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豊海の熱も翌日には平熱に下がり、小山内も安心して豊海のアパートから大学へ行った。
豊海は念の為にその日は休んだが、翌日には学校へもアルバイトへも行けるようになった。
アルバイト先で顔を合わせた志田は、休憩時間に豊海から話を聞き、小山内が部屋に泊まったと知ると眉を顰めた。
「まさかあいつ、変な事しなかっただろうな?」
「し、してないよ。ご飯作ってくれて、面倒見てくれただけ。ただ……」
豊海が口篭ると志田がぐっと顔を寄せてきた。
「ただ?」
「うん…、あの…、付き合おうって言われたけど…」
豊海の言葉に、志田は大袈裟に眉を上げた。
「ほーら、やっぱりな。そんなこったろうと思ったよ」
呆れたように首を振り、志田は言った。
「で?まさかおまえ、“うん”なんて言ってないだろうな?」
ジロッと目を覗かれて、豊海は慌てて首を振った。
「い、言ってない…。まだ…」
「まだって?」
聞き返されて豊海は小さな声で答えた。
「だって俺…、嫌じゃないんだもん…」
「嘘……」
絶句した志田に豊海は言い訳するように言った。
「だ、だって、ヒロさん、凄く優しいし、いい人だよ?お、おかしいかな…?やっぱり……」
否定されると、何だかむきになってしまった。小山内と付き合おうと決めていた訳でもないのに、豊海は彼のことを悪く言われたくなかった。
「いや…。あいつがいいヤツだってのは俺だって知ってる。けど、豊海、あいつと付き合うってことがどういうことか分かってるのか?俺は、ヒロから直に聞いた。相手が男でも、あいつはプラトニックな付き合いをする訳じゃない。ヒロと付き合えばセックス込みなんだぞ」
はっきりそう言われて、豊海はすぐに返事が出来なかった。
小山内と付き合いたいと、心が決まっていた訳でもない。ただ、揺れているのは確かだった。
桜音との関係はもう終わった。どんなに望んでも、桜音は戻ってきてはくれないだろう。
優しい小山内と付き合えば、きっと大事にされて幸せな気持ちになれるような気がする。そんな思いを、豊海はしてみたいと思ったのだ。
だが、志田が言うように小山内と性的な関係になる覚悟があるかと言われれば、其処まで考えていなかったというのが本音だった。
桜音にははっきりと抱かれたいと思った。
だが、桜音は自分に性的な魅力を感じてはくれなかったし、どうしても踏み越えられなかったとも言われた。
だが、小山内はもし自分が許せばこの身体を欲しいと思ってくれるのだろうか。何だかそれも、豊海には現実的な気がしなかった。
「前に付き合ってた人とはそうだったかも知れないけど…。でも、俺のことはそんな対象に見るかな?だって俺、全然そんな魅力とか無いし…」
豊海が言うと、志田は軽く肩を竦めた。
「まあ、男としてどうかって言われたら、俺には分からないけどさ。けど、豊海は可愛いし、男も好きだっていうくらいのヤツは十分ムラッとするんじゃねえ?ほら、前に居た木下さんだって豊海に執着してたじゃねえ」
「あの人は、彼女とごたごたしてたから、その鬱憤を俺で晴らそうとしただけだよ。別に、俺に魅力を感じた訳じゃない」
豊海が答えると志田は首を振った。
「違うって。幾ら彼女と上手くいかないからって、普通、男に乗り換えようなんて思わねえよ。豊海だから興味持ったし、執着したんだって」
志田に言われて豊海は黙った。
木下も、そしてもしかすると小山内も、自分を抱きたいと思っているのだとしたら、何故桜音だけはそう思ってくれなかったのだろうか。
やはり桜音は自分を恋愛の対象としては見てくれていなかったのだろう。
桜音が自分に感じていたのは、同情以外、何もなかったのだろうと豊海は改めて思った。
「なら…、ヒロさんがそう思ってくれるなら、俺はそれでもいい。セックスしてもいい」
思わず、豊海はそう言っていた。
志田は吃驚して豊海の顔をまじまじと見たが、フッと表情を緩めると手を伸ばして豊海の肩を掴んだ。
「まあ、豊海がいいなら俺は何も言えないけどさ…。けど、簡単に決めるなよ。もっと、良く考えた方がいい。友達として少し付き合ってからでも遅くないぜ?」
「…うん。ありがと…」
勢いもあって大胆なことを言ってしまったが、豊海はまだ小山内と付き合うかどうか決めた訳ではなかった。
小山内と付き合って、桜音には与えてもらえなかった恋人としての感覚をを味わってみたいとは思う。
だが、桜音のことを忘れられないまま、その想いを心に残したままで他の誰かと付き合うのは不誠実だと思った。
それも、桜音への想いはまだこんなにも大きいのだ。
そんなことばかり考えて、その日は気付くと溜め息をついていることが多かった。
上がり時間になってスタッフルームへ引き上げると、ロッカーの中に置いてあった携帯にメールが届いていた。
良かったら日曜日に一緒に出掛けないか、という小山内からの誘いだった。
その文面を暫く見つめていたが、豊海は心を決めて返信ボタンを押した。
誘ってくれて嬉しいということと、それから、日曜日は何も予定が無いので何時でも大丈夫だと返した。
友達として出掛けるならきっと罪ではない。小山内だって今回はデートのつもりで誘ってくれた訳ではないだろう。
自分のことをもっと知って欲しいと言っていたし、その機会を与えてくれるつもりなのだろうと豊海は思った。
日曜日、一度だけ桜音とデートした。
桜音はどう思っていたのか知らないが、豊海にとっては忘れられない思い出だった。
だが、あの時とは違う。小山内と出掛けるのは、友達同士で遊ぶのと同じだ。
ただ、其処に気持ちの変化が起きないとは言えないだろう。
もしかすると、小山内が桜音を忘れさせてくれるかも知れない。そんな期待を、僅かだが豊海は持っていた。

“良かった。じゃあ、日曜日の9時ごろに迎えに行くよ。行きたいところ、考えといて?”

小山内からの返信が届き、豊海はそれを読むと返事を打った。



日曜日の9時丁度に、小山内が部屋まで迎えに来てくれた。
豊海ももう、支度を済ませていたので、すぐに出掛けることにし、アパートを後にした。
「何処か行きたいところある?考えておいてくれた?」
小山内に言われて、豊海は首を振った。
「ううん…。あんまり友達と遊んだことないし、良く分からないんだ。ヒロさんの好きなところでいいよ」
「うーん…。じゃあ、簡単に映画とか…?」
「うん。何か観たいのあるの?」
訊くと、小山内は笑いながら首を振った。
「特に無いけど…。俺のことじゃなくて豊海君の好みが知りたいな。どんなのが好き?」
訊かれて豊海は戸惑った。
前に、桜音と見た映画はサスペンスだった。でも、今どんな映画が上映されているのか豊海には分からなかったのだ。
「悲しくないのがいい…」
曖昧過ぎると思ったが、豊海はそう答えた。
「うん、じゃあ笑えるのがあったら観ようね」
優しく答えてくれた小山内に豊海は頷いた。
映画館に着くと、丁度一本だけコメディ作品が上映されていた。断ったのだが、小山内は豊海の分までチケットを買ってくれた。
「俺が誘ったんだから当たり前だよ。それに…、俺はこれ、デートだと思ってるから」
言われて豊海はカッと頬を染めた。
恥ずかしさと、そして、後ろめたさの所為だった。
キャラメル味のポップコーンと炭酸飲料まで買ってもらい、豊海は小山内と上映室に入った。
映画はとても面白くて、豊海は小山内と一緒に腹が痛くなるほど笑った。


映画館を出ると、丁度昼だったので食事をすることになった。
「豊海君は何が好き?洋食と和食とどっちがいい?」
「どっちでもいいよ。ファーストフードとかで十分だし」
きっとまた奢ってくれるつもりなのだろうと思い、豊海は小山内に散財させまいとしてそう言った。
「駄目だよ、ファーストフードなんて。豊海君は栄養不足っぽいんだから、ちゃんとしたもの食べないと。そうだ。美味しいオムライスの店があるんだ。そこに行こうか?」
「う、うん。オムライス大好き」
豊海が答えると、小山内は嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、決まり」
そう言うと、小山内は豊海の手を取って歩き始めた。道案内をしてくれるつもりでそうしたのだろうが、豊海は周りの人たちに見られるのではないかと思って恥ずかしくなった。
だが、とうとう店に着くまで、豊海は小山内の手を振り払うことは出来なかった。
その店は裏通りの小さな洋食屋だったが、小山内が旨いと言っただけあって、テーブルはひとつしか空いていなかった。
そこに座り、豊海は小山内と同じオムライスセットを頼んだ。
サラダとカップに入ったポタージュが先に来たが、どちらも美味しかった。サラダは生野菜だけではなく、ゆで卵を細かくしてマヨネーズと和えたものが載っていた。
「美味しい…、俺、ゆで卵とマヨネーズの組み合わせって大好きなんだ」
「あ、ホント?俺も好きだよ。旨いよね」
「うん」
豊海が頷くと、小山内は笑顔のままで訊いた。
「他には?何が好き?…あの、今度さ、俺の部屋に来ない?鍋とかどうかなって…」
「あ、うん…。鍋、いいよね。1人だと出来ないし」
「そうそう。だから、どう?豊海君は何鍋が好き?」
訊かれて、豊海は少し躊躇った。
外でこうして食べるのとは違って、小山内の部屋で2人っきりで鍋を突くような関係はまだ早過ぎるような気がしたのだ。
「うん…、何でも好き…」
答えを待たせているのを悪いと思い、豊海はそう答えた。
「じゃあ、キムチ鍋は?」
「うん、好き…」
豊海が曖昧な調子で答えると、小山内の唇から笑みが消えた。
「俺の部屋に来るの嫌?…襲ったりしないけどな」
最後はまた笑いながら小山内は言った。
「そ、そんなこと思ってないよッ。…ごめんなさい。ただ、迷惑じゃないのかなって思ったから…」
「迷惑なら誘ったりしないよ。…嫌じゃなかったらおいでよ。ね?今度の休みにでも」
「うん…、ありがとう。…多分、今度は水曜日が休みだと思う」
気持ちを決めて豊海が答えると、小山内は嬉しそうに笑った。
「そう。じゃあ、水曜日に迎えに行くよ。それから一緒に買い物に行こう」
「うん。楽しみにしてる」
約束したことを後悔したくないと豊海は思った。
小山内は優しくて、傍にいることは心地良かった。もしかしたら、こういう時を重ねていけば、いつか自分は桜音のことを忘れられるのかも知れないと思った。