けて、豊海がアイスクリームにスプーンを入れようとした時、躊躇いがちに小山内が言った。
「豊海君、やっぱりなんかあったんだろ?…あの、桜音って人と…」
訊かれて、豊海はスプーンを止めた。
「別に…、何も無いよ。ただ…、偶然会っただけ…」
「会っただけで、そんなに動揺して傷ついた顔するの?そんなに好き?」
責めるような口調で言われ、豊海は顔を上げて小山内を見た。
「俺…別に傷ついてなんか無いよッ。そんなんじゃない…。俺はただ……ッ」
ギュッと抱きしめられて、豊海は口を噤んだ。
最初から、小山内も志田も自分の様子がおかしいと分かっていた。自分では上手く誤魔化していたつもりでも、少しも出来ていなかったらしい。
「どんな話したの?また会いたいって言ったの?」
そう訊かれて、豊海は首を振った。
「言ってないよッ。会いたいなんて…言ってない。言える訳…ない」
切なげに豊海が言った時、小山内の腕に更に力が篭った。
「だったら…、だったらもう、忘れよう?」
言われて、豊海は顔を上げた。
「忘れようよ。ね?」
真剣な目で小山内は言った。
その目が少し怖いと思ったが、豊海は抵抗しなかった。
誰にもされたことのないキスだと思った。
深くて、淫らで、浚われるような怖さがあった。
何度か、抵抗しようとして腕を突っ張ると、その度に小山内に抑えられた。
重い体の下で身を捩り、激しいキスに喘いでいる内に、豊海は自分が服を脱がされかけていることに気付いた。
肌に直接小山内の手を感じて、また怖くなる。
このまま抱かれてしまっていいのかと、頭の奥の方でずっと考えていた。
逃げたい。
正直、そう思った。だが結局、豊海は逃げなかった。
“言える訳が無い”と答えた。
だが本当は、桜音とまた会いたかった。
きっと自分は未練がましく、またあのマーケットへ行くだろう。そして、そこに桜音が訪れるのを期待するだろう。
偶然を装って、気付いてくれるのを期待するだろう。
(嫌だ……)
そんな自分はもう嫌だった。
変わりたいと願っていたのだ。目を瞑れば浮かび上がってくる桜音の面影を消したいのだ。
「ぅんッ……」
顔を背けて指の関節を噛んだ。恥ずかしくて我慢するのが難しかった。
すっかり脱がされて、肌の上を小山内の指が滑っていく。触られたことの無い部分を全部その指が通っていく。
乳首のほんの薄い突起が、くすぐったさの他にも疼くような快感を齎すのだと始めて知った。
そして、何度も擦られる内に、その快感が強くなった。
「はっ……」
声が漏れそうになって思わず息を飲む。だがその我慢も長くは続かなかった。
股間を弄られ、とうとう豊海は声を上げてしまった。
小山内は男を抱くのに慣れているのだろう。豊海はいつしか、彼に身を委ねてしまっていた。
桜音は抱いてくれなかった身体だったが、小山内は魅力を感じてくれているのだろうか。
そんな思いが、一瞬頭を過ぎった。
だが、すぐに忘れてしまった。
抉じ開けられる恐怖に襲われ、身が縮む。優しくあやされる様なキスが、何度も唇や、瞼に落ちた。
「ぅくっ……」
それでも怖くて、そして痛みに豊海は呻いた。
「大丈夫、ゆっくりするからね?」
優しい言葉に何度も頷いて見せた。
濡らされたことのない部分が濡れている不快感。余計なことを考えまいとしても、難しかった。
痛みが薄れて指の動き一つ一つがはっきりと分かる。奥まで入っては戻り、やがて入る指が増やされた。
「いい?」
訊かれたことで、いよいよ受け入れる時が来たのだと豊海は知った。
頷くと、小山内が更に腰を持ち上げてその下に膝を入れて来た。
「ぅうッ………」
「逃げないで…」
ずり上がろうとした豊海の身体を押さえて小山内が言った。
我慢したが、脚に異常に力が入る。その所為で豊海の足の指はギュっと握られていた。
「ぅんっ、…ぅあ…ん…ッ」
“痛い”という言葉だけは言うまいと思った。
多分、その方が小山内に気を使わせないだろうと思ったのだ。そして、それぐらいしか今の豊海には出来なかった。
呻きながら、時折唇を噛み、だが豊海は最後まで小山内を受け入れた。
フッと目覚めると、小山内が隣で静かな寝息を立てていた。
ゆっくりと起き上がり、豊海はその端正な寝顔を見つめた。
初めて抱かれた。
体の痛みさえなければ、何だか夢のようだと思った。
後悔はしていなかった。自分で望んだことだと豊海は思った。
フッと静かに息を吐き、豊海は小山内を起こさないようにゆっくりと布団を出た。
セックスの後で、小山内は風呂を沸かし豊海を運んで風呂に入れてくれた。
いいと言ったのだが、身体も、それから髪も洗ってくれた。
髪を洗う小山内の指は優しかった。
それでも、その指は桜音とは違う。
だが、その指に慣れなければいけないのだと豊海は思った。
「いつッ……」
立ち上がった時に痛みが走り、豊海は思わず小さく声を漏らした。
ハッとして口を噤み振り返ったが、小山内は身じろぎもしなかった。
ホッとして歩き出すと、豊海は台所へ行って冷蔵庫を開け、グラスにお茶を注いで飲んだ。
素足で冷たい床の上に立った所為か、冷えて指先が痛かった。
グラスを置き、そこへしゃがむと豊海は自分の足先を両手で包んだ。手も大して温かくはなかったが冷え切った足先よりは増しだった。
ふと、冷蔵庫の上に忘れていた携帯電話が目に入った。
友達の少ない豊海の携帯は滅多に鳴らない。だから時折、置き忘れてしまうのだ。
今では小山内が何度も連絡をくれるようになったが、以前は家かバイト先からの連絡か、たまに志田がメールをくれる程度だった。
立ち上がって、豊海は携帯電話を手に取った。
まだ、桜音のアドレスを入れたままだった。それを思い出し、豊海はアドレス帳を開いた。
二ノ宮桜音
綺麗な名前だと思った。
その美しい名前を、豊海は自分のアドレス帳から消去した。