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「また、ヒロから?」 メールを読んでいた豊海の後ろから、志田が覗き込んで呆れたように言った。
「あいつ、毎日メールしてくるだろ?」
「うん、まあね…」
「よっぽど豊海が気に入ったんだなぁ。ま、マジなら俺もなんも言わねえけど」
苦笑しながらそう言い、志田は着替えを終えるとスタッフルームから出て行った。
彼の言う通り、あれから小山内は毎日メールをくれた。
映画を見に行った日に約束した通り、水曜日の3時頃に豊海を部屋まで迎えに来ると、部屋に連れて行って鍋をご馳走してくれた。
材料費は自分が出すと豊海は言ったのだが、小山内は受け取らなかった。
彼の部屋は10畳ほどのフローリングで、別に4畳くらいのキッチンが付いていた。勿論、豊海の部屋よりずっと広いし、新しくて綺麗なマンションだった。
アルバイトをしている様子もないし、親の仕送りだけでやっているのだとしたら、随分裕福な家庭なのだろうと思った。
皮肉ではなく、豊海がそう言うと小山内は苦笑した。
「まあ、学費と、生活費は殆ど出してもらってるけどね、この部屋はタダなんだ。このマンション、叔父さんの持ち物なもんで…」
「へえ、そうなんだ…」
「うん。叔父さんの仕事を手伝う代わりに部屋代タダにしてもらってるんだ」
「へえ…。仕事ってどんな?」
「まあ、殆ど書類作成とかだね。ここでパソコンさえあれば出来るから」
言われて、豊海は机の上に乗ったパソコンを見た。自分の生活には凡そ関係の無い贅沢品だったが、今は持っていないのが珍しいだろう。
だが、叔父がマンションを所有しているくらいだから、やはり小山内は裕福な家の出なのだろうと思った。
2人で鍋の準備をし、勧められて豊海もビールを飲んだ。
キムチ鍋は味付けも上手く出来て、野菜も肉も美味しく食べ尽くすと、最後はご飯を入れて雑炊にした。
いつもは少食な豊海だったが、この時は楽しかったこともあり胃がはち切れそうなほど沢山食べた。
約束したとおり、小山内は一緒に鍋を食べて、テレビを見たり喋ったりしただけで、他には何もしなかった。
帰る豊海を駅まで送ってくれて、そこでサヨナラをした。
その後も、豊海が休みの日に何度か会ったが、友達同士の付き合いから進むことも無かった。

“今日、早番だったよね?俺も飲み会なんだ。バイト終わってから会えない?”

志田が出て行った後で、豊海はそう書かれた小山内からのメールに返信を打った。

“いいけど、早番って言っても夜中だよ。いいの?”

“いいよ。俺もどうせ遅くなるし。上がったら電話くれる?”

豊海は了解のメールを返すと携帯電話をロッカーに仕舞ってスタッフルームを出た。
今日は志田も早番なので誘った方がいいのだろうかと一瞬思った。だが、小山内は何も言わなかったし、黙って誘うのは良くないだろうと思って何も言わなかった。
仕事が終わり、スタッフルームに戻ると、豊海は着替える前に小山内に電話した。
「もしもし?今終わったトコ…」
豊海がそう言うと、小山内は思ったよりも近くで飲んでいた。すぐに迎えに行くと言われ、豊海は了解すると急いで着替えて店を出た。
外の通りに出てちょっと待つと、すぐに小山内が歩いて来るのが見えた。
軽く手を上げてそちらを向いて待つと、小山内は小走りに近づいて来た。
「酔ってないの?」
豊海が笑いながら訊くと小山内は首を振った。
「いや、大丈夫。ちゃんと考えて飲んだから」
「お腹は?」
豊海が訊くと、小山内は腹を撫でるような仕草をした。
「俺は結構食べたけど、豊海君は空いてるんじゃない?付き合うよ。何か食べに行く?」
「うーん…。賄いで夕飯は出るんだ。だから、軽いものでいいかな…」
「って言っても、この時間じゃ、開いてる店は限られるか…」
「そうだね。ファミレスかカフェでいいよ」
豊海が言うと、小山内は頷いて歩き始めた。
並んで歩き出しながら豊海は小山内の横顔を見た。
桜音の時の様に、一緒に歩いてドキドキするということは無い。だが、小山内と一緒に過ごす時間は楽しかったし、会うのは嬉しかった。
「なに?」
自分の顔を見ているのに気付き、小山内は笑いながら豊海と視線を合わせた。
「ううん…。何処で飲んでたの?」
「うん。ほら、新しく駅の向こうに出来た居酒屋。友達が割引券貰ったっていうからさ」
「ふうん、ライバル店だ」
豊海が言うと、小山内は笑った。
「ホントだ。ごめんねー」
「どうだった?料理、良かった?」
「うーん…、まあまあかな。値段は普通だけど、量が少ないんだよね。女性客にはいいかも知れないけど、俺たちみたいな男子学生にはちょっと物足りないかな」
「ふぅん…。女性狙いの店なのかな」
「うん、そうかも。小洒落た料理が多いし、酒もカクテル系が多かった。あと、デザート系も豊富だったね」
「なるほど…。じゃ、ウチとは客層が別れるかもね」
話しながら、豊海は自分が自然と笑顔になっているのに気づいた。
今まで、構えずに話が出来る友達は志田くらいしかいなかったが、小山内と話すのは本当に気持ちが楽だったし、楽しかった。
「ね…?やっぱりウチに来ない?何か夜食作ってあげるし…」
試すようにそう言われて、豊海の笑顔が引っ込んだ。
「で、でも…、こんな時間に悪いし…」
「俺は全然…。タクシーなら10分ぐらいだし、豊海君さえ良ければ泊まってくれていいし」
「え……?」
戸惑い、豊海は足を止めると少し俯いた。
「で…、でも…」
豊海が口篭ると、小山内は笑いながら言った。
「あ、別に無理しなくていいから。嫌ならいいよ。…あ、そこのカフェに入ろうか。ね?」
小山内の言葉に、迷って、豊海は目を泳がせた。
だが、顔を上げると彼を見上げて言った。
「ううん…。ヒロさんちに行くよ。いい?」
「えっ?あ、うん、いいよ。勿論ッ…。じゃあ、タクシー捕まえるから待ってて…」
そう言うと、小山内は通りに向かった。
その後を付いて行きながら、豊海はそっと深呼吸をした。
小山内の部屋に行くという意味は豊海にだって分かっていた。自分たちの関係を、小山内はもう一歩進めたいと思っているのだ。
豊海にとって心地いい今の距離だったが、やはりいつまでもそれを続ける訳にはいかないだろうと思った。
“好きだ”と、小山内は言ってくれた。
もっと自分を知って欲しいとも、もっと豊海のことを知りたいとも言ってくれた。
その上で、もっと2人の距離を縮めたいと考えているのなら、自分は求められているのだろうと思った。

今まで、誰からも求められたことが無かった。
大好きな、桜音からも。

それを思った時、豊海は小山内の気持ちが酷く嬉しかったのだ。自分にも少しは価値があるのかも知れないと思えたのだ。
小山内がタクシーを捕まえて、豊海を呼んだ。
彼に続いて乗り込み、並んで座ると、豊海は心音が早まるのを感じた。



部屋に着くと、小山内はすぐに暖房をつけてくれた。
まだ寒くて、コートを脱ぐことが出来ずに居る豊海に自分のダウンを掛けて座らせると、小山内はすぐに台所に行った。
「パスタでいい?カルボナーラかぺペロンチーノならすぐに出来るけど」
訊かれて豊海は頷いた。
「うん、ありがと…。どっちも好き。ヒロさんの好きな方でいいよ」
「了解。今、コーヒー淹れるからね」
「うん…。あ、俺やるよ」
立ち上がろうとした豊海に小山内は首を振った。
「いいよ。寒いから部屋が暖まるまで包まってて。すぐだから」
「ありがと…」
肩からすっぽりと被せられたダウンの襟元を掴み、豊海は前を合わせるようにして包まった。
自分だって寒いだろうに、豊海の為にブルゾンを貸して台所に立つ小山内は本当に優しい。きっと自分は、少しずつ彼に惹かれていくのだと豊海は思った。
傍に居れば、きっとどんどん好きになる。そして、桜音のことも過去になっていくのだ。
部屋が暖まってきて、豊海はダウンを脱ぐとハンガーに掛けた。自分のコートも脱ぎ、机の前にあった椅子の背に掛けると、台所へ入った。
丁度、コーヒーが入っていたので、豊海は小山内に断って食器棚からカップをふたつ出すとコーヒーを注いだ。
「はい…」
パスタのソースを作っていた小山内にひとつ渡すと、そのまま隣に立って鍋の中を覗いた。
「いい匂い…」
「鷹の爪、入れ過ぎたかな?辛かったらごめんね?」
「ううん、大丈夫。美味しそう」
茹で上がった麺がフライパンの中に入り、オリーブオイルと絡まっていく。忽ち艶が出て、旨そうな色になった。
「さ、食べよう」
パスタを皿に取り分けて、小山内は豊海を促して部屋に入った。
「いただきます」
前に置かれたパスタにフォークを入れると、豊海はすぐにクルクルと巻いて口に運んだ。
「うん、美味しい…」
「そう?良かった」
ホッとしたように笑い、小山内は自分もフォークを持った。
余り言葉を交わさずにパスタを食べ終えると、汚れた皿を台所へ運ぼうとした豊海を小山内が止めた。
「いいよ。俺がやるから」
「ううん。ご馳走になったんだからこれぐらいは…」
そう言って立ち上がろうとした豊海を、また小山内が止めた。
掴んだ手を引かれ、豊海はハッとした。
だが、突っ張ろうとした腕から、思い直して力を抜いた。
2度目のキスも、突然だった。
でも、1度目のキスより驚きは無かった。
そして、1度目のキスよりも長くて深かった。
「俺のこと…、少しは好きになってくれた?」
訊かれて、豊海は小山内を見上げた。
「最初から好きだよ…。ヒロさんは、優しくていい人だし、カッコいいし…。俺なんかには勿体無いよ」
「そんなことないよ。……俺はね、豊海君のこと、どんどん好きになってるんだ。会う度に、もっと好きになる。だから、豊海君が俺の方を見てくれたら嬉しい」
「ヒロさん…」
切ない目をする、と豊海は思った。
自分もきっと、桜音を見る時、こんな目をしているのだろう。
そして今も、ここに桜音が居たら、見つめている相手が彼だったら、自分はきっとこんな風に切ない目をして彼を見るのだろうと思った。
「俺も…、きっと、どんどん好きになるよ。今よりもっと、好きになる…」
「豊海……」
初めて呼び捨てにされて、胸がキュッと鳴った。
また唇が近づくのを、豊海は目を閉じて待った。
キスの合間に漏れる吐息が熱い。
舌を吸われて、頭の芯が痺れるのが分かった。
桜音がくれたキスとは違う。
もっと熱くて、絡みつくような、欲望を感じるキスだった。
「ふ……」
苦しくて少し呻いたが、豊海は腕を離さなかった。
抱かれてもいい。
そう思った豊海だったが、小山内は無理に行為に及ぼうとはしなかった。
「ゆっくりでいいよ。豊海君が、もっと俺を好きになって、俺を欲しいと思ってくれてからでいい。だから…、またデートしようね?」
優しくそう言われて、抱きしめられて、豊海は泣きそうだった。
このまま、自分の胸の中から桜音を消し去って、そして小山内を嵌め込んでしまえたらいいのにと思う。
そうしたら、自分も小山内も、きっと幸せになれるのだろう。
「ヒロさん…」
ギュッと、小山内の身体に腕を回し、豊海は言った。
「あんまり優しくしないで…」
「…ごめん」
辛そうに言うと、小山内は目を閉じて豊海の額に自分の額をギュッと押し付けた。
「早く、忘れて欲しい……ッ」
勿論それは、桜音のことだろう。本音を言われて、豊海は返す言葉が無かった。
ただ黙って、小山内の腕に抱かれているより他は、何も出来なかったのだ。